序章 『嵐と共に来たりて……』 その4


 そうだ。時間はあまりない。12時前にはイドリー造船所を離脱しておきたいところだからな。今回の作戦はあくまでもイドリー造船所の破壊、そして建造されたばかりの軍船の強奪だからだ。


 そして、オレたちは独自の作戦目標である『植林地を焼き払う』を追加した。このうえ、ドワーフ奴隷の救助を実行するとなると、スケジュールが密過ぎる。


 ……とはいえ、この扉を開けてしまったのだ。その責任は取らねばならなくなるだろう。開け放たれた納屋の内部から、ヒトの呼気と体温が呼ぶ湿度を感じる。


 そうだ。この場所には、やはり情報通り、ドワーフの奴隷たちがいたよ。巨大な檻と、その向こう側には『魔銀の首かせ』をはめられた、痩せたドワーフたちの姿があった。


 彼らはオレとミアの姿を見つけると、警戒心を強める。


 当然だろうな。得体の知れない二人組の登場だ。さて、何て説明したものかと考えながら、暴風雨のうなり声を消すために、扉を閉じていたよ。


 ずぶ濡れとなった体中から雨水を垂らしながら、この収容施設の中央部に無言のまま歩いて行く。ドワーフたちも警戒を抱きつつも好奇心を持っているのだろう、檻のなかで動き、こちらを追いかけるように移動する者たちもいた。


「……この中の代表者は誰だ?そいつとハナシがしたい!我が名はソルジェ・ストラウス!!ガルーナ最後の竜騎士にして、『パンジャール猟兵団』の団長!……君らに分かりやすく言うと、アリューバ半島で帝国艦隊を沈めた戦士の一人だ!」


 アリューバ半島でジョルジュ・ヴァーニエが戦死して、その指揮下の艦隊が壊滅したことを、彼らは知っていたようだ。


 こっちの言葉によく食い付いているな。ヒゲの濃いドワーフ男たちが、お互いにコソコソと何かを耳打ちしている。


 ドワーフたちのなかに動きがあった。ひとりの老齢のドワーフが、若いドワーフに手を引かれながら、檻の中を移動していた。


「……アンタが、彼らの代表者か?」


「……いかにも。ワシは、ビトー村の、ランド・マーカス。『ランドのじっさま』と呼ばれておる。彼らの、まとめ役ではあるよ」


「そうか。単刀直入に言おう。オレたち『パンジャール猟兵団』と、アリューバ半島の海賊騎士たちは、このイドリー造船所を襲撃しに来た」


「……ふぉふぉふぉ。豪気なお方じゃのう……そして、知恵も利きなさる。この春の終わりを告げる嵐の日に……襲撃してくる?……イドリー湾はともかく、沖は荒れ果てておるじゃろうに」


「そうだ。だからこそ、やって来た。その嵐を越える技巧を持つ船乗りたちが、もうすぐこの造船所にやって来る。湾内の桟橋に新しい船が5隻浮いていたが、アレは動くか?」


「動きますとも。内装が完成していないだけで、海戦にだって耐えるでしょう……ストラウス殿……そんなことを聞いて、どうなさるおつもりかな?」


「あの船をアリューバに持って帰るつもりだ。その船に乗りたいという希望者がいるかどうか、あなたに問いたいのだ、『ランドのじっさま』よ」


「つまり……我々に脱走を勧めておられるのじゃな?」


 『ランドのじっさま』の言葉に、周囲のドワーフたちがざわついた。喜ぶ声と、苦悩の言葉、反応は様々だ。予想通りなのだろう。ここにいるのは、男たちばかりだ。彼らは家族と引き離されて、ここで働かされている―――。


「逃げ出したい男はいないのか?……いれば、オレたちは可能な限り、その願いを叶えるぞ」


「……我々は、帝国のあちこちの村や町から連れて来られました……家族と引き離されている者たちばかり……ここから逃げることは、家族と再会できなくなることと同じことです」


「そうか。こちらとしても予測はしていたことだ。だが、あえて言わせてもらう。このまま帝国が君たち亜人種を解放する日が来るとでも考えているのか?……給金をもらい、家族の元に戻れる日が来るとでも?」


