第二話 『汝、供物の聖痕を刻まれし生け贄よ』 その3


 彼女を……戦士『ジュナ』を馬車のなかにあった毛布で包む。すぐにでも『カーリーン山』に運んでやりたいが、こちらにも任務があるんでな。もうしばらく待っていてくれ。


 オレは馬車内部を探り始める。『ストレガ』の花畑は、いまだに発見されていないようだ。それについては安心だが……逆の考え方をすれば、そう容易く見つかる場所にはないということか。


 ……あるいは、錬金術師ホークの語った通りに、実在していないのかもしれない。調査が行われ、詳細な記述が残されたのは大昔だ。悠久の時間を費やせば、不思議な生まれの花畑が世界から失われたっておかしくはない。


 神さまだって殺せるんだ。


 神々の遺物だって、消えちまうこともある。だからこそ、宗教関係者たちはそれを尊び、守り、保全しようとするわけだ。奇跡も、儚いってことさ。


 錬金術師ホークの日誌を見つけたぞ。最新のページは、まだ羽根ペンのインクが乾いていない。あのサディストめ。ジュナの肌が裂けていく様子を、克明に記している。彼女を観察しながら、ヤツは己の『知的好奇心』を満たしていたようだな。


 ジュナは『青の派閥』のキャンプを襲撃した際に、10名を殺し、捕らえられたようだ。そのあとに嬲られ、異性と交わると発動するという『アルテマの呪い』が発動したのか。


 全身が深く裂けていったようだが……出血はやはり軽微であったようだな。少量の出血が続き、ジュナはゆっくりと死んでいったのさ―――。


 その理由がオレには分かるよ。


 呪いの目的が『見せしめ』だからだ。


 この呪いは『アルテマの使徒』とやらが、同胞の逃亡・離脱を抑止するための仕掛けなのさ。


 殺すだけではなく、その身を長く残酷に苦しめて、同胞にその様子を見せるのが目的だ。その惨めな死にざまを見てしまった『アルテマの使徒』たちは、恐怖で逃げられなくなるだろう。


 ……善良で博愛に満ちた集団というわけではなさそうだ。


 だが、文化というのは国や地域によって異なる。『アルテマの使徒』たちが、それでも納得しているというのなら、オレが文句を言う権利はない。


 まあ、彼女たちの文化は不明だが、『アルテマの使徒』たちが『青の派閥』と戦っているという事実は興味が引かれるところだな。『青の派閥』とのあいだに、もめるだけの理由があるのか?


 『青の派閥』が傭兵を引き連れて、彼女たちを攻撃している?


 ……どうだろうな。連中は、あくまでも錬金術師の組織だ。そんなことを積極的にしたかったのか……。


 分からないことがあれば、賢い人に相談すべきだ。


「オットー、頼む」


「ええ。投げてください」


「ああ」


 オレは、オットー・ノーランに錬金術師ホークの日誌を投げて渡した。オットーの指が華麗にその日誌をつかんだよ。


 そして、オレには出来ない『速読』っていう特技を見せつけてくれた。錬金術師の書いた詳細な日誌を、ものの数分間で読んでしまうのだろうな。


 そのあいだにオレが出来そうなことは少ない。でも、錬金術師たちに愛用されている獣皮製の頑丈なカバンを見つけたので、好奇心に引かれて開いてみる。


 ふむ。財布と何枚かの手紙、小瓶に入った幾つかのカラフルな薬、乾燥させた薬草の束。途中まですり下ろされて短くなっている獣の角と、護身用ではなく日常生活用のものと思われる短いナイフがあった。


 オレの知識でもどうにかなりそうなシロモノは手紙ぐらいだ。差出人は、全て同じ人物だな。『ハロルド・ドーン』……もちろん知らない人物だ。内容は、その錬金術師からの勧誘だったな。


 『紅き心血の派閥』とやらに、錬金術師マニー・ホークは誘われていたようだな。その人物からの手紙を処分せずに持ち歩いていたことと、手紙の文面によると、『青の派閥』の新たな方針に、ホークは嫌気が差していたようだ。




 ―――我が友、マニー・ホーク。『青の派閥』は変わり過ぎた。肉体の強化や変異に傾倒するなど、破滅的な思想に思える。そろそろ君も、新たな研究を提供してくれる場所へと移るときだよ。


 我らが『紅き心血の派閥』ならば、君が望む病死者の即日の解剖という医学的価値にあふれた行いも、必ずや容認されるだろう。


 女神イースへの祈りの時間は死者に有意義な恵みとなるが、その時間で内臓は腐敗を始めるからね。


 宗教的儀礼を待っているあいだに、病の本質までが腐り果ててしまう。それでは、たしかに病の形状を知ることは出来ないのである。医学の大いなる損失だよ。


 私は君の主張に賛成だ。女神イースへの祈りと、医学的探究心は切り離して捉えるべきだと考えている。世俗の文化が、専門的な知識の探求の足枷になってはならないはずだ。


 病の形状を腐る前に知ることで、病死者は生者に貢献できるだろう。それらの情報の集積は、医学の未来を大きく照らすはずだ。我々の世代ではなくとも、次の世代では、より多くの病を克服してくれるに違いない―――。


