第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その20


「急げ二人とも!!あのヒドラは生きていやがるッ!!」


 オレの叫びに、地上の二人が反応する。『コウモリ』に化けつつあるオットーは、三つ目を開き、カミラはとにかく魔術の完成を急いだ。二人を『闇』が呑み込み、無数の『コウモリ』に変化させる。


『ぶぼごぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!』


 『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』どもが、沼地に不快な歌を合唱させる。鬼火が踊る呪われた土地に響いたのは、ヤツらの口が放つ悪臭まみれの祝歌だけではない。連中の信仰か、それとも軍規なのか。


 ギンギンギンギンギン!!……林の闇の奥から、不気味なリズムの音まで聞こえて来やがるぜ。ヤツらは手持ちの鋼をぶつけ合わせて、豚の遠鳴きに金属音を融合させていく。


 夕焼けの赤に染まる、ただれた沼地が騒がしくなり……『ヒドラの死体』は覚醒する。


『GYAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!!』


 崩れかけていた教会の壁に串刺し状態であったヒドラが、咆吼を上げていた。ヤツの口からは『ストレガ』の花が、噴き出されていく……吐血したみたいに、バラバラになったその赤い花弁が、沼地のまとわりつくような湿度を帯びた風へと流れていった。


 『ストレガ』の花……魔力を、『調和』させるための錬金術の素材?傷薬?鎮痛剤?なんにせよ、『星の魔女アルテマ』の『叡智』が創り上げた存在。アルテマ自身か、それとも『クイン』か、どちらが作ったのか知らないが……未知の薬効もありそうだなッ!!


 ククリが衝撃を受けている。


「に、20年以上も、し、死んだフリをしてたっ!?」


「……らしいな」


 ヒドラってのは、たしかにしつこい。殺しても死なないモンスターとも言われてはいる。いつか、シャーロン・ドーチェにそそのかされてヒドラの洞窟に入っちまったことがあるが―――全力の生存競争をするハメになった。


 ヒドラ退治は個人的には、いい思い出なんだが……さて、この状況をどう判断するべきか?


『ソルジェさま、到着しましたあああああああっ!!」


 シュボン!というマヌケな音が響いて、ゼファーの背にカミラとオットーが戻っていた。オレはゼファーに命じるよ。考えが定まらないことも頭にはあるんだが、最優先の任務は完遂する。


「ゼファー、歌ええええええええええええええええええええええええええええッッ!!」


『GAAHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHッッ!!』


 竜が歌い、灼熱の劫火が沼地を焼き払う!!


 獲物はもちろん、『ストレガ』の花畑だ。炎は津波のように無慈悲な破壊をもたらしていく。可憐な赤い花と、太い茎、豊かに茂った葉っぱ。それらの全てが赤い破壊に呑み込まれ、焼け焦げながら爆ぜて散る。


 ルクレツィア・クライスから賜った、あの錬金術の毒薬も、この花畑の地下を汚染してくれているのだろう。地下茎をも腐らせ、次代の花をこの土地に作らぬように……。


「兄さん!!オークどもが、弓を構えている!!」


「……ああ!!知っているさ―――」


 『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』どもが、鋼を打ち鳴らすのを止めていた。ヤツら、狩猟を始めるつもりだ。


 ……待っていたタイミングは、ヒドラの『復活』かよ。林から意気揚々と踊り出て、豚顔の弓兵どもが大型弓に矢をつがえる。


 だから?


 こちらだって守備の作戦を使う。


「―――オットー!!アレを投げろ!!」


「了解!!」


「アレ?」


「ククリ!目を閉じておけ!『炎』の魔力を溜めつつな!!」


「う、うん!!」


 命令に従いククリは瞳を閉じたのだろう。それでいいさ。アレの光を見れば、有能な視力を持つ君には辛すぎるからな。


 シュバアアアアアアアンンンッッ!!


