第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その12


 ―――翌朝。


「ソルジェ、起きろ」


「ソルジェさま、時間ですよ?」


 左右から愛するヨメたちの声を聞きながら、オレは目を覚ます。エメラルド色の瞳と、アメジスト色の瞳が、愛を込めて、こちらを見下ろしてくれる……指が昨夜みたいな好色さを帯びて二人に近づいていくが―――。


「……作戦だぞ。そ、そういうのは、昨夜……さ、さんざん、しただろうがッ!!」


 正妻エルフさんの指がね、にやけて笑うオレのホッペタを引っ張っていたよ。そうだな。名残惜しいが、作戦を始めなくてはならない。『パンジャール猟兵団』は、それぞれに与えられた作戦を全うする義務がある。


「……了解だ」


「うむ。そういうのは、こ、こんどだぞ」


「次は、もっと……たくさん、させてあげますからね、ソルジェさま」


 うつくしい朝の吸血鬼は、そう言いながらオレの唇にキスをしてくれる。オレを愛してくれているというコトを、その動きで示そうとするような舌だったな。それを目撃していたリエルは、顔を赤くしている。


「……こ、こら。朝っぱらから……っ」


 やわかい感触が離れて行ったよ。カミラの熱っぽい瞳を見る。誘惑されてしまいそうなほどに、魅力的だな。官能的な悦びをくれた彼女の唇は、わずかに開き……吸血鬼の白い牙はセクシーさではなく、いたずらっぽく輝いた。


「えへへ。だって、自分は、ソルジェさまと別行動っすもん。これぐらいは、作戦開始前でもオッケーです」


「ああ。そうだな……もっと本格的に、オレの愛を二人に届けたいところなんだが……もう朝が来そうだな」


 マクラにあずけた頭を動かして、鎧戸のすき間から空の色を確かめたよ。空にまだ濃紺の色が残っているが……闇の支配する時間は過ぎ去っていた。


 朝陽が始まるまで、そう時間はかかりそうにはない。


 オレたちは動き始めていた。睡眠時間はたっぷりというワケじゃないが、それでも、十分な休息は取れたよ。あくびをして、起き上がる。夫婦の体温が残るベッドのなかは、名残惜しい体温が残っていたが……両頬を叩いて気合いを入れたよ。


 さて。


 作戦開始だ。


 ……ルクレツィアのアトリエのなかでは、動きがあった。それぞれに与えられた作戦のために、皆が動き始めていたのさ。朝のあいさつを交わして、『メルカ』の人々が用意してくれていた朝食を胃袋に突っ込むと、それぞれの持ち場へと着く。


 見送りはいらないさ。


 ミアのキスをほほにもらえたからね。


 それに、皆、またすぐに会えるからな。


 オレとリエルは、それぞれの装備と荷物を抱えて、ゼファーの元へと向かう。『竜鱗の鎧』は完全に修復されていたよ。攻撃魔術への耐性が、より向上しているとか?……試す機会が欲しくはないが、もしもの時のためには頼れそうだな。


 二人して『メルカ』の白い町並みのなかを、足早に歩いて行く。早朝の冷たく青い風を切り裂くように、素早く歩いたよ。


 リエルは、オレの背中に迷いでも見つけたのか、やさしげな言葉で質問してくれる。


「……あの子供たちに会わなくてもよいのか?」


「ああ。会えば、後ろ髪を引かれるしね。それに……連中は、よく眠るのも仕事だろ。オレたちのために、起こす必要はないよ」


「たしかにな。子供にとっては、寝るのも仕事だ。あの子たちと離れるのが、心配か?」


「いいや。不安はないよ。この『メルカ』にいれば、あいつらは安全に暮らせる。それをオレは疑っていない」


「うむ。そうだな。ここには、人種にまつわる差別がない。皆が平等なのだ」


「聖なる場所だよ。得がたい土地さ」


「そうだな。でも、つくるぞ」


「ああ……帝国を打倒して、オレたちの欲しい世界を一つ、つくるぜ」


「いい言葉だ。さすがは、私の夫だな」


 愛しいヨメはその長い指を折り曲げて唇にあてがい、ゼファーを呼ぶための指笛を高らかに歌わせる。『マージェ/母親』の歌を聞いたゼファーが目を覚ました。


 『メルカ』の入り口広場までは、かなり離れていたが、ゼファーはその大きな金色の瞳を開き、こちらを確認した。翼を広げる。そして、長い首と尻尾を動かして、飛行のための準備運動を始めたよ。


