エピローグ 『アリューバ半島から愛を込めて』
―――クラリス、海戦での勝利が与えた影響は大きかったよ。敵の誇りであり、敵の最大の武器である、海軍そのものが消失したことは、彼らの戦闘継続意欲を失わせた。
君にはすでに伝わっていると思うけれど、あの海戦で勝利した日の夜には、国境に陣取っていた帝国軍は撤退していたんだよ。そのルートは南。彼らの『代理の指揮官』は半島を放棄することを選んでいた。
ロイ・ボルトン大佐は『僕が渡したジョルジュ・ヴァーニエの密書』を、後生大事に胸元にしまっていたはずだ。
我ながら、なかなかの名作だったよ。おそらく、鑑定士を用意しなければ、ヴァーニエの文字ではないとバレることは無いだろう。
そこそこ長くて、細かなことばかりを書いた、その密書。中身をかいつまんで説明すると、こんなものだよ―――。
『もしも、海上戦力が壊滅した際には、南に抜け、本国へ戦力を帰還させよ。アッシュバーの森に援軍4000あり、合流せよ。戦力を温存させ、アリューバ半島への再侵攻へ備えろ。ロイ、そのときは、お前が新たな総督になれるよう、『カール・メアー』の聖騎士会には連絡を入れてある』。
……もちろん、全部、僕の嘘だよ。
あらゆる固有名詞は実在のものだったが、それらに割り振られていた役割は、全て真実ではないものだ。『カール・メアー』の聖騎士会には、連絡ひとつ入れちゃいないよ。
帝国軍に半島から消えて欲しいから、仕込んだ、僕の罠さ。それなりの名家ボルトン家の『次男』である彼ならば、有効な嘘だった。
出世欲を利用したたんだ。
ロイ・ボルトンは次男坊なんかに産まれてしまうには、勿体ないほどに有能な男ではあったから。
勤勉で向上心があり、帝国海軍内での評価は高く……野心も強かった。ボルトン家の現・当主よりも、彼の方が有能さでは、かなり上だ。
ヴァーニエ直々の秘密の推薦を、『異端審問官ジブリル・ラファード』が手渡してくれる夜があっても、決しておかしくはない―――そんな自信を抱けるほどには有能な人物なのさ。
あの密書を、『僕/ジブリル・ラファード』はボルトン大佐に手渡した。『僕』の目の前で読むように注文をつけてね。
もちろん、声に出して読めという意味じゃないし、中身も見せなくていいと説明したよ?……『僕』は、あたかもその密書の内容を、すでにヴァーニエから聞かされているような態度をしつつ、彼の表情の変化を楽しんだ。
ロイ・ボルトンは野心家の貌を見せながら、『僕』の手の甲に親愛のキスをしてくれた。魔法にかけることに成功した瞬間だよ。
『ジブリル・ラファード』は、ヴァーニエの『最新の愛人』だと認識されていたから、いいメッセンジャーになれたのさ。
たくさんの危険を冒してまで、『ジブリル・ラファード』に化けた甲斐があったと思えた瞬間だね!
アッシュバーの森を目指したロイ・ボルトン大佐がどうなったのかは、僕よりも君のほうが詳しいと思う。そこには、もちろん援軍なんて一人もいない。
ボルトン大佐は、その援軍を頼りにしていたはずだ。あの稀代の策士でもある、ジョルジュ・ヴァーニエの『策』だからね。信じるに値すると考えていたのさ。
だから全力で撤退した、ヴァーニエから渡された『密書』のままに―――。
軍を早足で走らせて、その枯れた森にたどり着いたはずだ。
僕なら火攻めで倒す。『バガボンド』のイーライ・モルドー将軍も、同じことをしたんじゃないかな?
だって、イーライ・モルドーはソルジェの『忠実なる将軍』だもん。ソルジェの過去の策をよく研究していると思う。いつかソルジェの指揮で軍を動かすとき、よりソルジェの意思を反映させられるようにね。
燃えていくアッシュバーの森から、命からがら逃げ出した、疲れ果てた帝国兵士たち。それを『バガボンド』の未熟な戦士たちが、片っ端から狩りまくったのだろう。
『バガボンド』の戦士たちには、最高の経験値稼ぎだったんじゃないかな。弱って火傷しているが、その強さは十分。追い詰めた敵の脆さと、そして厄介さのどちらをも知ることが出来たはずさ。
こうして、『バガボンド』の名も上がり、『未来』の『ガルーナ軍』は完成しつつあるわけだ。『僕』の嘘も、役に立って良かったよ!
