第三話 『辺境伯の城に、殲滅の使徒は来たりて』 その18


「追い打ちを、かけるであります」


 キュレネイ・ザトーの指揮が戦場に響く。オレのダメージを心配してくれるのかね、たしかに今、叫べば口から血でも飛び出しちまいそうだ。さすがは、オレのキュレネイ。よく出来た猟兵女子だよ。


 オレに続く予定であったはずの騎兵たちは、『カトブレパス』の強烈な横っ跳びに対応し始めていた。二番手を務めるはずのジャンが最も遅れていたが、五番手と四番手が瞳を焼かれて痛みに暴れている『カトブレパス』へと挑む。


 左右それぞれの方向から、二人の戦士は大剣による薙ぎ払いを行う。一人は首を狙って思いっきり空振りしちまったが、もう一人は背中のコブ狙いだったよ。


 ザギュシャアアアアッッ!!モンスターの肉を切り裂く音が響いた。濡れちまった毛皮のせいで失われた防御力は、明確なコブ狙いの精度を帯びた斬撃に耐えられなかったようだな。斬られた筋繊維かは、さらに血が噴き出す。


「射殺せえええええええええええええええええええええええッッ!!」


 弓兵クリスの大声作戦と共に、四人の弓兵たちが一斉射撃だ。『カトブレパス』の胴体に、4本の矢の全てが命中する。1本の矢に関しては、切り裂かれた筋繊維の深い傷の中に刺さった。ヤツの背骨にめり込んだかもしれんな。


 いい技巧だ。ちなみに、クリスくんの矢ではなかったよ。


「う、嘘だろ!!傷口に当てやがったぜ、ロッドのヤツが!?」


「う、ウサギを外したこともあるのによ!?」


「う、ウサギを外したのは、たまたまだ!!い、今のも、まぐれだけど!?」


「何でもいいから、叩き込むであります」


 キュレネイ・ザトーは馬上から騎兵たちに命じた。大剣を構えた騎兵たちが、『カトブレパス』に無言で迫っている。二人の斬撃が、立てつづけにコブを斬り裂いた。首狙いはあきらめて、確実な一撃離脱を実行していく。


 それでいい。休ませないことが大事だ。大物狩りを成すためには、確実に有効打をじわじわ入れるってのも有りだ。首の動きは弱るし、あの爆発的な動きも何度も出来るとは思わない。血を流させて、疲れさせてしまえばいい―――ッ!?


「ど、毒の息だあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


「『カトブレパス』のヤツが、毒を吐いたぞおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 そいつは想像以上の濃さだった。周囲をどす黒く塗りつぶすほどの、とんでもない量の毒の濃霧―――視界を奪うほどに濃密な毒を、『カトブレパス』のヤツは吐き出していた。


 まるで、悪意でも持っているかのようだ。その闇のように暗がりをもたらす腐臭は、戦士を追いかけ回すように、黒の中へと捕らえていく。肌が焼けるように傷むし、眼球が痛む。呼吸を止めているが……ここまで広範囲だとは、想定外だったよ。


 でも。


 大丈夫だ。まだ、負けない。『パンジャール猟兵団』は、モンスターごときに負けるようには出来ちゃいないよ。視界は黒に塗りつぶされて、口を開くことも出来やしない。だが、猟兵は機能する。


 キュレネイ・ザトーは『風』を練り上げていた。上空に清涼な風を集めている。オレの仕事は連携することだな。毒の闇に身を隠すようにしている『カトブレパス』へと、『ターゲッティング』を刻みつける……。


 毒の闇に呑まれて慌てる馬を撫でてやりながら、落ち着かせてやるのさ。ジャン・レッドウッドも冷静だよ。嗅覚は封じられても、聴覚がある。闇の中、どこに敵がいるのかぐらい……分かっているのさ。


 さて。やっちまえ、キュレネイ!!


