第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その61


 オレとテッサは観客席から身を乗り出して、そのまま甘くて腐った臭気の満ちたホールへと飛び降りる。床には赤い絨毯が敷かれていたのだが、その感触は、重たい。ぬちゃりとしているな。湿っている。


 赤ワインと同じ色をした血液とか、血液に類似する錬金術の謎の液体とか……とにかく、赤を帯びた液体が、この場所の床にはまき散らされている。とても大量に。あの『ルカーヴィもどき』からあふれているのか?


 それとも、アレのために捧げられたシロモノなのか……区別はつかんが、毒性は無さそうなのは救いだな。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 テッサは、頭の悪い猛犬みたいに、そのまま突撃していく。彼女の美学というか、最良の戦法なのだろう。間合いを詰めながら、強靭な体力から強打の技巧を叩き込む。


 生まれもっての強者の発想。彼女は、その戦いのキャリアで苦戦をしたことは、ほとんど無いだろう。


 ハーフ・ドワーフの『狭間』として生を受けた者には、ときおり出現するらしい。ドワーフとしての頑強さ……肉体の強度そのものが他の人種に比べて、圧倒的に優れている存在が。


 金髪のツインテールを風に流しながら、狂犬みたいな勢いで疾走する細身の戦士。彼女は舞台の上で待ち受ける父親に向かい、突撃していく。


 戦術もクソもないな。一対一のつもりらしいが―――『繭』は殺人を行える存在だということを、彼女は失念していやしないか?生け贄を、自分で捕食するバケモノだ。


 彼女の父親も、娘との決闘を望んでいるらしいが、舞台にいる神サマは、空気読んでくれるような存在なのかね。


 あの戦場に闇雲に突っ込むのは危険だと思うんだが、テッサがすでに突撃しているものだから、オレも後追いになってしまうが、あわてて彼女の背後を追いかける。


「親父いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」


 テッサが跳躍しながら歌を放つ。歌劇のために造られたこの場所は、彼女のそれを反響させていた。周囲から反響してくる娘の声に包まれながら、ジェド・ランドールは何を思うのか。


 彼は戦士の貌を選んでいた。聖なる戦いに、全てを捧げるつもりとなったのだろう。彼は躊躇いを見せないフルスイングで、戦槌を振り回して来た。跳びかかり、上空から叩き降ろしているテッサの打撃に、威力で挑むとはな。ドワーフらしい気概だ!!


 ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンンッッッ!!!


 黄金の戦槌と、黒金の戦槌が正面から衝突する!!鋼の歌が、反響する!!このオペラ座の古い壁木たちも、これほどの威力に震える歌を聞いたことはあるまい。


 鼓膜が揺さぶられて、頭の中に鋼の歌が侵入して来るようだな……ッ。戦場では聞かないタイプの響きだ。コイツはね、お互いを知り尽くした者同士のみが放てる、同門対決限定の音なんだよ。


 お互いの動きを、完全に知り尽くしているからこそ、これほどの威力を衝突させることが出来る。お互いの動きを、『相殺』することもな。


 そうだ。鋼が歌う時というのは、攻撃が成功した時じゃない。それが大きければ大きいほどに、お互いの攻撃が防がれてしまったという証でもある。


 テッサの戦槌と、ジェド・ランドールの戦槌は衝突し、静止していた。


 互角?


 ……いいや、テッサの方が加速していたし、跳躍してからの落下もある。テッサの強打の方が、はるかに有利でなくてはならないのだが、受け止められてしまった。ある意味では、テッサの負けだよ。


「……親父ッッッ!!?」


「孝行娘め。一撃で、殺してくれるつもりだったらしいが……ワシは、お前の全ての戦いを見てきたのだぞ」


 戦槌が、離れる。空中で静止していたテッサが、落下を始める。テッサは苦悶の表情をしていたな。自分の状況的な不利に気がついていた。


 空中では避けようがない。ジェド・ランドールは、強打とは言えないものの、フォームと重心移動だけを用いて戦槌を振ったよ。


 空中にいるテッサも野性を発揮して反応する。戦槌を持ち変えたのさ、握り手の位置を変えることで、父親が振るう戦槌の一撃を受け止める。ジェド・ランドールの戦槌が走る軌道に、無理やり、自分の戦槌を差し込んだ形だな。


 鋼が衝突して、テッサの軽い体が吹っ飛んでくる。こっちにな。騎士道に生きる者として、乙女の体が宙に舞っているのなら、受け止めてやらんとな!!


 オレは走るのを止めて、宙から降ってくるテッサのことを抱き止めてやった。


「……意識はあるか、テッサ?」


「……ああ、なんとかな……ッ。クソ、全身が、打たれた直後の鐘みたいに、揺れちまっている……ッ」


「無傷ってだけでも奇跡だぜ。人間族なら、どこかの骨が折られていたぞ」


 ……ジェド・ランドールは追撃をして来ない。余裕を見せている?娘へ攻撃することの躊躇い?……違うね。ただ、追撃するほどの余裕がないのだ。最初の一撃。アレを受け止めた時、彼の老いた体は、あちこちに大きな負担が入った。


 テッサの動きを完璧に読み切っているからこそ、彼は最も効率的なタイミングで技巧を放つことが出来た。だが、城塞をも貫いて暴れ回るような『戦槌姫』の強打を受けたのだ。テッサ以上に、体はしびれているだろう。


