第四話 『祈る者、囚われる者』 その33


 シアンとオレとで、馬車の側面に取りついた。左右のドアから入るんだよ。中にいる『予言者ラナ』が、一体どんな反応をするか想像もつかんからな。いきなりと逃げようとする可能性はある。そうなったときのため、両側から攻めてみる。


 この箱形馬車、両開きだ。


 元々は『オル・ゴースト』の所有物ってことなのか、とんでもなく頑丈な造りだよ。軽くて固いアメントの木に、エルフの魔術師の祝福が刻みつけられている。軽さと頑丈さが両立出来ているな。矢で射られても、貫通することはない。


 そして、マフィア仕様と言っていいのかもしれない。窓から内側が見えないな。鉄製の鎧戸がついてやがる……戦場でも使えそうだ。オレとシアンは、時間をかける。火薬の臭いこそしないが、薬物の臭いはプンプンしている。


 罠を警戒しているんだ。このドアを開けたら、いきなり毒液が飛びかかって来るとか。太陽の光を浴びて燃える錬金術師の薬というのもある。それに、紋章地雷が仕掛けられていないかもな。


 魔力を読み、細いナイフの刃を窓のすき間から差し込んで、罠用のワイヤーが無いかも確認する。『ゴースト・アヴェンジャー』のリーダーが使っていた馬車……どんな罠があったとしても、おかしくはない。


 慎重な作業だったが、手慣れたものさ。ワイヤーは無い。魔眼でも確認したし、ナイフの刃でも探った。紋章地雷も無い。罠がある可能性は、ほとんど、ゼロだ。


「シアン。魔眼で見えるような罠は、無い。君の鼻は?」


「……薬品があるが、可燃性のものではない」


「同意見だ。罠にするには、どうにも臭いが小さすぎる印象を受ける。瓶に詰められたままか」


「……だろうな。小細工を使う時間が、無かったのだろう」


「竜から逃げる気になら、そうなるか。一分一秒が、命に関わるもんな」


「……では、開けるぞ」


「同時にな。呼吸はするなよ」


「薬が、空気に融けている可能性も、あるからな」


「そういうこと。愚問だったな」


「……いや。構わん。基礎を確認することで、ミスは減る。では、3、2……」


 カウントの最後は言わないようにしている。癖をつけるため。敵に可能な限り、情報を与えないようにするためのトレーニングだ。ちなみに、2の次は、1、1、0。一拍増やしている。聞き耳を立てる敵に、1秒の焦らしを与える。


 集中し過ぎて、反応がいいヤツなら、1秒の間にリアクションの停止と、疑問を抱く。勝手に混乱してくれることだってある。そういうイヤらしいというか、小ずるさってものを、『敵の領域』に入る時は帯びるようにしているのさ。


 ……実戦こそ、最高の訓練の機会じゃある。こんな疲れる訓練は出来ないからね。いつでも、より質の多い経験値を喰らいながら自分を磨く。


 動きに意味と根拠を与えながら戦場で過ごせば、自然と強さが研がれていくもんだよ。ガルフ・コルテスが教えてくれた、最高の訓練法だった。無言だとしても、オレとシアンの行動は完全な同調をしていた。ちゃんと、1秒遅らせていた。


 両側のドアを同時に、開いた。『予言者ラナ』が飛び出してくる可能性に備える。出て来たら、この位置で捕まえるつもりだ。しかし、彼女は動かない。ならば、『風』を放つ。『風』で、換気をするんだよ。


 空気に毒が融けていたらマズいだろ?……自分たちだけ解毒剤を飲んでいて、この馬車の内側に呪毒を仕掛けているって可能性もある。体には悪いが、最高の馬車泥棒除けになるだろうさ。


 シアンと話した通りに、元々、車内の空気を吸い込む気なんざゼロだが、毒の空気など肌に浴びる必要もない。可能な限り、健康を追及する。それも生き残りのコツだ。疲弊した強兵は、弱兵にも必敗する。


