第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その29


 小さくも古い砦を改装したその城の内側は、辺境伯というこの地方を統べる大貴族の屋敷には相応しい美しさを持っていた。高級な家具に、名のある画家の描いた油絵の具の絵画たち。敷き詰められた赤い絨毯……。


 ゼロニアの荒野には不釣り合いなほどの、小さくも完成度のある貴族の美意識が体現された内装。そいつは、残念ながら、戦闘行為という暴虐さの前に、穢されてしまっていた。貴婦人のような流麗さがあればこそ、破綻の傷痕はみじめなほどに目立つのだ。


 そこら中が、血の赤に汚染されてしまっているし、壁のあちこちには穴が開いている。辺境伯の正規兵と騎士たちは、よく戦い抜いたらしい。必死に隊伍を組み、雪崩込んでくる怪物どもを叩き斬ってみせたようだ。


 勇ましい戦いであったが、犠牲はあまりにも大きかった。そこらに赤い服を着た、辺境伯側の男たちが倒れている。生きている者は、ほとんどいなかった。赤い服が、もっと赤くなるように、血を吸っていたよ。


 多くの戦士たちの死体が呪われた民衆に、食い荒らされている。暴力的な食事の痕跡は、見るだけでも辛いものだった。そして……最も辛いのは、そこに知った顔がいることだったな。


 幸か不幸か。


 まだ、彼は生きていた。オレは、このホールで戦い抜いたあげくに、疲れて倒れてしまったファーガソンに駆け寄っていた。


「……おい。ファーガソン」


「…………あれ……あんた……さっきの……?目が見えないけど……さっきのヤツか?」


「そうだ。よく、生き抜いた」


「…………ああ……あれ……なんだったんだ……村の、連中が……反乱……?」


「呪いで操られていただけだ」


「……そうか……そうだよなあ……じゃないと…………オレを、殺そうとは、しないよなあ……オレだって……『フェレン』生まれだぜ……」


 傷口を確認する。服の上からでも、分かる。あの怪物と戦ったか。そして、爪で腹を切り裂かれている。致命傷だ。斬り裂かれた腹の傷は深くて、はらわたが飛び出している。今も生きているのが、不思議なレベルだった。


「…………死んじゃうのかね、オレ……?」


「……ああ。お前は、死ぬ。助けてやれそうにない。臓器まで深く、傷ついている。深部の動脈を破綻しているな……」


「……素直な兄ちゃんだ……」


「して欲しいことが、あるなら言え。馬を預かってくれた礼をしてやる。キュレネイ」


「イエス。痛み止め、刺します」


 キュレネイが痛み止めを、ヤツの足下に注射していた。数少ないしてやれることの一つが終わっていた。でも。ファーガソンの体からは、血が失われすぎている。あの薬が全身に回ることが出来るのか?……かなり微妙だ。


 効く前に、ファーガソンの命は終わるかもしれない。無力なものさ。ファーガソンは、疲れ切った顔を、オレに向ける。青くなった唇が、ゆっくりと動く。辛そうだった。だから、殺してくれと願ってくれたら、オレが一瞬で命を終わらせてやるつもりだ。


 でも、ファーガソンの願いは、そうじゃなかったよ。


「…………かのじょに……」


「ああ。お前に、好意を持ってくれている子だな」


「……そう。オレ……あの子のこと……ヨメにもらおうと……思ってたのに……」


「いい夫婦になれただろう」


「……ホント……ちょっと不細工だけど……オレには、きっと……似合う」


「料理上手だったな?」


「ああ……料理上手で…………ちょっと太っているけど……明るいんだ……」


「そうか」


「……黄色いスカートが、お気に入りさ…………」


「…………そうか」


 偶然だといいのだが。


 オレは、黄色いスカートをはいたバケモノを、斬り殺してきたばかりだぞ。


「……いい子だからさ……イースさまも……守ってくれていると、思うんだ……」


「どこにいるんだ?」


「……教会の、近く…………子供たちにさ……ピアノを教えたりもするんだ」


「……ああ。そうか。とても、いい子じゃないか」


「今になって……思えばね……とてもいい子で……明るかった……いいところ、ばっかりじゃないか…………」


「……そうだな。きっと、彼女は大丈夫だろ。この呪いは、辺境伯を呪っているんだ。料理上手の田舎娘を狙う呪いじゃない」


「……そうだよな…………」


「彼女は、きっと大丈夫だ」


 ……人生の最後に聞く言葉が、嘘ですまんな。


 こんな田舎で、昼間から、あんなにキレイなスカートか。着飾る理由が、彼女にはあったというわけだ。ファーガソンは彼女にだけはモテたらしい。今夜のディナーの後でなら、彼女をヨメにもらえたかもしれないな。


「……………い」


 ファーガソンが、何かをつぶやいていた。


「どうした?」


「……はんばーぐが……たべたい…………なあ―――――』


 死んでいきながら、ファーガソンが彼女に語りかけていた。竜の眼にすら映らないが、彼女はファーガソンを迎えに来ていたのだろうか。健気な娘のようだったからな。そういうことも、あるかもしれない。虚空を見つめたままの彼の顔に、恐怖はなかった。


