序章 『雨の降る町で……。』 その5


 ジャック・シモンズは語り始めたよ。雨のなかで、ぬかるむ地面を蹴りながら……それでも、彼は言葉を荒げる。呼吸の苦しさもあるだろうが……それよりも、彼の育てて来た馬を食っちまうモンスターへの怒りが勝っているらしい。


「アレは、本当に最低なモンスターだ!!」


「そうか。で、具体的には、どう最低なんだ?」


「……昔から、何度も退治しているのに……っ。何度だって、出てくるんだ。私たちの一族が、どれだけ多くの猟師や戦士を、雇ってきたのか……っ」


「……領主は何もしねえのかい?」


「してくれないさ!!……こんな田舎町に、伯爵さまは来ちゃくれない。騎士さまも派遣してくれないんだよ!!」


 ……たしかに、化け蟹退治などでは、騎士の名誉とするには、あまりにもインパクトが足らないというかな。


 心のなかに、オレはその感想をしまっておいたのだが―――。


「―――そりゃあ、蟹退治じゃあ、騎士の心に響かないだろうからなあ。『蟹を退治して来たんだよ!』……はあ。その言葉に、どれだけの女子が黄色い歓声を上げるんだよ?もっと他の怪物と戦いたいだろうさ」


 さすがはガントリーだ。思っていても、そんな言葉はなかなか口に出来るもんじゃないよ。口が悪い男の持っている自由に、憧れちまうときもある。だが、騎士の道は、慈悲も忘れてはならないからな。


 シモンズは、真実でつくられた悪口にヘソを曲げる。


「うるさい!!蛮族なんかに、バカにされてたまるか!!」


「おいおい、バカにしているのは、お前の領主サマだぞ。ガントリーも、たしかに口は悪いが……本来は、領主と騎士の役目に思える。領民を脅威から守るべきだろ」


「そうだが……領主さまは、他にも仕事を抱えておられるのか……」


 世の中は残酷だ。領主はこの町に投資することをムダだと判断している。金にはならないとな。金にならない町に投資することなど、バカらしい。そう考える帝国貴族は多かろう。


 帝国貴族が崇めているのは、いつだって金だからな。冒険と正義の心で作られる、血にまみれた真の名誉を求めているわけではない。帝国の騎士が、あまりに貧弱な理由がよく分かるな。


 命がけの冒険も出来ぬ男など、一生、半人前でしかない。取るに足らぬ男の振るう鋼は、安っぽくて軽いものだよ。


「―――それで。モンスターの情報をくれるか?君を助けてくれない領主について悩むのは、今度にしてくれよ」


「あ、ああ……あの蟹は、大きい!!胴体だけでも横幅四メートル近くあるんだ。まるで動く岩だよ」


 4メートルの大蟹……いや、手足を入れると、もう二回り以上、大きそうだな。6メートル?……蟹好きがいれば、高く売れそうだ。まあ、オレは、モンスターを食う気は起きないがね。


「……岩のようにか。なんとも頑丈そうだが、ヤツの甲羅は矢を通すか?」


「いいや。少なくとも、そこらの狩人の矢では……ああ、良く研がれて、重量もある鋼の矢ならば、通すけど」


「見た目と同じように岩のごとくか」


「そうだ。それに、色も、泥みたいな色をしている」


「岩に似た色に形……『それ』が沼地に生息しているんだね。じゃあ、保護色もいいところ。見えにくそう。こんな天気じゃ、なおさらのことね」


 ククリが灰色の雲が流れる空を見あげながら、ため息を吐く。彼女の言う通り、サイアクな環境ではある。敵に対して、どこまでも有利だからな。


「そ、そうだよ。だから、気をつけてくれ……」


「―――疑問なのですが?」


「な、なにかな……?」


「沼地から離して、馬を飼うことは出来ないのですか?」


「……たしかにな。そんな危険な怪物が出るような場所に、馬を近づかせないというのも手に思えるぞ」


「それは、もう、しているさ。でも……あいつらは、『馬を呼ぶ』んだ」


「馬を、呼ぶ?」


「ああ、そうさ……臭いかな、それとも、もしかして、呪いなのか?……私には、よく分からないけど……あの大きな蟹の野郎が現れると、沼地に馬が誘われちまうんだよ……そして、食われる。朝には、沼地の近くで、腹を食い荒らされた馬の死体が転がっているんだ……っ」


「ほーう。そいつは面白い習性を持っているモンスターだなあ」


 面白い?たしかに、面白いが……その言葉は、ジャック・シモンズの感情を逆撫でするだろう。


 もしかして、蛮族とか奴隷呼ばわりされているから、ガントリー・ヴァントは、この馬飼い農夫のことを嫌っているのかもしれない。大人げない?……ガントリーは、大人げない男だ。


