第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その60


 祈りの歌を聞きながら、オレたちを乗せた馬車は、その古い『オペラ座』へとたどり着いていた。


 その古い建物には、明かりが点いているな……しかし、あまりにも静かだ。


「……こんな目立つ場所に、隠したのかよ、親父」


「目立つ場所に隠す。そういう手もある」


「公演中、なのでは?」


「……『架空の一座』が、貸し切っている。本番は、一週間後であり、今は、猛稽古の最中だ」


 そういう『設定』にして、堂々と地上を拠点にしたというわけか―――。


「―――この用意周到さを見るに、アンタは自分の攻撃がバレると踏んでいたな」


「ああ。ワシは、アッカーマンあたりに、気づかれると想定していたよ」


「ヤツが生きていても、多分、気づいたろうな」


「だが、現実は少々、私の想定と異なっている」


「娘と戦う予定は、無かったか」


「……当然だ。しかし、こうなった以上は戦うしかない。娘が、どの程度まで育ったのかを、試してやろう……」


「望むところだ。親父をぶっ殺して、『ヴァルガロフ』を守るッ!!」


「迷いの無い、道だな。ワシの道とは、最後まで交わらなかったか……」


「曲げるべきは、私の道ではないからな」


「……頑固者め」


「……血だろうよ」


「……さて、ついて来い。神に、会わせてやろう」


 戦槌を肩に担いだまま、ドワーフの老戦士はオペラ座へと向かう。入り口には絢爛豪華な飾り柱が並んでいるな。


 それらの純白な石柱たちには、四大マフィアの象徴たちが刻みつけられている。『アルステイム/長い舌の猫』、『マドーリガ/茨まといし聖杯』、『ゴルトン/翼の生えた車輪』、『ザットール/金貨を噛む髑髏』……。


「四大マフィアの象徴、その全てを柱に刻みつけているということは、『オル・ゴースト/根源なる魂』の建物というコトになるわけか」


「そういうことだ、ガルーナ人よ。このオペラ座は、ワシら四大マフィアが協力して建てたのだ。芸術を、『ヴァルガロフ』の住民たちにも広げるために……」


「広がったのか」


「世間にあるおよそ全ての試みは、正しさに根ざしているものだ。だが、いついかなる時も、理想的な結果を生むことは保証されているわけではない……」


 失敗に終わったらしいな。歌劇を楽しむなんてことは、『ヴァルガロフ』にいる悪人どもの大半には似合わないだろうよ。ガルーナ人にさえ、似合わん行為なのだから。


「ワシは、この場所を愛していたがな。数々の大女優が生まれたが、それも昔のハナシになる」


「……オレが知っている名前は一つだ。キュレネイが護衛していた、カルメン・ドーラ」


「ああ……カルメン。彼女も、最高の大女優の一人だったが……」


「『オル・ゴースト』を裏切って、殺された。自由を求めていたんだろう。豪華で、美しく、巨大な建物ではある。でも、世界の広さに比べたら、所詮は鳥かごだ」


 『オル・ゴースト』がこの地で犯した、無数の罪の一つだ。カルメン・ドーラを殺した。外国に行ってみたい。自由が求めた、歌い手か……オレとガルフ・コルテスは、『マドーリガ』の密造酒を買いあさる金があったなら、ここで彼女の歌を聞くべきだったかな。


 まあ、オレたちが『ヴァルガロフ』に来たときには、もう彼女はあの世に行っていたのだろうが―――有名人ってのは、生きている内に会っておくべきではあるな。乱世じゃ、すぐに死んでしまうし……悪人の虜となっている者も多いのだろう。


「……カルメンは、綺麗な歌声をしていたのか?」


「ああ。美しい声だった。歴代の大女優の中でも、トップクラスだろう……」


「そうかい……彼女の死体に出会ったオレには、彼女の歌は届かなかったよ」


「弔ってやっただろうな?」


「当然な。それに、彼女の一部は、夢を叶えている。キュレネイは、骨の一部を……今でも持ち歩いているんだからな」


 華やかな土地ばかりではないが、あちこち広い世界を旅することは出来ている。カルメン・ドーラという人物にとっては、最高の弔いのはずだ。


「……さてと、神と会わせてやろう」


 ジェド・ランドールが入り口にある大きな扉を押して開く。鍵は、彼が呪術でかけていたらしい。彼の指が扉に触れた瞬間、ガチャリと解錠されていたよ。


 オペラ座の扉が開き……白くて大きな階段が目に入る。ちょっとした風車が入ってしまいそうなほどの高さを持つ、巨大な吹き抜けの空間に、そいつはあった。


 三十段ほど上がると、そこにもまた門がある―――四大マフィアの象徴が刻まれ、色大理石の柱に囲まれた門だ。門の左右に階段は伸びているな……客席とかロビーにつながっているのだろうが、野蛮人の想像力を越えていた。どこに行くべきなのか分からなくなる。


 城みたいだな。


 そこらの貴族の城というよりも、王が住めるサイズの城みたいだ。戦闘には耐えないが、何とも現実離れした美しさがある。武骨さは無く、文化のカタマリみたいな空間だったよ。自分の人生には、芸術という成分が不足していたことを認識してしまうな……。


 壁と、天井にまで絵が描かれているんだぜ?隙間なく、どこもかしこも飾られているんだ……芸術が、あふれていやがるな。幻想的というか、浮き世離れしているというか……。


 周りが、『ヴァルガロフ』育ちばかりだから、感動をイマイチ共有することが出来なかったのは残念だった。


 残念だが、ガルーナ人よりも、『ヴァルガロフ』の悪人どもの方が、ずっと芸術に触れて育っているらしい……オレは、『パンジャール猟兵団』の若手たちを、こういう場所に連れて来なきゃダメな気がしたよ。