 ―――行くであります。


 そんな声が聞こえた気がしたよ。無言のままではあったが、魔術は始まっていた。上空に集められ、圧縮されていた『風』の球が、『ターゲッティング』目掛けて墜落してくる。矢よりも速く、その球体は落下し、『カトブレパス』の傷ついた背中を打撃した。


『ギャギュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンンンンッッッ!!!』


 闇色の毒の奥で、ヤツの悲鳴が聞こえて来た。視界が赤くなってくる。良くない状況が目玉に起きているのだろう。心臓が、ドクンドクンと脈打つ早さを上げていく。不穏な感覚だ―――死を連想させるに十分な不健康を感じる。


 しかし……オレたちは慌てない。『風』の球体は、まだ真価を発揮していない。『カトブレパス』の背骨を砕くための一撃ではなかったよ。ここからだ。ヤツの背中にめり込み、まだギュルギュルと回転し続けている『圧縮された暴風』を、解放しろ、キュレネイ!!


 パチン!と、指を鳴らす音が戦場に響き。次の瞬間、キュレネイの『風』は解放されていた!!


 シュバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンッッッ!!!


 毒気に満ちた闇が、『カトブレパス』の毒濃霧が、翡翠色に輝きながら疾走する『風』に吹き飛ばされていく。しょせんは、霧でしかない。キュレネイとオレの魔力を合わせて作った、この暴風の前には、何とも軽い質量しか持っていやがらない。


 軽薄なる死毒は、清涼なる翡翠の『風』に切り裂かれて、ぬぐわれた闇から戦士たちの姿が現れていく。全員が口を押さえて呼吸を止めることで耐え抜いていた。みんな元気なわけじゃないだろう。視界は真っ赤に染まっているだろうが……死にはしない!!


 そして、ヤツが見えたよ。


 背中を魔術で攻撃されたせいで、うめいている黒い魔物。『垂れ首の屍毒獣/カトブレパス』の巨大で醜い肉体が。垂れた首を、震わせながら、ヤツは血を吐いている。必勝の気配を感じ取り、オレは叫ぶ!!


「行くぞッ!!」


 毒気の消えた世界に叫び、竜太刀を構えて、馬へ走れとあぶみを蹴って命令するのさ。


 叫ぶのは、仲間たちへの号令をかけるためだ。全員が、使命を忘れちゃいなかった。戦士たちは、動き始める。弓兵たちが、闇のなかでも短弓につがえていた矢を放つ。4本の矢が、ふたたび『カトブレパス』に命中する。急所には当たらなかったが、構わない。


 本命は、ジャン・レッドウッドだったからな。


 毒の闇を蹴散らしながら、ジャンと彼の馬が『カトブレパス』へと突撃していく。臆病な馬だったが……ジャンは見事に御していた。ジャン・レッドウッドという人物の良いところは幾つもあるが、その一つは攻撃への集中力。


 命じられた攻撃を実行しようとする意志は、キュレネイやシアン並みに強い。器用さは無い。無いからこそ、ただ純粋に一つの命令に全てを注げられる男だった。その純粋さこそが、猟兵ジャン・レッドウッドが持つ、最大の武器の一つであるのさ。


 ―――だが。


 不運ということも、戦場にはつきものだ。ときに幸運が我々を助けることもあるように、不運は我々を突然の窮地に追い込もうとすることだってある。


 ジャンの馬が、大きく姿勢を崩していた。


 何てことはない、ただの石だよ。『カトブレパス』の近くに、地面から15センチほどの高さで突き出た石があり、それをジャンの馬は蹄で踏んで、足を挫いていた。骨折だな。バキリ!!というあの痛ましい音が聞こえていたよ。


 ジャンは馬上で耐えた。運動神経と身体能力の固まりのような猟兵だからね、崩れた馬の背からも振り落とされない。それどころか、右に傾いた馬体を左に揺り起こしやがったよ。とんでもない勢いで、左側へと自分が身を乗り出すことで。


 馬は転けなかった。脅威的な動作だよ。ジャンの一瞬の動作で、折れた右脚を使うことなくブレーキをかけていた。フツーの戦士ではムリだが、猟兵にフツーの戦士はいないのさ。それでも、足の骨が完全に折れてしまった馬は、ろくすっぽ歩けない。