 その言葉にドワーフたちは押し黙ってしまう。そうだ。彼らだって気がついていた。だが、疑うことが恐かったのだ。もしも、疑えば、彼らの心は絶望に陥ってしまうから。


「……希望を砕くようで気が引けるが、真実を言わせてもらおう。君たちが、このままイドリー造船所にいたところで、家族のいる場所に戻れる日など、永遠に来ないぞ」


「……ストラウス殿。その言葉は、虜囚の身には、あまりにも辛いものでございますぞ」


「言っただろう。真実を告げると。反論する根拠があるのなら、オレも知りたい」


「……いいえ。何もありませぬ。たしかに、貴方さまの言葉は、事実でございます。ストラウス殿……こちらに、おいで下さい」


「ああ」


 オレは檻に近づいていく。そして、この老人のために身を屈めたよ。白髪だらけの長老ドワーフは、その大きな白い眉毛の下にある白内障の進んだ瞳で、こっちを見る。もうハッキリは見えてはいないだろうが、魔力を感じ取っているのか……?


 いいや、『ランドのじっさま』は、竜太刀と語っているのだ。


 鋼の語る声を聞けるのが、ドワーフだ。竜太刀に融けているアーレスと会話してくれているのだろう。


 アーレスの言葉をオレの耳が聞き取れないのは残念だ。だが、頼んだぞ、賢きアーレスよ。どうにか、彼らを説得してくれ。


 しばしの時間が過ぎていく。


 老ドワーフは何度もうなずいていた。


 もどかしい気持ちをこらえながらも、彼らの対話が終わるのを待ったよ。


「……分かりました。じつに見事な鋼をお持ちだ。そして、それに相応しいほどの強さも……ストラウス殿よ。竜の宿る鋼と共に、激しき物語を歩んできたようですな」


「そうだ。オレたちには力がある。オレも強いが、オレの仲間もな。君たちをここから連れ去るための力が、我が盟友ジーン・ウォーカーにはあるのだ。それを疑わないでくれ」


「……はい。皆と話しましょう。この納屋にいるのは……40名ほど。他の納屋にも同じほどの数……」


「160人か。それならば、全員だって逃げ出せるぞ」


 希望を込めながらそう言った。だが、予想してもいる。そうはならないだろう。ランドのじっさまは、ふぉふぉふぉ!と、老いた声でゆっくり笑っていたよ。


「……そうはなりません。ワシのように老齢な者は……過酷な船旅には耐えられませぬ。ワシはここに残りますよ。家族との再会を……信じる。その有り得ない希望に、すがりたい者と共に」


「……そうか」


「おじいちゃん、行かないの?……ここにいたって、きっと……」


「ミア。彼らは、自分で決めたのだ。尊重してやれ」


「……うん」


 ミアはそう言いながらも、納得は出来ていないだろう。我が妹、ミア・マルー・ストラウスも元々は逃亡奴隷だ。奴隷の身から、命がけで逃げたことで自由を得た。


 彼女からすれば、あまりにも低い可能性に賭けて、奴隷という立場から逃げないという選択肢は受け入れがたいものだろう。


 ……それに。何よりも心配しているのだ。この老いたドワーフに待ち受ける運命を。帝国人が、彼を敬うだろうか?……年老いて、ろくな労働力にならない、この老人を?殺してしまうとすれば、彼のような老いた者からだ。


 分かっている。彼を、ここに置いていくべきではない。


 ……しかし。


 そうなのだ。確かに、彼は高齢過ぎる。


 船旅にも、ましてゼファーの背中にも、彼の老いた肉体が耐えられるとは思えなかった。栄養状態も、かなり悪いように思える。労働が過酷すぎるのか、食糧事情が悪いのか、それとも、そのどちらもなのか。


 ……彼がここまで弱る前に、オレたちがここに来ることが出来ていたら、オレは、彼を見捨てずに済んだのだろうか?


