第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その19
運河で手足と顔を洗ったよ。五月も終わりだからな。ゼロニア平野を流れていくその水は、それなりに温かかった。本当に水浴びでもすれば気持ちが良さそうだが、まあ、止めておこう。これ以上、深追いすると、エルフさんの逆鱗に触れそうだし。
清潔を取り戻したあとで、昼食を摂った。
『メルカ・コルン』たちが用意してくれていた、トルトル巻きだ。甘辛いソースで炒められた牛肉と野菜たちが、トウモロコシと小麦の粉を混ぜて作られた生地に巻かれているアレだよ。
冷えていても、美味しかったな。焼き立てが最も美味しい食べ物には違いがないが、どんな状況が、この拠点で待ち構えているか、分からなかったしな。作ってもらったモノを食べないわけにはいかない。
昼食を食べた後でも……ガンダラもキュレネイ・ザトーも来ない。正確な合流時間は決めていないからな。仕方がなくはある。彼らは馬とか歩きで移動しているはずだからな。ゼファーのように確実な時間で目標の地点に辿り着けるとは限らないのだ。
おそらく、ガンダラたちも調査をしながら、こちらに来ているだろうしな。今回は軍隊の動きではない。非合法の犯罪組織が『敵』だ。その正体は、今のトコロ不明。それは、そうだろう。すぐにバレるような組織であれば、帝国の連中だって法を執行するさ。
その連中は帝国から見ても、不法な存在ではあるのだ。本来は、人身売買……つまり奴隷貿易ってのは、帝国貴族の専売的な事業らしいからな―――その領分を、この土地では、『ヴァルガロフ』では犯罪者たちが取り扱える。
帝国の法の支配からは、完全に逃れている連中ではあるわけだ。もっと人道的な集団であり、正義を掲げてくれる組織ならば、仲良くやれるんだが。
亜人種の難民を拉致し、奴隷にして売り買いしているとなればハナシは別だ。『自由同盟』にとって、亜人種の難民は貴重な戦力になる……ファリス帝国という巨大な組織と戦うためには、人数がいるのだ。帝国が、亜人種を拒絶するのならば、我々が受け入れる。
……これは、人道的な行動でもあり、軍事的な目的をもつ行動でもある。だからこそ、クラリス陛下は我々に報酬をくださるわけだがね。
……しかし。
ガンダラもキュレネイも、遅いな。時間を決めておけば良かったよ。こんなに待機時間が長くなるのであれば、もっと、ゆっくりと『メルカ』を出発できたのだが。まあ、愚痴を言っても仕方がない。
オレとリエルは、仮眠を取ることにした。ゼファーの腹に二人して並んで、そのまま昼寝だよ。眠りながらも、敵の気配には気を払っているし、周囲には紋章地雷を配置してもいる。
ゼファーを目撃して、近寄ってくるような存在がいるとも思えないが……念には念を押してはいたということだ。我々は夕方近くまで仮眠を取ったよ。
……キュレネイ・ザトーが現れたのは、ゼロニア平野に夕焼け色が差し始めた頃であった。
一頭の黒い馬が、蹄を鳴らしながら西の荒野を駆けてくる。オレとリエルとゼファーは、ほとんど同時に、その気配を察して目を開いていた。
「……ソルジェ。キュレネイの魔力だな」
「ああ。彼女の魔力だ。しかし……」
『がんだらが、いないよ?』
「……別行動らしいぜ。調査に進展があったのかもしれない」
「ガンダラは我々よりも賢いものな」
「そうだが、団長としては、単独行動はあまり推奨は出来ん」
「キュレネイを我々の使いに出したのかもしれないぞ。ガンダラは巨人族だもの。あいつが乗った馬は、どうしたって速くは走れない」
……たしかに、その可能性もあるな。ならば、ガンダラは……『ヴァルガロフ』を探るのに、より良い拠点を確保している?……あるいは。
「……夕暮れを待っていたのかもしれんな。ゼファーで堂々と接近出来るタイミングを」
「……っ!なるほど、ここまで待たせたのは、夜襲の準備をしていたということか!」
「あくまで可能性だ。だが、ガンダラは有能な猟兵だぞ?……ムダに時間を浪費することは好まない男でもある」