「くくく!技巧では負けたが、体力では勝ったな」


「……同年齢なら、負けている……ッ。年寄り相手に、いい恥さらしだ。今週、三度目の負けだぞ……ッ」


「冷静になれ。彼は君の大ファンらしい。闘技場で見せて来た技巧は、およそ全て読まれる。君に戦槌を仕込み、君を見てきた男だ。動きは、全て読まれるぞ」


「私の直線的な動きは、単調なところもあるからなッ」


「正攻法で行け。威力も速度も君の方が桁違いさ。大技ではなく、マトモに戦えば、彼の体はすぐに壊せる」


「……嬲るような戦いは、好きではないが―――」


「―――決着を焦るべき相手じゃないのは、分かるだろ」


「……ああ」


「初太刀の威力を相殺されたのは、タイミングを読まれていたからだ。彼は、君の突撃の足運びまで全て理解している」


「……構えから、15歩で跳ぶんだ」


「一族伝来の動きだろ。一代で作れる完成度ではない」


「たしかに、ランドール家伝統の技だ」


「だからこそ、読まれてしまっている。動きも概念も、狙いも、オプションも。全てを読まれて、君の強打が最高の出力に至るより前に、戦槌をぶつけることが出来た」


「威力を上げるよりも先に、入れられていたか」


「刹那のタイミングだ。達人同士でも、そこまでは読めん。彼は、君の動きを君以上に知っていると思え。焦るな、慎重に戦え。君が死ねば、誰が『ヴァルガロフ』を守る?」


「……他の者の命を背負うことは、厄介だな……ッ」


 テッサの体から振動が消え去ったようだ。彼女はオレの腕から身を揺すりながら、床へと降りる。一瞬フラついたから、右手で彼女を支えてやった。


 並みの姫さまなら心配するところが、『戦槌姫』はタフだ。オレとシアンと戦い抜いた彼女は、ゆっくりと歩き始める。一対一を極める、孤独な闘技場の闘いのなかで得た、最高の相棒である黄金色の戦槌を、ゆっくりと動かしている。


 彼女の体は、一歩ずつ回復しているようだった。戦槌との結びつきも、彼女は復活させているな。戦い方を頭に描いている。もう強引な攻めはしないだろう。


 オレは竜太刀を抜いて、彼女の背後をついて歩いた。オレはジェド・ランドールを見てはいない。彼は、冷静になったテッサへ全身全霊を捧げる必要があるからな。オレを見ている場合じゃないのさ……オレは、『繭』を見ていた。


 動いているな。


 拍動している。


 死産だったはずの、開祖ベルナルド・カズンズと三つ子の羊の胎児たちの、合わさったモノ。死んでいても動いてはいたらしい。腐りながらも肉体は再生をも同時に行っていたとか……。


 まったく意味が分からん状態だったようだし、今もって、その認識は変わらない。非常識的で、グロい肉塊だ。


 だが、今は……数分前よりも、活発に拍動してやがるのは分かる。孵化しようとしているのかね?……オレは、テッサに代わって、ジェド・ランドールを斬るべきなのだが―――テッサは、父親に向かうだろうな。


 テッサの戦い方は、集中力があるのはいいんだが。闘技場式すぎる。彼女は、『繭』に対応出来るかどうか、分かったものじゃない。


「……テッサ。『繭』から、中身が出そうなことも忘れるな。ジェド・ランドールは、戦場を君より識っている。あそこに陣取るのは、『繭』をオレが警戒すると理解してのことだ」


「……ならば、お前が『ルカーヴィ』と戦えばいい」


 そう言われると思っていたよ。彼女は、オレにどうしても父娘の決闘を邪魔されたくないらしいな。


「一対一が、二組だ。私のスタイルは、一対一の方が有効だろう。ガルーナの竜騎士殿よ、この『戦槌姫』の背中を守れよ」


「……姫サマの前で、盾になるのが騎士道なんだぜ」


「一般的な姫ではない。それに、『ルカーヴィ』は親父よりは強いだろう。悪神殺しのお前ならば、アレと戦う手段も経験もある。明確な答えだ。より確実に勝つためには、どちらがどちらを相手すべきなのかは」


「ああ、冷静にさせるべきじゃなかったかな」


「あきらめろ。ガルーナの野蛮人より、私の方が知恵は回る」


「……最良の道を考えろよ。猟兵たちも、『アルステイム』も、すぐに駆けつけるんだ。数を使える」


「それは、誇りに関わる。そして、何よりも、兵を疲れさせることは避けたい。『ゴルトン』も『ザットール』も、現状では辺境伯軍の仲間だ……『アルステイム』の猫どもが減れば、両者を掌握しにくくなる。最良なのは、頂上決戦を二つ。戦力の消耗が最も少ない」


「……口で勝てそうにないぜ」


「お前が、神を殺せ。私が開祖の死体をぶっ壊すよりも、よそ者のお前が、それをした方が禍根も少なくなるだろう」


「……冴えてやがる。説得上手だな」


「私を邪魔したければ、さっさと、神殺しを成せばいいだけだ。迷うなよ。戦場では、迷うべきではないはずだ。考え事をしていれば、『ルカーヴィ』に殺されるぞ」


 ……冷静になったテッサ・ランドールは、反論の余地のない言葉を並べていた。オレは彼女に父親を殺させたくないのだがな。ああ、アーレスよ。どうにも、賢い彼女の口車に乗せられるしか、なさそうだ。


 素早く、『ルカーヴィ』を殺して……あの父娘喧嘩に介入するしか、道はないか。もう舞台に着いてしまった。蛮族の冴えん頭で考えているヒマはない。


 ジェド・ランドールは呼吸を整えながら、戦槌を構えた。そして、彼のかたわらに置かれている、あの『繭』には亀裂が入っていく―――孵化するらしいな、『ヒトが創った神/ルカーヴィ』が……。


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