 悲しい気持ちになりながら。ミアの黒髪をやさしく撫でた。


「……お兄ちゃん」


「なあ、ミア。『ミスリルのヤスリ』を準備してくれ。逃げることを選んだ者たちにも……それに、じっさまたちにも、少しだけ自由を与えてやりたい。いつ首を折られるか分からない恐怖から、解放されるべきだ」


 ミアの髪に触れられているからだろう。口から出た言葉は、自分のものと思えないほどに、やさしさを帯びていたよ。


「……うん!!」


 ミアは元気に返事をして、バックパックを背から下ろし、その中にある『ミスリルのヤスリ』を取り出していく。彼女は仕事をしている、ならば、お兄ちゃんもすべきことをしよう。


「……じっさま、下がっていろ。アンタが褒めてくれた、竜太刀の切れ味、見せてやるよ」


「ああ。目はほとんど見えないのですが……鋼を斬り裂く音ならば、まだワシの耳に届きまする。古き竜、アーレス殿……そなたの力を聞かせて下され」


 ドワーフの仲間たちに抱えられ、ランドのじっさまは檻から離される。


 指で竜太刀の柄を握るよ。竜太刀は……アーレスは、いつになく熱量を帯びていた。鞘から引き抜く。その音にも、じっさまは喜んだ。だから、オレはピンと来る。


「じっさまは……刀鍛冶だったのかい?」


「ええ!胃の腑を患うまでは、そうでありました……ずっと、長いこと!」


 人生の大半を刀鍛冶として過ごした男は、うれしそうに語ったよ。だから、笑顔はうつる。


「……そうか。じっさまよ。さっきは、ここに囚われることに希望は無いと口にした。だが、それは間違いだ」


「……ストラウス殿?」


「……長生きしやがれ。オレが、この竜太刀で皇帝ユアンダートの首を落とすまで、どうにか生きてくれ。そうすれば……アンタが、鋼の打つ音が染みついた故郷に、必ずやアンタが戻れるようしてやる」


 すまないな。


 この程度のことしか約束してやれなくて。


 家族に会わせてやるという言葉を、オレは使えない。なぜなら、アンタの家族が帝国に殺されている可能性も考えてしまったからだ。


 家に戻すという言葉さえも、オレは使えない。アンタの家が帝国人に奪われているだけじゃなく、村ごと焼き払われているかもしれないと思ったからだ。


 だがな。


 故郷ならば、失われることはない。


 たとえ家族や家さえ消え去っていたとしても。アンタが鋼を歌わせた空までは、誰にも奪うことは出来やしないのだ。


「……この年寄りには、もったいない、お言葉です。竜騎士、ソルジェ・ストラウスさま」


「いいや。アンタのための言葉だ。もったいなくなどない。ビトー村のランド・マーカス。老練たる刀匠よ。最強の鋼の歌を……アンタの耳に捧げてやる」


 選ぶのは、ストラウスの嵐。


 我が一族に伝わる、四連続の剣舞。


 重すぎる刀、竜太刀の威力を活かすために。使い手と竜太刀の重心を合わせ、共に踊ることで生まれた、最も古い竜太刀の舞い。


 さあ、アーレスよ。


 お前の鋼の威力と……ストラウスの剣鬼が受け継いで来た技巧を、ランドのじっさまに聞かせてやろう。


 アーレスは応える。


 竜太刀の刀身が、闇のように深い黒へと変貌していく。アーレスの色だ。鋼はより強さと魔力を帯びた。アーレスの言葉を、目と指と肌で感じられたよ。


 ―――見せつけるぞ、小僧ッ!!ガルーナの竜騎士とは、ストラウスの竜とは、いかなる力のことを言うのか、示してみせいッッ!!


 獣の貌に唇は歪む。牙が、世界を喰らうためにあらわになる。空気を吸い、腹に力をため込んで。竜太刀と重なると……オレはアーレスと共に剣舞するのさ!!


 斬撃が、世界を切り裂く。


 ドワーフたちを閉じ込めていた、下らぬ鋼の檻を、ストラウスの嵐は縦横無尽に斬り捨てたいた。鋼が斬られる、澄んだ音が、この囚われの館に響くのだ。


 鋼と語る民たちは、ドワーフたちは……ストラウスの竜と、ガルーナの竜騎士が合わさった時に生まれる威力を、その耳と魂で楽しんでくれたことだろう。


 切り裂かれた檻が崩れて。ドワーフたちが、ゆっくりとその場所から出て来てくれる。旅立つことを選んでくれた者たちだ。全てではないが、およそ半数だった。


 竜太刀を掲げて、オレは誓いを立てるのだ。


「我と共に来い!!必ずや、『未来』を見せてやる!!必ずや、いつか故郷へと戻れる日が来ると信じていろ!!古竜アーレスと、竜騎士ソルジェ・ストラウスは、今日の誓いを忘れることはない!!」

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