第一話 『星の降る山』 その19
食後にリエルがいれてくれたコーヒーを楽しむ。リエルはコーヒーをいれるのが上手というか、好きというかな。夜風の冷えるこの高地では、焚き火の炎と温かいものを口に運ぶことに何とも言えない安心感を帯びた幸福を感じるものだ。
オレたちは風に踊る焚き火の炎と、崖の果てに見える星に視線を向けたりしながら、世界を放浪することの孤独と、そして開放的な自由を同時に感じることが出来るんだよ。
世界を放浪することは、時に辛くもあるが―――オレたちに未知の世界を教えてもくれる。標高2000メートルを超える高地で、最高に美味いカレーがヒトをどれだけ幸せにするものなのか……。
世界の果てみたいな場所だとしても、信頼し合える仲間がいれば、不安を感じることはないということを知れる機会は、旅をしなければ得ることの出来ない幸運だな。
……幸せな時間だよ。
故郷を失い、世界を彷徨うオレたちだが……。
孤独に打ち勝ち、今、焚き火の前に一緒にいるのさ。
それだけで、オレたちは笑顔で、下らないことで笑っていられる。
今夜はこのまま、カレーがくれた満腹感にひたったまま、眠りについてしまいたいところであったが、そういうわけにもいかないのが辛いところだよな。
この言葉を口にするのは、勇気がいる。
一族を殺されて、故郷を奪われた男がさ、この奇跡のように幸福な時間に、自らピリオドを打つってことが、どれだけ勇敢なことか分かるかい?……オレにとっては伝説の怪物と戦うことなんかよりも、ずっと心が辛いことなんだよ。
だが、猟兵なのだ、オレたちは。
そして、ソルジェ・ストラウスは『パンジャール猟兵団』の二代目団長なんだよね。オレは、コーヒーを飲み終えたコップの底を見つめる。幸せな時間は、胃袋に詰め込んだ。だから、猟兵の夜にも耐えられるだろう。
「―――行動を開始するぞ。ゼファーに乗り、『ストレガ』の花畑を探そう」
「うむ。そうだな、このまま眠ってしまいたいほどに幸せだが……」
「仕事もしないといけないっすもんね!楽しかったから、それだけ、がんばらないと!」
「夜にお花畑を探すなんて、ロマンチックだね、お兄ちゃん」
「……ああ。綺麗なお花畑だといいんだが。赤いのか、白いのか……それとも黄色いのかもしれないが……なあ、オットー」
「なんでしょうか?」
「イース教の伝承とやらでは、『ストレガ』の花畑は山頂から落とされた魔女の死体の周りに生えたっていうのか?」
「バリエーションはありますが、おおむね、そのような言い伝えですね。『星の魔女アルテマ』、女神イースに倒された彼女は、山頂から落ちて、大地に墜落した……」
「山頂ってのは、どこの山頂だ?」
「……詳細は伝わっていません。ですが、素直に考えれば、稜線を築く山々の頂きのどれかでしょうね」
「三ちゃん、それ、あんまり頼りにならない情報さんだよう」
「そうですね、ミア。でも、たしかに漠然とはしていますが、ゼファーで高い山の頂の横を飛び抜けて行けば、伝承の場所の候補には触れるはず……」
「……それを見つけることが可能であれば、あとは焼き払うだけだな。それだけで、『ナパジーニア』を強化していた薬物の量産を防ぐことは出来る」
「ええ。そのはずですよ。『ストレガ』の花蜜は、『炎』、『風』、『雷』の魔力を高度なレベルで安定させるための『器』として薬剤に寄与しています。つまり……その花蜜があるからこそ、複数の効果がある薬品が共存できる―――『人体強化薬』の『核』ですよ」
「……そうか。それを聞かされると、ますます仕事への意欲がわいてくる。そいつを処分しちまえば、あの厄介な薬は製造できなくなりそうだ」
「ええ。出来なくなると思いますよ」
ホント、モチベーションが強くなる、素敵な情報だよ。
「……そういえば、ちょっとした疑問なんすけども」
カミラが挙手しながら口を開いた。視線から察するに、オットー・ノーランの知識を頼りたいようだったな。オットーがそのことに気づき返事していたよ。
「なんでしょうか、カミラさん?」
「どーして、『星の魔女』というんですか、そのアルテマさんは?」
……たしかに、オレも知らないな。どうして、その魔女はそんな大層な名前がついているのか……。
女神イースの信者でもないわけだからな。ヤツらの聖典を読み耽ったことなど、ありはしない。
オレたちは、オットーの説明を期待して、彼に視線を集めていたよ。彼は神話にまつわる知識を披露することを喜んでいるのか、いつもよりわずかにその細い目を、感情的に歪めていたな。
「……『星の魔女アルテマ』。賢者アルテマがその異名を得たのは、星に呪われたからだと言い伝えられています」
「……星に、呪われただと?」
リエルが夜空を見上げていた。オレもつられるようにして、頭を動かしていたよ。網膜に満天の星空を映す……はかなく小さな光どもだ。アレに、呪われる?
