第四話 『青の野心家と、紅き救い手と……』 その18


『ぶぎぎぎゃががあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』


『ぎゃががぶううううううううううううううううううううううあああああッッッ!!!』


 醜い遠鳴きを響かせながら、ダーク・オークどもは闇を走っていた。沼地で見た動きよりも、格段に速いな。体重のあるこのモンスターどもにとっては、あの沼地よりも、反動を使えるこの戦場の土のほうが適してはいるからね。


「お、オークだと!?」


「なんだ、デカいぞ!?」


 『黒羊の旅団』の傭兵たちは、いきなりの襲撃に混乱することもない。驚いてはいるが、その体は精確な時計の内臓をつくりあげている歯車のカラクリみたいに、しっかりと機能していた。


 大盾を構えた屈強な男が最前列に陣取り、オークの突撃に備える?……いいや、大盾構えたヤツの仕事が、壁ばかりってことはないさ。彼の仕事は、オークどもの意識を自分に集中させること。


 囮だよ。


 豚顔の殺意に黄ばんだ目玉が、その目立つ盾を睨む。その盾には、大きな『目玉』が描いてある。呪術の盾だな。あの『目玉』は視線を誘導する。動物ってのは、ヒトも含めて、自分を見つめる目に意識を取られるものだ。


 ゼファーに軽めの説教を入れる。


 ……あの盾に見とれちゃダメだ。あの盾の派手な目玉は、視線を盗むための仕掛けだ。


 ―――う、うん。きをつけるっ!


 素直な仔はよく伸びるはずだ。ゼファーの視界が、盾から離れて戦場の全てを俯瞰する。そうだ、『傭兵の戦術』というものは興味深く、よく練られている。


 お役所仕事の軍隊とは違って、最も新しい技巧から、最も古い技巧まで。あらゆる策をより多く使いこなすことを求めているからな……パターンを読まれた戦術は脆いからね。


 まあ、あくまでも、そいつは理想であり、現実ってのは多彩さよりも高率さを重視してしまいがちでな。得意な戦術を、より多く選んでしまうというのが、ヒトの性でもある。


 合理的?


 最新の戦術?


 それを良いモノだと考えるのは早計だ。最善だとか最先端の戦術っていうものほど、バリエーションに欠く。攻略されるまでの時間は最も短いものだ。ルール無用の戦場では、相手の思考に混沌を導く多彩な戦術こそが最強である―――。


 さて。


 あの大盾に惹かれたイノシシどもに待ち受ける運命は?


 大盾野郎の背後から横に走り出た、あのボウガン使いの洗礼だよ。2連装のボウガン!いいねえ、この戦術のために作っていたんだろう。横に走りながら重心がぶれない。いい動きだ。鹿みたいに鍛えられた脚をしている。斜面を走って鍛えたかな。


 いい動きだ。


 彼は、小柄だが、だからこそ、この戦術の肝になれる。彼の矢が大盾の魔法に魅入られた敵兵の体を撃てば、その動きは止まる。大盾野郎と、その背後に走り込む戦斧の使い手は、ダメージに怯んだダーク・オークどもを攻撃するつもりだ。


 大盾野郎の肩と、脚の踏み込みを見るんだ、ゼファー。ヤツは受け止める気なんて最初からない。あの大盾と自分の重心を組ませちゃいないのさ。盾の裏で、ミドルソードか、小さいが骨を砕く威力のある手斧。そんなものを用意しているんだよ。


 防御に攻撃を隠す。


 いい戦術だ。


 だが……オットー・ノーランがいる。猟兵には、偉大な先人であるガルフ・コルテスが考えついたことのある策は通じない。


 ―――くくりが、やをはなつ!


