第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その21
闇が訪れる。悪徳の栄える、ゼロニア辺境伯領においては、この夜こそが真実の貌を晒す時間帯だろう。今では遙か遠くに見える『ヴァルガロフ』も、無数の明かりが踊り、快楽がうごめく眠れぬ夜がスタートしているはずだよ。
3年前は、貧乏だったのでな。
薄着の美女が男を求めて腰を振っているような、いやらしい店に寄ることもなく、オレとガルフ・コルテスは、マジメに密造酒を大量購入してみただけだ……男としてつまらない?オレたちは酒を愛している、とても男らしかったよ、貧乏人だけどな。
ああ、クソ不味い、あの酒に支払った銀貨を、取り戻してやりたい。あのときの業者は、まだ生きているのだろうか?
オレが地元民だったら、いくら密造酒でも不味すぎると文句をつけ、ブン殴っているところだがな。アレは、酒への冒涜だったよ。
背徳と快楽にまみれた『ヴァルガロフ』の歓楽街には、遠く及ばないが。
山間にある山賊どもの砦も、夜の訪れを楽しんでいるようだった。
人間族、エルフ族、巨人族……種族を問わずに、星空の下で酒を呑むか。まったく、ここが帝国領とは思えない光景だが―――犯罪者の集団というトコロが情けない。
「……キュレネイ。ヤツらは四大マフィアか?」
「ノー。彼らは、ザコ。組織には入れなかったか、破門された連中でしょう。あるいは田舎から出て来たばかりかもしれません」
「少なくとも、四大マフィアではない?」
「イエス。四大マフィアは、複数の人種を、あんな比率では混ぜません」
「……なるほど。住み分けは、キッチリしているわけか」
夜空に融けたゼファーは、ゆっくりと山賊どもの砦の上空を旋回している。竜の襲撃など想定していないからだろう、見張りの台にいる連中は比較的、マジメに周囲を警戒しているのだが、上空を見あげることは一度だってなかったよ。
まあ、連中を責めるのは間違いではある。なにせ、竜に夜空から奇襲されるという行為を想定するのは、あまりにも難しいよ。
『鷲獅子/グリフォン』でも生息しているのであれば、話は別だがな。通常、空から襲われるなどという行為は、考える必要がない。
「……しかし、連中、夜間でも武装を解かないのだな?……山賊というよりも、アレでは兵士のように見えるぞ……」
リエルが、オレと同じことを考えていたよ。そうなのだ。ヤツらは、山賊のくせに、やけに警戒を強めている。まるで、国境警備隊のようだぞ。
「砦の連中は、『同業者』の襲撃を警戒しています」
「山賊に襲われてしまうのか!?……山賊が!?」
「そうです。だって、ゼロニアの荒野にいるということは、襲われても仕方がないことですから」
ふむ。ゼロニア人の哲学はシンプルだけど、常識外れだな。
「……む、むう。まるで獣の理屈ではないか?」
「そうですね。この土地にいるのは、ヒトでも獣であります」
「……ヒトでも獣か。ああ、なんとも心に響く言葉だな……しかし。上空から見ても……誘拐された人物の気配はないな」
「団長、建物の中もですか?そこは、私たちの目では、見えないのです」
「……そうだ。建物の中にもいない。難民は、少なくとも、今、この場所にはいないよ」
「ふむ。だが、情報を得ていたのだよな、キュレネイたちは?」
「イエス。ルード・スパイからの情報と、現地の羊飼いから。両者から、共通の情報を手に入れたので、信憑性は高いと考えました」
「つまり、山賊が難民を誘拐している―――という情報だな」
「イエス・サー・ストラウス。ですが、この山賊ではなかったのかもしれません」
「……でも、あそこには檻があるぞ。幾つもな」
「そうだ。そして、轍のあともな。連中は、馬車を持っているようだが……今、あそこの砦には二台しかない。もっとあっても、良さそうだぞ……あと二、三台はありそうだ。轍の数を思えばな」
「……捕まえた難民たちを、運んでしまったのだろうか?」
「ありえる話だ。とにかく、上空から得られる情報は、これ以上はない。ガンダラと合流しよう。砦の背後にある、崖の上にいるぞ。ゼファー、ガンダラの頭上に近づいてくれ。そこから、ロープを伝って下りる。静かにな」
『……りょーかい、『どーじぇ』……っ』
