第二話 『アプリズの継承者』 その10


 ロロカ・シャーネルの指が、その本をゆっくりと閉じた。彼女は顔を上げて、オレたちを見回してくれる。


「……これが、今のところ分かっている敵の情報です。このミケイアの『日記』に書いてあることが、全てですね」


「ミケイアの『日記』か。『イスラ』という男は、自分が殺した兄弟弟子の『日記』まで回収していたか。貪欲な知識欲だな」


「自分のことしか考えていない。研究者らしい、エゴを感じますね……これ以外の本には呪いがかけられています。この場での解呪は、難しいです。情報は、これだけですね」


「十分だよ」


「そうだぞ。さすがは、ロロカ姉さまだ。色々なことが分かったではないか。『バハルムーガ』の武器は、『雷矛ギーバル』。自在に『雷』を吐き出す、危険な槍のようだな!」


「ああ、それに『英霊繰り/シャウト・オブ・モルドーア』。この呪術のせいで、スケルトンを操っているらしいな」


「……つまり、彼は一種の『死霊使い/ネクロマンサー』みたいですね。死霊たちの、『将』……ソルジェさん、これは厄介な相手かもしれませんよ」


「厄介だろうな。65まで戦場で暴れていた将だ。知性なんて残っちゃいないかもしれないが、技巧も戦術も、骨髄にまで刻まれていそうな『経験』を感じる―――」


 ―――年寄りで、体力が無いからといって、弱いとは限らない。オレたちは、ガルフ・コルテスを知っているのだからな。ガルフの『経験』という武器は、恐ろしいまでの力を発揮していた。


 考えるまでもなく、敵の動きも、狙いも、理解する。それが、戦場を半世紀近く渡り歩いた男が持っている『経験』の強さだ。最適解を、直感的に選び……迷うことも、混乱することもなく、粘り強いと来ている。


 間違いないぜ。


 『バハルムーガ』も、そんな大ベテランの一人だろう。とんでもない強敵ってことさ。


 ……それだけに、唇が歓喜に歪む。猟兵として、強敵と戦うのは好ましいことだよ。でも、全ての猟兵がそうとは限らない。


「……はあ。スケルトンの群れと、やり合うことになるんすかねえ?」


「ギンドウちゃん、身軽になってて良かったね」


「ホント、そうかも」


「気合いを入れておけよ、ギンドウ・アーヴィング。今度の敵は、厄介そうだ」


「ええ。リエルの言う通りです。『バハルムーガ』は、賢者アプリズの弟子たちに、呪いの力を封じられていた状態……死霊のエキスパートたちが、それでも手を出すことをためらってしまうほどの強者です」


「……気を抜いていると、殺されかねんぜ。ギンドウもだが、全員、気を引き締めて仕事にかかるぞ。この地下迷宮を守り続けてきた英雄殿には悪いが、滅ぼす」


「うむ!……『ヘカトンケイル』を倒したことで、そいつの魔力は上がるというのだろう?放置しておけば……『ヒューバード』はスケルトンだらけになる」


「あれ?それって、好都合じゃないっすかあ?」


「いいや。『ヒューバード』を『奪い取る』ことも、『自由同盟』の目的だ。滅ぼせばいいというわけではない」


 アンデッドの蔓延る街になってしまえば、『ヒューバード』を『自由同盟』の拠点として使えないからな。


「ええ、海路を確保した後で、『ヒューバード』を『自由同盟』の拠点として使いたいんですもの。『ヒューバード』へのダメージは、最小限に抑えたくもあります」


「……了解っすわ。とにかく、オレたちはこれから、団長の魔法の目玉の力を頼って、ドワーフ族の英雄で、『ネクロマンサー』である、『バハルムーガ』を仕留めに行く……そういうことっすね?」


「よく理解しているじゃないか」


「まあ……理解してはいるんすよ。したくはないけど、するしかなさそうだってこと」


「それで十分だ」


 全員が好戦的である必要はない。むしろ、皆が同じ考えに囚われることの方が柔軟さが無くて危険だ。


 結束することは強みだが、多様性が無いということは、リスクもある。ギンドウの及び腰や消極的な戦意は、オレたちの行動と思考の種類を豊かにしてくれる。これで、いいのさ。


 ……真の勝負所ならば、ギンドウ・アーヴィングも仲間と心を一つにする。オレはギンドウがさみしがり屋ってことも、知っているんだよ。


 目の前で母親を『敵』に輪姦されて殺されて、片腕まで斬り落とされたことのある男は、『家族』の危機を見逃せるような心ではいられない。


 肝心な時には、全力以上で敵に挑む。


 『家族』を守れなかった男が背負う罪悪感ってヤツを、オレは無条件にだって信じることが出来る。ギンドウもオレも、『家族』のためなら、格上の敵にだって、全く恐れることなく挑むような人種だよ。