 彼は、よくヒトを怒らせる。


 ロビン・コナーズが、人一倍、忍耐強く……そして気の弱い男だからこそ、ガントリーと独特の友情を築けているのだろう。大半の男は、ガントリーの言葉に腹を立ててしまうものさ。


 ジャック・シモンズもそうだったよ。


「面白くなんて、一つもねえぞ、このドワーフ野郎が!!……毎年、毎年……どれだけ、馬を食われちまうことか……アンタたちには、私たち農民の気持ちなんて、分からないんだ!!」


「おお怖い!蟹退治も一人で出来ないシモンズちゃんがお怒りだよ。まあ、アンタとオレは違い過ぎる。相互の理解は及ばん」


「蛮族の気持ちなど、分かりたくもない!!」


「そうだな。それがいい。ビジネス上のお付き合いにしようぜ、クールによう?おい、兄ちゃん」


「なんだ?」


「アンタ、眼帯越しでも、見えるんだろ?」


「ああ。見えてる。魔力の道が……空中に残存しているな。コイツが、馬を呼ぶ『臭い』の正体か?」


「え?……見える?」


 シモンズが周囲をくるくると見回していて、道のまんなかに突き出ていた石につまずいて、転けちまう。腹を強打していたな。降りつづいた雨のせいで、地面はやわらかい。足下には、気をつけるべきだ。


 我々は、止まるよ。ガントリーも、悪口言いながらのジョギングで、少し疲れているようだ。おそらく、熱くなった体が、この雨の冷たさを丁度良く感じているだろうな。


 双子たちは、やさしい。


 ガントリーに言葉で責められていたジャック・シモンズのそばに近づいた。だが、大人の男からすると、ああいう手助けは、時にプライドを傷つけるものだ。中年農夫のシモンズからすれば、まるで娘のような年頃の二人のやさしさは、癒やしになるのかね?


「だいじょうぶ?」


「手を貸しましょうか?」


 シモンズは、機嫌を悪くはしなかったが、首を横に振る。


「い、いや……いいさ」


 体を痛みに振るわせながらも、農夫は立ち上がる。


 大人のくせに、転び慣れているのかもしれない。そうか、彼は馬飼いだ。馬を追いかけて、走ることも、そして転ぶことも多いのかもしれん。


 だが、反対側の膝小僧も破れてしまったな。両膝から血を出している。ふむ、大蟹はヒトの血の香りも好むのだろうか……?


 好みそうな気がする。確証は持てないが、注意すべきだろう。


 それに……雨音の向こうから、カエルの鳴き声が響いて来る。見知らぬ歌だ。オレの知らないカエルだろうが、カエルはカエル……沼地は、そう遠くはないようだ。あまり、迂闊な行動は取る必要はなさそうだ。


 もう走るのは、やめておこう。シモンズの脚も、体力も限界そうだし、オレたちも未知のモンスターの相手をする前に、呼吸を乱しておく必要もないだろうからな。


「ゆっくり行くぞ。ククリ、ククル。それぞれ左右を警戒。クライアントを守るぞ」


「うん!」


「わかりました!」


 妹分たちは素直だ。シモンズを中心にして、オレから見て左と右に広がる。右に向かったのはククリ。彼女は沼地に近い方を選ぶ。


 そして、剣を抜いた。それは『接近戦』を意識してのこと。守備に向く勇敢な性格であることと、剣術が得意。ククリらしい位置取りだ。


 敵の襲撃があれば、彼女は即座にその敵に斬りかかり、パーティーの『壁』になる覚悟をしている。槍より軽い片手剣を、実戦で選ぶ理由の一つ。素早く敵に身を晒し、仲間への到達時間を稼ぐためだよ。


 戦術は、攻撃のことばかりを考えていてはいけない。ククリは守備重視の戦士だ。


 ―――そして、ククルはシモンズの左に位置取る。


 武器は、弓を選ぶ。ククリが止めた敵に、矢を射るのさ。連携を重視する攻撃に向く性格だな。連携は、反応だけでは複雑なことが出来かねる。考える時間がいる。反射的な守備に比べて、思考する時間がどうしても必要。


 ククルは、ククリよりも思考の速度は速く、慎重な戦術を得意としている。攻撃向きってことさ。賢く考え、より敵を強烈に破壊する仕組みを作り、それを選択する。ククリの剣という守備から、弓矢による攻撃に移るコトを考えているわけだ。


