第一話 『星の降る山』 その15


 それは山城というほどには大きくないが、一種の砦であった。三階建ての四角く色気のない武骨な石造りの建物だよ。夜に浮かぶそいつの肌は、風雨と歴史に削られて、あちこちが削れてしまっている。


 天を衝くかのような勢いでそそり立ち、刃のように切り立った崖。雲海を斬り裂く剣にもなる稜線の鋭角。そんな崖の上に、ひっそりと身を隠すようにして作られた、灰色の砦があった。


 石で出来たそれは静かに佇み、夜風と細くなった月の光を浴びながら青白く闇のなかに浮かんでいる。


 この崖を盾にし、あるいは目隠しに使い……何よりも、『高み』にいる有利を活かして。敵を監視し、偵察するための小規模な軍事施設―――その『骸』が、この砦の正体だよ。仕えるべき王国を失ったことで、これは死んだのさ。おそらく、ずいぶんと昔にね。


 ヒトの脚では、岩壁の側面を削って作った細い『階段』を使うことでしか、この砦を訪れることは叶わない。だが、その道さえも時間が与える滅びに呑まれて、とっくの昔に崩れ去っている。


 ここはずいぶんと前に閉鎖されてしまった空間だ。ひとりぼっちのまま何十年、あるいは何百年か?この王国の血筋たちにさえ、忘れ去れているだろうよ。


 つまり『隠し砦』としてはどこまでも優秀だ。ゼファーに乗っていたからこそ、我々の目に晒されているが、常識的な手段では、たどり着くことはおろか、見つけることさえも叶うまい。


 本当にここは秘密が似合う。


 そして、孤高という言葉も捧げられるべきだ。


 崖下からの高さは150メートルはある。臆病者では、あの砦の窓から顔を出すのにさえ、勇気を練りあげるための時間を要するかもしれない。孤高と勇敢さを体現したような立地にある砦だよ。


 ゼファーでその砦の上空を旋回しながら、オレは上機嫌になる。見下ろしたその砦が、星明かりと細くなった月の光を浴びて、夜の闇に薄ぼんやりとした青白さを放つ姿に、記憶の扉がこじ開けられていく。


 我が祖国、ガルーナにあった『ストラウスの山城』を思い出していたよ。


 断崖絶壁の防壁に守られた、竜騎士たちの集まる山城さ。ストラウス家の練武の場でもあり、竜騎士にまつわる歴史の全てが保存されている、我が血脈の記憶の館。剣鬼ストラウスのためだけに造られた、武骨さと幻想をまとっていた雄壮なる山城を―――。


 この砦は、あの場所によく似ていた。


 むろん、ここの規模はあまりにも小さなものだが、それだけに実用性は高く洗練されている。敵の動きを気取るための場所。敵にはこの場所を悟らせぬために、あえて小さく作り、少数の部隊で敵を見張り続けた。


 この徹底された機能性がもつ武骨なる美学に、ストラウスの血は共感を覚えているのさ……間違いない、これを作った戦士とオレの一族は気が合うぜ。


「……滅びた王国の、見張り台か」


 リエルの言葉が夜風に響いた。


「そうだな。この小さな砦は、数名の兵士が常駐し、敵の侵入を警戒していたのだろう」


「……でも、ソルジェさま。どうやって、こんなところに砦の材料を運んだんですか?」


「背後に見える岩壁を削ったのさ」


 おそらく、そうすることで色彩を山肌と同じようにした。可能な限り岩壁に紛れるようにしたのかもしれない。たんに資材を集める手段が他に無かったからかもしれないが、剣鬼の血は……これを造った人物を、抜け目の無い戦士だと感じているよ。


 あまりに狭く過酷な環境にある砦だ、ムダなことはしないはずだ。


 ここにあるのは、徹底的な合理性だけ。この砦は、戦のための武器そのものだからな。あらゆるデザインと選択が、戦いのための意味を帯びているはずだ。


「石材を掘り出したことで、背後の岩壁には倉庫代わりの穴を造っていたのさ」


「ホントっす!砦の裏手の岩壁には、大きな穴があるっすよ!」


「ふむ。手前の崖に、背後の岩壁か……北からも南からも見えない立地だな」


「そうだ。地上から隠されている土地だ。東西からも視認は叶わない。『ここ』は稜線を形成する場所の一部だからな。のぞき込める高さを持つ場所どこにもはない……つまり、東西南北から隠れることの出来る秘密の砦ってことさ」