 ……ただし、手の施し用のない末期患者に対しての『生体解剖』については、たしかに医学の発展に貢献はするだろうが、あまりにも過激すぎる。


 その主張は、我々、医学派の一派である『紅き心血の派閥』でも、賛否と大きな議論を呼ぶ。


 そして、君を糾弾する錬金術師が20人は現れるよ。我々に合流して直後は、それにまつわる主張は、どうか控えてくれ、我が友よ。これは親愛から来る忠告だ。




 ……ふむ。錬金術師ホークは『兵士の強化』よりも、医学に興味があったようだ。しかし、『生体解剖』ね。過激な趣味だ。生きたままヒトを解剖するだと?……狂気の沙汰だな。医学的な価値があれば、倫理を捨てていいというワケではあるまい。


 血まみれになって弱っていくジュナを、裸に剥いて観察していた理由も、医学的見地からの行為だとでもヤツは語ったのかもしれんな。まったく胸くそが悪くなる。サド野郎め。


 ゼファーの腹のなかで煉獄の熱に悶えて苦しめ。


 魂までも焼かれるのが、お前のような男の死にざまに相応しい―――。


「―――団長。一通り、読み終わりました」


「助かるよ。オレでは読めない難しい単語や、読めるだけで意味は分からん専門的な記述なんかが、いくつもあってね。何か、有益な情報はその日誌にあったか?」


「そうですね。錬金術の実験にまつわる記述が大半でした。彼は、『青の派閥』の目的そのものには消極的で、己の研究を優先していたようですね……」


「サド野郎の研究?」


「……傭兵や錬金術師たちに対する『治験』ですね」


「つまり、医療行為?」


「傷を負った傭兵や、体調不良を起こした錬金術師たちに対して、彼は自分の発明した薬剤を試していたようですね」


「薬草医のような仕事をしていたか」


「錬金術師としては有能だったのかもしれません。倫理観には問題が多そうですが」


「その予想を裏付ける手紙がある」


 そう言いながら、オレはオットーにその手紙を渡した。オットーの三つ目が動き、すぐに手紙を読み終えた。


「……なるほど。帝国の錬金術師たちも、派閥対立にもめているようですね」


「金と名誉の取り合い。軍人や商人と同じことさ。それで……他に何か分かったことはあるかい?」


「彼の薬を打たれた患者たちの医療記録を見ていますと……ちょっとおかしなところが」


「どんなことだ?」


「『黒羊の旅団』には、『戦闘』による傷を負った者がかなりいるようですね」


「……ジュナたち、『アルテマの使徒』と戦っている?」


 彼女たちの勢力は、知名度が無いことを鑑みるに、相当、少ないのかもしれないが……ジュナの肉体は戦士として見事なまでに完成されている。『人間族の女戦士』としては、最上級の戦闘力があるのだ。


 全員がその水準であるとすれば、少数でも大勢の敵を攻撃出来る。


「そうですね。おそらく、それもあるでしょう。しかし、酸による火傷や、呪毒の治療もあります。大半は、モンスターとの戦いで負ったケガでしょうね」


「ふむ。そいつは、たしかに変だな」


「ええ。『黒羊の旅団』は、『エドガー・トラビス団長』以下、練度の高い中堅の傭兵たちに構成されています。能力、経験、それらを考えると、かなりの強者ですからね」


「ここはモンスターの多い土地だが、修業時代のミアでも大きな負傷はしなかった。経験値のある本職の傭兵たちに、ケガ人が続出というほどの過酷な土地には思えん」


 『黒羊の旅団』を構成するのは、中の上といった腕前の傭兵たちだ。その魅力は、『どいつもこいつも、それなり以上に強い』という穴の無さが生み出す『組織力』だ。


 どこをどう攻められても、連中はそれなり以上に対応する。エリートに頼らず、練度と連携で戦い、強敵やどんな状況に晒されても、粘るように耐えて、長く戦線を維持する。


 ……そんな組織哲学を有した連中だよ。もしも、彼らが若手のエリート戦士たちだけの集団と戦をすれば、『黒羊の旅団』は若者たちに『熟練する』ということの意味を、骨の髄まで教えてしまうだろうさ。授業料として、若い命を気ままに取り上げながらな。


 オレたちをも上回る経験値を持つ『古強者/ベテラン』。そういう連中の集まりが、『黒羊の旅団』なんだぞ?


