第五話 『戦神の荒野』 その18


 それから作戦を煮詰めたよ。マフィアの名簿を使い、部隊編成はしっかりと行えた。それぞれの役回りを教え込み、闇に紛れて南へと移動を果たす。これで準備は完了しつつある。


 ……あとは時間を待つだけだった。


 作戦は完璧だ。敵が、オレの読み通りに動けばいいし―――動かなければ、動くように仕掛ける必要もあるな。


 だが、おそらく、そこまで心配する必要はないだろう。ゼファーから、南の砦に動きがあることを教えられる。


 馬の準備を始めているようだ。その数は、100騎ほど。見張りの交替ではない。馬の乗り方からして、やや動きが固いようだ。乗馬には慣れているが、鎧と武装には慣れていない。若い兵士たちだ。経験不足の若い兵士たちが、緊張と興奮を帯びて動いている。


 読みは当たりそうだ。


 戦場では、ヒトの悪意が剥き出しになるものだな。新兵どもは、今夜も初めて親父と一緒に『狩り』に連れていってもらえるような、ワクワクした気持ちでいるらしい。


 そうさ。行っちまえ。おかげで、こちらは仕事が楽になる。『あそこ』に行ったところで、狩られるのはお前たちの方だがな……。


 その吉報を手にしたオレは、ゼファーとジャンに地上へ戻れと命じたよ。体力を回復させておくべきだ。ゼファーはともかく、ジャンは、『狼男』のくせに、寒さに弱いフシがあるからな。


 とはいえ、風邪を引いたことはない気がするな。でも、遠い東に走るバシュー山脈から吹く夜風は、かなり冷たい。無自覚なままに、体温を奪い、体力を減らしてしまう可能性もあるからな。


 体調管理には、どこまでも気をつけるべきだ。


 ……ああ、そう言えば、難民キャンプにいたマフィアども……『ボランティア・チーム』の処分についても、そろそろ決まるらしい。


 『裁判』の判決が出るのさ。


 難民キャンプに紛れ込んで、彼らに食糧と医療を提供していたマフィアの手下ども。ヤツらの中には、荒野での虐殺について知らされていなかったと主張する者もいた。虐殺が行われたことに、ショックを受けている若い女の薬草医もいたな……。


 オレは難民たちが、この『ボランティア・チーム』をリンチで殺すかもしれないと考えていたのだが、実際には、それほどの暴力にはならなかったよ。


 仲間の仇を討つために殺そう。そう宣言し、殴りつけて手脚の骨をへし折りにかかるヤツは、当然ながら、たくさんいたのだが……けっきょく、命を奪うことまではしなかったな。


 あの泣きじゃくる薬草医に、殺意が緩んでいたのだろう。彼女の涙が真実かは、彼女しか判断することは出来ないがね。


 アーレスの魔眼は、彼女の心が、ただ怯えていることだけを伝えていた。彼女の言葉の真偽を確かめるには、拷問にでもかけて、発言の矛盾を突いていき、嘘を見破り、真実を拾い集めなければならない。


 ……そこまでする時間も趣味も、オレにはなかった。そもそも、この復讐を誰に対して、どう果たすのか?……それを決めるのは、オレではなく、難民たちのすべきことだ。


 だが。あえて、言わせてもらうなら。彼女は嘘をついてはいる。真実だけを話しているわけじゃないだろう。


 知らなかった?


 ……果たして、そうだろうかな。


 彼女たちも、まさか『ヴァルガロフ』のマフィアが、無償の善行を成すために、難民たちを手厚く保護していたなどとは、絶対に考えてはいなかったはずだ。利用するために、善行を施す。自分たちの役回りを、しっかりと理解していたのさ。


 難民たちだって、あまりバカじゃない。こいつらの発言に、大なり小なりの嘘が混じっていることなんて百も承知だ。


 ……それでも。難民たちは彼女を含め、マフィアどもを殺すまではしないと決めたらしい。マフィアの『ボランティア・チーム』と難民たちの交流の果てに、一定の絆が出来てはいたようだ。


 ―――数ヶ月前までは隣人であり、同胞であった。そんな帝国人たちに追われながらの逃避行。住み慣れた故郷を捨てて、ただ生きるために怯えて走り抜いた道の長さを、難民たちは忘れてはいない。


