第六話 『青の終焉』 その23


 戦場の歌は終わることなく響いて、寒々しく冷えた地下の空気を震わせていたよ。


 アルカード騎士どもが、鋼を揺らしながら剣を振り回し、鎧をまとって踊っていた。拒絶の意志を体現するかのように、『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』は、あの無数の触手で騎士を蹴散らそうと暴れている。


 崩れた通路の裂け目から、オレはシャムロックを探すために戦場を見た。


 呪眼、『ディープ・シーカー』を使う……あの水色の輝きを放つ霊泉が、ゆっくりと美しさを失い、白と、波紋の黒線へと変貌していく。色彩を失うことを代償にして、オレの見る世界は時の流れを遅くする―――。


 戦場の全てが静止する……騎士どもの動きが止まり、暴れる醜い触手らも、緩慢になる。白と黒のコントラストと、輪郭だけの世界のなかに……オレは、いつかこの手で殺すべき男を捜していた。


 マキア・シャムロック。


 『青の派閥』の錬金術師。『青の強化薬』と呼ばれる、狂薬を戦場に持ち込んだ罪深い男だ。全てがその薬のせいではないが、アリューバ半島の無辜の民たちを虐殺することにつながったのだ……罪は、償わなければならん。


 その命をもっての贖罪だけが、虐殺の炎に焼かれた、黒き魂たちの手向けの花に相応しい。亡霊たちの宿る竜太刀で、その首を斬り落としてやりたい―――死神みたいな気持ちになって、オレはアンタを探したよ。


 しかし、戦場で目立つのは、アルカード騎士ばかりだ。


 彼らの数は、もう十数人といったところだ。勇猛果敢に剣を振り上げている。皆が負傷しているが、怯むことはないようだな。


 霊泉には、搾り取られて『捻れた死体』が浮かんでいた。そのせいで聖なる泉の水を、口に含む気は起きなくなる。もちろん、モンスターの根が張り巡らされている時点で、飲みたいなとどとは発想しないだろう……。


 『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』は、猛威を振るっている。無数の触手を走らせて兵士を縛り、酸性の体液の雨を吹きつけ、本体部の枝で編まれた肉体は獣のごとく躍動して、騎士の上半身に噛みついている。


 霊泉には黒が染みていた。色彩を失っていても、想像がついたよ。聖なる水を濁らせるその黒は、本当は真紅を宿した命の色だということが。


 それは粘るように沈みながら、水の中でもがくように広がるからな。


 世界は……とてもカラフルで、霊泉の聖なる水色の輝きと、鋼に裂かれた魔木が赤を帯びた体液を放ち、緑の触手に絞られた肉からは血潮がぶち撒かれているんだよ。


 白と黒のなかで、ククルの長い髪が踊りながら静止していた。『魔女の尖兵』として振る舞う彼女は、弓を引いていたよ。そそのかしたアルカード騎士たちの戦列に並び、彼らの突撃を援護するために矢を放ち……魔術を唱えていた。


 シャムロックは……なかなか見つからなかったよ。だから、オレは魔眼が時間切れだと不快な痛みを放つのも無視して、あの黒髪の錬金術師の姿を戦場に探したんだ。多分、『シンシア/ゾーイ』のためにな。


 ようやくだが、ヤツを見つけたよ。


 戦場の片隅に……無様に倒れていやがった。ああ、ダメだ……霊泉に仰向けになっている。浮いているのか……?静止した世界では、よく分からない。


 だが、黒髪の錬金術師は、この白と黒の世界においては、見つけてしまえば、まるでいつもとそう変わらないように見えたよ。あの鋭い猛禽のような貌は、いつにも増して歪んでいて……オレが見る限り、手足の数が一本ほど足りなかったのさ。


 左腕を、食い千切られていた。


 そこから霊泉の白に黒が解き放たれていたよ。そうさ、きっと、本当は赤い黒なんだ。シャムロックは、『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』にもやられていた。


 おそらくは、朦朧とした意識のまま、この戦場に迷い出てしまい―――25年前と同じように、『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』に襲われた。ただし、今回はかつてのように『オレ/イモータル・ヒドラ』は近くにいなかった。


 何故かって?


 あの落下の時間の果てに、側頭部を岩か何かで強打して、そのまま何時間も眠っていたからだ。『パンジャール猟兵団』の団長ともあろう者が……何をしているのだろうな。


 守るべき護衛対象を、モンスターの触手なんぞに捕らえられていた。気絶さえしなければ、この状況は起きてはいないだろう。


 オレが不在のせいで、シャムロックはククルに刺されてしまった。そして、血が足りない状態なのに、シャムロックは戦場に迷い出ることにもなった。


 触手に左腕を絡め取られて骨を砕かれながら、この通路に開いた亀裂から、虫けらみたいに軽々しく引きずり出されていき……肉が耐えられなくなり、腕がもげた。


 ああ。


 スマンな、クライアントよ。


 どうにもこうにも、オレは―――自分に怒りを覚えてならないぞ。何をしていたんだろうな。アンタの命は、オレにとっての報酬でもあるんだぜ……アンタを殺すべき男は、このソルジェ・ストラウス以外の誰でもあってはならないというのに。


 ……シャムロックは、生きているのだろうか……?


 ……わからんが。


 すべきことは、わかったよ。


 呪眼の時間は終わりを告げる。酷使しすぎた左眼が、オレの行いを非難するために、赤い涙を流すのさ。


「……ソルジェ・ストラウス、おじさまはいたの?」


 背中に浴びる不安げな声に、オレは振り返ることもないまま、うなずいた。霊泉に仰向けに浮かぶマキア・シャムロックは、やはり周囲の聖なる水を赤黒く染めてしまっている。


 彼の容態を『シンシア/ゾーイ』に伝えることは出来ないな。シンシアが強く出てしまえば、戦闘能力は皆無だ。あの『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』も、アルカード騎士どもも彼女を狙う可能性はあるんだ。


 今は、とにかく、強くあって欲しい。


 アルカード騎士どもが、どこまでシンシアを『聖女』扱いして確保しようとしているのかは不明だが―――これ以上、オレの護衛対象を傷つけてたまるかよ。


「……作戦を伝える。オレがシャムロックを回収しに走る。ゾーイ、君はこの退路を守ってくれ」


「わかった」


「決してここを離れるな。モンスターのいやらしくて臭い触手だろうが、君を聖女などに祭り上げようとしているバカどもではなく、シャムロックとオレのために、この退路を守れ。近づくヤツには、容赦なく『炎』をぶつけてやれ。いいな!」


「う、うん!」


 問いかけるのではなく、命令口調でそう言い残し、オレは戦場へと駆けだしていく。触手と騎士が乱舞し、鋼の歌と鎧をも融かす強酸の雨が降る、その修羅の場は、魔王の行進をも受け入れてくれる。


 シャムロックを目指す。シャムロックを目指すが―――その前に立ちはだかる障害物には、容赦をすることはない。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ノドを振るわしながら、怒りを放つ!……誰にでもない、自分自身への怒りだ。不甲斐なく失神し、護衛対象を守る任務を達成できなかった、あまりにも不完全な男に対するな!!


「ひぎゃ――――――!?」


 アルカード騎士を背後から真っ二つに斬り捨てていた。騎士道に反する行い。正道にあるまじき『背後からの強襲/バックアタック』。


 ……だが、いいのだ。かまわない。今のオレは、騎士ではない。ただの猟兵。戦場で、敵兵の命を狩るためにだけ存在する、冷たく残酷な鋼の申し子。


 竜太刀が裂いた鎧の奥から、爆発するように出血が起こる。戦闘の熱にたぎる血潮を浴びながら、脚が動く。大地を踏み抜き、加速する。勇猛さではない、ただの怒りのままに来る本能的な衝動。


 目の前で動く邪魔モノの全てに対して―――オレは激怒と共に鋼をぶつけて叩き斬るだけだ!!


「な、なに!?」


「貴様!!誰だ!?」


 間抜けなアルカード騎士どもが、返り血を浴びて走るオレに気がついた。気にくわねえ。傭兵と組んで、錬金術師どもを殺したか?……権力争いだか、貴様らの掲げる学問の道を走るのに、『青の派閥』が邪魔だったのか?


 どんな理由を背負ってのことなのか知らないが……オレの獲物を横取りしてるんじゃねえよッ!!


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」


 体勢を整えきれぬままの騎士どもに、怒れる灰色熊のように襲いかかっていく!!竜太刀がアーレスの色である漆黒をまとい、竜爪がエルフの弓姫のくれた祝福の『雷』を帯びる!!


 二種類の鋼が、それぞれの歌を放ち……刃と爪に切り裂かれた名も知らぬ敵が、真紅を爆発させながら床へと倒れていく。命を越した感触を指に残したまま、血に飢えた魂が、死神の声で、もっと殺せと囁いてくる。


 だから?


