第五話 『戦場は落陽の光を浴びて、罪過の色をより深く……』 その9


 ゼファーから降りたオレたちは、ククルをあの林に置いて、廃墟と化した『ベルカ』に近づいていく。あちらの見張りは四人しかいないからな。廃墟の影に隠れながらなら、オレたち猟兵の接近を悟られることはない―――。


「あまりに警戒していないな」


 三世紀前から潰れたままになった家屋、その壁に背中を預けながら『ベルカ』の城塞をヒマそうに歩いている傭兵をのぞいていると、リエルが感想をくれた。オレはかうなずきながら返事をしたよ。


「……そうだな。いくらなんでも不用心過ぎる」


 リエルもオレに並ぶようにして、壁に背中を貼り付けてくる。リエルは魔力と……そして音で敵兵の位置を予測しているようだった。彼女はオレの命令があれば、即座にあの気の抜けた見張りを射抜くさ。


 だが、まだ、そのタイミングではない。リエルは弓に矢をつがえたまま、オレに質問をつづける。


「……なあ、ソルジェ。『黒羊の旅団』どもは、騎兵の護衛つきの馬車を襲うような『大型モンスター』、その存在を、連中は認識しているはずだったよな?」


「そうさ。ヤツらは、知っている。だが、それでも気が抜けているな……」


「どういうことだ?」


「きっと、『嘘つき』がいるんだよ。マニー・ホークたちを襲った『大型モンスター』らしき存在を、仕留めた……そんな風にでも、嘘をついたんじゃないかね」


「『脅威を排除した』―――そう言えば、あれだけ緩んでも仕方がないか」


「だと思うぜ。それに、ヤツらは油断はしているが、足運びだけでも一流なのが分かるほどだ、いい腕しているよ。油断はしているが、並みの兵士の水準をはるかに上回る能力を発揮してやがる」


「……たしかにな。だが、我々、『パンジャール猟兵団』の水準には、遠く及ばないぞ」


「そうだな」


 オレは自慢げに唇をにやつかせる。


「しかも、あれだけ油断してくれているのなら、楽勝だな」


「ああ……とはいえ。この警戒の低さは……あえてだな。本来なら、いくらなんでも、もう少し人員を配置すべきだろうよ」


 ベテランの傭兵団らしからぬ配置と態度だ。それは、ここまで近づいて戦場の空気を肌で感じていると、ますます強い違和感となり、オレの心のなかにある連中への疑いを深めていく。


「ずいぶんと、様子がおかしいな」


「うむ。これは、『誰』の意図が反映されてのことだろう」


「……おいおい。答えが分かりきっていることを訊くなよ。もちろん、シャムロックではない方さ」


「では、『ヤツ』になるな……対面したことはないが、どういうヤツなのだ?」


「なんというか、悪くない人物だよ」


「うむう?そうかぁ?……私の直感では、かなり厄介な人物なのだがな……『命令違反』をするような戦士など、どうしたって好きにはなれないぞ」


「ごもっともだが、『命令違反』と断じるのは早計かもしれんぞ……『ヤツ』が、『誰』に忠誠を誓っているかによるんだ。あるいは、『何』にか……」


「錬金術師どもも大変だな……大金を支払っても、忠誠が手に入らないとはな」


「さすがに8週間は、長すぎたのかもな。それだけあれば、色んなコトが起きちまうだろうよ…………よし、ミアが配置についたぞ。リエル、準備出来ているな?」


「もちろんだ。ミアの合図で、敵を射殺してやる」


 そうさ、そろそろ弓姫さんの出番だよ。


 暗殺妖精ミア・マルー・ストラウスは城塞に張り付いていたからね。廃墟のあいだを疾風のようなスピードと、『風隠れ/インビジブル』の加護が生む無音をまとったまま駆け抜けたのさ。


 まあ、走るだけじゃなく、草むらにスライディングしたり、身を伏せた腹ばいでの移動なんかも混ぜていたがな。


 とにかく、目標地点に到達したミアは、城塞の影に一体化している。気配を消したまま獲物を待っていた。城塞の上を歩く、そこそこ武装した傭兵の足音を聞きながらね。


 あの傭兵は軽装ではない。中ぐらいと言ったところか。


 よくある標準的な装備だな。薄い鋼のプレートを合わせた鎧をまとい、鉄靴を履いて歩いている。武器は弓を持っていて、腰には長剣を差している。


 つまり、遠距離にも対応し、近距離に現れた敵には、剣を抜きながら走っていき、斬りつける―――そういう装備だよ。守備要員としては、最高のコンセプトだ。あの使い古された長剣の柄を見ると、かなりの経験値を予想させる。


 なかなかの古強者だ。だが、どんなに技巧を高めようが、どんなにいい鋼を使おうが……金属製の鎧というものは、鉄がぶつかるたびに自然界では聞かない歌を放つものだ。金属の甲高い音は、自然のなかではあまりにも異質で、とにかく目立つ。