……ああ、『バガボンド』を、フレイヤ・マルデルは半島に受け入れる予定だ。傭兵団として、『バガボンド』を雇用するということさ。
彼らは、『自由同盟』の軍ではなく、ソルジェの『私兵』たちだからね。彼らは半島の再建に協力しながら、帝国の襲撃に備えてくれる。
アリューバ半島の『用心棒』の誕生さ。彼らはしばらくハイランド王国から提供される食糧に頼ってきたけど、今度は鯨狩りに夢中になるのかも?……とてもいいことだ、海での『鍛錬』は、彼らを強い戦士に育てていくだろうね。
砂浜で猛ダッシュするピエトロは、日に日にそのスピードを上げている。ジーロウ・カーンくんを超える速さを手に入れるのは、遠くないさ。
『バガボンド』が半島にいることは帝国への威嚇にもなる。
なにせ、一万を超える帝国兵を殲滅した、『有能そうな部隊』だ。『アリューバ海賊騎士団』の戦力と合わせると、相当な戦力だ。帝国も警戒してくれるさ。半端な戦力と戦略では、手が出せやしない。
攻めてくるまでには、かなりの時間を要するだろう。
フレイヤとソルジェ、二人の絆が稼いでくれたこの時間。それを、『自由同盟』も有効に活用するべきだね。
『新生アリューバ』の『議長代行』となったフレイヤ・マルデルに、外交的な働きかけをすべきだ。
歴史上のしがらみが多く、隣接した潜在的な脅威であるザクロアに代わって、ルード王国が、アリューバとの同盟樹立へ向けての交渉をリードすべきだよ。
ルードはアリューバ半島から、かなり遠くにあるからね。
争った歴史もないし、地理的に離れていることで、アリューバの民衆たちも警戒心が薄いんだ。『自由同盟』を、より大きくするために、君の政治力を使って欲しい。
―――ああ。クラリス、君が心配していた、『オー・キャビタル』に残っていた『帝国市民』の処遇も決まったよ。
全員、殺すべきだと主張する人々も少なからずいた。ある意味、当然だけどね。セルバー・レパントも、そう主張した人物だった。一族郎党を皆殺しにされた彼の言葉は、分かりやすい正義に彩られていた。
だが。
アリューバの民は、この数年間を、帝国人たちと共存をして来たという経緯もあるからね。両者のあいだには、憎しみ以外の感情もある。
フレイヤ・マルデルは帝国市民への虐殺を許さなかったよ。船大工としての労働力を確保したいという、無視出来ない課題もあったけど……彼女の優れた倫理観があってこその結果だと僕は思っている。
フレイヤは、帝国人たちに選ばせた。
帝国の市民権を捨て、アリューバの民になると誓うのであれば、この土地に留まり、財産を所持することを許そう。そうでなければ、この半島から全てを置いて直ちに立ち去れ。
およそ、三分の一が、この半島に残った。
貧しくて半島に残らざるをえない者たちもいれば……アリューバで産まれた子供を抱えた家庭もいたからね。アリューバ人と婚姻を結んだ者もいる。そういった者たちは、アリューバの民となることをフレイヤに誓った。
ソルジェたちに協力してくれたトーマ・ノーランや、彼の『狭間』の部下たちのように複雑な立場の人物もいるが、トーマに関しては妻の出産が終わるまでは、このアリューバで過ごすことを選んだ。
トーマたちは最終的に、『バガボンド』への合流を希望している。
『バガボンド』は、亜人種で構成された『ソルジェの軍隊』だけど、元々は帝国人ばかりだからね。
トーマたちと似ている立場かもしれない。少なくとも、帝国の『人間第一主義』の犠牲者であることは同じなのさ。
帝国を祖とする人々は、新たなアリューバの民として、あるいは『頼れる用心棒』として、しばらくはギクシャクしながらも、この土地で日々を過ごしていくことになる。
かつての侵略者との、共存……これは歴史的な『火種』ではあるが、そういった存在を背負い、抱きしめる覚悟も、真の王者の心を持つフレイヤ・マルデルにはあるだろう。
『共存』を掲げる国家であるのならば、多種多様な血と哲学がぶつかり合うのは当然。多くの内的な苦しみや葛藤は存在してしかるべきだ。それは、自由と共存が持つべき、『正しい痛み』だよ。
痛み無き日々?