「大した呪いになりそうにありませんっすね……?」
「三ちゃん、そこんとこはどーなの?」
猟兵女子ズは星光のはかなさに、弱さを覚えているようだ。もちろん、オレもそうだけどな。だから、今では弱き星ではなく、嬉しそうに糸目を湾曲させているオットーの顔を見ていた。
「そうですね。夜空の星についてではありません」
「ん?……そいつは、どういうことだい、オットー?」
「星の魔女の『星』とは、空に座する星ではなく―――夜空を赤く染めながら、天から堕ちてきた『星』のことです」
天空から堕ちてきた星。
なるほど、つまり―――。
「『流れ星』ってこと、三ちゃん?」
「ええ。その通り。『流れ星』というか……いわゆる『隕石』ですね。このレミーナス高原を『生み出した』、たった一つの隕石についてです」
「レミーナス高原を、生み出す?……隕石が、どうやったのだ?」
知りたがりエルフさんが、博識なる三つ目族を、にらむような強さの視線で射抜いていたよ。オットーは質問されると喜ぶ。とくに、神話や伝承、歴史学についてなどの質問はね。
「かつては、西と東に別れて走り、この『双子の山脈』たちは一つにつながっていたのです。ですが……あるとき、夜空より降ってきた『隕石』が、そられの山脈の中央を、穿つように破壊した」
「……まさか、そのせいで、山脈が二つに裂けたっすか?」
「裂けたというより、中央がえぐれたせいですね」
「な、なるほど!真ん中が消えたから、左右に山脈があるように見えただけっすか」
「そんなことになるんだね、お星さまが堕ちてくると。山が、消えちゃうんだね」
ミアがはるか西に見える、山脈を見つめながら、感慨深げにそう述べる。
「そうみたいですね。そんなことが大昔あったようで……その伝承をもとに、多くの賢者たちがバシュー山脈に訪れました」
「そいつらは、何をしに来たというのだ?」
「大地を穿った『星』を探しに、ですよ」
ほう、空から落ちてきた星を探すか。なかなか、素敵な物語だが……女神に退治される魔女の物語につながっていくというわけか―――どうにも、その『星』を見つけた女賢者アルテマさんにとって、その『星』は災いを招く存在であったらしいな。
いや。
魔女と呼ばれるほどの存在だ。アルテマが見つけた『星』は、この土地に住んでいた者たちにこそ、多くの災いを招いてしまったのだろうか……。
「『星』を探す賢者たちのなかに、若い女賢者アルテマがいたそうです。そして、結局、その『星』を見つけたのは、彼女だった……」
「……それで、アルテマちゃんは、どーなったの、三ちゃん?」
「彼女はその『星』と『契約』して、大いなる力を得たそうです。『星』を口から呑み込んだとも、伝えられています」
「『星』を、体内に取り込んだってか?……豪快な女子だな」
「はい。そして、『星』は彼女を変えた。力を与えただけでなく……その心を邪で残虐な悪意で汚染し尽くしたそうです」
……『星の魔女』の誕生か。
「彼女は、その大いなる力と悪意をもって、賢者たちを殺戮し、この山脈にある多くの王国を襲撃して回ったそうです。幾つもの国が、彼女に呪われて、滅びていった。彼女に呪われると、皮膚がズタズタに切り裂かれ、出血し……やがて死に至ったそうです」
「ずいぶんと血なまぐさいヤツだな、その魔女は!」
リエル・ハーヴェルの正義が、『星の魔女』の行いに怒りを覚えているようだ。たしかに、残酷な呪術の使い手のようだ、『星の魔女アルテマ』はな……。
「王国の人々は神々に救いを求めて祈りを捧げた。その祈りを聞き届けて女神イースがこの土地に降臨したとされています。イースは、アルテマの蛮行に苦しむ民のために、アルテマと死闘を演じることとなる……」
「よくある神話のようだ。その後、アルテマは、女神イースに仕留められたというわけだな」
「はい。激しい戦いの果てに、アルテマはイースに敗北して……この大地に還ったそうです。そして、イースがアルテマのために流した涙から、『ストレガ』の花が生まれたと伝えられている」
伝承、神話。
それらをどれだけ信じられるかは、人それぞれだ。
オレは女神イースの存在すら疑わしいと考えている。
アルテマとやらが実在したのかも、かなり怪しいものさ。
だが、どうあれ。『ストレガ』という名の花が存在しているのは事実。そして、その花畑が帝国の手に渡れば……『自由同盟』に多大な被害を招きそうだという予測は、現実的な脅威として存在している。それが問題だ。
「……なるほどな、『星の魔女アルテマ』。隕石から力と悪意を植え付けられた女。そして、死んだ彼女のために女神が流した涙から生まれた『花』か。今度の任務は、ずいぶん神秘的な側面を有しているな」
「ええ。興味深い探索になりそうですよ!」
オットー・ノーランは、そういった伝説が好きなようだ。オレも……嫌いではない。もっとも、オレが興味を持ったのは、『星の魔女アルテマ』と『慈悲の女神イース』。そいつらが実在するとするのなら、どれぐらいの腕っ節かということが、もっぱらだが。
……ぶっちゃけ、戦ってみたいね。その両者が、どれぐらいの強さを持っているのか。まあ……そんな機会に恵まれる可能性は、それこそ奇跡並みに低いわけだがな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます