第三話 『ヒューバードの戦い』 その35


 ……予定通りの配置についた。時刻は夕方6時38分。このまま新兵たちに携帯食料を食べさせながら休ませるのさ。約一時間後には、エイゼン中佐から仰せつかった命令の通りに、彼らを『ヒューバード』の街に解き放つ。


 ……オレたちも、晩飯を食べておいたよ。分厚いハムを挟んだサンドイッチと、クッキーさ。あまり食べ過ぎても胃が重たくて動けなくなるからな。それに、長くは戦わない。


 ……オレも30分ほど休む。叫びまくったから、それなりに疲れているのさ。夜の7時10分になると、オレは最後の偵察に出発したよ。武装したまま、あのエールの地下蔵に出る。


 『風隠れ/インビジブル』を用いて、『エルイシャルト寺院』の地下を駆け抜ける。完全な無音のまま、地下蔵から、地下墓所のある通路を駆け抜けて、地上へつながる階段に出た。


 地上には出ない。カビ臭い階段に身を伏せたまま、遙かな上空を旋回しているゼファーと心をつなぐ。


 ……ゼファー。待たせてしまったか?


 ―――ううん!じかんどおりだよ!


 そうだったな。地上はどんな状態だ?


 ―――とてもしずか。みんな、じっとしているね。


 敵の数は?


 ―――きのうとおなじだよ。にまん、にせん。もちばを、こうたいしてる。たてもののなかに、はいってるよ。


 そうか。亜人種たちが捕まっている監獄は、どんな様子だ?


 ―――しずか。かわりないまま。


 良かったよ。燃やされたりしていないかと、不安になっていた。


 ―――かじには、なっていないよ。


 ああ、それならな、いいんだ。それで、ハイランド王国軍は?


 ―――まちを、にじかんまえから、とりかこんでいるよ。


 どんな配置でだ?


 ―――きた、ひがし、みなみに。それぞれ、にまんずつ!


 いい配置だな。西を開けているのがいい。


 ―――あそこからなら、てきがにげだせそうだね。


 そうだ、傭兵が逃げるとすれば、あそこからだな。


 劣勢になった時には、逃げ道を用意しておけばいい。北に逃げれば、ハイランド王国軍は、北の海岸沿いにいる帝国軍に合流されることを嫌い、全力で追いかけて来るからな。


 西ならば、山脈と森しかない。そちらに逃げるのならば、ハイランド王国軍は許す。暗にそれを示してもいるのさ。傭兵の命までは求めていない。そのメッセージを傭兵に送っている。


 ゼファー、敵の配置は?


 ―――んー。どこにでも、おなじぐらいいる。じゃくてんは、なさそうだよ。


 ……そうか。『ミハエル・ハイズマン』め、いい組織管理だな。


 どんな状況にも柔軟に対応するために、バランスのよい配置をしている。ゼファーの視界を借りて見下ろした『ヒューバード』をうろつく兵士と傭兵たちは、そんな布陣を敷いているように見えた。


 たしかに、弱点という弱点はない。だが、夜間の市民生活は完全に停止状態。皆が、家に立て籠もっている。街の中心から、とくに北のスラム街は真っ暗だな。他は『虎』の夜襲に備えて、大きなかがり火を用意しているがね。


 スラム街の住民であった亜人種たちは、とっくの昔に監禁済みだ。ここからスラム街に向かうルートは想像通りに空いている。


 南の門が崩壊して、兵士が南に向かうのならば……この教会から北へのルートは、比較的空くんだよ。400人の新兵でも、闇に隠れて、北に進むことは十分に可能というわけだ。


 南の城塞の一部が崩壊すれば、そこから突撃してこようとする『虎』を止めるのに必死となる。オレたちは、そこに突撃することはしない。したところで、こちらの戦力では、その強力な戦いについていけない。


 密集した敵兵に、400で突撃しても効果はないんだよ。たった400の兵力で、最大の成果を出そうとするのならば?……オレたちの狙いは、北の城塞にある門の一つを破壊することだ。


 そこをこじ開けて、南からだけではなく北からもハイランド王国軍の『虎』を招き入れることにするのさ。


 400の新兵が突撃していくよりも、はるかに決定的な損害を敵に与えることになる。今よりは手薄になるであろう北の城門ならば、400の手勢だけでも一つか二つこじ開けてやれるさ。


 敵サンは、街の北にいるハイランド王国軍の2万の軍勢を、全力で警戒しているだろうからな。近寄らないように、闇の中で、そう当たりもしない矢を放ちまくっているのさ。


 ……さてと。


 ……少しだけ階段から首を伸ばして、『エルイシャルト寺院』に視線を向けた。祈りの灯火がわずかにだけ教会の窓から見える。籠城戦を覚悟しているからな、祈りのための物資の消耗も抑えているのさ。