 そうだ。この戦術を崩すために、我が妹分、ククリ・ストレガは矢を放つ。その矢が狙ったのはボウガン使いだ。軽やかな牡鹿の脚をもつ戦士の胸に、オークの錆びた矢が撃ち込まれる。


 三位一体の戦術が、崩れてしまう。


 舌打ちでもしているだろうな、戦術の核となる弓兵が死んでしまったから。だから、戦術を変える。柔軟な傭兵たちだ。深夜の戦いだというのに、よく集中力を維持しているな。いい練度だ。


 『黒羊の旅団』……お前たちの本隊とも剣を交える日が来るのが、楽しみで仕方がない。


 だが。


 今夜はオレたちのダーク・オークどもを応援してやらなくてはな!ヤツらは、神殺しの襲撃者であるオレたちのことを、『黒羊の旅団』どころじゃなく嫌いだろうが、今だけは仲間なんだ。


『ぎゃぎゃうううううううううううあああああああああああああああああッッッ!!!』


 蛮族仲間のダーク・オークが、戦士の歌を放ちながら、その苛つく目玉が描かれた大盾に向かい、斧の強打を叩き込む!!


「くうッ!!」


 大盾野郎は、足と身体の使い方を変えていたよ。だから重心はブレることなく、ダーク・オークの強打を受け止めていた。大盾を覆っている表面の薄い鉄が歪み、その下にある乾燥した木で作られた本体が、分厚い斧の刃を、その身に食い込ませながら受け止める。


 大盾野郎はよくやった。


 2メートル200キロのダーク・オークの力を、まともに受け止めやがったのさ。腰を低くしていなかったら、盾ごと押し倒されて、豚顔の丸太のように太い腕が放つ打撃と200キロの体重を浴びさせられて、それで終わっていた。


『ぎゃががあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!』


 二匹目の豚顔が叫びながら、殺意と鋼を振り下ろす。サーベルが大盾野郎の肉に迫るが、大盾野郎の背後を、隠れるようしつつも守っていた斧兵が飛び出して、その古いサーベルの斬撃を、横になぎはらった鋼の刃で打ち崩す。


 バキイイイイイイイイイイインンッッ!!……という鋼が砕ける歌が、闇を切り裂くように放たれていた。戦士の技巧と、沼地の湿度に蝕まれていない、新鮮な鋼の勝ちだったな。


 斧の一撃が、ダーク・オークのサーベルを砕いていた。響いた鋼の歌は……ヤツのサーベルが真っ二つの折られたときに上げた断末魔さ。武器を失い、ダーク・オークは怯む。


 戦力的には、ダーク・オークよりもこの斧兵の方が優れている?


 ……まあ、フェアな状況で戦えば、その見方はおおむね正しい。だが、斧兵は集中力という肝心なところで、やや問題があった。


 有能さが仇となる。戦場ではつきものだよ。斧兵は仲間の心配をしつつも、三匹目のオークを探していた。闇のなかに潜む、その弓使いの豚顔こそ、この連中のなかで最も警戒すべき存在だと知っているからだ。


 鋼を折る一撃の鋭さから見ても、彼は戦斧の使い手。ちゃんとした師匠に、鋼の折り方を習ってしまった武術家だよ。残念だが、ヒトの戦士と練習しすぎている。モンスターにヒトの理屈は通じない。


 ヒトであれば、サーベルを失ったショックは強く、怯む時間は、もう一瞬ぐらいはあっただろう。予備の武器を抜く時間も、それよりは長くかかる。


 時間という結界に守れるはずだ。だがな、斧兵よ。そいつは醜く狂暴な人類の敵だぞ?……ヒトじゃないんだ。ヒトと戦うときの理屈は、あんまり通じないよ。


『ぎゃがああああああああああああああああああああぎゅうううううううッッッ!!!』


「え―――」


 一瞬の索敵。弓兵を探そうと、ダーク・オークから意識を放してしまった。その事実が、斧兵に悲劇をもたらしていた。ダーク・オークは怯んだ。たしかに、怯んだが。ヤツの重心の動きを読むべきだったな。