「フフフ!つまり、敵地への襲撃があるのか!!……そうだと良いな、ソルジェ」
「ああ。竜騎士としての腕の見せ所だからな」
『ぼくの、でばん?』
「そうかもしれんぞ」
『やったー!!……おーい!!きゅれねい!!こっち、だよーッッ!!』
喜ぶゼファーが、空へと大声を放つ。
黒い馬に乗る水色の髪をした少女は、相も変わらず無表情のまま、手を上げたよ。ゼファーはキュレネイ・ザトーにリアクションする。右の翼を、グイッと夕焼け空に向けて突き上げていた。
キュレネイは馬を加速させ、勢い任せに教会のあるこの丘を駆け上ってみせる。オレたちの前に黒い馬で乗りつけた彼女は、手綱をさばいて馬を踊らせた。
「ひひひいんんッッ!!」
目隠しした馬を、見事にあやつり、キュレネイ・ザトーはゼファーのそばで馬を止める。馬に目隠しをしているのは、ゼファーに怯えないようにという対策さ。
この黒い馬は見たことがない。キュレネイとのコンビの歴は浅いだろうが、完全に彼女に掌握されている。ゼファーの前で、整然と立っていられる馬など……『ユニコーン』を除いては、そういるものではないのだがな。
水色の髪の少女は、毅然とした直立姿勢を見せる黒い馬の背で、オレたちを順繰りと見回した後で、敬礼をしてくる。
「お久しぶりであります。団長、リエル、そして、ゼファー」
『うん。おひさしぶりであります!』
ゼファーが敬礼をマネしている。竜の敬礼。竜騎士の家に生まれて26年。初めて見たよ。人生は不思議と発見に満ちているものだな。
リエルは黒い馬に近づき、馬上のキュレネイにほほえみかけた。この二人は、仲が良い。キュレネイは18才、リエルと同年代だし、無表情で軍人気質で不思議なキュレネイと、うちのマジメな正妻エルフさんは馬が合うのさ。
「キュレネイ、元気そうで何よりだぞ」
「はい。そちらも元気そうで何よりであります」
そう言いながら、キュレネイが馬から下りた。彼女は無表情のまま、ゆっくりと歩いて来る。そして、オレの前に来て、もう一度ビシッと敬礼するのさ。ふざけているわけではない。彼女は……何というか、『階級』に忠実な猟兵なのだ。
「団長。キュレネイ・ザトー、合流いたしました」
ルビー色の瞳が、オレをまっすぐに見つめている。本当にまっすぐというか、微動だにしない。どこか、人形のように見えるときもある。美少女なんだが、愛嬌がないというか無表情過ぎるのが、玉に瑕というヤツだ。
微笑みや感情を表すことを覚えれば、リエルに匹敵しかねない美少女さんなのだが。まあ、キュレネイが美しさや愛嬌に対して、執着しているタイプでないことは知っている。この子も……初めて会ったときは、ティートと同じようなボロボロな姿だった。
……物心がついた頃から、『護衛対象』を守り続けて来ただけの存在。『武器』として『造られて』しまった存在―――その彼女にとって、外見上の美しさは、あまり価値が無いモノなのだろう。
どこか、病的な気もするが。
それで彼女が幸せを感じられるのならば、問題はない。
「……無事に合流できたな、キュレネイ・ザトー。ルード以来だが、お前が元気そうで安心したぞ」
「はい。団長も無事で、何よりです」
「色々と冒険はしたが、仲間がいてくれたからな」
「猟兵は有能ですから。チームを組むと、効率が良いものです」
「……そうだな。再会を祝して、酒でも酌み交わしたいところだが―――」
「―――酒宴は、二十になるまで参加するなと言われています。そして、先代からの言いつけで、団長との酒宴は妊娠の危険が伴うので避けろと言われていますが、団長の命令であれば参加するであります」
「……おい、ちょっと待て。オレは、一体、どんな色魔あつかいなんだ?」
「酒を呑んで酔っ払ったときのお前は、普段の3倍はスケベなのだぞ。女子は、警戒して当然というものだ!」
「イエス。リエルは正しい評価をしています」
え?ウソでしょ?……そんなバカな。