 耳を澄ませば、祈りのための歌が、薄闇に沈むイース教会から響いていた。女神イースの慈悲がありますようにと、ブルーノ・イスラードラは必死に祈っているのだろうな。


 ……彼らのためにも、あまり残酷にならないように戦を決めてやりたい。


 こちらも最小限の損害で勝ちたいが―――市民生活まで、破壊してやりたいわけじゃないんだよ。ハント大佐よ、アンタの慈悲を見せてもらいたいところだがな。まあ、戦後処理のことなんて今はどうでもいい。


 集中しているよ。


 残酷なまでに、戦いのことしか考えちゃいないんだ。血が燃えている。だからこそ肌に触れる風が冷たく感じるのだ。獣のように残酷に、懐中時計の歯車のように緻密に、迷うことなく殺しまくのさ。


 ……オレは、ゆっくりと地下へと戻った。


 そした、あの隠し岩戸を開けさせる。進軍を開始したよ。時刻は、夜の7時25分になっているからな。ぞろぞろと地下墓所の通路にハイランド王国軍の400人の新兵が集結している。


 オレの洗脳が効いているのか?……いいや、『ハイランド・フーレン』の血かもしれないな。戦を前にして、興奮を帯びて、獲物を殺してやるために残酷であろうとしているのさ……。


 フーレンの16才には、あの洗脳は特別に効果的であったかもしれない。ロロカ先生は各チームのリーダーたちに、走るべきルートの最終確認を行っていた。


 オレたちは400人全員で、同じ道を走るわけじゃない。北に向かうといっても、十五のチームに分かれて、それぞれのルートを駆け抜ける。一つの道では、渋滞が起きてしまうからな。


 幾つもの街路を、全力で駆け抜けるのさ。そうすれば、滞りなく全員で北上することも可能ということだ。


「時間が命だ。取り囲まれたくないし、対応されたくない。とにかく、素早く北上し、北の城門の一つを確保して、こじ開ける。北に配置している仲間たちが、そこから『ヒューバード』に入城するまで、そこを確保するんだ」


 こちらの作戦は単純なものだ。用意されたルートを、それぞれが北に向かって全力で走り抜けるだけでいい。地図を読める者たちがリーダーに選ばれたのは、そのためだ。初めて走る街で、しかも時刻は夜と来ている。


 道を間違いないで走るだけでも、一種の才能や経験が要るのさ。配達人の力が、この戦場では鋼を振り回すよりも重要になるわけだ。


 ……リーダーたちが道を違わずに皆を導いてくれたなら、悪くない勝負は出来る。城塞を守る敵を、オレたち『パンジャール猟兵団』が排除することに成功したのなら、あとはハイランド王国軍に任せられるはずだからな。


 ……まったく。


 新兵ばかりを寄越しやがって。


 コイツらが熟練した『虎』たちばかりなら、もっと大きな戦術も仕掛けることが出来たのだがな……この街の道を占拠して、東と西の地区をせき止める。とんでもない荒技だが、『虎』の力をもってするのなら十分に可能なことだ。


 道ってのは狭いからね。敵だって、その多勢さを用いることが出来ない。何万人いようとも、小さな道を一度に通れる人数ってのは決まっているからね。


 だからこそ、『ミハエル・ハイズマン』は傭兵をリストラして、軍の質を高めた。大勢がいることに有利さはない。


 この街の中での戦いは、兵士の質こそがモノを言う。そして、ヤツはバランス良く兵士を配置させている。一カ所に大勢が集まっていれば、臨機応変に動けないからだ。道が渋滞することを考えているんだよ。


 ……ヤツの指揮所の地下に、爆弾を仕掛けられていて良かった。ヤツがそこにいる可能性はどれぐらいか分からないが、そこが攻撃されたという事実だけでも、兵士に動揺を招くことが出来る。


 ヤツの命令で、少数の部隊がネズミのように素早く街路を走り回り、目的の場所に集結する仕組みだったはずだが―――そのルールが破綻してくれたならば、大いに助かるってもんさ。


 ……オレのなかの分類では、ヤツは『攻撃的な男』。連携を重視して、最小の戦力で最大の威力を出そうと、丁寧な作戦を練るタイプの指揮官だ。急場の『防御』には向いていない采配を取っている。


 ヤツは、ハイランド王国軍の猛攻をしのいで疲れさせたあげく、遠征疲れもあるハイランドの兵士たちに対して、一発、強力な『カウンター』を用意していたと思うぜ。


 叩き上げの男ならば、ハイランド王国軍が戦功を欲してムリに攻めて来ることも予想できる。ムリして焦って攻めれば、どうしたって疲れてしまうものさ。


 ……この夜を乗り切って、『虎』に疲れが出たタイミングで攻めれば、いいカウンターをぶちかますことが出来たってわけだよ。『ミハエル・ハイズマン』は、『攻撃的』な指揮官だろう。籠城戦術を見ていれば、そういう予想が出来るんだ。


 この予想だけは、外れたことがない。配置を見れば、何となく分かって来るもんだよ。 さてと……あと、10秒だな―――。



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