 新鮮な空気を馬車のなかに新鮮な空気を送り込みながら、オレとシアンはそのドアを蹴り壊して、『動きやすさ』を確保していた。武器を背負って、車内に入るときには、邪魔だからね、ドア。全く同時に動いているのが、猟兵の練度の証だった。


 ドアの消えた出入口を、猟兵の体が塞ぐ……室内には、目的の少女がいたよ。小さく、丸まっていた。猫みたいに。『灰色の血』だ。銀色の髪をしていた。短く借り上げられて銀髪のあいだには、痛々しい傷口が見えた。


 霊鉄の破片を、脳に突き刺された痕跡だった。シアンの金色の双眸が、細くなる。その少女の痛ましさに、『虎姫』は心を痛めているのだ……オレも、心が苦しいよ。彼女の脳内に突き刺さっている霊鉄が、魔眼には見えてしまうから。


「……『ラナ』だな。君を、迎えに来た。オレは、ヨシュアの敵だったが、今は、彼の願いのために動いている。こっちに来てくれ。ヨシュアは、そう望むはずだ」


 その言葉に、丸まっていた『予言者ラナ』は身を起こす。怯えた顔をしている。そうだな。ヨシュアの敵が来たのだから。だが、オレの言葉は彼女に義務感を与えていた。『ヨシュアの願い』、それは……この小さな『灰色の血』の少女の行動を、命令のように縛る。


 怯えた顔だが、ゆっくりと歩く……馬車が揺れるせいか……あるいは、長年の拘束で体が弱っているせいか、彼女は四つん這いだった。10才ぐらいだと思うが、痩せていて、小さく見えすぎているのかもしれない。


 痛ましい四つん這いだったが、彼女はオレの近くにやって来る。オレは、その怯えた少女のことを抱き寄せていた。やさしくしたつもりだが、ラナの体は恐怖に揺れていたよ。そして、痩せ細っているな……改造のダメージだろうか。


 それとも、空腹の懲罰で、アスラン・ザルネは君を制御しようとしていたか?……あるいは、逃げたり暴れたりしたときの抵抗を、弱めるためにか……合理的な悪意が、きっと彼女の体を細めているのだろう。


 痛ましい少女のために、祈りたくなるが、祈るための神をオレは持たない。それは心やさしい者たちに任せて、オレは、行動をもって、ヨシュアの願いに応えてやろう。彼女を抱きしめる。薬品のにおいがする少女へ、可能な限りのやさしい響きの声を使うのさ。


「……怖がらなくていいぞ。オレは、ヒドいことはしないさ。オレに、しっかり抱きついておいてくれるかい?」


「…………」


 無言だった。でも、彼女の細い腕が、オレの体に絡む。


「いい子だ」


 心のなかでゼファーに指示を出した。ゼファーは空中で、背中のケットシーたちに状況を説明したのだろう。オレの傍らに、ロープが垂れてくる。そのロープを右手で掴んだ後、馬車を蹴った。ゼファーが馬車から離れてくれた。


 空中にいることを少女の感覚が悟ったのだろう、オレにギュッと抱きついてくる。馬車がどんどん遠ざかっていく。ゼファーが、そのスピードを緩めているのだ。十分に減速したあとで、オレは緩やかな着地を迎えていた。


「もう安全だぞ」


 ラナにはそう告げたが、抱きしめることはやめなかった。ラナがオレに抱きついて来ているからでもあるし……オレの心の中には、セシルがいたからだろう。


 ……シアンが、双刀を振るうのが分かったよ。


 あの馬車は情報源だからな。回収するのさ。馬を結ぶ綱を瞬時に斬り裂いて、馬車と暴走馬の連結が断たれていた。


 馬は、恐ろしい勢いで走り去り、動力を失った馬車は、しばらく走っていたが、轍の走る道を走れて、大きな石の転がる荒れ地に進み、岩を踏んで横転していたよ。シアンは、そうなる直前に軽やかに飛び降りていたから、全くもって問題はない。


『ちゃく……ちっ!!』


 ズシンン!!


