第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その5
「……ガンダラ、お前の言葉に疑問を持ったことは、一度だってないさ」
そうつぶやきながら、オレはベッドにダイブする。
安宿のベッドだが、疲れた身体を支えてくれる、最高の道具だったよ。解読にも少しばかり知恵を使うし……ガンダラのくれた情報は、なかなかに濃密だった。
アリューバとザクロアの関係は、やはり一筋縄では行きそうになく、ガンダラは両者の関係を解決する最良の手段は、オレがガルーナ王になることだと言って来たのさ。まあ、それはそうだが……。
ガンダラ自身が言うとおり、現状ではムチャなハナシだよ。
まだまだ、あの土地を取り戻すための機会は訪れない。敵地に囲まれたあのガルーナを取り戻すには、戦力を送り込むためのルートが必要だ。孤立しては、すぐに包囲されて、また滅びてしまうからな。
急ぎたいが、明日明後日で叶うことではないのだ―――だからこそ、オレはもう一つの作戦へと集中することにした。
ガルーナには、まだ手が届かない。ならば、着実にガルーナ奪還へと近づくために、『ヴァルガロフ』での問題に着手すべきだな。全ての作戦は、帝国を弱らせ、ガルーナ奪還の日を早めてくれるはずだから。
……何よりも、帝国から逃げ出している難民たちを、捕まえている連中が『ヴァルガロフ』にいるのであれば……それを排除する必要がある。オレは、荷物のなかから、暗号用の紙を取り出して、羽根ペンで『ロロカ文字』を一文字書いた。
『了解』
その意味を持つ暗号だよ。フクロウの指輪に魔力を込めながら、指の腹でなでる。開けっ放しになっていた窓から、白いフクロウが戻って来たよ。ヤツは、懲りずにオレの赤毛を狙ってくるが、オレも素早く躱してやった。
ヤツはまたベッドに座ってしまったよ。不満げな声をはなつ。
『ぐるぅ……っ』
「そんなに、オレの頭が好きなのかよ……?」
まさか、ヤツらの好物のネズミさんたちと、オレの頭皮の感触はソックリなんじゃないだろうな。だとすると、とんでもないショックだぜ……。
「……ほら。仕事だぞ?」
『……ぐる!』
大人しくなったよ。ヤツは、呪術で縛られた生物だからな。それだけに、仕事には忠実なもんさ。
「頼むぞ、ガンダラのもとへと届けてくれよ」
オレはしゃがんで、ベッドに座る白フクロウのそばに近づく。そして暗号文を入れた足輪を、彼……あるいは、彼女?の脚へとくくりつける。
『フォーフォウッ!!』
ヤツは仕事を受けると凜々しい羽ばたきをもって、雨の降る夜空へと窓から飛び立っていく。一直線に北西の空へと向かった。迷いのないプロフェッショナルの動きだが、毎度、会うときのあの攻撃的な行動は一体なんなのか……?
「……まさか、かまって欲しいとか……なのかな?」
だとすると可愛げがあるものだが。しかし、オレの頭皮を捧げてまで、鳥類とコミュニケーションを取ることを優先しなくてもいいはずだよな。死ぬことはないが、頭皮に少々、穴があく。
そもそも。あいつらは、ネズミを掴むんだぞ?
そんな爪で何度も頭に穴を開けられていたら、変な病気になって死んでしまうかもしれないからな。
オレは、きっと薄情なフクロウ使いとは呼ばれないはずだ。まあ、何か考える。フクロウが楽しむための、オモチャ?……何かあればいいんだがな。
さてと。
フクロウとのコミュニケーションについて悩むのはやめだ。
ガルーナ奪還のためにも、まずは『ヴァルガロフ』の問題を解決するために動く!!三日後に、『ヴァルガロフ』で猟兵たちと合流だな。
そのためには、明日は早起きして……ティートたちを『メルカ』に届ける旅を始めなくてはならないな。
『メルカ』の秘薬を用いて強化した馬の脚でも、『メルカ』まで、丸二日近くかかるだろう……いきなり、『メルカ』までゼファーで運べば、ガキどもの体がついていけないからな。
そもそも、その移動に、つきそってやる義務はないが―――つきそってやりたい気持ちはある。
『竜騎士の呼吸法』の基礎を、この四人と……ついでに、ククリとククル。新しい目玉の使い方を教えてくれた、ガントリーにも教えてやろうかな。ガントリーは、監禁生活の後遺症か、やはりスタミナ不足を感じる。
覚えていても損はないはずだ。
老人になっても、あの呼吸を使えれば、竜に乗り空を駆けることが出来る。たぶん、良い健康法になるんじゃないだろうか?
まあ、正直なところ、あのガサツな感じのガントリーが、それほど健康に気を使うタイプであるようには思えないが……『呪い追い/トラッカー』の力をくれた礼に匹敵する技巧と言えば、アレぐらいのもんだろう。
かなり実用的ではあるしな。体力の落ちを、怪しげな錬金術の薬品に頼ったりしだす前に、健康的な技巧を覚えておいた方が、彼の人生に資することであろう。
……猶予期間は三日。体力の回復と、仲間たちへ『竜騎士の呼吸法』の伝授……あと『呪い追い/トラッカー』の研鑽もしておくべきだな。この追跡能力が、どこまで応用が利くのかを理解しておきたい。
『ヴァルガロフ』に、消えた難民を探しに行くのだ。
『呪い追い/トラッカー』の力が、もしも、奴隷たちにつけられるであろう呪具、『魔銀の首かせ』などにも効果的であるとすれば……オレは、それを使いこなすことで、『ヴァルガロフ』の捜索を順調に行えそうだな。
正直、追跡能力については、ジャン・レッドウッドに負けている気がしていてからな。猟兵団長として、若手に負けていられるか!!
