第四話 『祈る者、囚われる者』 その22
シアン・ヴァティは楽しそうにしている。あの細くて長い流麗な尻尾を、右に左にと揺らしている。彼女は琥珀色の双眸で、獲物を見据えていた。この乾いた湖底は、日干しレンガのように硬い。彼女は、靴の裏で地面を踏みながら、戦場の質を確かめている。
『首狩りのヨシュア』は、シアン・ヴァティを見つめていた。この『灰色の血』の青年は無表情のまま、とても落ち着いている。キュレネイ・ザトーよりも、さらに感情がないのかもしれない。
『ゴースト・アヴェンジャー』。その存在を、オレは知りたがっているようだ。魔眼で彼を観察している。脳の中に……霊鉄の破片はない。しかし、呪術の糸が、ヤツの若い体の中にも巣食っている。
情報を得たからだろうな。だから、『呪い追い/トラッカー』の力が発揮されている。今のオレの魔眼ならば、キュレネイの肉体と脳を縛る呪いを目視出来るかもしれん。それで、彼女をその呪いから解き放ってやれるかは、分からないが―――多くを識りたい。
今のオレは、何故だかキュレネイ・ザトーを失うんじゃないかという不安に駆られているからだよ。戦場での悪い予感。9年間も戦場をうろついているというのに、外れた試しを数えるのには、片手だけでも十分だった。
「……お前たちは、何が目的だ?どうして、オレの邪魔をする?」
『首狩りのヨシュア』が口を開いた。ヤツの足下には戦鎌がある。あれを目当てに逃げていたのさ。しかし、持ち上げられてはいない。
もちろん、シアン・ヴァティが、その動きを制しているからだ。大きな動作で、あの戦鎌を持ち上げようとすれば、『虎姫』の稲妻のような襲撃がヤツを殺すだろうから。
ヤツは、とっくの昔に追い詰められている。この絶対的な戦力の差は、幸運で補うことが出来るようなレベルではない。万に一つも、ヤツがこの状況を生き残る可能性ってものは存在しちゃいないのさ。
こちら側の勝利は確定している。
だが、オレたちは欲張りでもあるんだ。より多くの情報を求めているのさ。『ゴースト・アヴェンジャー』に対する興味もある……シアンも、さっきの『予言』を聞いていた。
アレキノは語った。
『オレのゴースト/キュレネイ』が、オレを斬る―――彼の戯言だと思いたいが、この広いゼロニア荒野で、彼はヴェリイ・リオーネの居場所を完璧に当てている。この現実を否定するロジックは、オレには今のトコロない。
世界には様々な偽りの『予言』があふれているだろう。しかし、アレキノの『予言』は当たるのだ。
シアンはいつでも殺しにかかれるのに……待ってくれている。オレと、キュレネイ・ザトーのためにだと思う。そう訊いたところで、彼女は頭をうなずかせたりはしないだろう。『虎』にはそんな感情は無いと否定するかもね。
でも……あれで、かなり面倒見のいい姉御肌だからな。シアンは、『首狩りのヨシュア』の言葉を聞いてから、じっくりと時間を使い、ようやく言葉を返していた。
「―――ヴェリイ・リオーネを、確保する。そのために来た。そして、それは成った」
「……『アルステイム』の、傭兵なのか?」
「……似たような、ものだろう」
「そうか。オレは、失敗したようだな」
「……ああ。そうだ。『虎』と竜に、阻まれている……それを乗り越えても、貴様などには勝ち目のない赤毛が、あの女を守っている」
「それは、絶望的な状況だ」
状況をしっかりと理解しているらしいな。しかし、ヤツはそれでも無表情だった。『ゴースト・アヴェンジャー』ってのは、どいつもこいつも達観しているというか、感情をあらわにしないのが基本なのか?
……分からない。
もっと情報が欲しいところだ。そうだな……今、『ゴースト・アヴェンジャー』にまつわる情報と言えば、ヤツの足下にある『戦鎌』だけか。長い柄と、巨大な鎌。草刈りにも使える形状だが、鎌の鋼の分厚さは戦闘用の威力を予感させるな。
つまり、一撃でヒトを殺すに足る、十分な武器だ。十分に使い慣れた者が振るえば、馬の脚を数本、一撃で斬り捨てることも可能だろうよ。
キュレネイの発言を頼れば、『ゴースト・アヴェンジャー』の『武器』か。アレにも、何か戦神の教えに関する意味があるのかもしれないな。
「……ヴェリイ」
「……なに?」
「呼吸は楽になったか?」
「ええ。舌も、かなり動くようになって来ているわ」
「……どうして、『ゴースト・アヴェンジャー』は鎌を使う?」
「……魂を刈る。連中は、死神気取りなのよ」
「宗教的な意味があるのか?」
「ええ。戦神に仕え、裏切り者を狩る存在……それが、『ゴースト・アヴェンジャー』の由来よ。あの鎌は、裏切り者の肉体を斬り裂き、魂を捕らえ、戦神に献上するための聖なる武器ね……元々は、儀式のための道具よ。裏切り者の腹を裂き、さらし者にするための」
「……君らの宗教は、一々、血なまぐさいな」
「マフィアだもん。しかたないわよ」
『ゴースト・アヴェンジャー』について学べた。やはり、ヤツらはかなりの宗教狂いというかな。ヴェリイに分析を頼めば、ヤツらの動きをより正確に読める可能性がありそうだ。
行動の全てに宗教的な理由や動機があるのなら、それから予想することも出来そうってことさ……。
『ゴースト・アヴェンジャー』は、オレの視線に気づいているが、感情を表すことはない。あくまでも冷静なまま、ヤツは再び口を開く。
「……オレは……これから死ぬらしいな」
「……私に、負けてな」
「お前は……何のために、戦うんだ?」
「自分の強さを、磨くため。強い敵を、斬ることでしか……私の魂の飢えは、満たされることはない」
「強さを実感するためか。オレは、ただ命令されて、殺して来た」
「……そうだろうな。お前の殺気は、鈍い。まるで、死者のように無気力だ。私の群れにも、『ゴースト・アヴェンジャー』がいる……お前よりは、はるかにマシな女がな」
「……キュレネイ・ザトーか」
オレとシアンが反応していたよ。『首狩りのヨシュア』は、キュレネイを覚えているらしいな。どちらかと言えば、それは正常なハナシだ。40人程度の集団だったというからな、『オル・ゴースト』の『ゴースト・アヴェンジャー』たちは。
その狭い人間関係にいたのなら、全員が全員を知っていてもおかしくはない。ましてキュレネイのように、強い戦士であるのなら……多くの者に認識されているはずだ。それは不自然ではない。だが、キュレネイは、『ヨシュア』を覚えているのだろうか?
