第一話 『星の降る山』 その13
「……世界を旅していれば、遭遇する事件ですよね。家畜の腹からモンスターが発生するという事件は」
「ああ。ときおりな……そういえば、オットー。これは、ちょっとした興味本位の質問なのだが」
「なんでしょう?」
「……『それ』は、ヒトでは起こらないのか?」
オレは、ヒトでは聞いたことはない。『悪魔の子』を生んだという未開の迷信にまつわるウワサ話は、ときおり聞くものだが……モンスターを出産した女の物語には出会ったことがない。
実際にモンスターが産まれたなら、噂だけではすまなくなるからな。大勢の民が殺される騒ぎになる。大事件だ。そして、その残酷な殺戮騒動の生き残りが、女の腹からモンスターが産まれたと世間に全力で報告するものではないか?
だが、旅慣れているはずのオレでも、そんなハナシを聞いたことがない。しかし、無学な蛮族の視点だけで、世界を語ることは出来まい。博学であるオットーならば、オレの知らない悲惨すぎる事件を知っているのだろうか。
「いえ。ヒトではありえませんよ。幸いなことに。人類は魔力が強いですからね」
「魔力が強ければ、『呪いの風』が胎児をバケモノにすることはないと?」
「そのようです。大気中を舞う『呪いの風』に吹かれても、我々は全く影響を受けることもありませんからね……それほど『弱い力』ではあるわけですよ、『呪いの風』とは」
「たしかにな」
事実、オレたちは今日も何度か『呪いの風』の帯を越えているはずだが……体調に異変を感じることはない。
ただの冷たい風としか、肌は認識しないのさ。『飛ぶ死体/レイス』でも漂っていれば、敵意や魔力を感じて不快な気分にもなろうがな―――。
「……オレたちの血肉に宿る魔力が、『呪いの風』を封じているのかね?」
「ええ。私の三つ目には、ヒトの魔力が呪詛を弾くように見えます」
「そんな微細な魔力の流れさえも見えるのか。さすがの瞳術だ」
サージャー族の三つの目は、アーレスの力を継承した魔眼の能力さえも、超えている分野が幾つかある。極小の魔力の分析、そういったものは魔眼の機能にはないのさ。
もしかして、半分眠りながら飛んでいるゼファーには、見えるのだろうか?
……どうだろうな。竜は小さなコトを気にしない傾向がある。『飛ぶ死体/レイス』に対しては、ゼファーは毛嫌いしているというか、攻撃性を強めるけれど。空は、竜の縄張りだからかもしれない。
まあ、いいや。今度、寝ていないときに訊いてみよう。たとえ竜の眼に映らないとしても、嗅覚で感じ取れるかもしれないからな。
「……ゼファーはともかく、オレの魔眼には、『呪いの風』に特別さを認識できない」
「竜は圧倒的な強者ですからね。進化の過程で、『呪いの風』などを見る力が不要となったのでしょう。サージャーは、細かなことが好きですから」
たしかに、サージャーは分析能力に長けているが―――彼の兄トーマ・ノーランはもっと大ざっぱだったな。
分析という行為そのものを好きなのは、サージャー族の特徴ではなく、オットーの特徴なんじゃないかね。いいや、分析好きというよりも『探求』が好きと言ったほうが、生粋の冒険家には相応しいか。
オットー・ノーランは世界の秘密を知りたいと願う人物なんだよ。
「―――そういえば、錬金術の分野でも、魔力が『呪いの風』を弾く現象は、かなり古い時代から証明されていますよ」
「ん。そうなのか?……ああ。そうか、だから『家畜の聖水』があるわけだな」
『呪いの風』が吹く土地にも、モンスターの発生を予防する方法は存在している。完全にではないだろうが、それなりに信頼がおけるものがあるのさ。錬金術師どもが、さまざまな素材で作り上げる、『家畜の聖水』ってヤツだよ。
正式な名称が他にあるのかもしれないが、世間ではそう呼んでいる。とにかく、それを家畜にかけちまえば、家畜の腹からモンスターが産まれることは劇的に少なくなるらしい。
「ええ。さすがは団長、畜産業にも詳しい」
