第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その22


 レミーナス高原を囲むように走る双子山脈。その西側の山脈に太陽が沈んでいく。消えゆく太陽は戦場にわずかな明かりしかもたらさない。


 東の森は夜が始まろうとしている。暗む林から、大蛇の首が浮き上がったよ。歪んで傾いた塔のように、それは天に向かう。大蛇は口から伸びたその巨大な牙に、『醜い豚顔の大悪鬼』を突き刺していた。


 サーベルよりも大きな牙は、豚顔野郎の背から腹にかけてを貫いている。ヒドラは残酷に首を揺らし、そのリズムが傷口を広げてしまう。動脈が千切れて、大量の血潮が、オークの醜い肉体から噴き出していやがったよ。


 あのヒドラは、オークの血を呑むのが好きなのだろうな。


 牙を伝って流れる血を、先が二つに分かれた大蛇の舌が舐め取っていた。持ち上げているのは、オークから爆ぜるように噴き出す血を浴びるようにして呑むためかよ。悪鬼の血を味わう、悪趣味なうわばみがいる―――。


 その光景は、なんとも不気味だが、ヒドラが悪鬼の血を好むことには納得が出来るよ。ヒドラは豚顔どもの血の臭気など気にしない、下等な獣なのさ。


 あんなものさえ、美酒の代わりにもなるのだろう。底なしの食欲という下品な衝動があれば、何だって美味いと舌は錯覚するに違いない。


 ……しかし、どうなっているんだろうな。この光景に、一つだけ納得のいかない、大きな謎があるんだよ。


 ……オークの野郎、なんで叫ばない?


 牙を突き立てられたダーク・オークは、哀れなことに、まだ生きている。大牙に裂かれた肉からは、生命の徴候である血潮が吹き上がっているのだから。


 相当に強い心臓の持ち主なのだろう、夕闇に向かい、ドクンドクンと心臓の拍動に合わせて、多量の血液を噴射しているんだ。


 心臓はまだ健在で、意識もある。そして、手に持った鋼を振るう余力も残っているはずだ。


 だが、それなのに……肉体を破壊され、死を待つばかりのみじめな立場にされているというのに。オークは叫ぶことをしない。痛みとか、怒りとか、後悔とか……そういった感情は無いものか?


 モンスターでも、断末魔の叫びを放つものだ。死を恐れる、原始的で本能的な、そういったあがきを歌いながら死ぬものさ。


 だけど、今、オレの魔眼に映るそのダーク・オークは、醜い豚顔を歪ませるだけだったよ。無言のまま、ただ唇を大きく広げている。大きな牙を見せつけるように剥き出しにさせながら。


 オレはオークの専門家じゃない。ヤツらの豚顔が浮かべる表情に、一体どんな意味があるかなんて、考察したこともなければ、誰からも教えを受けたこともない。


 だから、これは……ただの素人の戯言になるのかもしれん。


 それでも疑いを抱くことが出来ないまま、確信を帯びた言葉で、オレは口からその言葉を吐きすてる。


「……笑ってやがるぜ。喰われながら、笑っているぞ、あのオーク」


 理解の出来ぬ現象だ。オークは抗わない。あれほど野蛮な生物が、ヒドラの補食を受け入れていた。殺され、喰われることに、『オークども』は無抵抗なのだ。


 そうさ、あのオークだけが特別なわけじゃない。林のあちこちから、大蛇の長い首が浮上して、そのどれもが牙にオークを捕らえている。


 牙でオークの醜く太った体をズタズタに引き裂いて、命と魔力を帯びた血液をすすっている。持ち上げるのは、まずは生き血を味わいたいからだろう。オークが放つ血を、大蛇どもは呑みたいのさ。