 そいつらが、たかがモンスターなどに、いいようにやられるものかね……。


 ありえない。だが、現実には、それが起きているようだ。さて、どういうことだろうか?……思いつくことは一つだけあるな。


 この土地は、鉱石が取れたせいで、あちこち『坑道』だらけだと言うではないか。


 そこはモンスターどもの『巣』になっている。魔獣と悪鬼が徘徊する、不吉と殺意が渦巻く嫌味な『ダンジョン/地下迷宮』ということだ。


「―――地下での戦いならば。薄暗く狭い場所でモンスターと戦うことになる。そうなれば、物量も連携も活かせない。フツーの人間族は暗闇で視界が半減する。ケガ人は多そうだな」


「はい。私も、そう思います。『黒羊の旅団』は、『地下』にも兵力を派遣している……」


「……冒険を趣味としている連中じゃない。むしろ、堅実さが売りの集団だ。悪ふざけでは地下に潜らん。雇い主である『青の派閥』の意向に従ってのことだな」


「『青の派閥』は、『ストレガ』の花畑だけではなく、この土地の『地下』にも用があるみたいですね」


 オットーがそう言いながら『地下』へと顔を向ける。オレもマネしてみたよ。ランプの炎がゆれる、使い古された馬車の板の隙間に……漆黒の闇が巣食っていた。


「……とにかく、敵の行動は掴みましたね」


「ああ。『青の派閥』の連中は、『地下』にも興味があるようだ。そして、東側の山脈の最高峰、『カーリーン山』にいる戦闘集団、『アルテマの使徒』とやらとも、争いを起こしているようだな」


 ジュナの死体と、錬金術師マニー・ホークの日誌が、それらを明らかにしてくれている。『地下』については、ただの推察ではあるが。その他に、『黒羊の旅団』を傷つける可能性を、オレは思いつけないね。


 だからこそ、己の失敗を悔いたくなる。


「……すまんな。マニー・ホークは、まだ殺さない方が良かった」


「いいえ。彼の日誌は医療記録ばかりです。『地下』については、詳しく知らなかったかもしれません」


「……『青の派閥』は、全員が情報を共有しているわけではない?」


「そうだと思います。なにせ、あまりにも大がかりな遠征ですからね。一つの目的では無い可能性が高い。そして、その内容を、遠征隊の全員が知っているとは、思えません」


「……どうしてだ?」


「学術的な遠征の場合、学者たちは、『本命の理由』を秘密にすることもあります。研究仲間という、『ライバル/敵』に、自分の研究を気取られる可能性があるからです」


「ホークのように、ライバルの組織へ今にも鞍替えしようとしている男もいるからか」


「ええ。学者にとって情報の漏えいは命を奪われることに等しい。研究成果を、ライバルに取られる可能性がある。『それ』を防ぐためには、可能な限り秘密にしておくことが、管理の上では最良ですよ」


 ……そうだとしても。


 あの錬金術師が、オレたちよりも多くの情報を持っていたことは明白だ。そして、ヤツが臆病であり、拷問に耐える精神力を有していないことも、簡単に察しがつく……。


 『青の派閥』に所属しがらも、心のなかでは嫌っていたらしいしな。条件次第では、ヤツは裏切りさえも許容しただろう。


 感情に任せて、殺すべきではなかったな。最高の情報源だったのに―――それなのに、オットー・ノーランよ、君はやさしい。


「……ありがとうな、オットー」


「え?」


「学者どもの生態には、いまいちピンと来ないことも多いが、君がオレのコトをフォローしようとしてくれていることは、よく分かったよ」


「……いいえ。追う手がかりはありますから、問題ないですよ。最大の目的である、『ストレガ』の花畑を、敵も見つけてはいないようですしね」


 生きようと必死な男に、訊いた質問だ。ヤツは慌てていたが、即答していたな。見つかっていない、実在していないかもしれないと。あの状況で、あれほどスムーズに嘘を話せる男でもないだろう。


 ヤツはスパイでもないし、猟兵でもない。ただの錬金術師なんだからな。


「……反省はする。でも、挽回するためにも行動するとしよう」


「反省は、いらないですよ。私はそう思います。だって、ゼファーがあの男を食い殺したとき、ちょっとスッキリしましたからね」


「君はフェミニストだからね……女を手荒く扱う、残酷な男が死ねば、喜べるさ」


 そう言いながら、オレは毛布にくるまれたジュナの体を抱き上げる。彼女は死んだばかりなのに、もう氷のように冷たかった。血が、ゆっくりと抜け出ていたせいさ。死ぬ前から、彼女は凍えるような寒さを感じていた―――。


 錬金術師ホークは、失血の寒さに震える彼女を見下ろしながら、何もしてやることはせずに、ただメモに状況を記し続けたのか。医学知識のあるヤツならば、出来ることはあったはず。うむ。殺したことに、悔いはわかないな。


「……拠点に戻ろう。資料はここに残してな」


「ええ。そうでなくては、人為的な関与を疑われる。それでは、ゼファーが傭兵たちを食い散らかした甲斐がありませんからね」


「ああ。では、細工をして引き上げよう……ジュナよ、スマンな。一度拠点に戻り、仮眠を取らせてもらう。明日の朝一で、君を仲間たちのところに運んでやるからな」

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