「蛮族だからね。ガキの頃、羊にエルフの婆さんが作った聖水をかけて回ったことがあったな。薄緑の霊薬を、羊どもは嫌がっていたよ」
子供ってのは性格が悪い。オレたちストラウス家の悪ガキどもは、逃げる羊どもを楽しそうな顔で追いかけ回した。
家畜を虐待しているわけじゃない。祝福して呪いから守っているんだ、酸っぱい臭いのする薄緑色の液体でな。
「魔力を付与すれば、『呪いの風』を退けられます。もちろん、祝福を受けない家畜でも、モンスターを産むことが多いわけではないのでしょうけどね」
「それほどに『弱い呪い』ではあるわけか。つまり、家畜より魔力の強いヒトは、何もしなくても、『呪いの風』に影響されるわけがない」
「ええ。その事実から、この『魔力』というものに対して『神が我々に授けてくれた祝福の力』と定義する宗教もあったりしますよ」
ふむ。魔力が神とヒトとのあいだにある聖なる絆ということか。
こんなありふれた力を、神聖なものと結びつけるとはな……いや、ありふれた力だからこそ、信仰の対象にもなるわけか。しかし、神が『授けてくれた』だと?
「もしかして、その宗教では、『人類が魔力を持たない時期』があったとでもしているのか?」
「ええ。そういう時代があったと、彼らは信じています。少なくとも、彼らの聖典にはそう書かれていますね」
「そうか。色々な宗教があるものだな」
右の人さし指を天に向け、指先に小さな『炎』の灯火を呼んでみる。こんなものを、神さまがくれるか?ヒトの血に宿る、本質的な能力の一つに過ぎんとおもうがね。
魔力の供給を止めると、『炎』は風に喰われるようにしてかき消えていた。与えられた力だとは、思えないほどに心と体に馴染むのだがな。
「何にでも『始まり』があるのではないか、そう発想する感性も、私には分からなくはありません」
「……起源を定義することで、納得を深める。そういうことは、オレにも共感が出来ないわけじゃない」
誰にも分からぬことがある。それに説明が与えられることで、ヒトはその謎が持つ不安から逃れることも可能だ。
その説明が、正しいかどうかは、あまり関係がないように思えるな……趣味や哲学に合うかどうかってことが大きい気がする。
「とにかく、『呪いの風』は、ヒトの胎児には『基本的に悪さをしません』」
「……その言い方をするということは、例外はあると?」
「ええ。あります、『アンデッド』ですね。死体であれば、その全てがアンデッドというモンスターになる可能性あるので」
「死体の血肉には、魔力が通わんからか」
「はい。死体ならば『呪いの風』に踊らされます。骨に、それらが侵入することで」
「スケルトンに、レイス……たしかに、そうだな」
「ええ。状況次第では、妊婦の死体と、胎児の死体が……同時に死霊になることもありえます。それゆえに、妊婦の死体を火葬する国もある。ザクロアは、そうですね」
「……ああ。その方がいいだろう。ザクロアでは、さんざん死霊に絡まれたよ」
「そうだったみたいですね。ああ……また、ハナシが脱線していました。肝心なことは、バシュー山脈にいるモンスターについて、でしたね?」
「そうだな。具体的には、どんなものがいる?オレがかつてあの土地で見たのは、オーク、ゴブリン、リザードマン。あとデカいイモムシに、カニのような手足の生えた岩の固まり。しょうもないスライムの色違いどもだったが……」
「それだけ知っていれば、半分以上は網羅していますよ」
「そうか……」
「ちなみに、そのオークとゴブリンは家畜から産まれたのでしょうね」
「……家畜は何でもいいんだったか」
「みたいです。ヤギでも豚でも何でもいいようですね。それらのどの種類からも、オークもゴブリンも産まれて来ます」
「つまり、器は何でもよくて、注がれる『呪いの風』次第というわけか?」
「はい。『呪いの風』は世界を巡りますが、いつも同じ軌道で巡ります。その結果、それぞれの『呪いの風』が吹く土地に、それぞれの風に呪われたモンスターが産まれていくわけですね」
「だから、地域性があるわけだな。モンスターの生息分布に個性が生まれる」