「いい配置と武器の選び方だ。さすがは、オレの妹分たちだ」


「えへへ!」


「あ、ありがとうございます」


 まったく、二人とも、全身がもう雨に濡れちまっているが……それを苦にしない。それもまた生粋の戦士の証だ。オレは、なんだか誇らしくなる。


「先頭は、オレが行くよ」


「え?あ、案内は?私が先導するべきでは……?」


「言葉でも出来るじゃないか?」


「ま、まあ、たしかに……」


「それに、兄ちゃんには、見えるはずだからな。それを追いかければ、モンスターに辿りつけるだろう」


「……なあ、ドワーフの奴隷よ。見えるって、何がだ?……私には、何も、見えないぞ?」


「才能がいるから、無いヤツには見えん。兄ちゃん。コイツは、魔力が宙を漂っているものだが……この、独特のトゲトゲしさは……呪術だな。その蟹、呪術師だぜ?」


「……ガントリー、魔力の質が、そこまで分かるのか?」


「ああ。兄ちゃんは、もしかして、呪術を見分けられないのか?」


「空気中にわずかな魔力が残存していることは、左眼に映る。それに、悪意ってのも分かるがな。だが、呪術かどうかと断じられるほどの根拠は、勘しかない」


「まあ、兄ちゃんなら勘でも大丈夫そうだがね。勘ってのは、知識と経験に裏打ちされたもんだ、それなり以上に信頼が置ける」


 そうかもしれない。でも、精度には、どうしたって欠けちまうな……。


「ところで、兄ちゃんは……技術的に、それを教わったことはないのか?」


「呪術の師には、巡り会っていないんだ。それに、瞳術の師にもな」


「三ちゃんがいるだろ?」


「ガントリー、お前、オットーのことを、そう呼んでいるのか?」


「アンタの妹が、そう呼べってよ。分かりやすいだろ」


 三つ目族だから、三ちゃん。


 オットーがイヤがっていないから、ミアにはそのあだ名呼びを許しているが、大人同士で使う呼び名として、適切なのか……?まあ、オットーだって、イヤならイヤって言うだろうから、とりあえず、いいんだろうな。


「……オットーの瞳術は、彼らの種族特有の能力だ。あまり参考にならない」


「たしかにな……彼の瞳術は、天然モノで、オレたちみたいに後天的な呪いではない」


「そうだ。瞳術の師なんて、オレにはいなかったのさ」


「ふむふむ。そうか。じゃあ、このガントリーが、アンタにノーベイ・ドワーフ流の、呪いの読み方を教えてやるよ」


「オレの目玉に合うのか?……色々と、違う仕組みだと思うが?」


「試す価値ありだ。案外、使えるんじゃないかと思うぜ」


「お、おい!!何を悠長なことを!?さっさとモンスターを倒しに行ってくれ!!」


 ジャック・シモンズはお怒りだ。おしゃべりモードに入ったオレたちのことを、叱りつけてくる。


「落ち着け、シモンズ。兄ちゃんも、ヤツの残した魔力が見えているから、焦っていないんだ」


「ど、どういうことだ?」


「オレたちの魔法の目玉には、見える……ヤツの魔力は、薄まっていやがるぞ。それに呪術も機能していない……ヤツの呪術が機能するのは、夕方から深夜……おそくても早朝までだ。ヤツは、今、お食事タイムではない。夜行性だ。今は、もう寝てるってことだ」


「……っ!!」


「シモンズよ、ゆっくりと歩きながら行こう。沼地は遠くないんだろう?」


「ああ……」


「クライアントを護衛しながら、歩く……おそらく、その『ホース・イーター』は見つけられるし、眠っている時間帯である以上、足音を立てて、わざわざ起こすことはない。それに、走れば魔力を昂ぶらせる……呪術師の才を持つほとの魔物なら、気づかれるぞ」


「……わかった。雇った以上、信用する。たしかに……そこのドワーフの言っていることは、正しい気がするんだ。馬が消えるのは、いつも夕方から夜中……朝には、いなくなっているのが、死体となって見つかるだけ……」


「うん、夜行性ってことだね!」


「……急ぐ必要は、無いということです。シモンズさん、焦らず、沼地に向かうべきですよ」


「……ああ。そうしよう」


「オレが背中を守りながら、歩いてやるよ。シモンズ。アンタの背中は、これで安全だ」


「あ、ああ、頼むよ、ドワーフ」


「頼まれた。で。ついでに、先頭を歩く兄ちゃんに呪術の読み方を教える。生きた呪術に触れられる機会は、そうないんだ。これを逃すと、教えるチャンスは無いかもしれんからな。それでいいな、シモンズ?」


「……好きにしてくれ。専門家じゃない、私には、口出しの仕方も分からない」


「いい心がけだ。荒事は専門家に任せろよ。どうせ、呪術を読みながらじゃないと、ヤツを完璧には追跡できねえ……いい機会だぜ、兄ちゃん。『呪い追い/トラッカー』をマスターしろ。きっと、今後に役立つぞ?」

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