序章 『雨の降る町で……。』 その2



「―――ああ、よく雨が降るよお」


 朝から間抜けな伸びを持つ声を響かせながら、ロビン・コナーズが薬局から戻ってきたようだ。


 たしかに、長雨ではある。昨日の夕方から、ずっと雨が降っているからな。竜騎士サンの勘では、この雨は、一日中降り、明日の早朝には晴れるはずだがね。


「いい薬草はあったのかよ?」


「ああ。あったよ。僕の胃を良くしてくれそうな鮮度のいいヤツが」


「ちゃんと値切ったか?」


「……そういうの、苦手なんだよ」


 商売人に向かなさそうなロビン・コナーズは、オレたちの食卓に座ったよ。青い顔をしているなあ。医学を知らぬ者でも、胃腸が悪そうだってことを理解するだろう。


 オレは訊いてやる。コナーズの胃袋が、このオムレツとバターたっぷりの食パンに食欲を向けられるのかをね。


「食べられるのか?」


「いいや。朝は、いいかな……コーヒーだけ、もらうよ。このコーヒーで、煎じた薬草の粉を飲むんだ」


 そう言いながら錬金術師は、カップに注がれているコーヒーのなかに、緑色の粉をサラサラと入れていく……ああ、コーヒーが、ピーマンみたいな色に変わったよ。ウルトラ不味そうだよね。


「コナーズ先生、それを飲むの?」


「変な色と……あと、みょうな臭いがしていますが」


「苦くて変な色をしている胃薬ほど、効果的なんだよ。僕の軟弱な胃袋にはね」


 口に含むことにも勇気がいる色となった、その薬物コーヒーを、彼はゴクゴクと飲んでいく。一気飲みだ。


「ぷはあ!!これで、だいじょうぶ!!」


 薬物コーヒーを飲み干した彼は、幸せそうな顔をしていたな。


 薬を飲んで、幸せそうな顔を浮かべる中年錬金術師か……あの職業も、かなり疲れる仕事なんだろうよ。


「まあ、アンタがそれで満足なら、胃袋も良くなるんだろう」


「そうだよ。僕は、自分の胃を治すことにかけては、一流さ」


「でも。スゴく苦そうな薬……」


「蜂蜜を混ぜた方が、良いと思いますよ」


 甘さと辛さを愛する、『メルカ』の食文化らしい言葉だったな。蜂蜜にくるんだ薬。昔、オレもそんな薬を飲ませてもらった記憶がある。


「子供っぽいから、おじさんの口には合わないよ」


「合いますよ?」


「そうそう。長老だって、蜂蜜混ぜないと、薬なんて飲めないもん」


 ルクレツィアも、どこか面白い大人の一人だ。ハイスペックなんだが……どこか、愉快な要素を持ったレディーだよな。


「……それでよう、兄ちゃん?」


「なんだ、ガントリー?」


「これから、どうすんだ?……あの仕事も終わっちまったしなあ」


「それは、どちらかと言うと、オレの訊きたいセリフだな」


「ん?」


「……『自由同盟』に来るか?」


「……ああ。だが、まあ……まずは、ロビンのアホなヨメと可愛い娘を回収しなくちゃなあ」


「アホなヨメは言いすぎだよ、ガントリー?」


「うるせえよ。酒で肝臓を腐らせちまうような女、アホの一種だろ?医者が止めてるのに酒なんて呑むんじゃねえよ」


「それは、そうだけど……彼女だって、色々と、悩みとか?……あったんじゃないかなとか、思うんだよね……思えば、僕が研究ばかりに夢中になって……150日ほど家に帰らなかったあの年から―――」


「……朝から、重たいハナシはパスだぞ?」


 オレはせっかくの休日の朝を、中年の男の悲惨な結婚生活の物語を聴きながら過ごしたくはない。胃袋には、美味しいオムレツを詰め込んだんだからよ。


「あ、ああ。ゴメンね?」


「……ソルジェ兄さん、先生の話を聞きたいよ?」


「はあ?」


「私たち、恋愛とか、興味あるんです!」


 双子の妹分たちは恋愛とか、男女の関係とか……そういう文化に飢えているのかもしれないな。なにせ、『メルカ』には女しかいなかったからね。


 でも。


 恋愛とか男女関係ってのにも、色々とあるんだ。


「小娘ども、コイツのは恋愛話ではないぞ?家族が壊れる悲しい物語だ。無味乾燥で、虫けらのように感情の少ない、本当にダメな男の物語だ」


「ちょ、言いすぎだよ!?」


「とにかく。コイツを参考にしてはダメだ。反面教師にするにも、ヒドすぎる。乙女たちの心に、深い暗黒の色をした『染み』を残す!!」


 ヒドい言われようだが……たしかに、オレはコナーズさん家の物語を、まったく耳に入れたくないよ。そもそも、彼が愛してやまない一人娘のアリスちゃんだって、コナーズの実子じゃないんじゃないか説まであるんだぜ?


「ガントリーの言い方は盛りすぎているかもしれないが、中年の離婚エピソードなんて、恋も知らない乙女たちに、聞かせるべきストーリーじゃないよ」


「こ、恋ぐらい!!」


「し、知ってますから!!」


 双子たちが、そんな宣言をしていた。ふむ。そうか、ククルもレズビアンのようだが、ククリもそうなのか。


「なるほど。ソルジェ兄さんは、どんなタイプの恋愛相談でも受け付けるぞ?生きているヨメが三人もいる男だ。頼りにしていいぞ?」


「そ、ソルジェ兄さんに恋愛を相談するのは、難しいんですよ……っ」


「そ、それだと……相談になりそうにないし……っ」


「オレが、一夫多妻制の男だからか?」


「いえ。それは、ある意味、好都合なんですが……」


「……うん。ほんと、それは、好都合なんだけど……」


「じゃあ。相談ぐらいしてみろよ?」


「だ、だからあ!!」


「ああ、もう!!戦場での鋭さは、どこに行っちゃってるんですか!?」


 双子に怒られちまう。オレは、何かを見落としているらしい。一体、何のコトだろうか。もしかして、ルクレツィアが二人の恋愛対象なのだろうか?