 ゼファーは、すでに武装済みだ。


 黒ミスリル製の鎧を、『メルカ・コルン』の手で装備してもらっている。『金羽の鷲獅子/ロイヤル・グリフォン』の特攻を防ぐために、ヤツへと体当たりを喰らわしたからな。その直後、ゼファーも大地へと衝突した。


 ゼファーの鎧も傷だらけになっていたのだが、その黒ミスリルの鎧も完璧な修復を完了している。おそらく、『竜鱗の鎧』と同様に、攻撃魔術への耐性が上がっているのだろう。


「……いい仕事をしてくれているようだな。グラーセス・ドワーフ製の黒ミスリルが、今まで以上に深い漆黒を帯びているようだ」


「そうだぞ。昼までも、光が反射してしまわないように、黒ミスリルに加工を施しているのだ。昼間の行動でも、より見つかりにくくはなっている……もちろん、大きさはどうにもならないから、低空飛行ではバレてしまうがな」


「高い高度でならば、バレにくいわけか」


「うむ。腹部の装甲を空の色に染めるべきかの議論もあったが―――」


「―――ゼファーは黒が好きだぞ」


「ああ。だから、厚意を断るのは気が引けたが……ゼファーの鎧だ。ゼファーの好みを重視してもらったぞ」


「さすがだ。ゼファーは、やはり誇り高き黒が似合う」


『おはよー!!『どーじぇ』、『まーじぇ』!!』


 気高きアーレスの孫は、祖父とまったく同じ漆黒の鱗と鎧を躍動させながら、朝のご挨拶さ。近づけてきた鼻先を、指で撫でてやる。


「おはよう。よく眠れたかしら?」


『うん!!しっかりねむれたし、よるに、うしをいっとうたべたから……おなかもいっぱいだよ!!』


 竜族は食いだめが出来る。朝昼晩と三食に分けて食べなくとも、一週間分の食事を一度に取ることだって可能だ。だが、ゼファーは成長期の仔竜なので、一日、一食は食べて欲しいところではある。


『さあ。のって!ふたりとも!『う゛ぁるがろふ』に、いくんだよね!』


「そうだぜ、まずは、ガンダラとキュレネイに合流だ」


「『ヴァルガロフ』の南にある『古びた教会』だったな」


「ああ。そこがオレたちの合流地点の予定だ」


『がんだら、ひさしぶり……でも、きゅれねい、もっとひさしぶりー』


「そうね。キュレネイとはルード以来、会えていないものね」


「今回は、たっぷりと会えるさ」


 我々はゼファーの荷物用大型パックに、装備とアイテムを入れた。食糧や薬品なんかをね。そして、竜の背へと跳び乗るのさ。


 その直後、紳士の役目として、リエルに手を貸そうとして彼女の方を振り向いたが……『マージェ』にそんな手助けはいらなかったようだ。


 エルフの長い脚が大地を蹴り、軽やかに黒竜の背中へと乗っていた。伸ばしていた腕と指を曲げながら、ストラウスの唇は、しなやかな跳躍を見せたエルフの脚を褒めるために笑ったよ。