 大地が揺れていた、ゼファーの体重のせいで。ゼファーは首を低くして、背中にいる三人が地面に降りやすいように気を使っていた。レディーと、左脚の悪い男と、心を壊された少年だからな……気を使いすぎることはない。


 オレはラナを抱えたまま、ゼファーの元に向かうのだ。


『そのこが、らな?』


「……ああ。そうだよ、悪いが、ヴェリイ、ニコロ、君たちに彼女のことを預けてもいいかい?……あの馬車を、調べたいんだ」


「それなら、私が預かります。動きにくい脚だったとしても、子供のお守りは出来ますから。ヴェリイさまも、あの馬車をお調べになって下さい」


「……ええ。頼んだわよ、ニコロ」


「さあ、ソルジェさま」


「ああ。ラナ……ここにいろ。オレたちは、調べて来なくちゃならないことがある」


「……うん」


 ラナが小さな声で返事をしてくれた。オレは、彼女のことを地面に置いた。彼女は、ヨロつきながらも、どうにか立ってみせた。そして、彼女は目の前にいるアレキノに気づいたようだ。


「……私と……同じ?」


「……うん……」


 アレキノとラナが、見つめ合っている。『予言者』同士、何か考えることがあるのだろう。オレは、この場をニコロに任せて、ヴェリイと一緒に横転したままの箱形馬車に近づいていく。


 すでに、シアンが調査をしていた。彼女は馬車から三つのトランクを引きずり出していた。薬品の臭いがする……中には、ラナのための薬品が満載なのだろうか?……コイツを回収して、ルクレツィアに見せれば?


 彼女なら、『予言者』にしてやれる治療を見つけることが、出来るかもしれないな。その意味では、これらを回収出来たことには意味がある。その他には、とくに何も見つかることはなかった。


 武器もないし、地図もない。


 文字が書かれたものは、一つだって見つかることはなかった。薬品と、数日分の食糧と水と着替えいう、質素なものだった。スケッチブックを見つけたが……全てのページが黒く塗りたくられていたよ。


「アレキノも、同じような絵を描いていたわ。最近は、描かなくなったけどね」


「洗脳の激しい状態から、回復したという証だろうよ」


「……そうね。前向きに考えるべきだわ」


「……長よ」


「どうした?」


「……獲物を、追わぬのか?」


「ラナを確保するために、オレも代償を支払っている。魔力を使ったし、何よりも、ヤツは呪術の専門家だ。オレが呪いを追跡出来ることを理解した。痕跡を追いかけたところで、違うモノに誘導される気がする」


「……逃がしたか」


「ああ。だが、数日以内に、追い詰めて殺してやる。作戦をスタートしよう」


「……アッカーマンと、難民キャンプの方か」


「ああ。その前に、『予言者』たちを、どこかに預けた方がいいかもな……」


「なら、『ヴァルガロフ』の近くに、私の直属の部下たちの隠れ家がある。そこに行きましょう……アレキノを診てくれている医者もいるし、そこが、彼の一番慣れている屋敷よ」


「良さそうだ。そこなら、君の『ボス』が、『アルステイム』を掌握しているかも確かめられるよな?」


「ええ。ソルジェくんには、それの確認が必要なわけだものね」


「そうだ。『アルステイム』が、オレと組んでくれるのか……それを、確かめたい。そして……手紙を届けて欲しいヒトもいるんだよ」


「誰かしら?」


「テッサ・ランドールだ。彼女にも、アッカーマンを排除することを手伝ってもらいたいのさ。彼女と『マドーリガ』の戦力まで使えるのなら、オレたちは……大きな勝利を手に出来るからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る