 そこは狭くて小さな隠密の砦。この崖の上に隠れた場所に、かつて兵士たちは住んでいた。敵の動向を見張るためにな。


 敵が来たら、角笛を響かせて、やまびこを作ったのだろう。狼煙やかがり火による合図では、この場所を敵に悟らせてしまうからな。


 ずいぶんと前に滅びた、オレの知らぬその王国は、『北』から来る敵を警戒していたらしい。北を見下ろせる仕組みだからな。一体、どんな蛮族の国と戦っていたのかね。


 守るべき王の都は南にあったのだろう。その国はとっくの昔に滅びたのだろうが―――この見張り台はいまだに敵が来ると考えているかのように、沈黙したまま敵が来る方向を睨み続けてくれているのさ。


 この砦を築いた者は、なかなかの戦術家だな。気配を隠そうと思えば、この砦は敵の目を完全に欺けるだろう。崖の下を通る大軍にさえ、ここは死角となる。息を潜めて入ればバレることはないよ。


 キツネのような巧みさで隠れ、少数で敵の動きを見張る。ああ、なんともシビれる孤高さを帯びた場所じゃないか……ッ。


 月と星の光を背に受けて、オレたちはその武骨なる過去の遺産に視線をやりながら、それぞれの視界に見える『情報』を集めていく。偵察のための隠し砦にも、偵察を受ける時間が訪れたのさ。


 滅びた王家に仕えた兵士の魂でも彷徨っていそうな雰囲気だが―――実際にそこにいるのは霊魂などではなく、もっとハッキリした驚異だったよ。モンスター、その厄介な連中が、眼下の砦には巣食っている。


「む。三階に影。ヒトではないがヒトに似ている……石像?動いているぞ」


「……『動く石像/ガーゴイル』か。モンスターというより、かつてあそこにいた兵士たちの誰かが遺した『トラップ』だな」


「一階にも、何かいるっすよ……こちらの魔力に気づいて、這うように動いているっす。アレは……地獄蟲に似てる……?」


「……一階のものは、『悪魔蜂/デモン・ワスプ』の幼虫ですよ」


「幼虫!?い、イモムシっすか?」


 カミラが引いてる。ムカデとカニが合体したような地獄蟲に慣れているのなら、ヒトと同じ大きさのイモムシなんぞ、可愛いモノだと思うのだが。どうも、そうではないようだな。


「苦手っす……っ」


「だろうな。だが、それだからこそ慣れるべきでもあるのだぞ、カミラ?モンスターは敵だ君の命を狙うこともあるし、君が守るべき存在にも、その牙を向ける」


「は、はい!!」


 厳しいことを言ってしまったか。しかし、これも愛がもつ側面の一つだと、カミラには伝わっているとオレは思う。


「自分、がんばるっす!!イモムシ嫌い、克服するっすよ、ソルジェさま!!」


「ああ。ゆっくりでもいいから、そうしてくれ。苦手を克服すれば、君の才能ならば、どんなモンスターにも負けることない」


 そうだ。第五属性『闇』。人類には許されていない力を行使できる、最強の存在。それが『吸血鬼』だからな。


「団長。モンスターは二体だけですが……誰がどう仕留めますか」


「オレとミアの出番だ。オットー、君は待機し、『ガーゴイル』の分析を頼む」


「分かりました。呪術の構造を、見ておきます」


「頼むぞ。この土地の『遺産』に特別な価値があるのかを知りたい」


「ええ。マルコ・ロッサ氏のアドバイスですね」


「そういうことだ」


 オットーの『三つ目』と知識を用いる敵の分析は、オレたちに想像を超える情報をもたらすことがある。『ガーゴイル』やゴーレムなんぞは、魔術師や錬金術師、あるいは呪術師などが『製造』したモンスターだ。


