第二話 『アプリズの継承者』 その9


 ロロカ先生はホコリの払われた一冊の本を腕に抱いた。彼女は、どんな本にも敬意を示しているようだな。まるで、赤子でも抱くかのように、その腕はやさしく革表紙の本を支えていた。


 眼鏡越しに、美しい水色の瞳が古いページに落とされて。先端をお下げにした長い金髪は、ロウソクの炎に赤く煌めく。彼女は、その落ち着きと知性にあふれる声を使い、物語を読み上げていく。


 ドワーフたちの王国、『モルドーア』。そこに500年前に存在していたという『英雄』、『バハルムーガ』の物語を……。


 その本を記したのは、女魔術師ミケイア。『呪刀・イナシャウワ』を打った刀匠でもある。ミケイアもまた、『バハルムーガ』に敬意を表しているようだな―――。




 ―――『バハルムーガ』の伝説は、数多い。ある意味では、王族よりも尊敬を集めていたようである。彼もまた、魔術師として運命に選ばれし存在であった。落ちぶれた騎士の家系に生まれたようではあるが……若い頃の彼は、モルドーア槍術よりも魔術を好んだ。


 『異端の騎士』。


 ドワーフは魔術よりも肉体的な戦闘を愛する傾向が強く、『バハルムーガ』に対する評価も当初は低かったようである。しかし、彼は初陣にて大きな手柄を立てた。そのことで彼の人生は大きく変わった。


 日陰者が英雄となったのだ。


 戦場で、彼は槍術と魔術を組み合わせて戦ったという。まれな例ではあるが、長い歴史には武術と魔術を両立した戦闘方法を確立する猛者が生まれる。


 どちらかの才ではなく、どちらの才も持つ者に対して、およそほとんどの者は無力であろう。


 『バハルムーガ』と相対した、古き時代の英雄たちもそうであったようだ。多くが彼に挑み、誰も彼に勝つことはなかった。


 生涯無敗を貫いた『バハルムーガ』は、この『モルドーア』という血なまぐさい歴史を歩んだ国にとって、最高の人材であったことだろう。どの敵に対しても勝利する英雄……彼の生来の位が低いことは、『モルドーア』にも彼にとっても幸いだった。


 もしも、彼の血が王位の継承を訴えるに相応しいほどの身分であれば?……彼は大勢の同胞たちにより処刑されたことだろう。


 有能すぎる無敵の騎士。


 そんな人物を最も恐れるのは、敵意を持つ隣国の騎士などではなく―――彼が仕えるべき王位を持つ者そのヒトであったはずだ。『バハルムーガ』の身分の低さが、幸いしたな。


 ……そして、『バハルムーガ』の考え方も、彼の身を守ったのだろう。彼は、権力への野心は乏しかったようであり、何より、忠誠心も高かったようである。


 貴族の戦士である騎士というよりは、ただの盲目的な忠誠心を持つ軍人であったらしい。


 一度の戦で、百や二百の敵を仕留めるのは、彼にとってはありふれたことらしい。彼を讃える碑文によると、アーキーメイガという谷で行われた戦では、彼は一人で五百の敵を仕留めたとされる。


 話半分だったとしても二百五十。常識的な戦闘能力ではないが、想像することも出来ない力かと言われると、そうでもない。私には、あり得る力だと思える。稀にだが、英雄と呼ぶに相応しい戦士は実在し、魔術と槍術を使いこなす人物の力が強大なのは明白だ。


 多くの戦で勝利し、不屈の忠誠心で国を支え続けた『バハルムーガ』も、65才になった時に、現役を引退した。


 むしろ、その年まで戦場で暴れ回っていたことを考えると、彼がどれほどに常識離れした戦闘能力を有していたかということが理解出来る。老いてなお、強さが失われないのは、武術よりも魔術の方だ。


 彼は、魔術への傾倒を深めていたのだろう。


 そのあげく。彼は、脅威的な忠義を見せつけることになったようだ。『シェイバンガレウ城』の地下ダンジョンの最北部の壁に、彼を讃える詩が刻まれていた。過去の王や英雄たちよりも、その記述は長く、種類が多い。


