第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その73


 その進軍は、彼らの士気の高さゆえに極めて順調なものであった。難民たちの歩きよりも、はるかに速かった。荒野を歩き慣れていることもあるのかもしれないな。やはり、彼らこそが、この土地に生きる者たちなのである。


 北への移動は4時間で終わる。老練のドワーフたちは、陣地を組み立てていったよ。騎兵の突撃を防ぐための柵が用意される。


 ドワーフの職人たちは、またたく間に、騎兵による突撃対策を構築していたな。辺境伯軍が使える、最強の攻撃への備えだった。


「……さすがに従軍経験のあるベテランたちは、仕事が早いですな」


 陣地の中央、テッサのためのテントのなかで、オレはガンダラの言葉を聞いていた。思い出深い食品となった、『マドーリガ』ドワーフのクロケットを食べながらな。


 キュレネイは12個ほど、すでに食べている。それでも満足しているのかどうかは微妙だな、オレの皿にあるクロケットを見つめていたよ。


「……食うか?」


「……おお。以心伝心であります」


「それだけ見つめられたらな」


 もはや脅迫されるようなものだ。オレも、大食いではあるつもりだが、キュレネイには負けた。


 明日に備えて、ミアもシアンも、ジャンもすでに眠っている。そうさ。オレたちにとってのこれは、晩ご飯ではなく、夜食なのである。晩飯は、ヴェリイのいる屋敷で食べているのさ。キュレネイが起きているのは、夜食を求めてのことだった。


 なんと言っても、オレたちにはゼファーがいるからね。『ヴァルガロフ自警団』と共に、夜の荒野を行進することで、疲れる必要もないんだよ。


 ここ数日の濃密なハードワークのあげく、体力を消耗するわけにはいかない。オレも、治療が必要ではあったからな……。


「脇腹は大丈夫ですかな?」


「……肋骨が痛くて、夜食が食べられないわけじゃない」


「ふむ。それは何よりです」


「ガンダラこそ、いいのか?……馬の背にいたとはいえ、夜風にも吹かれただろう?」


 軍師であるガンダラだけは、テッサと共に、『ヴァルガロフ自警団』の行進に全て参加していた。ガンダラは空腹であっても、おかしくはないのだがな。


「私は小食ですからね」


 そうだ。巨人族の多くは、極めて小食なのだ。巨体であり、筋力も強く……その上、メシをあまり食べない。巨人族が、奴隷として使役されることが多い理由の一つだった。食糧を要求しない奴隷なら、彼らの主人は経済的に楽だろうから。


 ……ガンダラは、紅茶を飲みながら地図を見下ろしている。


「……作戦は、どんなだ?」


「騎兵対策に特化しているのは、陣地だけではありません。『アルステイム』の弓兵に、『マドーリガ』の戦士の長柄の戦槌……どちらも、対騎兵の武器として有効です」


「戦槌で、馬ごとブン殴るか」


「ドワーフの腕力ならば、有効でしょうな。この平地は、古来より騎兵が最も有効な兵種であったのでしょう」


「……それに抗うための、戦槌か」


「ええ。ドワーフの高齢の戦士たちは、弓兵として配置する予定です。4300の重装歩兵と、3000の弓兵となる予定です」


「……この地図から見ると、馬を防ぐ柵は、一列ではないな」


「まばらに配置しているであります」


 クロケットを胃袋に詰め終わったキュレネイが、オレとガンダラの間に頭を突っ込んできた。キュレネイの指が、戦場の地図をなぞる。


「柵を、あちこちに配置しているであります。つまり、壁というよりも、盾として使う気でありますか」


「ええ。敵が真正面から突撃してくれるなら、楽ですが。団長たちの報告から察するに、それなり以上の手練れたちと見ます……突撃の方向を変えるぐらいの柔軟さを、持っている可能性もある」