「……どうして、キュレネイ・ザトーを、知っている?」
「同じ組織だったからな」
「そういう、意味ではない。なぜ、キュレネイを特定出来た?」
「ただの逆算だ。行方不明になったまま、死体も発見されていない『ゴースト・アヴェンジャー』は、キュレネイ・ザトーだけだ。オレたちも、『脱走兵』を認識している。彼女しか、ありえない。だから、当てられた……彼女は、元気なのか」
「……私の群れで、元気だ。長と、仲良くやっている」
「健康なのか……それは、良かった」
「……知り合いか」
「彼女は、覚えてないだろうがな」
「……覚えて、いない?……理由が、あるのか」
「あるよ。彼女は、オレよりも頭に注がれた『闇』が多いんだ」
キュレネイが、テッサや『フェレン』にいた『ゴースト・アヴェンジャー』を覚えていない理由は、やはりあるようだな……やはりというか、何というか、彼女たちの脳には、呪いがかけられているようだ……。
「……『闇』、だと?」
「ああ。真っ暗な『闇』だ。脳に、その呪いを刻まれると、あそこの竜の背にいるようなヤツみたいに、壊れる。壊れる代わりに、機能を得られる……」
「……お前は、何を得た?」
「得たというより、オレは……失ったのだ。多くの同胞たちと異なり、オレは色々と覚えている。『オル・ゴースト』が、オレたちに、どんなことをしたのかも、しっかりと覚えてはいる。おぞましいことを、された。そう思うべきことをされて認識もしているのに、オレは怒れない」
「……怒れなくなった、というのか?」
「命令を聞くしか、できなくなっただけ。覚えてはいる。オレたちがガキの頃から、散々、ヤツらの呪術を浴びて、苦しめられて、ちょっとずつ壊れて行ったことを」
奥歯を噛むよ。ヴェリイの深緑の瞳に、チラリと見つめられる。一瞬だが、バレただろうな。キュレネイの子供時代のことを、考えていた。サイテーと彼女が称した子供時代。それは、オレが思っていた以上にサイテーだったらしい……。
「拷問じみた行為だ。呪術と薬物で肉体を強化される。心は摩耗し、ただただ命令を果たすための道具になる。肌の色や、目の色、髪の色……そういうものも、少しずつ変えられていく。より深く変わることが出来れば、それはいい『ゴースト・アヴェンジャー』だ」
「……呪術と、薬物で、肉体を『変異』させたか」
……ああ。ホント。吐き気がするよ。『オル・ゴースト』どもの所業にはな……。
「そうだ。オレたちは耐えた。耐えられなかったものは、処分された。解剖され、臓器を調べられる。そして、それらから呪術のための素材を回収し、より呪いを深めて、他のオレたちに使用される。オレたちは、オレたちから生まれて、磨かれ、壊れていく」
「……ろくな人生では、なかったらしいな」
「そのはずだが。そのはずなのに、オレは悲しくない。だから、記憶が残ったまま。他のヤツらは、記憶を抱えては生きていけないのだろう。だから、自力で忘れたと、『お師匠さま』は言っていた」
「―――おい、クソガキ」
短気なオレは『首狩りのヨシュア』に声をかけていた、シアンと会話中だったというのにな。だが、どうにも訊かなければならないヤツの名前が出たんでな。
「……なんだ?」
「『お師匠さま』ってのは、どこにいる?」
「……北部の山岳地帯。我々の本拠地だ。それ以上は、教えてやれないな。拷問しても、答えることはない」
「なぜだ?……そいつが嫌いじゃないのか?」
「嫌うべきだろうな。だが、好きや嫌いという事も、オレは生まれながらに、よく分からなかった。記憶もある。合理的な判断をすれば、『お師匠さま』にされたことは苦痛だ。何度も吐いたし、血もたくさん出た。たくさん死んだ」
「それなのに、そいつを庇うってのかよ?」
「ああ。庇う。そういう命令を受けたからな。オレは、彼の命令で動く。いつか死んでしまう日まで。それが、ただ今日だっただけだ。そろそろ、来い。オレは命令以外のことをすると、気持ちが悪くなるんだ。この会話も、そうだ……来ないのなら。こちらから行くぞ」
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