第二話 『背徳城の戦槌姫』 その2


 この罪深い『ヴァルガロフ』のなかでも、色欲にまみれた場所へと向かう。西の区画の中心へとね。酒場の数も増えるし、売春宿にしか見えない怪しげな看板と、小さな入り口が増えていく。


 ああ、男というのは、どうしようもないな。ワクワクしている自分がいるのを否定出来なかった。欲望が形となったような場所だよ。


 ……昼間から、女を買いに行くわけでもないし、今、酒を買いたいわけでもない。ただの好奇心として、密造酒を売る店と、売春宿が乱立する空間ってのは、どうしても心が弾む。男なら仕方がないさ。


 もしも、リエルがそばにいたら、にやけた顔面の皮を指でつねられていそうだし、そうあるべきだと思う。恋人としての当然の役割だ。オレは、ちょっと気合いを入れるために、両頬を叩いていたよ。


 今は人身売買組織を破壊して、難民たちを西へと向かわせるという重要な任務がある。個人的な欲望を捨てるべきか―――難しいけどね。


 だが。オレも猟兵。作戦を見失うことはない。


 この小汚いくせに魅惑にあふれた街を歩きながら、しっかりと情報収集も行う。こいつは敵情視察でもあるからな。


 西地区へと入ると、ケットシーたちが消えていた。そして、ドワーフが多くなる。昼間から飲んだくれて路上で眠っているドワーフもいたが、武装しているヤツも多いな。


 ケットシーたちは、せいぜいナイフだったが、ここには長い柄を持つ鈍器まで持っているヤツがいる。戦闘用のハンマー……戦槌さ。殺傷能力が高く、護身用とは言えないな。攻撃用、もっと露骨に言えば殺人を実行するための武器だ。


 あの武装したゴロツキどもは、この酒と売春の空間にマフィアなりの『秩序』を生み出す『自警団』なのかもしれない。財布を狙うスリの子供たちもいないし、路上で怪しげな商品を売りつけようとしてくる詐欺師もいない。


 ……夜中になれば、売春婦だらけで事情は違うのかもしれない。だが、現時点では、この西の街は歩きやすいのさ。小汚いし、ゴミだらけだ。悪臭もある。しかし、治安だけは最高に良い。


 そこら中にいる戦士どもが、『秩序』を作りあげてはいるわけだ。この街で、平穏を作ろうと思えば、四大マフィアの威を借りるか……あんな風に武装した戦士の腕力で、力尽くで犯罪を抑止するしかないのだろう。


 ドワーフ戦士どもの鋼には、使い込まれた痕跡が見受けられた。彼らは、あの戦槌で、この場所を荒らす敵を打ち殺しているのさ。何人もな。オレたちが売春宿を襲撃するときと、その後は、彼らと戦う必要があるかもしれない。


 ……楽しみではあるな。


 正直、落ちるところまで落ちて来たようなヤツらばかりがいる街だが、あのドワーフたちの戦士としての腕は、一流を維持している。楽しげな戦いになる。ああ、ほんと、この空間は、オレをどこまでも楽しませてくるな。


 口元がにやついていけない。酒、女、強い戦士。どれも大好物だってことを、否定するほど嘘つきじゃないよ。


 ……しかし、楽しいのはいいが、作戦の成功を優先しなければな。難民の女を連れて逃げることを考えると、この狭い通路で、ドワーフの戦士と戦うというのは楽なコースじゃないな。


 まあ、ガンダラが正面突破を考えるとは思わないがね。それでも実感として、後から報告をすべきだな。


 ……使えそうなのは、水路か。石けんの泡だろうか?あるいは動物の肉の脂が泡立っているのか。とにかく、泡だらけで小汚い水が、その水路には流れているが……ボートが浮かんでいる。


 信じがたいことに、釣り竿と干からびた魚の死体がボートに乗っているところを考えると、この水路で魚を釣っている強者もいるようだな。生活排水が流れ込む、街の地下水路で取れた魚か。


 『ヴァルガロフ』の屋台で、白身魚のフライとか売っていたとしても、食べるのを止めておきたくなるな。まあ、あれだけ脂が流れ込んでいるのだから、そういう環境が得意な魚なら巨大化しちまうかもしれない……。


 とにかく。


 地下の水路は、かなり大きい。そして、その上に乗っかっている街よりも、古そうだ。


 歴史の本をもっと多く読んでいるべきだったかもしれない。だが、予想は出来る。この水路は『ヴァルガロフ』の街の地下を巡っているのさ。水源は、ヴァンガード運河の支流の一種だろう。運河とは、都市を接続しなければ無意味なものだからな。


 ヴァンガード運河の水が、ここにも流れている。どの方角からかは精確には分からないが、地図を信じれば東から西というところだが―――。今、見えるところでは、東から西にスムーズに向かっているな。


 そして……生活排水がヒドいが、腐敗しきっているほどじゃない。


 ……都会の水路ってのは、もっとヒドいものだ。


 ここの水は生物が住めるぐらいには新鮮。つまり、循環のなかにある水だ。街に流れ込み、街から流れ出しているのさ。停滞した池から供給されている水ではない。ヴァンガード運河の水流を、かなりシンプルに取り込んでいるようだな。


 ……こいつは、おそらく地下の水路として、『ヴァルガロフ』の各所をつないでもいるのさ。少なくとも、東西を貫くようには走っている。そうじゃないと、ヴァンガード運河の水を使えないからな。


 この地下の水路を使えば、売春宿に売られた女たちを脱出させる手段にはなるかもしれない。小さなボートがあれば、気づかれずに女を運び出せるな。ドワーフを殺しまくるという楽しいイベントを体験するよりは、スマートな手段ではある。


