第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その25
沈黙はこのホコリっぽい地下の空気に、粘るような重さを与えてくるな。
この重みは冷たいのか?……テムズ・ジャールマは何かを気取って震えていたよ。こちらとしては、皮膚の下を走る血潮の熱を、感じている最中なのだがね……。
ああ、熱くてたまらんよ。皮膚が焦げつくような感覚さ。竜の炎に焼かれる地面の上にいるようだ。この熱の意味を知っているか?……復讐心という名がつけられた、怒りの熱量さ。熱いんだ。それなに、ヤツはガタガタと歯を鳴らしている―――。
「―――おいおい、バルモア人。いけないぜ、この沈黙は?……どうした?まさか、オレをバカにしているのか?」
「い、いや、旦那をバカになんてしちゃいねえってッ!?」
「じゃあ、質問の答えはどうしたんだ」
「そ、それは……っ」
「ん?死にたいのか?……察してくれよ。お前は、オレを満足させるような情報源じゃなかったんだ。もう殺してしまっても、別にオレの仲間は怒らない。どうかな。まずは、この右脚から、斬り落としてやろうかね」
「ま、待て!!言います!!そうです!!いました!!オレは、ガルーナに行きましたよ!!9年前に、たしかにッ!!」
「……それで。どこを攻めた。北か?南か?東からか?」
「ひ、東側からだよ!……ガルーナに攻め込んだ、最初の集団だった……でも。そ、そこで……魔王の竜騎士どもに、焼かれたんだよ……っ。左脚を焼かれて、そのままバルモアに送り返された!!……だから、オレは、出世が遅れて、いい年こいても雑兵だった……っ」
「それで、帝国軍から逃げ出したわけですか。その待遇に不満を抱えていたから」
……ガンダラが言葉を発した。
この男に助け船を出したつもりかな。
オレの発作のような殺意に対して、時間を空けることで抑制しようという魂胆か。
ふむ。
それを理解してしまうと、怒りの抑制には役に立たない時間ではあるな。キュレネイが両腕を広げて、ガンダラを通せんぼしている。敵意はない。当たり前だ、『家族』を攻撃するように、キュレネイを仕込んだコトはない―――。
バルモア人は、ガンダラの言葉に必死に反応している。縛られた体をよじらせながらも、何度も何度も頭を縦に振っていたよ。自分に同調してくれる存在を求めている。孤独すぎる立場だからな。敵にでも、助けを求めているのさ。
「そ、そうですっ!!……オレみたいな古参兵に、新兵がやる仕事はキツいんだ。名誉もないしな……だから……オレは……帝国軍を離脱したんだよ……な、なあ。旦那?……オレは、バルモア人だけど。が、ガルーナを、そ、そんなに攻めちゃいないんだ……ッ」
「何色の竜だった?」
「……え?」
「ガルーナの戦場で、お前を焼き殺しかけたのは、何色の竜だったと聞いている」
「あ、赤い竜だ!!赤くて……角が大きかったッ!!」
……親父の『グリーヴァ』か。
赤くて、気性の激しい竜だったな。
「そ、そいつに焼かれちまったんだよう!!ほ、ホントさ……ッ!!そいつに、左脚を焼かれたんだッ!!な、なんなら、ズボンを脱がしてもいい。それで、分かる」
「その必要はない。もう見えているからな」
魔眼で、この敵国人の脚を見ているよ。膝の周りを上も下も大きく焼かれたな。酷い火傷の痕がある。地を這うような竜の劫火を浴びたのだ。
なあ、見ろよ、アーレス。
お前の子が残した、炎の痕跡だぞ。
懐かしかろう。
……『グリーヴァ』が『仕留め損なった獲物』だな。その事実を、今どう思う?……あの怒りっぽい赤竜の仕事のつづきを、オレたちが全うするというのは、悪いアイデアだろうかね……?