それを享受できるのは、自由とは無縁の存在だけさ。嫌いな人種との共存を否定した、それこそファリスの人間第一主義のような政策の恩恵を受ける者たちだけだよ。
他者を排除して得た、安らぎ?……それを正しいことと呼ぶ者に、自由と共存の体現者はいない。
セルバー・レパントたち強硬派も、フレイヤと新設された議会の選択には逆らわなかったよ。セルバー・レパントは確かに血の気の多い人物ではあるけれど、アリューバ都市同盟時代からの騎士でもある。
議会で決まったことには、絶対だ。たとえ、それが自分の心が望む答えとは違っていることでも従う。それがアリューバの『掟』さ。
ザクロアと同じく、『多数決』により示された『市民の総意』。それを重んじるという精神の持ち主だ。反帝国派の代表ではあるものの、英雄フレイヤと、アリューバの古来からの哲学には忠実な男なんだよ。
セルバー・レパントが議会に従ったことは、多くの若いアリューバ人たちに、アリューバが民意で動く国家なのだということを知らしめる結果になっただろう。この『王無き土地』の生き方は、そうして示された。
……個人的な予想ではあるけれど。
アリューバには、ザクロアとの政治的な共通性は多い。ジュリアン・ライチ代表と、フレイヤ・マルデルたちの政治的な交渉は、クラリスという『緩衝材』があれば、おそらく順調にまとまると思うよ。
似ていて近くにいるからこそ、ライバルになり、争いの歴史を刻むしかない定めにあるものたちだけれど……両者の価値観そのものは、よく似ているのだから。
帝国という共通の脅威がある以上、彼らがしばらくのあいだ軍事同盟を築くことだって可能だろう。
少なくとも、ソルジェ・ストラウスが生きているあいだぐらいは、アリューバとザクロアのあいだに、新たな『羽根戦争』が起こる可能性は低いと、僕は期待している。国際的な影響力を持つ真の『英雄』がいるということは、ありがたいね。
クラリスの政治的手腕で、両者の相互理解をより深めることが出来れば、次の『羽根戦争』が起こる悲しい『未来』を、少しでも先延ばしに出来るはずだ。これは、とても有意義な仕事になるよ。
がんばってね、クラリス。
僕は助力を惜しまない。もちろんソルジェだってね!
さて。
いろいろな問題もあるけれど、この国の再出発は順調だよ。
政治的な問題は、まあ、フレイヤ・マルデルならば、どうにかしてしまう気がしている。だから、真の脅威に集中しないといけないね。
帝国海軍の残りさ。
北海にいる帝国海軍の三分の一は、今回の海戦で滅び去った。でも、三分の二はまだ残存している。それらが、やがてアリューバ半島の海に現れる日が来るだろう。
各地の侵略や反乱勢力への威圧、商船たちの護衛……そういった仕事が解決した日には、ヴァーニエ艦隊の倍以上の戦力で、帝国海軍は報復しに来る。
それを一日でも先延ばしにするために……ジーン・ウォーカーはすでに行動を開始している。海賊たちは、『イドリー造船所』への襲撃を企てているよ。アリューバに次ぐ、帝国軍船の製造拠点さ。
前々から、マルコ・ロッサが『リバイアサン』に流してきた情報を、ジーン・ウォーカーは聞き逃してはいなかったようだ。
この造船所では、新たな帝国軍船が急ピッチで造られようとしている。近い将来、そこで誕生する新たな船たちが、大勢の敵兵を乗せてアリューバに戻るだろう。
ならば?