 食前酒のようなものか。それとも二十年の長きにわたる渇きを癒やすために、欲したのは肉よりも血が先ということか。


 残酷な食事だ。


 トドメを刺すわけでもなく、いたずらに苦しみの時間を長引かせている。


 それでも、そんな目に遭わされているというのに、オークは逆らわない。自分を殺す大蛇の頭を攻撃することもないのだ。手にナタや手斧を握ったままの個体もいる。


 死の運命は変わらないにせよ、大蛇の頭を攻撃することは、ヤツらの体力ならば可能だろう。それなのに、何もしないのさ。ただただ、大蛇の牙に突き刺されたことを『喜び』ながら、死の瞬間を待ち望む―――。


 そうとしか解釈することが出来ない光景が、この沼地では起きていたよ……。


「不思議です。オークたちはヒドラに襲われているのに、まったく反撃していないですね……林のなかも、静かです。ヒドラの大蛇の首が、這い回り、オークに襲いかかっているはずなのに。戦う気配さえありません」


「ど、どうしてっすかね?」


 理解しがたい光景だが、オレは、とある熱心な宗教家の言葉を聞いたことがあるせいだろうか、オークどもの行動の意味に、予想がつくのさ……。


 『カール・メアー』の巫女戦士……異端審問官、ルチア・アレッサンドラ。かつて彼女は教えてくれたぞ。


 ―――『信仰』とは、全てを捧げることです。


 ……あの悲しいぐらいにマジメな宗教家の言葉だ、偽りではなかろう。目の前にいる『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』どもは、信心を全うしているのさ。


「……『崇拝』しているヒドラに対して、ヤツらは『生け贄』となることを望み、喜んでいるようだな」


「え?そ、そんなことが、あるのかッ!?」


 幼いククリには、理解が出来ていなさそうだ。たしかに、オレはおかしなことを口にしているって自覚もありはするんだ。でもよ、ククリ?


「他にオークが無抵抗で殺されている理由が、オレには見つけられない。理解しがたいがな、あのオークどもにとって、これは『聖なる行い』なのさ」


「……っ!」


 オークどもが悲鳴を上げないのは、この聖なる儀式のなかで、そんな『不作法な行い』をすると、信者としての地位が下がるのかもしれない。痛みに耐えることが、信仰心の証明なのかもしれんな。


 全てを捧げる。


 それが宗教というものの本質の一つならば、供物となって激痛と共に貪られている連中は、ヒドラの胃液が約束する素敵な天国に導かれるのかもしれないね。連中は、ほんとうに信心深い存在だよ―――。


「―――オットー、どうだろうか、オレの『説』は?」


「ありえますよ。この沼地のオークは、明らかに信仰心を持っていました。崩れかけた壁に、ヒドラを祀っていましたからね……」


「ああ。不気味な光景だったが、ヤツらなりの信仰だと感じたんだ」


「はい、信仰が由来ならば、オークが無抵抗に捕食されているのにも納得が行きます。聖なる存在の生け贄になることを、『誇り』だと捉える宗教は、少なくありませんから」


 賢くて辺境文化にも詳しい男、オットー・ノーランのお墨付きをもらってしまったよ。自信がつくね。そして……嫌悪感が深くなっていく。何なのだろうな、ここの沼地のオークどもは?


 どうして、そんな関係性になっているのか。あの原始的な獣に、どうしてそこまで尽くすのだろうか、あの豚顔どもは……。


 邪教。


 そういった言葉が頭に浮かぶ。どこまでもこの空間を作りあげている搾取者と犠牲者の関係性には、よく似合う言葉だよ。


 ある意味、喰われているのがオークで良かった。もしも、この宗教の信者がヒトであったりすれば、オレは吐き気を催すほどの嫌悪に襲われていた。ドン引きするだけで耐えられているのは、幸いなことだろうよ。


 ……とにかく。


 作戦は実行せねばならない。ヤツらの信仰など、どうでもいい。この沼地のオークには、してもらいたいことがあるんだよ。ヒドラに喰わせてやれるムダなオークは、一匹だっていやしないんだ。