 空にやかましい音と、強い光が暴れていた。オットーの投げていた『こけおどし爆弾』が、四つ同時に炸裂したものさ。


 音はともかく強烈な閃光だからな。オレたちに狙いをつけていた弓兵たちの、視野を眩ませるには十分だよ。視力がいいヤツほど、この白光は有効さ。


 さすがに距離があるからね、豚顔どもの網膜を焼くことまでは出来ないだろうが―――閃光のカーテンで、ゼファーの位置を隠すことは可能だ。


 一瞬でもいい。


 花畑を焼き払う作業なんてものは、すぐに終わるんだからな。ゼファーの口から炎が途切れる。黒く焦げて、グツグツと沸騰する大地には、一輪の花さえも残っちゃいない。


「ゼファー、離脱だ!!」


『うん!!』


「団長!!オークどもが弓を……ッ。矢が来ます!!」


「想定内だ!!」


 当てずっぽうの矢だ。精確な狙いではないが、まぐれ当たりへの期待と、牽制の意志が込められた攻撃だよ。オットーばかりに『こけおどし爆弾』を投げさせた理由は、オレがサボりたいからじゃない。


 オレは『風』の魔力を溜めるのに、忙しいからだ。


「―――『刃と踊る風の精霊よ、空を裂く剣舞の冴えを示せ』……『ダンシング・シルフ』ッ!!」


 『風』の魔術を夕焼け空にぶっ放す!!『ダンシング・シルフ』、広範囲に『風』で出来た無数の刃を暴れさせる魔術だ。


 春風に乗り、邪悪な小鬼を斬って遊ぶ『風の精霊/シルフ』さまの逸話にちなんだ、伝統的な魔術さ。こいつらで切り裂きたかったのは、病を運ぶ小鬼どもではなく。豚顔どもの放った無数の矢だ。


 突風のなかに遊ぶ翡翠色の刃が、当てずっぽうの矢を切り裂いていく。切られた矢は威力を失う。重量が無い矢は、肉を穿つこともない。刃の巻き起こした突風に呑まれて、矢の軌道もズレてしまう。


 連中、精度の欠いた雑な攻撃だ。迷いと共に放った矢では、風を貫くほどの威力は宿らん。こんな魔術一つでも、十分に防げる。


『いまだ!そらに、あがるね!!』


 ゼファーが羽ばたき、上昇しようとした。だが、ヒドラは動き始めている。無数にある首のうちの一つが、沼地を這って、上空を目指したゼファーの脚を狙っていた。


『しゃがああああああああああああああッッ!!』


 濃紺の鱗をもつ大蛇が、大きな口を開きながらゼファー迫る。脚に絡みつき、ゼファーを地上に叩き落とすつもりか?


 ……そういう連携をするために、豚顔どもは闇雲にでも矢を放ち、オレたちの注意を引きつけたのかもしれない。連中は共生している?いいや、同盟を組んでいるのか。やはり、同じヤツが創った『兵器』なのかもな。


 いい連携だ。竜に対応する即興的な戦術を作るとは、感動さえも覚えるよ―――だが。


 『パンジャール猟兵団』を舐めるな。ゼファーも、戦場を渡り歩いて経験を積んでいる。ヒドラが生きていたことに気がついた瞬間から、油断などはないのだ。


『うるさい』


 弱者に対する残酷な感情に冷やされた声が、大蛇に短く浴びせられていた。


 ザグシャアアアアアッッ!!


 ゼファーの脚爪が、大蛇の頭を切り捨てていた。迫る牙に、竜は怒りと誇りを示したのだ。頭部を喪失した大蛇は、その無残に引き裂かれた長い蛇の体を、地面に向けて落下させていく。


『いどうするね!』


 ゼファーは羽ばたくのを止めて、滑空を選んだ。大蛇の襲撃は効果が無かったわけではない。爪を繰り出したことで、上昇のための動作が崩れていた。


 上空へ向かうための力は消されてしまった。ここで姿勢を作り直している余裕はない。迷っていれば、次こそはオークどもの矢に射られるからだ。


 ヤツらは戦術を解禁し、こちらに向けて全力疾走で迫っている。戸惑っていれば、濃密な矢の雨が注がれてしまう。


 それゆえに、ゼファーは『前』へと飛んだのだ。ダーク・オークどもの攻撃から離れるために、ゼファーは低空飛行を選択した。翼の羽ばたきが作りあげる速度、それだけを頼って、戦場を飛び抜けることにしたのさ。