 ……まったく。


 こんな場所で、父娘で殺し合うことになるとは、豪華な親子喧嘩もあるもんだぜ。いや、この美しい場所を選んだのは……神が『孵化』するのに相応しい場所だと、ジェド・ランドールは考えていたわけか。


 狂信者らしい発想ではあるのかもしれない。彼は、最大限の敬意を払おうとしているのだろう、『自分たちで造った神』に対してな……。


「……それで、どこにいるんだ?」


「ホールに決まっているだろう。祭壇の代わりには相応しくもある。こちらについて来るがいい」


 ジェド・ランドールについて歩いて行く。あの階段を上がり、門をくぐる。短い通路に入り、気圧の変化を鼓膜が感じ取っていた。そして、甘い香りを嗅ぎ取る。花をモチーフにした香水か。


 バラの甘ったるい香りがする……心地よさを感じるというよりも、鼻の奥に痛みさえも感じるほどの、濃密なにおいだった。


「……香水で、腐肉のにおいを隠しているんだな……ッ」


「そうだ。『ルカーヴィ』からは、腐臭がするからな。香水と、舞台役者の使うおしろい粉も混ぜてある。甘い香りがするだろうよ」


「強すぎるぜ、あまり心地よさは感じないぞ」


「毒は混ぜていないから、安心するがいいガルーナ人よ」


 短い通路の奥にある、ダークブラウンの扉を開き……それらのにおいは更に強くなる。そして、ときおり戦場で嗅ぐことのある、甘ったるい死臭のにおいを認識した。


 ヒトの腐肉が放つ、吐き気を催せる甘い香りさ―――香水やら何やら粉のにおいが混じっているせいで、息を吸う度に、鼻の奥に刺激を感じるな。ジャンがここに来ていたら、気絶したかもしれない。


 過度な甘い香りの洪水の奥に、その美しさとグロテスクが混じった空間が存在していたよ。三階席まであるらしい、その巨大な観劇の場には、無数の座席と、高級そうな真紅の絨毯や、金刺繍が施されたカーテンなんかがあり―――中央の舞台には、肉が在った。


 肉の『繭』。


 アレが目的だということは、解説無しでも即・分かってしまうな。あまりにも不気味であり、あまりにも異質だ。赤黒い肉が、寄り集まって巨大な肉塊となっている。美しさも文化も、微塵もないな。


 生まれたばかりの家畜を、屠って、『裏返し』にでもしたみたいな形状だな。血まみれで、歪な形をしている。『繭』……あるいは、サナギといった印象を受けるのも確かだ。とにかく、アレの中に殺すべき敵がいることを、本能的に理解する。


 そいつは舞台の中央に配置されているが、肉の枝とも呼ぶべきものが生えていて、舞台の壁にそれらは張りついていた。いや、張りつくだけではないな。壁に喰らいつくように枝を伸ばした肉の柱は……生け贄を巻き込んでいた。


 『繭』から触手が撃ち出されて、『捕食』したらしい。生け贄は、干からびているし、頭にあるいくつかの穴からは、ぬめりを帯びた赤黒い肉の枝が生えていた。胴体を抉り、体内を貪りながら、目玉や鼻の穴、時には口の穴から飛び出したらしい。


「……アンタの仲間かよ、喰われているのは」


「ああ。殉教者たちだ。劇団員のフリをして、彼らは神を守ってくれた。そして、最後にはその身を、その魂を、その命を!……神の降臨に捧げたのだよ」


「……親父よ。こんなことをしたかったのか……ッ!?」


「そうだ。神の実在を、証明したい。我々の願いや、祈りが、無意味では無かったことを示したいのだよ。そのために……ワシも、『オル・ゴースト』も、大勢を犠牲にした。多くを捧げた……それが、結実する日が、ついに来たのだ」


 ジェド・ランドールが、『風』を使う。補助魔術だ。体重と、あの戦槌を軽くしていた。老戦士は、オレたちがいる客席から軽やかに飛び降りると。『繭』へと走る。


 獣みたいに俊敏だよ。老齢の戦士であるとは、とても思えないな。魔術の加護があるとはいえ、常識から離れ過ぎている。霊薬も併用しているのならハナシは別だが、その様子がない。


 彼の全盛期は、テッサ・ランドールより上かもしれん。城塞を貫くように戦槌を振り回しやがった、あのテッサ以上か。


 まったく。ストラウス家の血が、騒ぎやがるな。いい戦士だぜ。老いてはいるが、精神力と技巧の冴えで、肉体の弱まりをカバーしている。


 軽やかに走り、彼は、舞台へと跳び乗った。


 音を立てることなく振り返る。


 オレたちを睨み、戦士の貌で笑うのさ。


 ……声は無くとも、十二分に伝わってくる。彼の闘志に煌めく眼光が、戦槌を握りしめる指が上げる軋みの音が、獣によく似た歪んだ貌が。語っていやがるんだよ。


 ―――来やがれ、若造どもッ!!


「チッ!!親父め、まだ、力を残していやがったな!!おい、親父を追うぞ、ソルジェ・ストラウス!!」


「ああ!!エルゼ、君はここで待機していてくれ!!」


「……はい。私では、足手まといになりそうですからね。お二人とも、ご武運を」


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