 邪悪なるものに対しての嫌悪。それに由来する怒りの熱量が、肌をつつむ。左眼に宿る魔力は強まり、竜の呪いを発現させた。


 ヒドラの首どもが生える、あの大きな胴体に『ターゲッティング』の金色の呪印を刻みつけていく。


 一つじゃない、二つだ。胴体から生える首どものつけ根辺りに狙いをつける。ヒドラは二十年の眠りから覚めたばかり。ノドが渇き、腹が減っているというのなら……飲ましましない、喰わせもしないさ。


「ゼファー、ククリ!準備はいいか?」


『うん!!』


「ああ、魔力は、溜めまくってる!!……呪文を唱えるぞ!!『太陽に見初められた真紅の花嫁よ、愛の証に捧げられた、その炎の魔弾を我に貸し与えたまえ』……」


 初めて聞く類いの呪文だ。ククリ・ストレガは、千年前から継承された古式の呪文を歌いながら、夜の始まりを向かえつつある、深淵の青と黄昏の赤が混ざった空へ、重ねた両の手のひらを向ける……。


 高度な『知識』と、彼女の幼さには似つかわしくない『経験』を、その魔術は帯びている。懐中時計の腹で動く、複雑精緻な歯車のカラクリたち。それに勝るとも劣らぬほど、ククリの創り上げる魔術の構成は緻密であった。


 千年継がれた、『魔女の叡智』……。


 なるほど、コイツは期待できる威力だ。ただでさえの高威力に、竜の呪術を重ねがけするんだからな―――。


「兄さん!いつでも、放てる!!」


「ああ。歌え、ククリ!ゼファーああああああああああああああああああああッッ!!」


「必殺、『イフェルト・フレイガー』ああああああああああああああああああッッ!!」


『GAAHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHッッ!!』


 竜の劫火が空を焼き払いながら獲物へと目掛けて突撃し―――『プリモ・コルン』は重ねた両手の先から灼熱に猛り渦巻く『火球』をぶっ放す!!


 『イフェルト・フレイガー』は、とんでもなく高度な魔術だ。標的であるヒドラに向けた『火球』の『軌道』に、無数の紋章が浮かんでいる。その紋章を『火球』が貫く度に、速さと大きさを増す。


 アレならば、強い魔術の反動を、その身に浴びることはない。


 だが、高威力な反面、敵への命中精度は、おそらく悪く……奇襲かつ遠距離用の爆撃魔術だろう。敵からも軌道が読める、威力と素直さを持ち合わせたモノだ。


 だからこそ、今この局面で選んだのさ。


 竜の呪術……『必中の呪い/ターゲッティング』を帯びた今、あの火球の『荒れ球』は必ずや当たる。


「さすが、オレの妹分。戦術の理解が早い」


「えへへ!……ありったけを込めた。『メルカ・コルン』の奥義を喰らえ、ヒドラッ!!」


 ゼファーの火球と、ククリの『荒れ球』が競り合うように空を貫き、あの小高い丘のように巨大な、ヒドラの胴体へと着弾する―――。


 紅い閃光が殺戮と血の臭気にあふれる林を、さらに鮮やかな赤で照らし……融け合うように爆裂した火球の灼熱が、爆風を伴い湿地を焼いて、林の木々を焦がしながら揺らしたよ。


 いい威力だ。ゼファーの火力と、『魔女の叡智』……そして、オレの呪術。三位一体の連携魔術だ。ヒドラの無数にある首が、いくつも千切れていた。胴体にオークの血と肉のどちらも届く前に、ヤツは口と胃袋へのあいだをつなぐ食道を爆破されたのさ。


 空虚な胃袋には、辛い行いだろう。


 逆鱗に触れるのには十分だ。それに……そんな豚顔どもよりも、オレたちの血肉のほうが、貴様の好みに適合するだろう?


 炎に焼かれる小高い肉の丘。それが、動き始める。ヒドラだからな。しかも、おそらく『ベルカ・クイン』に改造された個体……首が四、五本、吹き飛んだぐらいでは、ピンピンしているさ―――さて、ヒドラとのガチの勝負は、ここからだ!!


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