 ちょっと面白いカップリングだな。


「……彼は、故意にやっているのかな?」


「いいや。ヤツのフェイスを見ろ。厳つすぎる。眼帯までしてやがるぜ?……さほどモテねえ人生を歩んできちまって、その後遺症を患っていやがるのさ」


「おい。オレを病人あつかいするなよ、ガントリー?」


「兄ちゃん、アンタは、そこそこ病的だぞ?認識がないのか?」


 ……まあ、たしかに、セックス依存症だし、シスコンだからな。オレは、ガントリーの短い言葉を、否定するための返事が、頭に浮かばなかったよ。


「その無言に答えが秘められている。アンタはだいぶ、心がやられているんだよ。戦場に長く居すぎたんだな」


「……殺伐とした人生を歩んでいるのは、認めるよ。でも、きっと、思春期女子たちの恋愛相談ぐらい、乗れるさ?」


「アンタが乗ってもしょうがないんだ。あきらめろ」


「……しょうがないとか、言うなよ。オレ、生きてる妻が三人いる男なんだぞ?」


「その一夫多妻制も、色々とアンタの人生をややこしくしているぜ」


「だが、文化だし?……ストラウス家の復興を考えると、ヨメは多い方がいいんだが」


「や、やった!!」


「い、いいことです!!」


「……ほら?賢い『メルカ・コルン』たちに褒められたぞ?」


「ああ。そいつは良かったな。今度、アンタのところのヒドい文化大系を、ゾーイちゃんあたりに聞いてみな」


「ゾーイは、気に入った女を誘拐してきて、ヨメにするという我が家の伝統を、あまり好ましく思ってはいなかったぞ」


「だろうな。そいつはヒデえぞ。蛮族の行いの中でも、かなり低俗な文化だ」


 オレのお袋は、いつも笑っていたぜ?


 戦のせいで早死にしちゃったけど、悪い人生じゃなかったんじゃないかね。親父のことが嫌いなら、ナイフで首でも掻き切っていたんじゃないかな。


「―――どうでもいいけど、君は、自分の祖国の復興を、自分の子孫だけでまかなうつもりなのかい?」


「いや、そこまで強力な繁殖能力を発揮するつもりはないんだがな。オレだって、魚や昆虫じゃないんだぞ?」


「そうなんだ。僕はてっきり、そういう覚悟でいるのかと」


「……どんな生き物だと思っているんだ、竜騎士サンを?」


「まあ、健全な職業だとも思えないのは確かだがね。アンタの祖国は、やはり、もう少しぐらいは文明を追求した方がいいと思うぜ」


「ああ、祖国を取り戻したら、努力はするよ……錬金術師も、招こうと思うしね」


「……そうかい。それは良かった」


 ……鈍感野郎は、オレだけじゃないと思う。オレの節穴らしい目玉も、何かを見落としているようだが―――オレが招聘しようとしている錬金術師のリストに、アンタも載っているんだがな、ロビン・コナーズよ?


「マヌケ男ばっかりだ。こうなりゃ、オレがノーベイ・ドワーフ族の伝統に乗っ取った、我が青春と愛の思い出でも語るしかなさそうだな」


 ガントリーに、そんな色男な側面があるのだろうか?……オレだって蛮族だが、彼だって蛮族だ。女を誘拐してきて、ヨメにしたりした知人なんて、たくさんいるに違いないと思うんだが―――。


「―――た、大変だああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 酒場に、びしょ濡れの村人が入って来たよ。『ホロウフィード』の農民だろうか?雨の中を走って、一度転けたのだろう、ズボンの膝が破れていたし、膝小僧から出血していた。


 ……緊張感が高まる瞬間だったよ。


 もしかして、オレたちが、あの町外れの廃墟で、『紅き心血の派閥』の連中を殺したことが、バレちまったのかな……?


 あの作業を見られたとは思えないが……今朝、あの協会の跡地に行き、まだ柔らかい墓場の土を不審に思って、それを掘り起こしたら……新鮮な死体が10人分も見つかり、それらが確実に他殺によるものだということも理解できるだろうな。


 バレたのだろうか?


 ……衛兵でも呼ばれるのかね?


 そうなれば、休日の朝から、衛兵殺しを楽しまなくてはならなくなるな。


「ま、マスター!!せ、戦士はいるか!?」


「―――戦士を探しているなら、ここに四人いるぞ」


 こちらから名乗り出るよ。まだ、衛兵の気配はないから、ちょっと暴力的に脅して、騒ぐのを止めてもらおうとか……色々と考えている。


 だが、その帝国人の村人は、オレたちを見て、怯えるどころか喜んでいた。


「いたあああ!!ああ、戦士さまああ!!」


 戦士さまだと?


 旅する武装した男を、そんな風に頼るとか……どうかしているな。


 まあ、そんなことを村人がするとすれば、理由はただ一つだけだな。


「……オレたちを、雇いたいのか?」


 ……こいつは、予知能力じゃないよ。洞察力というほどでもない。そもそも、それ以外に、村人が喜んで旅の戦士になど話しかけてくることはないだろうって経験則だ。


 さて、せっかくの休日なんだが―――ハナシぐらいは聞いてやるのも騎士道だろうな。この泥まみれの男は、まるで慈悲深い聖女サマにでも出会ったみたいに、歓喜のシワを顔に刻んでいるのだから。

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