 その道の果てに、この薬草医の女どもは、偽りではあるが……やさしく彼らを出迎えていた。そして、食事と医療を提供した。難民たちは、その事実を考慮したらしいな。


 難民たちは選んでいた。


 寛容な心で、『ボランティア・チーム』を見逃すことに決めたようだった。殺すことはない。ただ、動けなくなるまで殴り、手脚の骨を折り、縄で縛っただけ。


 薬草医の女は、連行して医療従事者として働かせることで、罪を償わせることにしたそうだ。彼女も、それに同意した。


 ……この判断が、正しいことなのか、それとも間違っていることなのか?……彼らが自分たちで決めたことに、オレは口を出さない。出す資格もないからな。


 復讐とは、仲間や家族が果たすべき、この世で最も間違いを帯びていない正義だ。この薬草医の女を八つ裂きにすることも、間違いなく正義としてみなされるだろう。どこまでしていいか?……どこまでもしていいのさ。復讐とは、そうあるべきだ。


 全力をもって、殺された者の恨みを晴らさなければならない。そうでなければ、仲間や家族への愛と絆は、偽りと呼ばれてもおかしくはないからな。


 ……オレなら、どうしていただろうか?


 ……愚問だな。


 オレは、この難民たちよりも、やさしくはない。迷うこともなかっただろう。


 だが、これはオレの復讐ではない。


 難民たちが見逃すのなら、それで十分だ。オレの個人的な怒りは―――アッカーマンと辺境伯ロザングリードにぶつけてやるさ。


 ……まったく。オレは、どうにも狂暴な発想をしていけない。東から吹く風に、あの殺戮の現場で嗅いだ、焦げたにおいを感じ取る。


 黒く焦げた魂が……川の向こう側から、こちらを見つめているんだよ。仲間の選択を見ながら、彼らの半分は納得したように消え去り、残りの半分は怒りに狂う。


 ……殺せ、殺せ、そいつらは嘘つきだ!私を殺した、ただ生きたいと願う私に、そいつらは死を与えた!!


 知らないはずがない、知っていて、私たちを見捨てたのだ!!


 その女は、嘘つきだ!!どうして、私たちの仲間のくせに、私たちの恨みを晴らしてくれない!!なぜだ!!私たちは、ずっと支え合って来た仲間なのに!!どうして、その敵を生かすのだ!!私たちを殺した敵を、どうして許す!!


 ―――こんなものが見えなければ、死霊の慟哭の歌が聞こえなければ。オレはもっとやさしくなれたのだろうか?……分からないな。どうあれ、見えるものは仕方がないのだ。


 儀式をしよう。


 竜に蘇生させられた、魔王の背負うべき業なのだろうから。竜太刀を抜いて、夜空に掲げるのさ。黒く焦げた魂たちが、オレに近づいてくる。復讐を望み、怒りの牙を剥く、怨霊たちは、オレの影に宿り、竜太刀に融けていく。


 してやれることは、多くはない。


 だが。アッカーマンと、辺境伯ロザングリードに、その怒りをぶつけるがいいさ―――君らを死に至らしめた責任を持つ悪人どもだ、必ず殺すよ。オレの業火に宿るがいい。復讐の怨霊となり、オレと共に征こう……。


 我が名は、ソルジェ・ストラウス。ガルーナの魔王を継ぐ男だ……。


 アーレスの影が、黒く焦げた怨霊たちを包み込んでいくのが分かる。見えることではなく、魂で感じ取れるのだ。あの雄大な漆黒の翼が、あの威圧的な黄金色に輝く瞳が、同胞となった怨霊たちを従えるために閉じられていき……竜は歌う―――。


 ―――我と共に征くぞ、怨霊どもよ。正当なる復讐を果たし、正義を成すために。


 ……魔眼を覆っていた眼帯を外す。


 辺りには静かな闇ばかり。


 怒りに狂う怨霊どもは、竜太刀の鋼に宿り、今では大人しい。復讐を果たすべき瞬間を待っているのだ。魔王の業火として、アーレスの焔と共に暴れるそのときを。


 なあに。飢えることはないさ。遠からず、アッカーマンも辺境伯も、この竜太刀で叩き斬ってやるんだからな。ヤツらだけは、オレの獲物だ。他の誰にも、斬ることは許さない。オレが、この手でヤツらに伝えてやるよ。君らの痛みと、業火の熱量を……。