 曲がったままの前足を、地面に突くような、とても痛ましい姿をさらしていた。ジャンは最高の対応をしてみせた。オレにも出来るか分からない。突撃中に足の折れた馬から投げ出されなかった。


 不運にも負けないということだ、オレの猟兵は。だがね。『カトブレパス』は反応していた。


『ギャゴオオオオオオオオオオオウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!!』


 叫びながら、馬を襲った。


 それは本能に依存するような、無分別な攻撃だったのだろう。反射的に伸びた三メートルの醜い長首が、稲妻みたいな勢いで馬へと迫る。曲がった牙の生えた不気味な口で、ヤツは、一瞬のうちに馬の太い首を噛み千切ってしまっていた。


 ある意味では慈悲になった。曲がるほどに折れた脚では、もうあの馬は歩くことも出来ず、激痛と魔物の恐怖に怯えるだけだった。その苦しみは、すでに終わったのだ。我々の鋼で安楽死を与えてやるよりも、ずっと早くに片付いたことだけは、幸運だったろう。


 ジャンは、目の前に飛んで来た『カトブレパス』の首に、抱きついていた。腕を絡めて力尽くで絞めあげていく。人類最強……どころじゃない腕力の持ち主だからな。『カトブレパス』は、想像を絶する『狼男』の筋力を感じているところだろう。


 ひ弱でか細いその体格からは、全く連想することの不可能な強靭さに、『カトブレパス』は慌てていたのさ。口から馬の首を吐き出しながら、その身を揺さぶり、脱出をはかる。だが、傷ついた体では、力が思うように出せないのだ。


 それに……オレとキュレネイしか気づけないだろうが、ジャンの脚が首の無くなった馬の死体をはさんでいる。


 つまり、ジャンのヤツは馬の死体を、『重り』として使っているのさ。『カトブレパス』はヒョロヒョロの貧弱青年の体重だけじゃなく、馬の死体の重量も首にかけられている。そう簡単に、あのジャンを振り払うことも出来ないのさ。


 だが、ずっと息を止めていたジャンの体力も残りはわずかだよ。無酸素の運動は、長くは続くものじゃない。ジャンの場合は、突然のアクシデントもあったからな。突撃中に馬の前脚が折れるという、とんでもない不運が。


 それをカバーするための動作で、体力を使い、心拍数も上げていたはず。その直後に、『カトブレパス』と力比べだからな。いくらなんでも、息がつづかない。


「……だ、団長……ッ」


 苦しそうな声を聞くが―――安心しろよ、ジャン。オレの馬は、すでに『カトブレパス』に前蹴り叩き込もうとしていやがるぜ!!


「ブルルルルルウウウウウウッッ!!」


 気性の激しいオレの馬は、先ほど以上の攻撃性だ。仲間の首を噛み千切りやがった『カトブレパス』に、激怒していやがるのかもしれないな。うつくしい復讐者の蹴りは、『カトブレパス』に我々の存在を知らしめたらしい。


 ジャンと馬を引きずるようにして、我々の方へと首を向けようとする。だが、全ては手遅れだ。竜太刀を掲げて、オレはその醜く長い首へと斬撃を振り落としていた。『一瞬の赤熱/ピンポイント・シャープネス』で強化した、その斬首の鋼が戦場を切り裂く。


 悪しき魔物の太首が、竜太刀の一刀の前に断たれていたよ。毒と腐臭を帯びた赤が、『垂れ首の屍毒獣/カトブレパス』の血潮が、爆発的に傷口から噴射していった。


 毒気に赤が、よく晴れた青い空に融けていく。


 即死が訪れる。ヤツが先ほど、馬に与えた慈悲にも見えたあの残酷と、全く同じことが起きたというわけさ。


 とてつもない腐臭と、不快な生暖かさを持つ返り血の雨に打たれながら、オレとジャン・レッドウッドは猟兵の貌を見せ合い、勝利を祝っていた。

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