 製作者の哲学や意志、あるいは魔術的な技巧を読み取ることも可能。それをしたところで『ストレガ』の花畑を探すことにはつながらない。


 だが、マルコ・ロッサの勘によれば、花畑を探すだけの仕事にしては敵の規模が大きすぎる。


 この廃墟と穴だらけの土地に、錬金術師が好みそうな『宝』があるとすれば何だろうかね?とりあえず、今、目の前には『ガーゴイル』という先人たちの魔術的な『遺産』がいやがる。


 『青の派閥』。極右化して、人体実験を繰り返し、帝国の兵士を強化するための薬物を創ろうとしている、オレたちからすれば邪悪な連中だ。


 この土地に『ストレガ』以外に、ヤツらのメリットになる『何か』があるとすれば、排除してやりたいではないか。オットーに『ガーゴイル』を分析していもらうのは、その一環だよ。


 もしも、この土地の『ガーゴイル』に特別な製造の技巧が施されていたとすれば?『青の派閥』どもの目標かもしれんからな。


 ……くくく。我ながら、思いつきに頼った発想だという自覚はあるさ。


 だが、敵の錬金術師が赴いた土地で、初めて遭遇した敵がよりにもよって『ガーゴイル』なんだぞ。蛮族の単調な脳みそが、どうにもイヤな予感を浮かべてしまう。


 これが運命の出会いでなかったにしてもだ。何にせよ、情報収集は細かくて多いほうがいい。オットーの分析能力に頼るべきだな。今度の敵は、オレたちの専門外の領域だ。血なまぐさい戦争屋ではなく、賢い研究者たちの集団だ―――情報を、かき集めるべきさ。


 ……さてと。


 分析はオットーに依頼した。あとは、オレたちストラウス兄妹の仕事だ。


「リエルとカミラは、この土地のモンスターは初めてだろ?……ヤツらの動きをよく見ておいてくれ。この土地のモンスターの『強さ』を把握するんだ。モンスターは土地によって戦闘能力が似てくる。速度、力、攻撃性、防衛本能……敵のそれらを把握しろ」


 なぜか?


 モンスター同士で淘汰し合うからだ。分かりやすく言えば、モンスター同士で殺し合うのさ。ヤツらは攻撃性に狂った獣。とにかく野蛮で血に飢えていやがる。


 戦いの結果……その土地に生き残るモンスターは、おおむね同じ強さのモンスターばかりってわけさ。


 たまにいる『例外的な強さの個体』を除けば、その土地の生存に最適の戦略と力を持つモンスターたちばかりが残る。


 初めて訪れた土地では、可能な限りガイドを雇うべきだ。その土地での最適な振る舞いを学べるからな。


 ……今夜は、オレとミアが、ガイドの役目を務めるのさ。


「観察することでも力を養える。オレたちも、速攻では仕留めん。『相手の力や行動を引き出すようにして戦う』。よく学んでくれ」


「うむ。了解だ、ソルジェ団長」


「了解っす!!」


「いい子たちだ。ミア。ミア、行くぞ。出番だ。作戦は、『じっくり戦え』だ」


「……らじゃー……っ」


 オレは脚のあいだにいるミアを起こす。ミアは、あくびをしながらも、ナイフを抜いた。そして、すぐさまゼファーの背でぐらりと踊り、そこから飛び降りていたよ。


「み、ミアちゃん!?」


「大丈夫だ、カミラ。ミアは三分前から起きてはいた。オレの脚の間で、ゆっくりとストレッチしていたぜ」


「うむ、さすがはミアだ。戦闘準備は万全か……だが、いつもながら、竜の背から飛び降りられると、驚いてしまうな」


 気持ちは分かる。オレもついついお兄ちゃんの腕が伸びて、飛び降りようとするミアを抱きしめたくなるよ。


 でもね。ミア・マルー・ストラウスは、風の申し子。オレの妹。ストラウスの竜に愛された存在―――そういう者は、空から落ちて死ぬことはないのさ。


「―――さて、ミアの狩りが始まるぞ」

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