 『バハルムーガ』に対するリスペクトは、ずいぶんと大きく……彼が人生の最期に成した忠誠心の表現は、王が、他の騎士たちに期待する忠節として最高のものであっただろう。


 ……王城の地下にある、王が『ヒューバード』へと逃げるための通路。『バハルムーガ』は腕利きの兵士たちと共に生き埋めになり、彼は自らを供物とする呪術に自分と兵士たちを喰わせたようだ。


 あのダンジョンの地下にいるスケルトンたちは、全て、『バハルムーガ』がその時に地下に閉じ込めた生け贄であり、『バハルムーガ』の呪術に縛られた不死の軍団だ。彼は、兵士たちと共に、己をアンデッドに変化させて、王城地下を永遠に守る存在に至った。


 忠節……その言葉に美徳を求める者であるのなら、彼の行動は、何よりも褒められる行いではないのだろうか。


 死の安らぎさえも捨て去って、『バハルムーガ』は、未来永劫、この王国の守護者の役割に縛られる。こうして、国が滅びた今でさえも、彼は愛国心と王家への忠誠を忘れることなく呪詛を吐きつづけている……。


 そうだ。彼は、死後数百年経ってなお、『現役の呪術者』である。


 彼は死の直前に完成させた大呪術、『英霊繰り/シャウト・オブ・モルドーア』を唄い続けているのだ。あの術を、封殺することは出来ている。我々が尊師より受け継いだ呪術の知識は、偉大なる古き英雄の魔力にも勝っているのだ。


 ……しかし、『バハルムーガ』の怒りは、常に昂ぶり続けている。彼は、人格や知恵のほとんどを失っていると考えられるものの、この土地のスケルトンたちがモルドーア槍術を使いこなしていることから、生前に得た技や術を彼も放つことが出来るだろう。


 近づくべきではない存在だ。


 相殺のための結界にも、永続性を保証することは出来ない。


 ……触れるべき存在ではない、強大な怪物である。


 ……それだけに『イスラ』は憧れて、惹かれているのかもしれない。あの城の地下に陣取り、昼も夜も忘れて、『バハルムーガ』の放つ『英霊繰り』を聞いている。


 私は、イスラが『バハルムーガ』に洗脳されているのではないかと考えている。あるいは、ついにあの精神薄弱な人物の心が、壊れてしまったのではないかとも。


 尊師を無くしてから、我々は少し長く生き過ぎているのかもしれない。多くを得たし、多くを失っている……我々は、かつてほど純粋ではないのかもしれないが、多くを成し遂げるには、必要な変化であったと考えている。


 ……イスラは、許さないかもしれない。


 我々、四大弟子の考え方は、バラバラになっているのだ。


 尊師よ……我らが、アプリズよ。私は、貴方と共に死んでいた方が幸せだったように思える。


 …………感傷的になってしまった。


 ……役目を果たそうとは思う。


 イスラからの依頼に従って、『ヒューバード』の地下墓所を探った。『モルドーア』の戦士たちの墓を暴き、意図的に証拠隠滅がはかられたとしか考えられない『モルドーア』の歴史を探した。


 ……おそらくは、『モルドーア』の遺臣たちの行動なのだろう。『シェイバンガレウ城』にまつわる伝承の多くが欠けていることは。丸ごと先祖たちの墓所と化した、この土地を秘密の闇に埋葬したいようだ。


 私たちには、好都合である場所だが……たしかに、私たちは『モルドーア・ドワーフ』たちにとって外敵であり、好ましい存在ではないのだ。


 気が滅入るが、それでもイスラの依頼に従う。


 私も魔術師の端くれではあり、好奇心はある。『バハルムーガ』の物語を集めるためには、腐敗しきった白骨が抱く、融けかけの羊皮紙のロールだって開くのさ。


 ……イスラは、『バハルムーガ』に呪いをかけようとしているのだろう。個人の情報を多く集めることで、呪詛が精神を侵食する精度を跳ね上げるのだ……『バハルムーガ』の精神は、骨にでも宿っているのかもしれない……あるいは、装飾品だろうか。


 ……もしも、『バハルムーガ』を呪術で、弱らせることが出来れば…………彼を解体して、彼の『英霊繰り/シャウト・オブ・モルドーア』を解析することも可能になる。


 通常のスケルトンよりも、上質なスケルトンを作れるし、何よりも、アンデッドに生者の頃の知識を伝承する仕組み……それを紐解くことが出来たなら……真の意味での『魂の永続者』に近づけるかもしれない。