 失うことを、オレとギンドウは、誰よりも恐れている。


「ああ……かったるいなあ」


「仕事ってのは、かったるいもんだろう」


「そうっすねえ。はあ、分かりましたよ。じゃあ、出発しましょうよ」


 先頭は、もちろんオレが行く。鎧を来ている者の義務であるし、『呪い追い/トラッカー』の力で、『バハルムーガ』のもとに皆を導く仕事があるからだ。


 『呪刀打ち』のミケイアの『日記』から、『バハルムーガ』にまつわる情報を手に入れたおかげだろうな。宙を漂う、呪いの赤い『糸』が、ハッキリとその形を保っている。


 確信を抱けるよ。この『糸』を追いかけるだけで、オレたちは『バハルムーガ』と遭遇できるはずだぜ。


 『糸』を追いかけて、再びダンジョン探索がスタートする。罠とスケルトンに警戒を強めながら、ゆっくりと道を進んでいく……『糸』を辿るだけでいいから、迷うことはないが、スケルトンと『罠』のどちらにも遭遇する。


 白骨兵士を鋼で打ち壊し、『罠』も解除していった。ギンドウは、作業に懲りたのか、『偽ミスリル』集めをしなかった―――いや、あいつなりに『バハルムーガ』に備えて、体力と魔力を回復させようと必死なんだろう。


 トマト・カレーのおかげで、さんざん使っていた『雷』で失われた魔力も回復して来てはいるはずだ。重量物から解放されたおかげで、呼吸も楽になっているな……。


 しかし、異変に気がつくぜ。


 オレだけじゃなく、ダンジョンのエキスパートである、オットー・ノーランもな。


「団長。あれだけ壁や床を埋め尽くしていた『黒カビ』が消えています」


「ああ、おかげで空気がマシだ……ここのスケルトンどもの骨にも、黒カビが生えていなかったな」


「はい」


「それを、君は骨にかかった呪術により、黒カビから魔力が吸い取られたせいだと予測していたな……」


「ええ。おそらく、ここのスケルトンは、周囲の魔力を吸収し、呪いの力に変換しているのだと思います……」


「となれば、黒カビが消えて、床も壁も天井までも綺麗だということは……『バハルムーガ』は、自分の骨だけでなく、それから遠く離れた周囲の黒カビからまで、魔力を吸い上げてカビを殺しているというわけか」


「そうだと考えるべきです。スケルトンは、骨の表面だけを……しかし、『バハルムーガ』は……その数百倍から……いえ、数千倍の広さで、カビからも魔力を奪う」


「カビの魔力なんざ、知れているもんでしょうけど……近寄る生き物全てから、魔力ブン取って殺しちまうってのは、何とも豪気なアンデッドっすわ」


「腕が鳴る!」


 狩人であるエルフの弓姫は、闘志を剥き出しにしている。十本の指に、『炎』の魔力を奔らせていたよ……『雷』の使い手には、『炎』が有効だ。『雷』は、『炎』の前に歪められてしまうから。


 しかし、『雷矛ギーバル』から『雷』を放つことが分かっているだけに過ぎん……。


「……『バハルムーガ』は、ドワーフ族最高の魔術師と評価されていたんだ。『雷』以外にも、複数の属性の攻撃魔術を使いこなす可能性はある……」


「……なるほど、たしかにそうだな」


 先入観と固定観念、それらを戦いに持ち込むことは避けるべきではある。予想外の攻撃ほど、痛いモノはない。


「ヤツとの戦いが、どうなるかは分からんが、前衛を務めるのは、オレ、ロロカ、オットーだ」


「後衛は、私とリエルとギンドウちゃんだね」


「そうだ。リエルは『炎』、ミアは『風』、ギンドウは『雷』を使い、『バハルムーガ』の攻撃魔術の相殺を狙え」


「うむ!」


「……武術も魔術もフルに使うぞ。敵は、将軍だと思え。スケルトンの兵士を、呼び集めて使役する可能性もある……守っていては不利だ。攻めまくるぞ」


 オレたちの作戦方針は決まった。


 経験と地の利で勝る相手なのは確かだからな。時間を与えるほどに、こちらが不利になるだけだろう。


「何度だって言うが、ここは、ドワーフのダンジョンなんだよ。部屋ごと崩される仕組みだってあるかもしれない」


「ええ。ヤツとの戦いは、あらゆる可能性に、気を配るべきですよ。そして、確かに、速攻が勝利の鍵になる……敵に多くを考えさせることは、危険ですからね」


「……アンデッドに挑むというよりも、生きた将軍に挑むという心構えでいるほうが良さそうです」


「……アンデッドと、思うな……か。ふむ。そうだな。ロロカ姉さまの言葉を信じよう」


「ミアも、そうする!今度の敵サンは、賢い死体!!」


「……それで、団長。どんだけ危険になったら、撤退するんすか?」


 こういう言葉を吐いてくれるから、多様性ってのは大事だよな。ギンドウは、とても大事な質問をしてくれているよ。


「そのときは、可能な限り素早く指示を出すようにする。無謀なギャンブルはしない」


「了解っす」


 そうだ。未知の敵であり、いかにも大量かつ凶悪な罠が仕掛けられていそうな場所だ。撤退することも頭に入れておく必要がある……撤退は恥ではない。死者を出すことに比べればな。


 ……オレたちは、ダンジョンを進む。床からカビは完全に消え去り、スケルトンとの遭遇回数は増えていく……呪術の中心に、近づいていくのが分かる。『バハルムーガ』は、こちらの接近に気づいているだろうよ。


 魔法の目玉は、空気に……怒りを帯びた赤い波動が揺らいでいることを察知している。魔力が、流れ出しているのだろう。祖国に立ち入る、『侵略者』に対して抱く怒りの魔力、そいつが暴発寸前にまで増大しているのさ……。



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