『イドリー造船所』を襲撃するべきだよね。
『アリューバ海賊騎士団』の初めての『帝国領土襲撃』は、この土地に決まったよ。アリューバのはるか東、イドリー湾には、春の終わりを告げる嵐が近づいている。
ジーン・ウォーカーが『オー・キャビタル』の北東の海にいた理由の一つに、その嵐の徴候を掴むためというものがあったのさ。
なんでも、春の嵐が産まれる一週間ほど前には、その海域には、やたらと冷たい風が北海から吹いてくるそうだよ。
その風が、春の終わりを告げる嵐の源になるらしい。
ジーン・ウォーカーは、その風を浴びたそうだ―――彼は、あの海戦が終わったあと、ソルジェと大酒を呑んでいたが、翌朝には『ヒュッケバイン号』を借りて旅立っている。
腕利きの海賊たちばかりを、『ヒュッケバイン号』にたっぷりと詰め込んでね。国境の帝国兵が消えたことで、彼の心配は無くなっていたのさ。
『ヒュッケバイン号』は嵐を生み出そうとしている風を、その帆に掴まえて。恐るべき速度で東に向かっているはずだ。修理と航海を同時に行いながらね。
その航海の行き先は、もちろん『イドリー造船所』だよ。ジーンは、前々からの計画を実行しようとしている。『イドリー造船所』を攻めるのさ。
心理的な虚を突こうとしている。
アリューバは、海戦で多くの船を失ったばかりだ。修復作業には時間がかかる。敵は、まさかこのタイミングで長距離の遠征をアリューバが仕掛けてくるとは、全く考えてはいないよね。
さらに、傷ついた船で、嵐に乗って来るなんてことも。
嵐の日には、造船所にも作業員はいなくなる。数千人の作業員がいるはずの、唯一の大型の連休……それが、春の嵐が来る数日間だということを、ジーンは知っているようだ。
イドリーの造船職人たちは、しばらく前にジョルジュ・ヴァーニエのムチャを聞かされている。
それまでのアリューバ帝国海軍の、主力兵装だった『バリスタ』から、ヴァーニエが設計を主導していた『カタパルト』への武装の交換だよ。アリューバでも造っていたけれど、海賊たちに悟らせないように、その多くはイドリーで造られていた。
職人たちは疲れているし、しばらく残業続けで働かされたおかげで、財布も豊かだよね!春の嵐の休みには、大きな酒場にこもり、大宴会をする……その『恒例行事』は、例年よりも華やかなものになるだろう。
だからこそ。
『イドリー造船所』を襲撃するには、最高のタイミングだよ。ジーン・ウォーカーたちは、造船所を焼き払い、作りかけの船の全てを灰にしてしまうつもりさ。
ああ、内装以外が完成している船に関しては、燃やさないそうだ。そのまま強奪して、アリューバまで持ち帰る予定さ。そのために、彼らは船に大勢の海賊を乗せている。
『海賊騎士団』らしくて、とても面白い作戦だね。敵の船を奪うという発想が、いかにも海賊的で興味深い戦術だよ。
全ては北海の嵐さえも乗り切れるほどの、操船技術があってこそさ。
それこそが、『アリューバ海賊騎士団』の真の力だよ。帝国船に大きな技術革新がもたらされない限り、このアドバンテージは保たれるだろう。
……結果として、『アイリス・パナージュ・レポート』が期待した形は完成する。
海賊たちを私掠船として僕たち『自由同盟』の『海軍』にすることには失敗したが、アリューバ海賊騎士団は、ソルジェ・ストラウスと絆を結んだ。
ソルジェがファリス帝国と戦う限り、『アリューバ海賊騎士団』は、彼の勝利と、そして自分たちの存続のために戦い続けるよ。
ソルジェもゼファーの翼が癒え次第、東に向かう予定だ。ジーン・ウォーカーたちへの助太刀をしてあげないとね。イドリー造船所を焼くには、竜の炎もあった方が早いからさ。
数日後には、フレイヤ・マルデルは素晴らしい戦果報告を受けることになるだろう。
姫騎士と謳われて、帝国との戦いに人生を捧げて来た、生粋の戦士だ。議長代行としての仕事が多すぎて、前線に出られないことへのストレスもあるかもしれない―――。
けれど、議長職はジーン・ウォーカーでは務まらない大役だからね。この国が軌道に乗るまでは、フレイヤ・マルデルが海賊船に乗って帝国領に攻め込む日はお預けだろう。そのときはおそらく、ソルジェが皇帝の首を刎ねる直前になるさ。
でも。
統治者としての新たな仕事を、彼女は気に入っているように見えた。生まれ持っての王者の質。フレイヤ・マルデルには、それがあるって感じるよ。まるで、6年前の君を見ているようだよ、クラリス。君らは、きっとハナシが合うだろう……。
……なんだか、学生時代の君を思い出しちゃった。それでは、陛下。今回の報告は、こんなところで。
僕も、ルードからの正式な外交官が到着次第、この国を出て君のところに戻る。ガンダラは賢い人物だけれど、君の護衛としては、あまりに無口だろうから。そろそろ、僕のやかましい早口を聞きたいでしょう?
