第一話 『星の降る山』 その17


 『ガーゴイル』を排除したオレは、砦の屋上から『中庭』の部分を見下ろす。砦の本体と、背後の岩壁のあいだにつくられたスペースだ。そこで我が妹ミア・マルー・ストラウスは、『悪魔蜂』の幼虫である、厳つい甲殻に覆われたイモムシと対峙していた。


 オレは極度のシスコンだが、ミアを信じている。あの虫けらにミアが遅れを取ることなど有り得ない。しかし―――ミアがお兄ちゃんを呼んだ瞬間、あの虫けらは破片の一つも残すことなく消滅するだろうがな。


 ゼファーの火力も合わせて、大地ごと蒸発させてやってもいいぞ……。


『ガギュギュギャギャギャアアアアッ!!』


 『悪魔蜂/デモン・ワスプ』の名に恥じぬような不気味な鳴き声と共に、イモムシは跳んでいた。その場からいきなり4メートル近い跳躍をもって、獲物に喰らいつく。それが『悪魔蜂』の幼虫だ。


 幼虫だからといって弱いわけではない。その強靱な骨格は、矢をも弾くし、ナイフの鋼でも貫きにくい。戦斧や戦槌などで、あの甲殻へ叩き割るような重さを帯びた打撃を加えるのが、最も効果的な攻略法ではある。


 ミアは『悪魔蜂』の攻撃を、横っ跳びで回避する。殺人イモムシは、その大きく左右に開いた牙を地面に突き立てていた。中庭の土を喰らいながら、黒い甲殻に包まれたその二メートルほどの大虫が逃げたミアを睨む。


 そうだ、連中の視力は鋭い。反射速度もなかなかだが。ミアにスピードで勝ることは難しい。


「『風球』、シュートッ!!」


 翡翠に煌めく『風』の弾丸が、殺人イモムシを打撃していた。殺人イモムシの巨体に『風球』がめり込み、次の瞬間、暴風が解放されていた。二メートル近くある『悪魔蜂』の幼虫が、激しい風に持ち上げられて、空中へと吹き飛ばされていく。


 安っぽい鋼の鎧よりも、はるかに頑丈なはずのその甲殻が大きくヘコんでしまっていた。さすがはミアの魔術だ。最高の一撃だったな。


 突撃してきた敵の側面に回り込みながら、攻撃魔術を放つ。最高のカウンターになる―――付け加えて言うのならば、あの殺人イモムシの重心より下の位置に魔術を撃ち込んだのさ。暴風で上空に吹き飛ばしやすいように、『風』の大半を地面に反射させている。


 ああ、オレの『バースト・ザッパー』にも似た組み立ての技巧じゃないか……っ。ミア、お兄ちゃん、その魔術、なんだか最高に好きだッ!!


『ぎぎゃぎゃぎゃあああああッ!!』


 ……一瞬、スイート・シスター・ミアが輝きすぎていて、色々なことが脳みそからこぼれ落ちていた気がするな。そうだ、今は、お仕事中。しかもミアの仕事だ。シスコンを暴走させている場合ではない。


 『悪魔蜂』を観察せねばな。


 そうだ、ヤツはミアの放った暴風に耐えた。甲殻を大きく歪められながら、大地に背中から叩きつけられている。


 それでも致命的なまでに壊れることはない。かんしゃくを起こした躾の足らないガキのように、ヤツは痛みと屈辱を晴らそうとするみたいに騒いでいたよ。


 そして、無数にある足と、その長くて大きなイモムシの体をうねらせて、やつらにとって正しい体勢に―――地を這う姿勢へと起き上がってしまった。


 ヤツは地面をも容易くえぐり取る牙が生えた、あの大型時計の歯車みたいに、どこかカラクリじみた硬質な口元を、ガチガチと鳴らしていやがる。巨大で太い牙がぶつかる音だ。元気そうだが、むろん快調というわけではない。


 あの不気味な口の中から、紫色の体液がドロリとこぼれていたぞ。ミアの『風球』の圧力が、ヤツの中身を大なり小なり破壊していたのさ。


 死に至らなかったのは、もちろん、ミアの力が足りないわけではなく、彼女が一撃で決めてしまわないように手加減してやっただけだ。殺人イモムシの甲殻の固さを、リエルとカミラに教えているのさ。


 上空からゼファーの羽ばたきに混じり、オレのヨメたちの声が聞こえてくる。


「……イモムシ。頑丈っす……ッ。牛みたいに大きいし、史上サイアクなモンスターっすよう!!」


 ……感性はヒトそれぞれだから、何とも言いがたい。オレは『地獄蟲』の方が、あの殺人イモムシよりも不快な形状をしているように思うけれど、カミラ・ブリーズの考えは異なるようだった。


