第六話 『青の終焉』 その13


 ―――――――っ!?


 意識は唐突に覚醒する。そうか、生きていたか……しかし、どうなっている?……首の骨でも折れていたら、意識があるだけ損した状況かもしれないぞ。指一本動かせないまま、口臭のキツそうな『徘徊する肉食の小鬼/ゴブリン』なんぞのエサになるのはキツいな。


 恐る恐る、指を動かす。手の指は、動いた。右も左も問題なく。足の指も動いたな。握りしめることが出来た。安心する。背骨が折れてはいないようだ。あとは……かなり怖いが、ゆっくりと体を動かしていく。


 想像していた通り、あちこちが死ぬほど痛い。墜落の打撃で、死にかけたようだが……どうにかこうにか、生きているらしいな。


 体中が痛い。どこかを一ミリでも動かそうとすれば激痛だが……動けるということは、幸いだな。オレは、暗闇のなかをゆっくりと起き上がった。


 『上空』を見上げる。魔眼は、まだ消えているから、見えるのは闇ばかりだ。しかし、わずかにヒカリゴケが生えているな……おかげさまで、どうにか周囲の景色の『輪郭』が分かる。ああ、ゆっくりとだが、生者の世界に戻っていくようだ。


 呼吸を整えながら、周囲を見渡していく……崩落してきたものか、大小さまざまな大きさの石が、転がっているな……。


 仲間たちを探した。


 ククル、シャムロック、『シンシア/ゾーイ』……。


 どこにも死体はない。埋もれるほどには落石も無かったようだ。『ゾーイ』の爆炎が、岩を粉々に破砕してくれたおかげかな。オレたちはついている。しかし、『ゾーイ』を呼んだことを、シャムロックは快くは思っていないだろう。


 だが、結果としては最善だったのではないか?……どうにか、死は免れた。オレが生きているんだ。人間族より頑強な肉体を持つ『コルン』たちは生きているはず。シャムロックは、心配だな。50前の肉体に、この落下を耐えられる強さはあったのか―――。


 ……いいや。死体が転がっていないんだ。ヤツの生存をあきらめるのは、まだ早い。何か、ないか……手探りでもいいから、探そう。欲しかったんだ。何か、オレの心を明るくする情報。そいるが、どこかに無いものか……。


 暗がりに沈む周囲を探索するために、動き始めた足が……何か、硬いモノにぶつかっていた。


「……なんだ?」


 オレは足下に転がる物体へ、腕を伸ばした。それは……金属の物体。見た目よりも重くない?……ミスリル製か……いや、こいつは、ちょっと、歪んでしまっているけれど……見覚えがある。


「……ククルの被っていた兜か……?」


 落下の衝撃で、外れてしまったのか……まずいな。『ベルカ』の土地に、『メルカ・コルン』が侵入すると、『魔女の尖兵』になってしまう危険性がある。それを、防いでくれていた兜だぞ。


「……ここは、『ベルカ』になるのか、それとも、そうじゃないのか……ああ、クソ、分からねえけど……ククルをさっさと見つけて、かぶせてやらないとな……」


 あれから、どれだけ時間が経ったんだ?


 懐中時計をまさぐるが……止まっていた。ギンドウ手製の、相当、頑丈なアイテムだが、限度というものがあったらしいな。夜の9時14分で停止したままだ。ゼファーのアイテム・パックのなかには予備があるんだがな……。


 いいさ。


 今は、あの三人を探そう。合流して、ここから脱出しなければな。『アルテマのカタコンベ』であろうが、そうでないダンジョンの範囲になっていようが……この土地のダンジョンは、モンスターであふれていることには変わりない。


 周囲を探す……。


 だんだん、暗がりに慣れて来て、視界がしっかりとしてくる。頭を打ったダメージも脱け始めているのだろうな。目尻の横を触ると、固まっていた血が、ザザザと乾いた音を立てて崩れたよ。


 ……数時間は経過しているのかも。あんまり長ければ、モンスターに喰われているだろうしな……。


 回復しつつある視力を用いて、周囲の捜索をつづけた。石ばかりが見つかる。だが、竜騎士の耳が、その音を暗がりの果てに聞き取っていた。


 水だ。


 水滴の音。ピチャリというやさしげな雫の音だ。どこか近くに、そいつはあるぞ。本能的に、その場所へと足が向かっていた。ノドが渇いているからかもしれない。それに、水の音というのは、ヒトの心を楽にさせる……ヒトは、その音が好きなものさ。


 他の連中も、この音に惹かれて、その場にいるかもしれない。


 都合が良すぎる考えか?