 命などが枯れ果てても、知識を求めて活動を続けられるのであれば……たとえ肉が腐り果てて、骨だけの恐ろしい姿になったとしても、知的欲求を満たす機会を、永遠に与えられるのらば、選ぶ価値はある……。


 ……不死身。


 ……永劫の体現。


 …………。


 魅力的だが…………おそらく、完全な存在には、ヒトはなれないだろう。『信じたくなる嘘』に気をつけなさい。アプリズのくれた戒めを、私たちは忘れているのではないだろうか?


 ……スケルトンになったからといって、多少の感情や記憶を、その骨に受け継いでいるからといって……王城の地下の隠し迷宮で、『英霊繰り/シャウト・オブ・モルドーア』を唄い続けている死骸には……勇猛果敢で、義に厚い、『魔槍の英雄』の雄壮さはない。


 あんなものは。


 あんなものは、ヒトの思念の残りカスに過ぎないような気がする。


 ……私は、疲れているらしい。『確かなもの』が欲しい。死霊臭くない、確かな、人間くさい何かが欲しい。そうだ。今さらながら、私は子供を欲しがっているのだ。呪術で動かす死霊ではなく、自分の腹を痛めて出産した、生きた血肉を持つ、温かい子が欲しい。


 ……もう私は、イスラたちと長く道を歩き続けることは出来ないのかもしれない。


 ……。


 ……墓を暴いて、死せる戦士たちの死にざまを知る。間接的に、英雄殿の物語を得た。


 老境の『バハルムーガ』殿は、『首無し馬』を操っていたという。不死身の馬であり、戦場で死ぬことはなかったし、疲れることも無かったという。まあ、最初から死んでいたのであろうからな。


 ……我々の知らない呪術ではある。おそらく、『バハルムーガ』の魔力は、アプリズと同じ領域にはあったのだろう。


 『バハルムーガ』は、その『首無し馬』に、討ち取った敵将の首を飾るのが好きだったそうだ。将軍職にあった『バハルムーガ』に気に入られるために、ドワーフの兵士たちは、敵将の首を、彼に捧げていたようだ。


 ……血なまぐさい蛮族どもの悪習だな。だが……死霊の研究者である我々は、その頭部を、『バハルムーガ』が魔力の源にしていたのであろうことを思いつく。『吸血鬼』でも無い限り、ヒトがヒトの魔力を啜り、己がモノにすることは不可能だが―――。


 ―――私の『呪刀』のように、装飾品にヒトの魔力を蓄えて、放つことも不可能ではない。『首無し馬』は、人頭の魔力を捧ぐコトで機能していたのかもしれないし、雷を自在に吐いたという『雷矛ギーバル』も、敵将の人頭から魔力を得ていたのかもな……。


 ……研究者というのは、恐ろしい。


 楽しくなっている。『バハルムーガ』を仕留めることが出来たら、その骸を調べ回すことで多くの知識が手に入ると、心が喜んでいる……。


 ……不安定だな。


 私は、さっきまで、新しい呪術よりも、赤ん坊の方を求めていたというのに。アンギリイムの根をすりおろして飲むとしよう。精神の波が、激しすぎる。心を落ち着けよう。




 ―――ロロカ先生が読んでくれた物語は、『バハルムーガ』だけでなく、初代アプリズの弟子の一人である、『呪刀打ち』のミケイアの物語でもあったな。多くを知れたとは言えないが、参考になりそうなことがあった。


 雷を自在に吐くという『雷矛ギーバル』が、『バハルムーガ』の武器らしい。『首無し馬』とやらも、元から死んでいるのだから、ヤツと一緒に埋葬されている可能性もある。連携を取るかもしれないな。


 ……そして、ミケイアを殺したアプリズ2世くんの名前は、『イスラ』というらしい。必要な知識かどうかは分からないが、一応は、頭のなかに入れておくか。『イスラ』が遺した呪術が、このダンジョンにあるかもしれない。


 『イスラ』についての情報が多く頭にあれば、『呪い追い/トラッカー』で気づけるかもしれないからな―――。



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