「なるほど。東だけに向けて設置していても、北や南から回り込まれて突っ込まれることを、警戒しているわけでありますな」


「そうです。この平野は、騎兵を祝福していますから。一方向に守りを固めることは、得策とは言いがたい。こちらには、騎兵はほとんどいませんからね」


「こちらにいなくても、問題はない。ユニコーンがいるからな」


「ロロカたちでありますな。どこにいるでありますか?」


「今は、辺境伯軍の後ろだな。南西に向かって来る、ヤツらの東にいる。距離を取りながら、隊列を切り裂く機会をうかがっているよ」


「むー。ゼファーの偵察でありますな」


 左眼を押さえているから、バレちまう。そうだ。ゼファーを通じて、実際に見えている。


「辺境伯軍は、もう出発している。山から下りて、一休みし……夜通し走り抜ける」


「西の砦との合流を、急いでいるわけでありますか」


「そうだ。戦力を集中するということが、防御にも攻撃にも、最適な判断だから」


「……ふむ。敵は、完全に、こちらの手中にあるわけでありますな」


「今のところはな。西の砦の連中が、こちらに来なければ問題はない」


「来ると、危なそうでありますな……練度は、敵の方が、ずいぶんと上であります」


「西の砦の目前には、ハイランド王国軍もいますから。彼らに背を向けて逃げることは選ばないはずですよ。それに、西の砦には、『南』の戦況が伝わっている頃でしょう」


「『南』でありますか……たしか、『アルトーレ』」


「ええ。団長とキュレネイが訪れた、あの『フェレン』から南に400キロ。奴隷売買も盛んな商業の土地です」


 ……辺境伯ロザングリードが、難民たちを奴隷として『出荷』しようとしていた街さ。その街を目掛けて、ルード王国軍とグラーセス王国軍が進撃を開始している。


「西の砦の兵士たちは、『アルトーレ』で行われている戦の動向も気にしているでしょうね」


「だろうな。西にいるハイランド王国軍が南下して、ルード王国軍とグラーセス王国軍と合流する可能性もある……逆に、ルードとグラーセスの軍が北上して来る可能性もな」


「『アルトーレ』は城塞で囲まれた商業都市です。帝国軍も、最初からそこに立て籠もるつもりはないでしょうが、旗色が悪くなれば、そこに退けば、守りは万全」


「……簡単に落とせる街ではない、そう考えているわけでありますな」


「ええ。だからこそ、ルードとグラーセスが、北上して来る可能性もありますし、ハイランドが南下して、両国の軍と合流する可能性も考えています」


 『アルトーレ』を、ルードとグラーセスだけでは、早期には落とせない。そう考えているからこそ、西の砦の敵サンたちは動きが取りにくい。


「そろそろ、気づいているだろうな」


「ええ。西の砦の辺境伯軍は、ハイランド軍がずいぶんと減っていることに気がついたでしょう。あれだけ数が減っていれば、気づかれるのも時間の問題……」


 ハイランドの本隊は、ゼロニアの荒野を東に渡っている最中だ。オレたちが襲撃したあの砦にも、もうすぐ近づく頃だが……『アルトーレ』攻めが、いいカモフラージュにもなっている。


 消えたハイランドの兵士たちは、『アルトーレ』に向かった可能性を考えているな。どうして、西の砦の敵サンたちが、ハイランドの本隊を『見逃していた』のか?……ロロカ・シャーネルと『ストラウス商会』の活躍が、そこにはある。


 軍隊の移動は、旅人の移動よりもずっと遅い。大所帯のせいだ。細い道では渋滞するし、橋を渡るときも時間がかかるし……何よりも、大量の物資を運ばなければならないことが、大変な重荷ということだ。


 ……逆に言えば?


 『物資を速やかに運ぶことが出来れば』、軍隊が移動するスピードは、敵の想定を超えるほどに高速となるわけだ。だが、ハイランド軍には馬が少ない。


 フーレン族の戦士の身軽さは、桁違いの行軍能力を持ってはいる。だが、6万を支える物資を運ぶとなると、馬の数が少ないという事実が、ハイランド軍からスピードを奪っているのさ。


 足りないのなら、ヨソから借りるという手もあるな。『ストラウス商会』こと、ユニコーンの商隊だ。


 我々は、ユニコーンを騎兵ではなく、輸送隊として使った。とんでもない輸送能力だ。速さも運べる量も二倍以上さ。


 まずは、ユニコーンの非常識なまでの輸送能力で、ハイランド軍の物資を南に運んだ。物資輸送の制限から解放されたハイランド軍の歩兵は、人間族には出せない速度で南下していったわけだ。


 その常識離れした移動速度に、西の砦の敵サンたちはついていけなかった。予想をはるかに超える速度だろう。フーレン族の戦士は、馬と大して変わらない速さで走れるからな。


 ……ハイランドでの戦において、シアンたちは証明済みだ。原初の森林を、一晩で走り抜けた。馬を犠牲にしながら、馬が死んだら、人力で走るというムチャをして、脅威的な移動を成し遂げたな。


 それを平地でやったのさ。物資輸送を心配せずによかった彼らは、騎兵が突撃するような勢いで、南下していった。


 彼らが移動したと思わせないように、オットー・チームが西の砦に陽動を繰り返していた。ハイランドが、西の砦を攻めたいのだと考えさせるために、カミラ・ブリーズ、オットー・ノーラン、ギンドウ・アーヴィングは暴れていたわけだ。


 作戦は、成功している。


 おかげで南下したハイランド軍の本隊は、誰にも気づかれることなく、ゼロニア平野に入ることが出来た。辺境伯ロザングリードが、北部の山岳地帯に兵力を集めてくれていたからこそ、その隙間があったわけだ。


 さらに言えば、『アルステイム』から提供された地図も役立っている。より軍隊が進みやすい道を歩く。それは、行軍の速度を何割かは上げることになったはずだ。ハイランド軍は、物資を人力の荷車でも運ぶ。