 戦意に暴走するそいつは、武器を失ったところでヒトほどは動揺してくれない。


 2メートルほどある巨体が、飛んでいたよ。ヒトではありえん動きだ、牙がある二本脚のモンスターだからこそのムチャだな。口で殺しにかかるとか、ヒト型の生物の仕草としては珍しい。まあ、オレも『吸血鬼』の首を噛み千切ったことがあるがな。


 ヤツは飛んだよ。『前』に……つまり、斧兵へと向かってね。斧兵は有能な技巧の持ち主だから、とっさに斧を振り上げて、オークの腹にその分厚い鋼を叩き込む。


 だが、そいつらの脂肪は不健康さを心配しちまうほどに硬いんだ。皮膚も厚くてざらつき、矢にも耐えるほどに頑強―――斧は内臓に達するよりも先に止まってしまっていたよ。


 バックステップで避けるべきだった。何なら、斧を捨てれば良かったんだ。


 素早さと体さばきで躱しておけばいい。仲間たちが近づいているんだぞ?時間稼ぎで十分だ。それなのに、道場で育てられたプライドか?自分よりも『弱い』存在に背を見せたくなかったか。


 誇り高いな。嫌いではないが……君は、そのせいで豚顔の口から生えた、長くて不潔な牙に、誇りも命も貫かれてしまう。具体的に言えば、左の目玉と脳みそを串刺しだな。


 汚れた下あごの牙を使い、肉食のモンスターは傭兵の頭の中身の味を知る。哀れなもんだが、一瞬で死ねたのは幸運だろう。


 技巧で劣っているだけで、強さの全ては決まらない。むしろ、有能であることが油断の原因ともなるのさ。実力を発揮出来ない若さこそが、君の弱点だった。いや、モンスターの野性を知らないことか―――。


 ……オレが君らの団長なら、このモンスターだらけのレミーナス高原の遠征に参加させて、モンスターの野性を知ることに期待していただろうな。君は、野性を理解すれば、もっと優れた戦士になれたから。


 何というか、不運なことだ。君らの団長殿は、残念がるだろうな。まあ、仕方がないさ。人殺して金を稼ぐ道を選んだ。殺されることも覚悟はしていただろう。


「た、たすけてくれええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


 大盾野郎はがんばっていたが、あのダーク・オークも狂暴だった。沼地での動きの比じゃないな……やはり、怒っているのか。ククリの靴底あたりが、ヤツの自慢の牙を踏み折ってしまったからかもね。


 激怒が、『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』の血潮に熱量をたぎらせていた。ヤツは手斧を捨てて、その大盾を両手で握る。何をしたかと言えば、腕力任せに大盾を引き裂いてしまったのさ!


 その力に怯えて、大盾の兵士は、叫びながら逃げ出していた。最高の選択だ。劣勢になったときはムチャをするな。オレが、その言葉を、マイ・スイート・シスター、ミアにどれだけ言い聞かせてきたことか。


 ダーク・オークは逃げ出した傭兵を追いかけて、そのゆるやかな丘をイノシシのような勢いで登る。


 敵前逃亡?


 上等だ。


 大量の仲間が駆けつけて来ているんだ。犬死にを選ぶなど、戦力をムダに消耗する。この大盾野郎は、最高の戦術を採ったのさ。褒めるべき行動だ。


「こ、この豚野郎め!!」


 最初の救援者は、弓兵……ボウガンではなく、大型の弓を持つ熟練の軽装歩兵。彼は走りながら弓に矢をつがえると、仲間を追いかけるダーク・オークに矢を放つ。


 体の正中に向けて放たれていた矢だからな。邪魔をされなければ、その矢は豚顔に致命傷となった。


 そうだ。


 矢を見切り、それを撃墜する……そんな達人技を容易く使える、『サージャー/三つ目族』がいなければね。


 オットーは中肉中背に見えるが、とんでもない筋力の持ち主だ。オレほどとは言わんが相当な馬鹿力。サージャーってのは、何でもありだな。少数部族だが、その個体として能力は極めて有能。