『パンジャール猟兵団』のなかでもボケないヒトたちが、真顔でオレを、とんでもないレベルのセクハラ上司だと認識しているだと!?……だいたい、妊娠の危険があるって、何それ……オレ、そこまで見境のない男じゃないはずだが……ッ。
「団長、顔色が悪いですが、腹痛や風邪などの症状でありますか?」
「……いや、体調は万全。ただ、色々と、衝撃を受けているが……まあ、それはいい。キュレネイ、ガンダラはどうした。意味のない別行動ではないのだろう?」
「はい、団長。ガンダラとは別行動中であります。ガンダラと私は、この場所への合流を急いでいましたが……6時間前、難民を捕らえているという山賊の情報をつかみ、現地に向かいました。そこで、40人程度の、小規模な山賊の拠点を発見、追跡を実行しました」
「難民たちも、そこにいたのか?」
「……いいえ。残念ですが、ターゲット未確認です。ですが、ヒト用の檻は、崖の上からの偵察で確認。件の難民消失に関わっている可能性は十分あります。ガンダラは、偵察と作戦の構築を行っているであります」
「わかった。ゼファーに乗れ、ガンダラと合流して、山賊どもを蹴散らすぞ。何人かを生け捕りにして、情報を吐かそう」
「イエス・サー・ストラウス」
「それで、この馬はどうするのだ?」
「リエル、欲しいですか?」
「え?いや、私には、ゼファーがいるから、いらない」
「なら。肉にして保存食にしましょう―――」
「―――こ、これは、いい馬だから!?た、食べなくてもいいぞ……っ?」
「分かりました。この子は、ここに放置しましょう。とても役に立つ馬ですからね。生かしていた方が、利用価値はある。ここなら、ヴァンガード運河の水も飲めます。土手沿いには、食事になる草も生えてはいる。私が呼びに来るまで、ここで、待機するであります」
「ヒヒン!」
キュレネイは、黒い馬の首を撫でてやりながら命令を放ち、馬は彼女に応えたようだな。キュレネイは……そう、どこか変わっている。物事の善悪の判断や、生命に対する倫理観なんかが……その、ちょっとだけ不思議な少女だ。
『劣悪な環境で育ちましたから』、と彼女は自己を分析している。
彼女は信頼する者たちに従順であり、善悪の判断をその信頼する者たちに任せてしまうことがある。罪悪感がなく、無感情なままに戦闘能力を全開に出来る……。
戦士が本能的に行っている感情的な駆け引きは、キュレネイ・ザトーには通じない。武の極地の一つの体現者ではあるが―――どこか不健康さもあるのは事実。先ほど、肉にして保存すると言った馬に対して、今の彼女は、やさしげな手つきで撫でている。
だが。
ルビーの輝きを宿した瞳は、いつものように無感情。表情も変わることはない。幼い頃から、相当いびつな訓練を施されることで『武器』として造られた娘。それが、オレの猟兵、キュレネイ・ザトーだよ。
……裏切り者を処分する役目。それを、オレに申し出て来た娘でもある。
あのときの申し出に対して、オレは答えをすでに用意している。イエスだ。オレでは出来ぬ行いを、キュレネイならば、手早く行える。こちらの陣営に、『裏切り者』が出た瞬間、そいつの首を刎ねることだ。
キュレネイは一般人としては壊れているが、戦士としては究極の存在の一つだ。オレたちが、より大きなことをなすために……キュレネイ。お前の危うげな本質を、オレにくれ。『パンジャールの番犬』。その座は、お前にのみ相応しい。
その決断をしながら、オレは馬から馬具を外し終えたリエルとキュレネイに近づいていく。リエルは、黒い馬に、『早く行け!』と命じていた。キュレネイが『食肉加工』への意欲を再燃するよりも先に、野に放してしまいたいようだな。
まあ、気持ちは分かるよ。
だって、キュレネイは……本当にやるからな。容赦なく、いきなり……『全く読めない攻撃を実行出来る』。オレたちの自慢の仲間さ。
「―――行くぞ。リエル、キュレネイ。ゼファーに乗れ。山賊どもを仕留めて、情報を吐かせる」
「うむ!腕が鳴るぞ!」
「了解。団長の命令のままに。任務、実行開始であります」
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