 辺境伯ロザングリードを人質に使う?……もはや、ありえんな。そんなマネは、許容できん。難民を虐殺した男の命など、許していては、ストラウスの名がすたるってもんだぜ。


「……団長」


「……ん。オットーか」


 ニコニコとした微笑みを、あの糸のように細く閉じられた瞳で表現する紳士がいた。


「報告にあがりました。皆さん、作戦を理解して下さったようです。各班のリーダーたちは、手順も完璧に暗記しましたよ」


「そうか。何よりだ。君に、細かな仕事までさせてすまないな。オレの頭では、あまり多くを同時に暗記することは出来なくてな」


 ……2万6000人の難民たちを、完璧に指揮するためには、数十の班にリーダーを置いて、その人物にすべき動作を教え込まなくてはならない。


 とてもじゃないが、オレの頭では混乱してしまう。優秀な知性を持った人物に、委ねなければならない仕事だ。


「……君がいてくれて、本当に助かった。オレがどんな作戦を作るかも、想定していたようだしな」


「ええ。団長は、私の想像を超える発想をしますので。色々なことを考えていました」


「備えてくれていたか」


「……難民が大きく数を減らしたことを知ったとき、予想しました。団長は、ここに誰も残さないだろうと」


「……虐殺から守るには、そうすべきだろうからな」


「はい。私は……無理やり川を渡らせる方法と……そして、『東』にも退避することも考えていました」


「なるほどな。その手もあるよ。2万6000の移動は、とても難しいからな。脚の速い者だけを、『西』に……そして、足の遅い者を『東』に移動させて、マフィアと辺境伯の軍勢から遠ざける―――いい作戦だ」


「いいえ。この作戦は、無難なだけです。東西に分けることにより、敵の追跡を分散出来ると考えていました。敵は、国境を守らなくてはなりませんから……多くの追跡隊は来ないはず」


「間違っていないさ。敵は、おそらくそう動いた」


「ですが……これでは、東へと置き去りにした者を、孤立させる」


「ああ。そうだな」


「……この作戦では、弱い者を切り捨ててしまいます。彼らを犠牲にして、大集団を確実に救う作戦でした」


「……悪くはない」


「ええ。でも、これから行う作戦の方が、私は好みです。かなりのムチャをすることになりますが……上手く行けば、犠牲者は、本当に少ない数となる」


「……ゼロニア平野の状況を知っていたら、オットーも同じような策を作ったさ」


「それは分かりません。私は、ムチャを好みません。本能的に、安全を求め……犠牲の数を見積もる癖があります」


「そうでなくては、いけない時もある。犠牲の数をより少なく選ぶ。それを要求される戦場では、オレよりもオットーの方がいい判断を下せるよ」


「はい。理解しています。ですから、その時は、お任せ下さい」


「ああ。より少ない犠牲で勝ちに行く……そんな作戦を、いつかオットーに任せると思うよ。この乱世で、帝国を打倒するには、そんな戦いも必要になるのだから」


「お任せ下さい」


 いつかオレは過酷な任務を、オットー・ノーランに任せる予感がする。彼でしか行えない任務は、幾つか存在している。探険家である彼だからこそ、冷静に判断が出来る、過酷な道―――そこを通らねば帝国に勝てない日だってある。


 そんな時が来たら、オレはオットー・ノーランに頼るとしよう。でも。今夜は、オレの作戦に乗ってもらうぜ。


「あー!ソルジェさまー!」


 カミラが大きな声でオレを呼びながら、こっちに向かって走ってくる。


「どうした?」


「ゴハンが出来たっすよ!みんなで、お腹いっぱい食べるっす!」


「……ああ。そうだな。ここを出発すれば、一晩は歩き抜くことになる……朝メシまでは遠い。しっかりと、腹に溜め込んでおくか!」


「そうですね」


「二人とも、こっちに来るっすよ!今夜は、腹もちがいい、米料理っすー!!」

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