 美醜に関する判断は、ヒトによって大きく違う。


 カミラはイモムシに対して、何か悪いイメージであるのかもしれない。オレは、悪いイメージもないが、さして良いイメージもイモムシにはないな。あの殺人イモムシを美しい生命とは一欠片も考えていないということは、ヨメさんと一緒。


「むー。ヤツの胴体は頑丈なのだな。矢で狙うなら、頭部。あるいは、『紋章地雷』を帯びた矢で、内部からの爆破なら楽勝そうだ」


 内部から爆破か。いいね。衝撃が甲殻に反響して、中身をぐしゃぐしゃに破壊してくれるだろう。しかし、『悪魔蜂』も、まだ本気を出してはいない。


 ミアはナイフを指で握ったまま、敵の様子をうかがっている。その全身に力みはないが、それだけに反射速度は上がっている。肉体を駆動させるときの力は、体を緊張させていては発揮されない。緩ませた筋肉から、緊張させるときに生み出される。


 力を入れすぎた姿勢では、あらゆる動作は速度を出せない。ミアの体重は軽いため、体重を活かした格闘戦は難しい。スピードと技巧に頼った、戦術を選ぶしか小柄な戦士に選択肢はないのだ。関節を固めることで、体重を戦闘に使える大男とは根源的に異なる。


 力に頼れないミアは、スピード勝負に全てをかける。ゆえに構えは脱力し、構えに頼った防御など、最初から捨て去っているのさ。挑発するように、ナイフを指で遊ばせていることにも意味があるぜ。


 ナイフで切りつける角度を常に変えているんだ。敵に対してあらゆるルートからの襲撃を思考しながら、準備する。そのための癖で、無意味な遊びでも挑発行為でもない。ミアに油断はない。オレとガルフはそう教えているからだ。


『ギッガガガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 殺人イモムシが鳴き、ミアに向けて白い糸を放つ。獲物を拘束するトリモチみたいに粘る糸のシャワーだ。だが、ミアは『風』を踊らせる。真空の刃が拘束の糸を切り裂いて、右方向に逃げ道を作った。


 ミアの小柄な体が素早く走り、その逃げ道を抜けきった。殺人イモムシは、めげない。ヤツはミアに対して、再び白く粘る糸を放とうとするが―――『風球』がヤツの大きな牙が左右から生えた口元に叩きつけられていた。


 糸が暴れる風に乗せられて、ヤツ自身の体に降りかかっていく。その粘る糸はすぐさまに乾いて、恐ろしいまでの固さで殺人イモムシを拘束していたよ。身動きが取れない。


「おお!なかなかにクレバーな戦い方だぞ、ミア!!」


「すごいっす、さすがミアちゃん!でも……あのイモムシ、糸まで吐くんすね……自分、アレ、ホントに苦手っすよ……」


 ヨメたちが勝利の気分にひたっている。だが、ミアはナイフを指で遊ばせている。油断をしていない。いいや、集中を高めている。イモムシの動きが静止した瞬間。ミアは左手で二本目のナイフを抜いた。


 ガルフとシアンに学んだ二刀を選ぶ。指で強くナイフの柄を握り、シアン・ヴァティみたいに身を低く構え直す。重心を低くして、より素早く加速を得るための姿勢だよ。


 ミアの闘争心の高まりに、リエルもカミラも気づいていた。そうだ、戦いはまだ終わってはいない。


 虫型のモンスターは、『呪いの風』が由来の突発的な発生ではなく、『種族』として確立している存在が多い。その醜く危険な虫たちは、繁殖能力に優れ……短命であり、世代交代が早い。


 ヤツらは、ヒトよりもはるかに合理的な精神の体現者だ。どんなに追い込んでも、必殺の攻撃を仕掛けてくる。殺し終えても動くほどに、原始的で反射的な殺戮本能を持ち合わせているのだ。


 殺人イモムシが『本性』を発揮するぞ。硬質化した糸に囚われていたはずの体が、突然真っ二つに裂けていた。紫色の体液を飛ばしながら、『中身』がズルリと飛び出していた。


 『悪魔蜂/デモン・ワスプ』の成虫さ。


 あの虫は、2分で幼虫から成虫に変わる。常識外の怪物、それゆえにモンスターと称される。耳元を熊蜂にでも飛ばれているかのような騒音を放ち、『悪魔蜂』が夜空を舞う。空を飛ぶ敵に対して、ゼファーがイラつくが……心をつなぎ、ガマンさせる。