「……仇を討つことしか、してやれそうにない。だが……必ず、それを果たしてやるぞ、ファーガソン」


 それだけを告げる。他のことは、いいさ。


 すべきことをするために、オレは死んだばかりのファーガソンから離れる。『呪い追い/トラッカー』の赤い『糸』を、上の階に感じる。ヤツらはそこにいるらしい。追い詰めているのかもしれないな、アッカーマンと辺境伯ロザングリードのことを。


「……敵は上にいるぞ。奇襲とトラップに注意しながら、進むとしよう」


「……うっす!」


「了解ですよ、ストラウス隊長」


 移動を開始するよ。『ルカーヴィスト』どもを追い詰めて、殺してやるための移動さ。その歩みはスムーズなもんだ。よどむことなく、脚は動く。注意はしている、集中もしている。


 プロフェッショナルとして、精密な動きをしているさ。あらゆるものを観察するんだ。目でも耳でも、鼻でも、肌で感じる気配や魔力のうごめきさえも。注意しながら階段を登っていく。


 罠はない。罠は無かったが、階段を登り終えた先には、怪物化した『フェレン』の村人がいた。そいつは首に剣が刺さっていて、死にかけていたが……我々を見つけると、ゆっくりと這いながら近づいて来る。


『ひゅごー……ひゅごー……』


 伸びた首に刺さった剣のせいで、ヤツは声帯を失ったらしい。恨みか怒りをぶつけたいのかもしれない。それとも、受け入れた新たな信仰を賛美する言葉を放ちたいのか。分からない。理性が消えていた個体も多いからな。あの変異は、ヒトをやめさせるんだ。


 這いずりながら近づいてくる、みじめな赤い怪物に止めを刺してやったのはキュレネイ・ザトーの脚だった。キュレネイの蹴りが、怪物の頭を蹴りつけて、その首をへし折っていた。バキリという乾いた木が割れる時のような音がして、ヤツの人生は終わった。


 哀れむべき惨状だ。


 だからこそ、悲しみよりも怒りが強い。


 オレは怒りっぽい性格をしているからね。


 排除した『敵』のとなりを歩いて、『呪い追い/トラッカー』の赤い『糸』を追いかける。この『糸』の先にいるのは、あの呪術師キースだろう。人間族の呪術師で、悲惨な人生を過ごしてしまった哀れな男。だが、その生まれが、ヤツの免罪につながるとは思わん。


 殺意を帯びた怒りのせいで、『糸』は濃く、赤くなっていく……オレが、キースにかけた呪術も強まっているのかもしれない。


 元々は砦であるからな、かなり入り組んだその城内は、迷いやすさもあるし、死角も多い。進んで行く。負傷者は、そこら中にいた。兵士や騎士ではなく、非戦闘員だった。そいつらは怪物に追いかけられて、部屋に立て籠もっていたよ。


 怪物を排除して、彼らのために我々の戦士たちを残した。三カ所ほど、そういった立て籠もりが行われている部屋を見つけて、3人、3人、2人と、こちら側の戦士を守りに就かせたよ。


 ……辺境伯の城にいる者たちは、帝国人である。本来はオレの敵のはずだな。だが、いいんだよ。民間人である彼らを守ることに、戦力を割くという判断は、正しい。騎士道として、それでいいのさ。これ以上、クソみたいな呪いのせいで、人死にを出すつもりはない。


 城を四階まで進むと、剣戟の音が聞こえてくる。オレたちは、もう慎重さを捨てることにしていた。戦士たちに合わせる必要もない。猟兵だけが残っている。だから、猟兵の基準に合わせて動けばいいんだ。


「……行くぞ」


 キュレネイとジャンは無言を選ぶ。そうだ、獲物に近寄るときは、無音で襲いかかるべきだからだ。殺すことしか考えていない。その事実を、猟兵の絆が悟らせている。情報収集をするつもりもないのだ。


 今は、このテロリストどもをあの世に送ることしか、考えてはいない。


 気配は、7人……戦いの音は二カ所からか?……全員が戦っているわけじゃない。一人は守られている。そいつは、辺境伯ロザングリードか?……部屋の隅っこに、負傷しているのか、うずくまっているヤツがいるな……コイツは、確信が持てる。呪術師キースだ。


 赤い『糸』が、そいつに絡まっているのが分かるから。竜太刀で斬るべき相手さ。他のことは、よく分からんが……突撃するとしようか。察するに、そこは書斎。クソデカいが、ロザングリードの仕事と趣味の部屋ってところだ。


 扉を閉じられているな……呪術の鍵か。ピッキングでは壊せんな。だが、オレたちには問題がない。ジャン・レッドウッドがいるからだ。ジャンは扉の前で、ゆっくりとしゃがむ。シュボン!という音と共に、巨狼に化ける。その直後、突撃は開始されていた。


 呪術で封鎖されていた扉を、4メートルの巨狼の突撃が粉砕する。戦いの場に飛び出したジャンの背後から、オレとキュレネイが、それぞれ左右に別れて、その部屋に侵入を果たしていた―――あとは、『敵』を反射的に仕留めてしまうだけの、簡単なお仕事さ。

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