 ミアの耳とナイフを持った左手の指が、リズミカルに動いている。ムダな動きは合理的じゃない?……たしかに、ミアのリズムは技巧には反映されることはない。だが、敵の足運びと完璧に一致していることには意味がある。


 ああしてタイミングを計っているのさ。敵の歩き方と、立てる音で、そいつの装備の重量や歩幅、体格を読むことがミアには可能だ。


 『風と踊る』のが『妖精族/ケットシー』たちだよ。風に乗る全ての音は、暗殺妖精にあらゆる情報を運んでくるのさ。


 見えなくても十分だ。鉄の歌が、いつ仕掛けるべきかをミアには教えてくれるから。


 ……そして、ついにミアは動いたよ。右手の指が持っていた小石を、草むらへと投げていた。わずかな音だったはずだ。風に呑まれて、150メートル離れたこの場所には、まったく音が聞こえなかった。


 まあ、リエルの耳には聞こえていたようだがな。そこは森のエルフさん。種族的なアドバンテージが彼女にはある。


 人間族には小さすぎる音は聞こえない。だが、足下近くでの音だからね、傭兵の耳には聞こえたのさ。いい反応だったよ。鎧を装備しているにも関わらず、素早くステップを刻み、城塞のふちに踊り出る。


 弓に素早く矢をつがえると、足下から聞こえた音の正体を、彼は探していた。


 草むらを見ている。ちゃんと音がどこでしたかを把握している。有能な戦士だと感心するな―――それだけに、納得が行く。彼が『ヤツ』にとって、『どちらの立場』であったとしても……この場所に配置される理由はある。有能だからだ。


 彼は必死に首を左右に回していたよ。草むらに隠れることが可能な背の低いモンスターか、あるいは晩飯をグレードアップしてくれるウサギさんでも探していたのかもしれないな。


「―――やれ」


「了解だ」


 リエルが廃墟の壁から踊り出て、一瞬の内に矢を放っていたよ。


 その矢はまっすぐな軌跡を描き、草むらにウサギがいないことを残念がる傭兵の眉間に深々と命中していた。命は、あの瞬間に消えたのか?それとも数秒つづいたのか。猟兵のオレも知らないことだ。


 だが、彼は意識を保てないし、体の動きも制御できない。彼はそのまま身を乗り出していた城塞から、真っ逆さまになって落ちていく。頭から落ちたな。ミアは、落ちてきた死体の足を掴み、後ろ向きになって引きずり始めたよ。


「行くぞ、リエル」


「うむ!」


 オレとリエルは全力疾走だ。敵の見張りが少ないからこそ、一人仕留めるだけでこんなことも出来る。


 ミアはオレたちがたどり着く前に、『ベルカ』の民家の古い井戸の手前まで、死体を運んでくれていたよ。それから先は、腕力には定評のある蛮族のお兄ちゃんの仕事だな。


 その傭兵の死体を抱き上げると、その古い井戸に投棄する。


 すっかりと潰れてしまった井戸だから、底は浅い……2メートルも落ちることなく、死体は何かに引っかかっていた。植物の根が張っているのか、あるいは土砂がそれだけ滞積しているのか。


 何にしたって、構わない。


 近くにやって来て、井戸を覗き込まない限りは、この死体は発見されることはない。それが重要なことだ。オレたちは死体を隠した。プランは成功している。


 あとは……城塞の上を歩いて回る連中に、地面を引きずった跡を気づかれぬように、ミアが呼んだ『風』で地面をお掃除する。『風』が、地面についた痕跡を隠す。細かいが、これは必要な仕事だ。


 さてと、痕跡はほとんど片づけた。あとは、このまま城塞の内側に侵入するだけだ。


 300年放置されていたおかげで、あちこちが崩れている城塞だからな。その『避け目』は大きく、時の経過に鋭さは削られて、ちょっとした坂道のようになっている。


 もちろんそれは平坦な道ではないが、獣のような脚力があれば、簡単に上れてしまうよ。猟兵の脚なら、もちろんそんなことは難しくない。


 『風』を使える三人だしな。『風隠れ/インビジブル』の魔術で足運びと着地の音を殺してしまえば、ほとんど無音で城塞の内側に忍び込めた。


 さあて、古びて、崩れてしまった『ベルカ・クイン』の城。その中庭のような場所には積まれた瓦礫と、『魔女の地下墓所/アルテマのカタコンベ』へと続く入り口が開いている。


 迷うことなく、我々はその穴に飛び込んでいくよ。


 もたもたしていれば、城塞の上を巡回している敵兵どもの視界に収まるかもしれないからだ……敵にこちらの存在を知らせてやる必要はない。殲滅を開始するタイミングではないのだ。


 まずは……シャムロックの確保が最優先。そして、その次がシンシア・アレンビー。シンシアは地上にある錬金術師たちのテントにいるのだろうが、武術と魔術を使いこなすシャムロックは、人手不足の現在、どこにいるのかね?


 地上のテントか?