「いい動きだ」


「当然だ。私は、お前の正妻、リエル・ハーヴェルだぞ?」


「ああ。知っているよ、君がどれだけスゴい乙女かってこと」


『うん!ぼくも、しってるよ。『まーじぇ』は、とっても、すごいんだ!』


「ええ。『パンジャール猟兵団』の猟兵は、誰もが最強なのよ。ゼファー、あなたもね」


『ぼくも?』


「そうだ。お前は、竜としての『最強』を目指せ。この空の王さまは、お前だぞ」


 指で竜の首を撫でてやりながら、ガルーナの竜騎士として、ストラウスの竜に命じるのさ。最強の空の王であれ、と……。


 ゼファーが鱗を震わせる。喜んでいる。竜の血と肉が、強さを称えられたことに快感を覚えているのだ。


『うん。ぼく、せかいで、いちばんつよくなるね!このそらは、ぼくのものだもの!!』


「そうだとも。行くぞ、ゼファー。仕事の時間だ!!」


『うん!!』


 ゼファーが『メルカ』の大地を蹴る。翼に風を受けながら、大地を走り……山頂氷河から降りてくる冷たい突風に、跳躍を重ねながら空へと飛んだ。我が死せる妻、ジュナ・ストレガに見送られているような気がしたよ。


 山頂氷河から吹く風は、いつも竜の翼を助けてくれているからね。


 ゼファーは風に乗り、またたく間にはるかな高みへと至る。歌いたくなっているのだろうか?……ゼファーの鱗が逆立ったままだから、訊いてみる。


「どうした、歌いたいのか?」


『……ちょっとだけ。でも、がまんするんだ!』


「どうして?」


『てぃーと、まえりす、こんらっど、りーふぁ……みんなをね、おこしてしまうと、かわいそうだもん!』


「いい子よ、ゼファー。そうね、あの子たちを起こしてしまう必要はないわ」


『うん!』


「……なあに。すぐに全力で歌うような状況が来るさ。オレたちは『パンジャール猟兵団』だからな」


『……たのしみ!!』


 そうだ。竜とは、そういう生物なのだ。類いまれなる闘争本能を宿した、至高の獣。空の王者。ゼファーはその大きな翼を広げて、空の高みを目指す……。


 より高く飛んで、その場所に暴れる風を掌握するために。


 カーリーン山の、はるかな上空には、西へと向かう風の道があるからな。寒さは厳しいが、その高みを走る風をつかめば―――かなりの短時間で『ヴァルガロフ』に辿り着けるだろう。


 視線を、仲間たちのいる『メルカ』へとやる。天空を踊る竜の背から見るその美しい白の町は、東の果てから始まる朝陽を浴びて、赤く輝いていた。青い氷河も赤く焼けて、太陽の強さを教えてくれているようだ。


 もうすぐ、朝が始まる。


 戦士たちと子供たちは、それぞれの役目のために、この一日をまた全力で生き抜くのだ。あの場にいる、オレの同胞たちは、そろいもそろって勇敢だからな。置いて行くのに、難の心配もしちゃいないのさ。


 今日も……太陽のように、強く生きるぞ。


「ゼファー!!朝陽と競走するぞ!!」


『うん!!にしにむかって、とぶよ!!『どーじぇ』ッッ!!』


 黒い翼で空を打ち、極寒の風の道へと登り切ったゼファーは、暴れる風と一つとなる。吹き飛ばされそうなほどに強い風を、竜はただただ力強い羽ばたきをもって制圧してみせる。


 リエルは、寒いのかオレにしがみつく。まあ、加速するまでのガマンだよ。そうすれば、ゼファーはより低い場所を飛んでくれるから。あとは、オレの方が君の風避けになるから寒くはない。


 森のエルフの体温は寒さに耐えるために、とても温かいってことを、オレは世界で一番知っている男だからね。確信をもって言えるんだよ。


 迫る朝焼けの光へと挑むゼファーは、牙を剥いて飛翔する。ゼファーの体温が上がり、その背にいるオレたちの脚を温めてくれる。凍りつくような寒さと、竜の熱く燃える血潮のたぎりにはさまれながら。


 竜騎士は、朝と夜のはざまを飛び抜ける―――竜騎士にのみ許された世界のなかで、ただ西だけを睨む。『ヴァルガロフ』……そこに、いる悪党を仕留める。そいつが、この翼の軌跡の果てにある戦いだ。


 まだ見ぬ敵を、オレは殺意を込めて睨むんだよ。悪質な人身売買組織の連中さ。どんなヤツらかは知らないが、首を洗って待っていろ。


 世界で最も怖い、『パンジャール猟兵団』が集まっているぞ。長く生きていられると思うな……。

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