闇に融けた黒い竜の翼に、『風隠れ/インビジブル』が発生する。ゼファーが使ったのさ。そして、ゆっくりと崖に近づいていく……眼下には、ガンダラがいた。巨大な体躯だが、闇に隠れている。
「いい隠れ場所を見つけたじゃないか」
「ガンダラは、そういうのを見つけるのも上手です。崖を素早く登るのも」
「腕と脚が長いからな、ロッククライミングのスピードで、負けそうになったことがあるよ……じゃあ。オレから先に降りる。君らもつづけ」
「うむ」
「はい」
『……いってらっしゃい、『どーじぇ』……っ』
「ああ。行ってくる」
ゼファーの首のつけ根の鱗を撫でて、オレはゼファーの黒ミスリルの鎧に、フック付きのロープを固定する。そのまま、ロープをガンダラのいる崖の上まで垂らし、オレはそいのロープを伝って、素早く地上へ向けて降下してしていった。
篭手の内側に貼られた魔獣の革をつかい、握力一つで摩擦と降りていくスピードを調整してみせる。この魔獣の革が丈夫なおかげで、オレは高速の降下を実現出来るというわけだ。
もちろん、地上近くに来ると、急ブレーキをかけることだってね。地上スレスレで、ピタリと止まってみせたよ。
いい技巧を披露したつもりだが、オレの目の前にいる巨人族の男は、闇のなかでも無表情だった。彼は笑わない男だ。きっと、それが巨人族の美学なのだろう。
「……お見事ですね、団長。相変わらず、ロープの使い方が上手ですな」
「ああ。ガルーナ人の嗜みだよ。久しぶりだな」
「ええ。元気そうで何より。しかし、今は、上の二人を降ろしましょう」
「そうだな」
いつまでも時間をかけていたら、星を見るのが趣味な山賊の瞳に、崖の上に浮かぶ竜の姿を目撃されるかもしれないからな。ロープから飛び降りて、上空の仲間たちに指で合図を送る。
まずはリエルが、そして、続けざまにキュレネイが降りてくる。二人とも軽装の鎧だし、女性ならではの身軽さのおかげか、素晴らしい軽業を見せてくれたよ。音もなく、二人の女猟兵たちはロープを降りてみせた。
「ガンダラ。団長をお連れしました」
「ええ、ご苦労様です、キュレネイ。とりあえず、三人とも、こちらに。それと……」
「分かっている。ゼファーをここから離すよ」
オレは地上を見下ろしているゼファーに、右目の動きで合図を送る。魔力を使って、心をつなぐまでもないさ。ゼファーは宙のなかでうなずくと、音もなく滑空し、北の空へと向かい、待機してくれる。戦闘開始のときには、強襲をかけてくれるはずだが。
まあ、それよりも今は……。
「……それで。どんな状況だ、ガンダラ?」
「敵を観察しつづけ、3時間半といったところです。敵に動きはない。残念ながら、誘拐されている人物も発見出来ていません」
「魔眼で見たところ、捕虜になっている者の姿は発見できなかったぞ」
「ふむ。残念です」
「だが、馬車の轍を見つけた。ここには、本来、もっと馬車がいそうだよ」
ガンダラはオレの情報を気に入ったようだ。あの大きなスキンヘッドを、二度ほどゆっくりとうなずかせてくれたからな。その動作が終わったあとで、感情は消えた。冷静なる賢者の黒い双眸が、こちらを見つめてくる。
「……つまり、捕らえられた難民たちが、運び出された後かもしれないと?」
「その可能性はあるんじゃないかな。そう考えているのだが、そこから先の判断がつかない。ガンダラ、情報は?」
「いくつか手に入れています。敵の素性についてですが……人間族の大半は、帝国の正規兵だったようです。少なくとも、しばらく前までは」
「……脱走兵か」
「そのようですね。過酷な軍務でも、あてがわれたのかもしれません」
「……どうして、分かったのだ?」
リエルが質問をした。彼女も若い猟兵。経験値を積ませてやるためにも、ガンダラにはコツを伝授して欲しいところだな。どんな細かな情報が、戦場では役に立つか分からない。
現場での生きた学習ほど、より多くの経験値となる。リエルを鍛えてくれるか、オレの副官一号殿よ。
「……リエル、彼らの『装備』から予測するのです」
「装備……帝国軍の武器を、使っているのか」
「ええ。見て下さい」
「うむ」
巨人族はその場にしゃがむと、崖に近づく。背を低くして、敵から発見されないようにしている。リエルもそれにつづいたよ。もちろん、背をガンダラよりも低くしてね。
崖のふちに並んだ巨人とエルフは、眼下の砦で、バカ騒ぎをしている山賊どもに鋭い視線を向けていく……。
「人間族は、大きな剣を背負っているな……たしかに、見覚えがあるぞ」