 ホテルに戻ったら、ガンダラに報告しよう。もしも、地下の水路を使う作戦を考えていたとすれば、褒めてもらえるような気がする―――まあ、どこからボートを確保するんだというハナシではあるがね。


 何人の女が売春宿に捕まっているのかも、分からん。ヴェリイも難民たちが『マドーリガ』に売られているとは語ってくれていたし、『マドーリガ』が、それをしない理由がないからな。


 ボートの問題がオレには解決出来てはいない……とはいえ、この地下水路は使えそうではある。地図はないが、『風』を使って音を反響させれば?……オレなら、この地下水路がどんなに複雑だったとしても、出口にたどり着くことは出来る。


 ドワーフの戦士たちの誰もが、この地下水路に詳しいわけではあるまい。逃げ込めば、それなりの時間稼ぎは可能さ。オレが先導出来れば、ドワーフどもの縄張りの外に連れ出せるだろうよ。


 ドワーフの戦士たちの配置を見れば分かることだが、『マドーリガ』は『アルステイム』の領域にはいないのさ。一種の『国境』と言えるだろうな。『マドーリガ』の戦士は、『アルステイム』の領域には入れない。


 だからこそ、『国境』近くには戦士を密に配置している。『アルステイム』からの侵入者も防ぐために。


 何が言いたいかだって?……つまり、売春宿から女たちを連れ出して、『アルステイム』の縄張りに連れ込んでしまえば、『マドーリガ』は手出しはしないだろうということさ。もし、お互いの縄張りに侵入すれば?おそらく、両者の抗争になるのだろう。


 『アルステイム』側も、西の街との境目には、それなり以上の強さを持つ戦士を配置していたからね。


 ヴェリイ・リオーネの言葉が真実だとすればだが―――難民キャンプについては、『アルステイム』は排除されているようだし、『アルステイム』以外のマフィアどもの動きを、『アルステイム』のメンバーは警戒しているさ。


 部外者であるオレでさえ、どこか肌に緊張を覚える。マフィアの『国境警備隊』同士は、だらけた姿勢でタバコを吸い、酒を呑みながらも……ときおり、お互いに冷たい瞳を向けているのさ。


 つつけば、お互いにケンカを始めるな。


 どっちが強いのか?……狭い西の街路ではドワーフの戦士の力が勝つだろうが、開けた南の街に行けば?壁を上れるほどの身軽さを持つ、ケットシーたちの機動力にドワーフたちは攪乱されるさ。


 南の建物は、二階に上れる高さだ。西の建物は、高すぎて、少々、素早く跳び乗ることに適さない―――種族の特性に合わせて作っているのだろうか?……考え過ぎているかな。


 だが、結果として、南の街に女を運び込めば、『マドーリガ』は彼女たちに手出しは出来ないさ。不利な戦場に飛び込めるほどの大義を、マフィアなんぞは持ってはいまい。そういう強い命知らずがテリトリーに侵入してくれば?


 ヴェリイのようなケットシーたちの暗殺者は、ドワーフの戦士を積極的に殺そうとするさ。ヴェリイは、『アルステイム』以外の三大マフィアの力を削ぎたくもあるだろうからな。『アルステイム』が裏切られて、生け贄にされることを恐れている。


 強敵の『国境侵犯』は、ヴェリイ・リオーネたちには良い機会でもあるわけだよ。


 ……とはいえ。それをしちまえば、全面抗争になるかもな。だから……逃げ込むとすれば、もっと都合の良い方角があるさ。東の街は、『ザットール/金貨を噛む髑髏』の縄張り。エルフ族の縄張りだ。


 古来より、ドワーフ族とエルフ族は仲が悪いものだが……この街はどうだろうな?古くからの街の住民たちはともかく、新しい流れ者のエルフ族とドワーフ族のあいだなんかでは、対立があったとしてもおかしくはないだろうよ。


 ……悪だくみは、色々と出来るものだな。ドブ川ひとつでも、上手く使えば、火種にはなりそうだ。


 さてと。探索を続けようかね。まだ、ジャン・レッドウッドは接触してこない。サボって寝ているのか?……いや、シアンがいるのに、それはムリか。もしかすると、ジャンはこの治安の悪い街の連中に、絡まれているのかもしれない。


 一目見ただけでは、アイツの強さは分からんからな……自信なさげに怯える目は、この街の住人たちからは、脅しやすい獲物に見える可能性はある。レッドウッドの森で見つけたときは……もっと尖っていたのにな。


 触れたモノを皆傷つけてしまいそうな、ナイフみたいな少年だった気がするが、すっかりと気弱な青年に育ちやがって―――。


 ジャンのヤツ、絡んで来たのが男なら、そいつのことを殴れるだろうけど、女にカツアゲとかされたら?あるいは子供とかなら?……ああ、抵抗出来ないまま、財布とか取られてしまいそうだ。


 そういう情けない光景だけは見たくない。しかし、悪い予感というのは当たるからな。ああ、どうして、あれだけの戦闘能力があるというのに、あれほど気弱な性格になれるのだろう……。


 もしかして、オレの育て方が悪かったのだろうか?ミアは、あんなに理想的な美少女に育てたというのにな。


 ふう。


 ドブ川なんて眺めているから、部下の育成方針に対しての悩みを思い出してしまったじゃないか。もうこれ以上は見る必要はない。とっとと先に進むとしよう。そのうち、ジャンが見つけてくれるさ。路地裏で、女子供に虐められてたりしない限りはね……。

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