魔眼が熱いので、眼帯を外してやったよ。
ああ、アーレスは『グリーヴァ』の気配を喜んでいる。亡霊となり、オレの左眼に融けた今でも、アーレスは家族想いだな。そのことが、何だか嬉しい。
誇らしいのだな、ガルーナに攻め入ろうとしていた敵を焼き払ってみせた、お前の息子の活躍が―――。
竜太刀が応えるように熱くなる。
オレは首を回して、筋肉の奥底にある頸椎を鳴らすよ。竜は……獲物を痛めつけようとするとき、邪悪な貌で、こんな風に首を回すものさ―――。
「―――団長。決めるのは、貴方です。我々のリーダーは、死せる竜ではなく、貴方自身ということを、お忘れなく」
副官一号の声が、それだけを伝えて来る。
猟兵の矜持さ。
そうだよな。ガンダラは『パンジャール猟兵団』の猟兵であり、竜に仕える戦士でも神官でもない。アーレスの殺意に従うことは、猟兵ガンダラの美学ではないってことさ。殺すのならば、オレの殺意で鋼を振れと伝えたいのだ。
アーレスの殺意にオレがそそのかされることを、ガンダラは嫌っている。他者の思惑に殺意を操られる?……それが、猟兵たちの長として相応しいなどとは考えていない。『パンジャール猟兵団』の『敵』を決めるのは、団長だけの特権だ。
その座にいる者が、死んだ竜の魂にそそのかされて『敵』を選ぶなんてことは、彼からしたら『掟』に対する冒涜だということだよ。
……猟兵が言うことを聞くのは、パンジャールの団長の言葉だけ。その『掟』を、ガンダラは、わずかにだって曲げたくないのさ。まったく。細かくてマジメで、クールな男だよ。オレの副官殿は。
ガンダラは、あの黒い瞳でオレを見ている。
なんというかな。オレは、いい年こいてガキだからか、彼の顔を見て微笑むことなんてしなかったよ。オレの細められた瞳は、目の前で震えている抵抗も出来ない捕虜を見つめるのみさ―――。
でもな。
キュレネイ・ザトーが、語ってくれる。
「ガンダラ、だいじょうぶです。団長は、すでに決めているであります」
「……分かりました。お好きに」
「ああ。好きにするさ。ガンダラ。『オレたち』が、誰を『敵』とするか、誰を『殺す』のか。そいつを決めるのは、オレだけの特権だからな」
「な、何を、言っているんだよッ!?……ま、まさか、お、お前ら、お、オレを殺すつもりか……ッ!?」
「バルモアの戦士のくせに、ガルーナ人の鋼を恐れるか」
「あ、当たり前だああッ!!し、死にたくねえッ!!そんなことのために、オレは……あの、クソみたいな帝国軍から、抜け出して来たんじゃねえんだッ!!」
そうだったな。
バルモア人は、帝国軍のなかでは迫害じみた扱いを受けている。帝国の制度に組み込まれつつも、大きく力を持った集団だからね。帝国の保守派からは嫌われているらしい、バルモア人たちは。いつか、裏切ると考えているのさ。
「オレは……オレは……っ。たしかに……攻めた。ガルーナを攻めたんだ……こ、これも……業なのか……こんなところで、死ぬなんてな」
「あきらめたか?」
「……旦那が……ガルーナ人なら……きっと、殺すだろう?」
「いいや。違うよ。オレは、貴様を殺すことはない。ガルーナ人の報復とは、戦場でするものだ。今の貴様は、戦う力を持ってはいない。それゆえに、お前を殺すことはない」
「……そ、そうか……ガルーナの、誇りってヤツかい?」
「そうだ。貴様が、グリーヴァの炎に焼かれた傷痕を持つことで……理解出来ていることもあるしな」
この男は、オレの村を焼いてはいない。
親父の―――翼将ケイン・ストラウスが乗ったグリーヴァ。その無敵のコンビがいた場所よりも奥には、行けなかったのさ。
「……戦場で巡り会うことを祈るよ。テムズ・ジャールマ」
「……そ、そうだな……オレは……アンタに遭わないことを、熊神オルテイガに祈ろう」
「祈るのは自由だ。好きにしろ」
「……そ、それで……解放して、くれるのか?」
「ガンダラ」
「解放することはありませんよ。あなたは、せっかく捕まえた捕虜です。それなりの武術の腕と、組織を掌握する力を持っている人物。『アイトワラス』との交渉材料にもなる」
「……こ、交渉って?……オレたちを、さらにいじめるのか?」
「社会勉強の途中ですよ。マフィアになど、関わるべきではありませんな」
「あ、あんたたちも、マフィアだろ……?……違うのか?……ガルーナの難民では、ないのか……?」
「好奇心を持つことを、私は推奨します。ですが、時と場合を考えて発言するべきでしょう。私は、団長よりも用心深く、冷たい男ですからな」
「わ、わかったよ!!よ、余計なことは、考えねえッ!!」
「それは素晴らしい選択です。価値とリスクが釣り合わなくなれば、団長に対して、あなたが好まない種類の助言をしなくてはなりません」
「……了解っすわ。詮索は、しねえ……そして、何でも聞きやがれ。でも、オレたちは、ここに流れて来たばかりなんだぜ……?この土地じゃ、新米だ」
「あなたに期待しているのは、この土地のことじゃありません。バルモア領での動きに、具体的にどういう経緯で帝国軍から離脱したのかです」
「……そんなことを聞いて、どうする?」
「ふむ。詮索しないと言ったのは、どの口なのか」
「お、おう!!何でも聞け!!……オレは、もう過去を捨てた男だ。後生大事にするような昔話はねえ……知っていることなら、何だって話す」
「いいでしょう。期待していますよ。団長」
「なんだい?」
「いい情報源を手に入れましたね」
皮肉だろうか。笑うところかね。でも、ガンダラはいつもの無表情だ。オレは居心地の悪さを感じて、この場から退却する。つい衝動的に手がすべってしまい、竜太刀であの男の首を断ち斬ってしまうかもしれんからだ。
「……ここは任せたぞ」
「ええ。キュレネイも、行っていいですよ」
「はい」
「ガンダラ。分かっていると思うが、その男、『風』で刃を呼んで、ロープを切り裂こうとしていやがったぜ」
「わ、悪気はなかったんだあッ!!」
「気づいていましたから、大丈夫ですよ。生存本能を失えとは言いません。ですが、私のような紳士的な男を、この状況で敵に回すことを選ぶことが、はたして賢明かどうか、一度、考えてみると良いでしょう」
「……お、おう……っ」
「うちの副官を舐めないことだな。ガンダラは、オレよりも何倍も抜け目のない賢さを持っている男だ。素直な態度で発言しろ」
「わ、わかってますぜ、ガルーナ人の旦那あ……」
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