ザクロアに吹くのはアンデッドを作る『呪いの風』さ。あの土地にいた『ゼルアガ・アリアンロッド』が招いていたのかもしれないがね……。
「ええ。そして、その『呪いの風』が、数多く通過している地域が、バシュー山脈です」
「南北に長く伸びているからか」
「はい。それゆえに、多くの種類のモンスターが産まれる。南北に走る山脈には、よくある特徴です」
「だろうな。風は、山に当たるものだ。山に当たった『呪いの風』が、過ぎ去ることなく、地上に注いでいることも影響するのだろう」
「はい。そして……バシュー山脈は、鉱山も豊富で、滅びた国家も多かったというのは、先ほども説明しましたよね?」
「ああ。風雨に削られて、鉱脈が剥き出しなんだろ?」
その鉱脈を辿って穴を掘れば、大きな鉱山が完成する。その鉱山を財政の基盤にして、国家が栄え……やがて滅びた。なるほど。つまり―――。
「―――滅びた国家の『遺産』……野生化した家畜たちも多いのか?」
以前、バシュー山脈でミアの特訓をしていたとき、『野良の牛』を見つけたな。焼いて食おうかと思ったが、子連れだったので、牛乳を搾っていたよ。しばらくすると、山奥に戻っていったな。
「そうです。この山脈には野生化した家畜の子孫が数多くいます。その胎児が『呪いの風』を浴びると、ときおりモンスターとなって、母体の腹を裂いて産まれて来ます」
「……家畜の腹以外からも産まれるんだろ?」
「ええ。モンスターは自前で繁殖もしますからね。その場合は、自分と同族しか産まないようですが……それらの『巣』となるのが―――」
「―――坑道やら廃墟ってことか」
バシュー山脈が、モンスターだらけの理由が、だいたい分かって来たな。『呪いの風』が引き金となるものだけで、わんさかいそうだ……そして、それ以外の方法でも世界にはモンスターが存在している。
竜なんてのは、太古の昔から存在しているわけだしな。『呪いの風』ごとき弱い力で産まれるような種族とは思えない。家畜の腹から竜が産まれたハナシなど、ストラウス家の一族の誰も聞いたことがないしな。
伝説を築くような、強靱なモンスターたちの大半は、この世界の自然が生み出した偉大な獣たちなのだろう。
それに……グラーセスの『大地獄蟲』や、ハイランドの『呪い尾』や『シャイターン』。ヒトがヒトで創り出したモンスターも存在するな……ゴーレムなんていう、古典的な人造モンスターもいる。
モンスターさんたちにも、色々あるってことさ。たしかに、世界は複雑に出来ているよ。
「―――バシュー山脈のモンスターが豊富な理由には、『呪いの風』以外を起源にもつモンスターも生息しているということもありますね。それが多様性を深めている」
「……どんなヤツがいるんだい?」
「一般的なのはスライム……ああ。あと、『樹霊』などです。『樹霊』は『呪いの風』では産まれない、確立された『種族』のようですね。『呪いの風』の道筋に依存しないことが、その根拠の一つ」
『呪いの風』で産まれるのなら、その風が吹く全ての土地で大なり小なり産まれるはずだからね。そうでないということは、違う起源を持つだろうという賢そうな発想だ。
「血で引き継がれる生物……つまり、オレたちやゼファーたちと同じ発生方法か」
ただの動物と言える。
まあ、強靱な獣のことを、ヒトはモンスターと呼ぶわけだがな。ヒトを食害するレベルの獣ならば、なんだってモンスターと呼んでも、差し支えはないだろう。
モンスター学は混沌としている。『ゼルアガ』と同じく、研究者が存在しにくい学問だ。現地調査で食い殺されることも多々あるだろう。根性のある仲間の学者が、その死体を発見して、あのモンスターは肉食です!という学術的見識を深める。
人材の損失が大きいな。なかなか、研究が深まりそうにない。変に命がけだから、学者同士でもめまくって、議論がまとまりそうにもないしね……。
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