 アレの動きを見せるのが、ミアの仕事だぞ、ゼファー。


 ―――うん。わかったよ、『どーじぇ』。みあに、まかせる……。


 本当に空を飛ぶモンスターが嫌いらしい。カミラは、悲鳴でもあげるかと考えていたが巨大な蜂はへっちゃらのようだ。アメジスト色の瞳で、空を飛ぶ不気味な蜂の姿を、じーっと観察していた。


 リエルは……ゼファー並みにイライラしていたよ。空飛ぶ虫が嫌いなようだ。矢で射殺したい衝動を抱えているのかもしれないが、理性がその行動を抑止している。ギリギリだけど、耐えている。そうだ、今は『見る』ための戦闘だ。


 『デモン・ワスプ』がミアに目掛けて突撃していく。ミアは空飛ぶ不気味な蜂を引きつけておきながら、加速し、ヤツの下を抜けるように走った。1メートル50センチほどの黒い蜂は、太い脚に生えた爪と、腹の先にある巨大な針で、ミアの残像をえぐった。


 あの毒針は、強力だ。刺されても大ケガだが、その直後に毒液を注射される。かなり体調が悪くなるぞ。脚に抱えられ、針を刺される。牛でも殺すことがあるようだ。


 ……考えたくもないが、もしも、あの脚に捕まり、針を刺されてしまうことがあれば?伝統的な防御方法がある。


 どうするかといえば、針を刺された部位の筋肉に力を入れて、ヤツの毒針に圧をかける。そうすれば、注入される毒液が少なく済むぞ。


 あるいは……『チャージ/筋力強化』をかけることで、その針を筋力の収縮で潰してしまうのもありだ。痛いが、毒は体に入らない。そして、相手は最大の武器を失う。


 『デモン・ワスプ』はミアを追いかけて飛ぶ。ジグザクの飛行が特徴だ。幻惑される飛び方さ。あれは矢で射るのが難しくなるぞ。


 ときおり、左右だけでなく縦の飛行を混ぜてくる。弓使いには、トリッキーな相手だ。複数の『デモン・ワスプ』と戦うときは、注意が必要だな。視界が誘導される腹ではなく、羽根のあいだを狙うべきだ。あそこが最も動きが少ない。


 とにかく、先手必勝、素早く一撃で仕留める。それが、『デモン・ワスプ』に対して最も有効な策である。


 さて。ミアは空中からの襲撃を、ひらりひらりと躱しているな―――十分だ。ヤツはもうネタ切れだ。モンスターの技巧は、それほど種類が多いわけじゃない。このままミアに敵わないと悟れば、逃げられてしまう。


 それは世のためにならん。モンスターなど、一匹でも多く殺すべきだ。


「ミア。もういいぞ。殺せ」


「―――了解」


『ぎゃがああああああああああッッ!?』


 『デモン・ワスプ』が困惑する。いきなり、とんでもないスピードで追いかけていたはずのミアが消えたからだ。


 ああ。ミアのステップワークさ。


 何も、前に速く走るだけがステップの真髄ではない。加速と減速を組み合わせてこそ究極だ。ミアが何をしたかと言えば……全速力で走っていたのに、一瞬でその場に止まる―――だけでなく、一歩だけ後ろに走った。


 オレには出来ない技巧だ。全速力で走りながら、いきなり後ろ跳びを混ぜる。その動きをされたから、『デモン・ワスプ』は『ミアを追い抜いたことに気づけなかった』。さらに、ミアは次の瞬間には前に走り始めている。


 『デモン・ワスプ』の背後から、襲いかかかるためにな。ミアが飛び、両手のナイフは鋼の牙となる。一瞬で、『デモン・ワスプ』の巨体が、7回も切られていた。肉片と化した悪魔の虫が、バラバラになりながら大地に落ちる。


 オレはうれしくてたまらない。ミアのステップは、さらに磨きを増していることを確認出来たからだ。あの幻惑的なステップには、あらゆる戦士が惚れるだろう。速く走るだけでなく、あえて遅く走り、相手の背後を取る。


 矛盾を体現する。それこそが、武の極地のひとつだ。


 竜騎士同士の決闘の技巧に似ている……ああ、ミアよ。いつか、オレはお前のために竜を見つけてやりたい。お前ならば、『竜騎士姫』の再来と呼ばれる竜騎士になれるはずだ。

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