 いいや、遭難したときは、水と食糧の確保が優先だよ。あの知性派三人組なら、そういう行動を取るんじゃないか?……オレを置いていくあたり、シャムロックと『ゾーイ』ならやりかねない。


 ……ククルはオレを置いていくことなんてしないと思うが…………考えたくはないが、この兜を捨て置いている以上、冷静な状態ではないだろう。シンシアにおける『ゾーイ』のように、全くの別人格が発生しているのだろうか?


 『星の魔女アルテマ』に忠実な、『魔女の尖兵』という状態になっている……?


 ……ああ。何か、状況を判断するための手がかりが欲しい。叫ぶか?……モンスターを呼ぶ可能性を考えて、やめておいたのだが……うむ。今のオレは、どれだけのモンスターと戦えるかね?


 叫ぶのは、中止だ。


 せめて、もう少し時間が欲しい。回復するための時間がな。骨は折れちゃいないんだ。体も動く。筋肉が断裂しているわけじゃない。擦り傷と打撲の腫れ……そういうものだけだ。しばらく体を動かしているあいだに、痛みには慣れてくれるさ。


 今は。


 そうだ、水の音を追いかけよう。


 湿り気を帯びた闇のなか、ヒカリゴケの生えた壁に右手を突く。光りが一瞬強まるが、すぐに魔力を放出しすぎたのか、ヒカリゴケの光は消える……しかし、しばらくすると、薄緑の輝きを取り戻すのだ。


 オレは、ヒカリゴケの反応を面白がっていたわけじゃないが、痛む体を移動させるために、ヒカリゴケの平穏な日々をちょっとだけ破壊させてもらう必要があった。体が重たくてね……ちょっと、壁に体を支える必要があったのさ。


 今、『醜い豚顔の悪鬼/オーク』級のモンスターに絡まれると、かなりシビアな戦いをしなくれはならないだろうな。とんでもない弱体化だ。オークなんぞ、5、6匹同時に相手するのが丁度いいような雑魚だというのに。


 ……イラつくのはやめておこう。


 呼吸を意識するのさ。竜騎士の呼吸。体力を回復させることにも、精神を落ち着かせることにも機能するからね。


 痛む体を引きずって、オレは水滴の音を追いかけた。


 それは、ヒカリゴケの生えた壁のあいだから聞こえて来ていたようだな。扉のない入り口の奥に、小さな部屋が存在している。ずいぶん、昔に崩落したのだろうか?部屋は半分近くが土砂に埋まっていた。


 床石は、崩れて来た土砂の重みで沈んだのか、奥に行くほど沈み……その沈んだ床石のあいだに光る泉があったよ。


 不思議な光景だが、初めて見るものではない。


 『霊泉』と呼ばれる湧き水だよ。大地に融けた魔力が、水に混じることで産まれる泉とされている。魔力を秘めた鉱石が、地下水によって削られることで、その水はうつくしい魔力の輝きを帯びるとか。


 水色にかがやくその霊泉の水は、飲んだとしても害はない。毎日のように何年間も飲み続けると、腎臓がやられるというウワサ話はあるが、オレはこの泉に何年間も世話になるつもりはないのさ。


 冷泉の前にしゃがみ込む。馬か犬みたいに四つん這いになってね。その小さな泉は、上空からの雫と、そして、下から湧き出た水によって構成されているようだ。水底からは、小さな泡が、遊ぶように揺れながら浮かんでくる。


 底には沈殿した鉱石が、結晶化し始めているのだろう。美しい水色の光をはなつ、天然の魔石があった……幻想的な光景だ。その魔を帯びた光を浴びて、水底にはわずかばかりの水草が踊る。