 いいや、そうではないだろうさ。シャムロックは、この『地下』にえらくご執心だ。色々なモノがあるからな。錬金術師にとっての『宝』は多く、それに……もっと、俗物的な宝もありそうじゃないか。


 ……なあ、シャムロック。アンタは、このダンジョンの奥で、傭兵たちに混じり、その冒険を手伝うフリをしながら監視するために、最前線近くにいるんではないか?……アンタも、どうせ疑ってるだろ。『ヤツ』の忠誠は、どうにも怪しすぎる。


 オレは直接、話したこともないっていうのに、『ヤツ』が怪しくて仕方がない。仕事を共にしていたアンタなら、もっと『ヤツ』を疑っているんじゃないかね?


「……っ。お兄ちゃん、モンスターの死体だ!」


 先行していたミアがそう言ったので、オレは思索よりも現実に集中する。


 そうだ、たしかにモンスターの死体があったよ。


「一刀両断だな。いい腕だぞ」


 リエルがその死体を見て、その印象を語った。同意できるな。錆びているとはいえ、金属製の鎧をまとった、『徘徊する肉食の小鬼/ゴブリン』の体を切り裂いてしまったか。


 『アルテマのカタコンベ』はモンスターの巣窟……ククル曰く、モンスターを養殖していた、『人体錬金術』の実験場。


 その呪われた歴史は、いまだに健在のようだ。


「いきなりモンスターの死体と出会えるなんて、ダンジョンらしいダンジョンだな」


 左の首のつけ根から、右の脇腹までを、深々と切り裂かれたそのゴブリン。その死体の血は乾いているが、数日経過したものでもあるまい。通路のはしに、脚で蹴られるようにして寄せられているな。


 ゴブリンのものと思われる血だまりが、通路の中央に赤黒い水たまりとなっていたよ。殺害現場は、道のド真ん中。この小鬼ちゃんは、今朝にでも侵入してきた『黒羊の旅団』の剣士たちに斬り捨てられたようだな。


 今朝だと判断する理由は、ゴブリンの傷口を見れば分かる。深い傷口からは、痩せた小鬼の少ない脂肪が飛び出ている。その黄色い脂肪は、血と違って、まだ乾いちゃいないからだ。


「……五層目までは確保しているとか言っていたが、このゴブリンは門番として、ここにやって来たのか?」


「……ククルから渡された地図には、『賢いゴブリンにご注意を!』の注意書きがあるぞ」


「賢いの、この子?」


 賢い、その概念を与えるに相応しい存在なのか、ミアには疑問に思われるようだ。その無様に一発で切り裂かれて即死したモンスターのツラは、『知性派』ってイメージではないのは確かだがな。


 茶色く濁った肌と、深いシワばかりの歪んだ顔で、鼻はニンジンみたいにデカいし、耳まで裂けたキツネのような口をしている。


 たとえば、『これ』に知性の化身である眼鏡なんてモノをかけさせたところで、状況は改善されないだろう。ただの悪ふざけにしかなるまい。


 豚と不細工とキツネを混ぜて、土気色に塗りたくったような顔面だ。賢者のスマートさを宿すことは、どうあがいてもムリだろうよ……。


 だが。見た目で知性を判断してはならない。


「ある意味では、『賢い』のかもしれない。コイツは、己の役割を全うしたのさ」


「……ゴブリンさんは、自分の役割とか、判断出来ちゃうの?」


「おそらく、フツーはムリだろ。本能的な縄張り意識ぐらいはあるだろうが……主人の命令に従うことは難しかろう。だが、ここのモンスターは、『ベルカ』の『人体錬金術』で改造されている」


 なにせ、ヒドラなんぞに『人格』を与えたような錬金術だからな……まあ、あの『夢』がオレの妄想だったとしても―――少なくとも、『ダーク・オーク』は『信仰心』だか過剰な忠誠心を持っていたのは確かだろう。


 ヒドラの『生け贄』になることを望んでいやがったからな。ヤツらは、どこか狂気的な文化を発見してしまったようだ。


「……コイツらゴブリンは、このダンジョンの『門番』という役割を与えられているのかもしれないな……脳みそあたりに、呪術とかで命令を描き込まれているのかも?」


「ふむ。ククルたちもそうだが、『呪術で行動を縛る』のは、魔女の『叡智』の得意技ということか……イヤな女だな、『ベルカ・クイン』」


「悪く言うなよ。間違いなく、ルクレツィアと同じツラしてんだし。それに、『人体錬金術』を研究する目的の一つは、おそらく『アルテマの呪い』を解くためだ」


「そうなの?」


「多分な。『人体錬金術』の研究のあげく、『アルテマの呪い』をアメリに克服させたことは事実だ。偶然では、ないだろう」


「……ならば。このダンジョンを探れば、呪いを解く鍵は見つかりそうだな!」


「そうだな。だが、とりあえずは、探検隊どもに追いつこう。連中を排除してしまえば、落ち着いて探索が出来る……なにより、『ヤツ』が何を企てようとも、敵の数が少ないほど、オレたちが状況をコントロールしやすいよ」

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