 だから、きっと……オレの唇は歪むんだ。獣のように歪曲し、牙が戦場の風の冷たさを知り、獣の本質を体現する嗅覚が……血霧の味を愉しんでいる。


 死に行く魂の味と共に、殺意と狂気に満ちた戦場の空気を腹一杯に吸い込んで、ストラウスの剣鬼は、笑うんだ。


「な、なんだ、コイツ!?」


「なんで……わ、笑っているんだ……!?」


「……はあ?そんなもの、戦うために、決まっているだろうがああッッッ!!!」


 視界に入ったアルカード騎士どもへ、死を与えるために疾走する。正面からの襲撃に、一人目は大剣を振り下ろすことで対応しようとしてくるが……想像を超えた速さという理不尽も世の中にはあるんだよ。


 『チャージ/筋力増強』を帯びた脚の筋肉が、爆発的な加速をオレに与えていた。『雷抜き』。グラーセス・ドワーフ王族の、秘伝の技巧だ。一瞬のうちに、20メートル近く走れる、ドワーフの奥義さ。


 騎士のブラウンの瞳に、『雷』の火花が見えたよ―――脚のそれではなく、竜爪に宿ったリエルの祝福だ。サディスティックな肉食獣の貌で牙を剥きながら、食欲みたいな殺意を込めて、竜爪は獲物に喰らいつく!!


 ズグシャアアアアアアアアアアアアアアッッ!!


「ぎゃはああああああああああああああああああああッッッ!!?」


 騎士の顔面を残酷に破壊してやりながら、致命傷を負わせた『それ』を投げ捨てる。霊泉のほとりに騎士が倒れていく。いいや、剣から指を離して、破壊された顔面を手で覆うそいつは騎士などではない。


 生きているのに、戦いから逃げたか。その姿勢には、どうにもこうにも怒りが生まれる……。


「二流め……ッ」


 戦士でさえ無いモノに、慈悲を与える価値などない。止めは不必要だ。しばらく悶え苦しみ死ねばいい。臆病者から視線を外し、すぐそばでガタガタと震えている騎士を睨みつける。


「は、速すぎるだろ……っ!!お、お前、だ、誰だよ!?何なんだよ一体ッッッ!!?」


「オレが誰だと?……お前の敵に決まっているだろうが」


「く、来るなあああああああああああッッ!!?」


 そう叫びながらも、ヤツは斬りかかってくる。矛盾を覚えるがね。かまわんよ。そっちから来てくれるのならば、問題など何もない。


 こちらも竜太刀を振り、お互いの刃が競り合うように衝突する。そいつは、オレの一撃に圧倒されなかったよ。


 なるほど、『レイオット・チルドレン』という連中か。この男の腕は、やけに巨大だな。どうやら、モンスターの腕でも移植したらしい。


「ど、どうしてだ……ッ。オレの、腕……ッ。オーガの筋繊維で、博士が作り直してくれたのに……ッ!ご、ご、互角ぅ……ッ!?」


 蛮族の血と鍛錬が生んだ、『ただのバカ力』さ。常識を少し越えたぐらいの筋力へ到達するために必要なのは、別に『人体錬金術』だけじゃないんだぜ。


「―――『風』よ」


 魔術をつぶやき、『風』を呼ぶ。そいつのノドに施していた『ターゲッティング』に向かい、『風』の刃が刹那の斬首を刻んでいた。睨みつけたときに、呪っていたのさ。無意味な時間は費やしたくない。怒っているが、急いでもいるんだ。


 深くはないが、頸動脈を外科医のような精確さで切り裂いてはいる。爆発的な出血が始まり、異常な錬金術の徒は想定外の出血に怯えてしまったよ。


 理解の及ばぬ現象への困惑に駆られ、その錬金術師でもあるらしい騎士は、オレから離れていく……生き抜くための本能的な逃避行動だが。戦場で逃げるときは、『恐怖』の対象を見ながら動くべきではないな。


 それでは、遅くなるぞ。


 不安を捨てて、ただただ走り去るべきなのに、ヤツは、オレを見つめていやがった。首を捻りこちらを見ている。怯えた瞳で。だから、オレに追いつかれて、その背中を斬り裂かれるんだよ。モンスター混じりは、油断しちゃいけない。


 ちゃんと、止めを刺してやるさ。


 倒れたそいつに向かうが―――オレは獲物を不作法な怪物に横取りされていたよ。


 ズギュシャアアアアア!!上空から落ちてきた巨大な植物の触手が、そいつの命を終わらせてしまう。心臓を、精確に貫いていやがるな。


 知恵が利く。やはり、『ベルカ・コルン』が融かされているのか……『賢者の石』という状態にされて。


 『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』が、シャムロックに向かうための道を塞ぐように、その巨大な本体をうねらせながら霊泉の浅瀬を這ってくる。オレをこの戦場における最大の脅威と認めたようだ。


 ……なんだって、いいさ。


 シャムロックのところに急いでいるんだ。通らせてもらうぞ、『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』よ。

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