 オットー・ノーランは、『防御』という分野に関しては、間違いなく『パンジャール猟兵団』において最強の存在。自分を守ることも得意だし、他者を守ることも大得意だ。


「な!?」


 弓兵が、驚愕する。闇を走った己の矢が、いきなりへし折れていたのだから。オットーが投げていた石が、弓兵の矢の軌道に入っていた。ああ……オレには絶対出来ない。三つ目だからこその、絶対的な空間把握の成果だよ。


 三つ目の力はとんでもない。オレたちの二つ目では、とても到達出来ない領域があるんだ。敵の矢の軌道を予測するのは、魔法の目玉がなくても容易いが、そのタイミングまで完全に読み、その軌道に対して、極めて正確に『遮蔽物/石ころ』を投げ込む?


 ムチャクチャだ。


 さすがに、オットーだって複数の矢に対してはムリだろうが……たった一人の弓兵相手になら不可能じゃない……まったく、嫉妬しちまうよ。オレも、額に目玉が増設出来たら、アレをやれるんだろうがな。


 まあ、オットー・ノーランの神業に守護された豚顔は、その巨体で丘を駆け上り、その弓兵に喰らいついた。


「ぎゃがあああああああああああああああああッッ!!」


 悲鳴が上がる。汚れた牙が、薄い鉄の鎧を貫いて、自分に突き立てられる感触を知りながら死ぬなんてな。想像するだけで、気分が落ちるよ。


「敵襲だああああああああああああああああああッッ!!」


「デカいオークが、いるぞおおおおおおおおおおッッ!!」


 『黒羊の旅団』の傭兵たちが、わらわらと集結して来た。ダーク・オークは勇敢だ。ヒトの血肉が、飢えた胃袋に入っちまって、完全に戦闘モードになったのだろう。


 ヤツらは圧倒的な大多数に囲まれているというのに、殺した傭兵たちから奪った武器を構えると、歌いながら突撃していった。なんと勇ましい。醜いが、勇敢だよ。好きになりそうだ、オークのことを。


 オークどもは矢を射られ、刀傷を負わされていく。臭みを帯びた魔物の血を放ち、切られた肉から脂肪がこぼれる。


 投げ槍が突き立てられて、狡猾で身軽な戦士に、背後から戦斧の打撃を浴びた。木みたい太い背骨が、バキリと音を立てた。動きは致命的に破綻するが、それでも闘志は尽きない。


 死んでいきながらも、『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』は大いに暴れて、オレを感動させたよ。そして、何人かの傭兵を負傷させたあげくに、ついに仕留められた。


 ……いい仕事をしやがって。


 まさに、魔王の部下に相応しい死にざまだと、心のなかで呟いた。これが隠密の作戦などでなければ、ゼファーに歌わせていたところだが……残念ながら、その敬意を払うタイミングはなかった。


 蛮族の戦士としては、勇敢さのあげくの死は称えたくなるよ。星に歌い、ガルーナの蛮勇たちに冥府での歓迎を受ける光景をまぶたの裏に見たいほどだ。


 ああ、さらばだ戦友。君らは神を殺してオレを憎むだろうが、オレは嫌いじゃないよ。さて、不細工な豚顔の戦士たちは、『黒羊の旅団』の傭兵どもに囲まれて、見下ろされている。死を確認されているのさ。


 傭兵よ、安心しろ。オレの臨時の豚顔の部下たちは、もうとっくに死んじまっているよ。


 だから、よーく見ろ……そのモンスターの道具袋から、はみ出している赤い花を……潰れた花からも、濃密な蜜の香りが漂っているだろ?


 月の消える夜にそなえて、たくわえ始めた花蜜が、豚の放つ腐臭に混じり、君らの戦闘に興奮して性能を高めている嗅覚に届くはずだ。


 さあ、『黒羊の旅団』よ。オレたちが仕掛けたエサに、食いつけ―――『ストレガ』の花の蜜の甘さだ、君らが8週間もかけて探したものが、そこにあるぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る