 小魚はいないが、植物が生息出来ていることには安心を覚えるね。水色の霊泉は飲めるとは聞いているが、何にでも例外はつきものだ。ここは、『星の魔女アルテマ』がいたような土地だしな。


 オレは……両手を使い、その霊泉の水をすくって一口飲んだ。


 いい味だ。すこし、コリコリとした硬質な印象を持つ。嫌いじゃないし、即効性の毒は無さそうだ。むしろ、魔力が融けている水なだけに、オレの疲弊した肉体には、魔力の補給となってくれる。


「ふう……」


 ため息を吐きながら、霊泉のそばに腰を下ろした。さて、これからどうするか?……まずは、体の痛みを消したいところだな。頭もようやく衝撃のダメージが脱けてきたのか、ちょっと回り始めている。


 腰裏の医療パックへと指を伸ばしていた。ああ……注射器の類いは壊れているし、薬瓶も割れている……だが、その包み紙は無事だった。


 エルフの秘薬は飲み薬や注射液ばかりじゃない。保存や、運搬を考えれば、むしろ粉末薬のほうが都合がいいってことは分かるよな?……森のエルフ族の秘薬にも、粉薬バージョンは豊富にある。


 水がないと使えないから、薬液よりも使うことは少ないが……ちゃんと常備していあるのさ。ほら、見つけたぞ。


 革製の袋のなかに、紙で三角形に折られた包みに封じられた『エルフの粉末薬シリーズ』を取り出した。色々ある。水に溶かして使うんだ。あるいは、クソ苦いのをガマンして、舌で舐めるのもいいが。


 即効性を得たければ、舌の裏側……いわゆる舌下にこの粉薬を置くのさ。それなりに苦いけど、舌の上よりはかなりマシ。オレは、『痛み止め』、『傷薬』、『魔力回復薬』の粉末を、使うことにするよ……。


 エサの乗った皿を目の前にした犬みたいに、オレは大きな口を開ける。そして、舌を上げて、粉末薬をその場所に大量投入していく。ああ、苦いし、粉っぽい。粉がノドに絡んで、咳き込んでしまわないように口を閉じる。


 唾液が粉末薬と混じり、ミアが『絶対ムリだもん!!』と言う地獄の苦さが始まった。粉薬も効くんだが……この何とも言えない苦味との戦いが、辛い……。


 何時間前になるのか分からないが、バターロールとクッキーと甘い紅茶を飲んでて良かった。リエル曰く、粉末液は食後が最適だそうだ。食後……どれだけ時間が経っていることやら?


 霊泉の光をじっと見つめながら、舌の裏で粉薬が融けるのを待つ。苦さを感じるが、さっそく森のエルフ族の秘伝が効果を発揮し始めていたよ。


 激しく苦い薬が、オレの舌を痺れさせながらも、舌下にある静脈から体に染みこんでいく……薬液の注射には敵わないが、この舌の裏側で融かす粉薬も、それなりに即効性が高いんだよね。


 霊泉の魔力と、『魔力回復薬』が、蛮族の血に魔力を与えていく。あとは、鼻を使った竜騎士の呼吸を続ける。ゆっくりとした呼吸で、空気中に融ける魔力を回収し、血に魔力を与えるのさ。


 ……二分もしないうちに、左眼の視力が回復したよ。魔眼が形を成せるほどには魔力が回復してきたようだ。これで、闇はオレの脅威じゃない。


 痛み止めも効いて来たのだろう。体を動かしても痛みが少なくなった。あとは、動きながら薬が体に回るのを待つとしようじゃないか。霊泉に顔面を突っ込んで、その水を犬ころみたいにガブガブと飲んでいく。


 舌の裏にある粉末薬を、胃袋に押し込むんだよ。口のなかに粉薬を入れたままでは、地下ダンジョンの冒険には向かないからな。


 霊泉から顔を上げる。首を動かしても、痛みはほとんど感じない。いいカンジに、薬が回ってきてくれている。オレの経験上、あとは酒さえ呑めれば完璧に痛みを気にすることなく動けるようになるんだが―――ワガママは言えない。


 口の周りについた水を、篭手の鋼で無理やりに拭いながら……肉食獣の貌になる。


「……さてと、冒険再開というこか」


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