 とにかく、矢の射程距離の先へと向かえばいい。弓兵どもから離れられれば、縦でも横でも関係ない。ゼファーは沼地を低く飛び、加速していく―――そして、ヒドラが放ち始めた強力な悪意に追いかけられた。


 想定していたことだ。


 なにせ、オレたちは一度、ヒドラと戦っている。ヤツらの首は、不思議なほどに長く伸びることを知っているのさ。経験が、予測させていたことだ。オレは、ゼファーから身を乗り出すようにして、後方を睨みつける。


 緑に燃える鬼火が彷徨う『フラガの湿地』。その泥沼の上を、新たな大蛇が走って来ていた。どこまでも、あいつらの『首』は伸びてくる……矢のようなスピードで、何百メートルだってな。


 それが、ヒドラってモンスターのしつこさだ。ほとんど不死身の生命力だけが、ヤツらの脅威ではない。


「お、追いかけて来ているっす!!」


「安心しろ。オレたちには魔術がある―――」


 もちろん、オレは『ダンシング・シルフ』を放ったばかりだから、魔力が消耗している。広範囲をカバーする魔術は、魔力をやたらと喰うんでな。効率が悪いんだよ、防御するってことはね。


 ヒドラの頭を潰すほどの威力は、今は出せない。だが。この時のために、『炎』の魔力を集めさせていた妹分がいる。


 オレはククリに命令していた。


「『炎』を放て!!」


「え?で、でも、狙いが定まっていなくて!?」


「かまわん!!どこでもいいからぶっ放せ!!その後は、竜の魔眼の力で、どこにでも誘導出来る!!全力で、放てッ!!ヒドラには、毒牙を持つ首もある!!」


 油断は出来ない。あの首の先端にある頭が、その毒もつ牙を生やしていてもおかしくはない。それに、あのヒドラはイレギュラーだ。油断出来るような相手じゃない。


「わ、わかった!!『炎よ』―――飛んでけえええええええッッ!!!」


 ククリが夕焼け空に、右手を突き上げて、そこからため込んでいた『炎』の魔力を暴発させるような勢いで撃ち出した!!


 唸る『炎』の球体が、どこでもない場所に向かって飛んで行く。その軌道では、星の高みまで昇らなければ、何にもぶつかりそうにはない。


 しかし、それでいいのだ。


 オレはゼファーを追いかける大蛇の頭部に、『ターゲティング』を仕掛けているのだから。ククリの撃った『火球』が、金色の呪いに縛られる。虚空を走るその『火球』が、鋭角的な軌道の変化を起こした。


 ギュオンッ!!という鋭い音を空に残しつつ、唐突な軌道修正を終えた『火球』。そいつは宿した火力を倍増させながら、我々を追跡してくるヒドラの頭の一つに向かって襲いかかっていた。


 大蛇の頭は気が強く、己に迫る『火球』に対して、臆することも逃げることも選ばなかった。ヤツは、アゴを開いて、『火球』に牙を突き刺そうとしやがったんだ。


 まったく。ヒドラらしいぜ。再生力が強いせいなのか、このモンスターは、己自身が破壊されることさえ、まったく気にしないのだ。


 ただただ、どう猛さを体現する無数の首を伸ばして、襲いかかってくるだけの、あまりにも原始的な肉食動物。感心するほどに、その攻撃性は純粋にして、巨大だ。


 だからこそ、『火球』にさえも喰らいつく!!


 『炎』を、ヤツの口が丸呑みする―――だが、それで無事に済むほど、竜騎士と『プリモ・コルン』の合体技の味は、甘くはない!!


 ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンッッッ!!!


 大蛇の口中から破壊の熱量が噴き出していた。ヤツの肉も骨格も、爆裂の威力に引き千切られてしまう。


 空にヤツの破片が飛び散って、うつくしくはない赤き流星の軌跡が描かれる。腐肉が沈む沼地へと向かって、あの長い大蛇の首が力なく墜落していくのさ。


 沼の水面に死んだ大蛇が衝突し、生命を感じさせない、無機質な水しぶきの音色を周囲に響かせていた。蛇の首がまた一つ、鬼火が遊ぶ穢れた沼の底へと沈んでいく。

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