この三日でモノにしてやるぜ。
新しい呪眼、『呪い追い/トラッカー』の力をな。
……さて。
とっとと寝るか。今から気合いを入れていても何にもならない。一秒でもムダにしないために、すぐに寝るべきだな。
もちろん。この毛布の上にあるフクロウの羽根を掃除したあとでな。羽毛布団とは、こういった形状のモノを指す言葉ではないってことぐらい、ガルーナ生まれの蛮族でも知っているんだよ。
オレは毛布の上を指で掃いて、白フクロウの羽根を手の間にあつめる。そして、それを窓から、雨が降る『ホロウフィード』の夜空へと向かって投げていた。雨に絡め取られながらも、ヤツの白い羽根が闇のなかに美しく踊る。
なかなか優雅で、うつくしい瞬間だったな。
オレは窓を閉めて、ニヤリとしながら、ベッドへと倒れ込んでいく。
毛布にくるまる。
そして、堕落したものぐさ魔術師のように、指を鳴らして『風』を呼んだよ。卓上に置かれているランプの灯を、吹き消すためさ。
『風』はオレの願いを叶えてくれる。闇が訪れたよ。オレは、毛布にくるまり目を閉じるんだ。全力で眠る……それが、猟兵である、今のオレがすべき最良の道だからだ。
……夢を見る。
まただ。
また、ガルーナの夢を見る。
悲しいガルーナの夢だった。炎に呑まれて、燃えていくガルーナだ。お袋が、槍で殴られて、剣で切り裂かれている。『裏切り者』!!バルモア連邦の兵士が、そう叫ぶ。オレのお袋の髪と瞳の色が、バルモア連邦人の黒だと気づいたようだ。
お袋は、戦ったんだろう。
魔術を放ち、何人も焼き殺してのだろう。
だが、もう戦士ではない、
有能な魔術師だったのは、オレたちを産み、育ててくれるより、もっと昔のことだった。お袋の黒い髪には、多くは無いけれど、白髪が混じっていたよ。
ガルーナの暮らしは、たぶん、楽なほうじゃない。冬は寒いしね。獣も多い、モンスターも少なくない。そして、お袋には……そこは異郷の地に過ぎなかったから。
それでも。
いつも笑顔だったのは、親父をナイフで刺さなかったのは、どうしてだい?
オレはね、お袋も何だかんだで、親父を愛していたから、さらわれたんじゃないかと思うんだよ。どんな物語があったのか、今さら、オレには永遠に分からないけど。
でもね。
お袋は、いつも笑顔だったんだ。
笑顔だったじゃないか。
だから……。
頼むよ、魔法の目玉よ。
アーレスよ……っ。
お袋の泣き顔なんて、見せるんじゃねえよ!!
必死に、セシルだけは助けてくれと、たのみながら、土下座なんてするお袋を、見せるんじゃねえよ!!
なんで、おふくろが、オレたちの村で!!
なんで、あんなに、ちいさくなっていなくちゃならねえんだよ!!
見せるなよ!!
見せるな。
たのむから……。
アーレスよ……。
たのむから……ッ。
……おい、髪を、掴むんじゃねえよ!!バルモア人!!
お袋の、髪を、掴むんじぇねえッ!!
オレの、オレのお袋に、指一つ、さわるんじゃねえよおッッ!!
……。
……。
…………オレの願いを帯びた叫びは、その悪夢のなかでは、どこまでもはかなくて、まったくの無力だった。
すべてが、いつものように動いていく。
斬られたり、殴られたりして、みなが竜教会へと押し込まれていく。そこで、オレの妹のセシルが泣いているんだ。
名前も顔も知っているはずの村の仲間たちが、見たこともない形相に歪み、助けてくれと、叫んでいた。
死にたくないと。
そうだよ。
セシルだけじゃないさ。
セシル以外にも、いたさ。
村中の子供たちも、婆さんや、爺さんも。全員がそこにいて、火をかけられて、燃え落ちていく竜教会のなかにいたんだ。誰もが外に出たがったが、出ようとすれば、矢を射られたし、槍で突かれたんだ。
だから。
現役の戦士のいない村じゃあさ。
誰にも、どうすることが出来ないんだよ。
……ああ。
そうだよなあ、アーレス……。
オレたちは、行かなきゃよかったのかもなあ。
あの日、特攻なんてせずに、この村を守り抜けば良かったよ。こんな雑魚ども、オレとお前なら、まったくの問題にもならないじゃないか……。
いいや。
お前だけでも、いれば良かった。
特攻なんだ。帰って来なくても良かった。ただの時間稼ぎの戦いだ。老いて引退していたお前を巻き込まずに、ロバでも馬でも牛にでも乗っていけばよかった。なんなら、走って行くだけでもよかった。
お前がいれば……オレが、お前を戦場に連れ出さなければ、良かった……。
オレは……なぜ?
……死ぬときには、竜騎士でいたいとか、そんな下らない誇りのために……オレは、お前を戦場に巻き込んじまったのだろうか……。
誇りを持っていたはずだった。
あの17才のバカは、誇りと共に、お前の背に乗り……戦場へと笑いながら特攻して行った……。
未来は……こんなもんだとは、思っていなかったから。
こんなに悲惨な叫びに満ちて、オレの村が、オレのガルーナが、終わるなんて……思ってもいなかったんだ……ッ。
ああ……すまない。お袋、セシル、みんな……。
オレは……いちばん大切なモノを、守ろうとすれば良かった。命令なんて、誇りなんて、陛下の命令なんて……何にも意味がなかったじゃないかよ―――。
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