「はい。アレは、帝国の制式ロングソードですね。基本的には『騎兵』にしか、支給されない品ですよ。彼らは、馬と共に、夜逃げして来たのかもしれません」
「……脱走して、亜人種の山賊たちと合流したというわけか?……帝国人は、亜人種を嫌っているのに?」
「リエル。この土地では、そういうことは多いです」
ゼロニア平野で育った少女は、静かにそう語ったよ。
「そう、なのか?」
「はい。元々、ここは無法の土地。兵士の脱走は、重罪です。でも、ここでならば犯罪歴の有無は咎になりません。むしろ、犯罪の種類によっては、尊敬さえも集める」
「……まさか、犯罪者などが、優遇される土地があるなんてな」
「脱走兵の武器の質は、悪くはありませんから、山賊も嫌いませんよ。逃げてくる前に、より良い鋼を選択していることが多い。場合によれば盗んで来ていますから」
……良い鋼を持っているか。歓迎されそうだ。戦力としても、略奪甲斐のあるカモとしてもな。
「……それに、あの巨人族についても脱走兵です」
「今度は、どこで見分けたのだ?」
「首ですね。『魔銀の首かせ』を、無理やりに外した痕が残っています。帝国は、巨人族の奴隷の首にアレを打ち込むとき、『返し』をつけます。ムリに外すと、頸動脈の近くに深い傷が入る」
ガンダラはその巨大な指で、己の頸動脈近くに触れながら、そばにいるリエルに教えてやった。翡翠色の瞳を細目ながら、リエルは帝国軍の奴隷となっている巨人族のために、表情を曇らせていたよ。
「残酷なことをするな、帝国人は……っ」
「ええ。場合によれば、外す時に死にます。死なないように外せば、一定の傷が残りますからね。彼らの首にある傷痕から、彼らが帝国の脱走兵だということが、分かります」
「では、エルフ族は、どうなのだ?……この流れで言えば、あの連中も?」
「……そこは不明です。彼らの装備からも、身体的な特徴からも、兵歴を感じさせるものはありません。ですが、あの集団の過半数が、元・帝国の軍属ということを考えると、あのエルフたちも、そうである可能性を否定はできません」
「……なるほど。だが、少なくとも、過半数は、帝国軍の脱走兵で結成された山賊団というわけか……どうするのだ、ソルジェ?……敵の敵のようだぞ」
「敵の敵だが、味方とは限らん。あの山賊どもが、難民たちを運び出した可能性は消えん。事情を吐かせる必要があるな……ガンダラ。長く観察していたんだ。指揮官には目星がついているな?」
大地に屈む巨人族の男は、ゆっくりと頭を縦に動かした。さすがはガンダラ。オレの頭が考えつくようなことは、すでに実行してくれている。
「……あの山賊団のリーダー……いえ、暫定的な指揮官は、あの黒髪の人間族ですね」
「どいつだ?」
「左の頬に傷のある、中年男ですよ。焚き火のとなりで、マヌケに踊っている男です」
「威厳を感じない踊りだな」
ガンダラの言葉は、いつでも飾り気がなく事実を表現する。焚き火のとなりでマヌケに踊る男には、左頬に大きな傷があった。それなりに、長い軍歴を持っていそうだが……何かが狂って、ここに流れついたのかね。
「……ムードメーカーのようですし、ベテランです。しかし、威厳を『意識していない』」
「副官ということか?」
「副官にも色々ありますが、ああいうタイプの陽気な副官がいてもおかしくはありませんな」
「……君は、もっとクールなタイプだけどな」
「笑える要素は少ないでしょうね。アレに比べれば」
「まあね。とにかく、アレが山賊の幹部でありそうなことは、年齢がそこそこに行っているところでも想像はつく。他は、かなり若いし、なじめていない者もチラホラいる」
酒宴の輪に入れず、二人か三人の少数グループを作っているヤツらがいる。他人行儀だし、緊張している。鋼に指をかけているな。敵襲ではなく、仲間を警戒しているのさ。いきなり襲われる可能性を、感じているらしい。
「彼らは、結成して間もない集団なのかもしれません。武器の鋼の手入れだけは、やけに行き届いていますから」
「フン。野良犬暮らしは短いか……オレたちの追っている人身売買組織ではないかもしれないが、疑いは残る。さて、ヤツを拉致する作戦を開始しようか。これ以上は、推理の限界だろう」
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