 車輪にやさしい道を知っていれば、ゼロニア荒野に入ってからも、敵の想像より速く動けるというわけだよ。


 ハイランド軍は、こうして、ほとんど無傷のまま、ゼロニア荒野を渡っている最中だ。辺境伯軍に悟られてはいないままな。


 ハイランド軍の本隊は、戦うことなく荒野を渡る。だが、彼らの全員が、血を流さない道を進んでいるわけでもなかった。


 せっかく、南下したのだからな。それに、名誉回復に焦る元・『白虎』の兵士たちもいる。彼らにも、素晴らしい軍務が用意されていた。


 『アルトーレ』に対する、攻撃だよ。


 オレたちは、いい運び屋を南に派遣しているな。偽造したアッカーマンの命令書と、アッカーマンの『死体』を使って、『ゴルトン』の大規模な輸送隊を詐欺にかけている。


 あの輸送隊も南に向かった。そこで、元・『白虎』の兵士たちと、ギンドウ・アーヴィングがコツコツ作っていた『木工製品』と合流したのさ。


 輸送隊が運ぶのは、奴隷じゃない。名誉回復のために死ぬ気で戦おうとしている『虎』の群れだよ。


 『ゴルトン』の輸送隊は、『アルトーレ』に奴隷を運ぶ予定だった。辺境伯のいないあいだに、奴隷の輸送ビジネスを始めようとしていたわけだ。だから、あの輸送隊には辺境伯がアッカーマンに渡していた『免許』がある。


 帝国貴族のサインが入った……ああ、簡単に言ってしまえば、『奴隷輸送の許可証』ってところだ。それがあれば?……堂々と、『ゴルトン』の輸送隊は『アルトーレ』に入れるわけだよ。


 つまり、城塞に守られた『アルトーレ』の中には、『虎』がうじゃうじゃいるわけだ。機能しない魔銀の首かせをはめられた、怖い『虎』でいっぱいさ。


 輸送隊が『密輸』したのは、『虎』の群れだけではなかった。ギンドウに作らせていた、『木工製品』というのは、馬車の荷台の板に仕込む『引き出し』だ。


 検査されたとしても、一目ではバレないように、荷台の板を一枚引っぺがして、そこに組み込み、収納スペースを作る。武器もだが……魔銀の首かせを壊せる、ミスリルのヤスリを大量に持ち込めるさ。


 ……『体力にあふれる、元気な奴隷たち』を、『アルトーレ』の市場は求めていたわけだ。そんな連中を解放して、味方につければ?……内側から、『アルトーレ』を破壊するための戦士が確保できるな。


 ルード・スパイや、シャーロン・ドーチェも『アルトーレ』には潜入し、彼らをサポートしているだろう。『アルトーレ』の鉄壁の城塞の内側には、すでに手練れの『虎』がいて、解放された元気な奴隷たちも大勢いるというわけだ。


 『アルトーレ』は城塞代わりに、立て籠もることも可能な街だが……そこを夜襲されているわけだ。奴隷の反乱として油断していれば、痛い目に遭わされるだろう。


 魔銀の首かせは効果がなく、並みの兵士が絶対に勝てるわけがない『虎』が大勢いるわけだもんな。奴隷の大反乱に加えて、『虎』の夜襲を味わうことになっているのさ。


 武器が足りない?……ああ、そこも大丈夫だろう。騒ぎになれば、城門の一部を内側から『虎』の誰かが開けばいい。そこから、『ゴルトン』の馬車で、刀も槍も運び放題だよ。敵から奪うだけじゃなく、使い慣れた須弥山の双刀を使えるわけだ。


 これが、今夜、南の『アルトーレ』で起きている状況だった。『アルトーレ』に残っていた帝国軍は大打撃を受けているだろうよ。クラリス陛下は、その隙を見逃すことはない。敵の殲滅よりも、『アルトーレ』の占拠を優先するに決まっている。


 『アルトーレ』から出撃した帝国軍には、物資の補給がないさ。近くの本拠地、つまり『アルトーレ』からの供給に依存している……明日の朝食の心配もしなければならない。戦闘中では、狩りも出来ないだろうからな。


 帝国軍はマジメだから、朝食の時間も決まっている。翌朝の朝食時に、攻勢を仕掛ければ、食いそびれるヤツらも出てくる。あとは、のんびり戦うほどに、敵が飢えて弱っていくことになる―――そこまで理想的に運ぶかは分からないが、仕掛けだけなら十分さ。


 どうあれ、『アルトーレ』は落ちるさ。アッカーマンと、辺境伯ロザングリードのおかげでな。クラリス陛下は、大勢の奴隷という戦力と、強固な城塞を手に入れる。陛下ほど有能な指揮官ならば、負けるような戦にはしないだろうよ。


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