……君に会いたいよ。直接、伝えたい『情報』もあるし、言葉もあるんだ。
それでは、僕の女王陛下。
もうすぐ、リュートと歌声を君に届けるよ。おやすみ、クラリス。君のシャーロン・ドーチェが、アリューバより愛を込めて!
……乱世というのは、忙しいものだな。
あの海戦の日から四日が経とうとしている。武装を済ませたオレたちは、深夜の港にそろっていた。全ての猟兵たちではない。皆が、それぞれに忙しいからな。
シャーロンとオットーは、『ナパジーニア』の死体を解剖し、薬を分析中だ。詳しいことはまだ教えてもらってはいない。
『ナパジーニア』の死体については、何か特別な処置がされているようだ―――『ゴルゴホ』の蟲を含めた医術は、相当に高度で特殊らしい。
厄介なハナシだが、『人体を強化する手段』。それを帝国軍は模索しているのかもしれないな。『人体錬金術』という学問もあるが……それを極めようとしているのか。
まあ、シャーロンはともかく、オットーとアリューバの錬金術師たちが、『ナパジーニア』の肉体強化の秘密を見つけてくれることに期待しておこう。
ロロカ先生は、フレイヤの『家庭教師』だ。
フレイヤに商業知識を叩き込むらしい。しばらく多忙なフレイヤの参謀を務めながら、教育係も務めるか。フレイヤは英才教育を受けてきた良家の息女でもある……どうにか、こなすだろう。
フレイヤの課題は、知性ある人材たちの不足か。
海賊たちは腕力と船の扱いにこそ長けているが、あまり知的な活動に向いているようには思えない―――ロロカ先生は、何週間かこの土地で過ごすことになるかもしれないな。
カミラは重傷者の手術に立ち会っている。『吸血鬼』の力で、出血量をコントロールする。そうすることで、患者の命を救う確率を上げられるのだ。
呪われた存在と忌避の対象となっている『吸血鬼』が、この土地では命を救う女神となっている。
その彼女を、今度の簡単な戦場には引き出せない。
オレたちは、極論、付け火をしに行くだけの簡単な仕事さ。ゼファーの翼を慣らすためには、丁度いい長距離飛行として選んだレベルのことだ。ジーンたちだけでも、十分にこなすはずだよ。
このミッションのメンバーは、オレ、ゼファー、リエル、ミア、レイチェルだ。
シアンには断られた。彼女は、有望そうな戦士を見繕い、それを『教官』に仕立て上げるために、彼らへ猛特訓を施している。その作業を優先させたいとのことだ。
たしかに、そっちを進めてくれた方が、オレとしても好ましい。
『士官学校』とまではいかなくとも、『練兵場』を構築する……それは、この弱兵ばかりの『アリューバ海賊騎士団』を、一級品の軍隊へと鍛え上げるためには、必要不可欠なものだからだ―――。
「……よし。全員、ゼファーに乗ったか?」
「うん!!乗ったよ、お兄ちゃん!!」
オレの脚のあいだでミアがそう宣言する。オレのシスコンが騒ぎ、ミアの黒髪を撫でてしまう。ミアは、あはは!と楽しげに笑ってくるから、ホント好き!!
正妻エルフのリエルは、久しぶりのゼファーの背中が嬉しくて仕方がないのか、声が喜びに弾んでいたよ。
「ああ!!レイチェルも乗っている!!いつでも行けるぞ、ゼファー!!お前の翼が、元気になったところを、『マージェ』に見せてくれ!!」
『うん!!とぶね、『まーじぇ』!!』
「ウフフ。仲良しの親子を見ている気持ちですわ」
息子さんのユーリのことを思い出しているのだろう。すまないな、ユーリ。君のお母さんを借りるぞ。君のお母さんは、君が『狭間』の血に苦しまなくていい『未来』を創るために戦っている。本当に最高のお母さんだぞ。
そうさ。
オレたちが戦うのは、憎しみのためだけではない。
事実、このミッションは、善なる感情で動いている。
『アリューバ海賊騎士団』とオレたちが、友情の絆で結ばれていることを証明するミッションだ。
我らは、『パンジャール猟兵団』。
ファリス帝国が支配する、この下らぬ現状を破壊して、我らが望む『未来』を力尽くで掴み取る者たちだ。
「ゼファーよ。行くぞ!!」
『うん!!いくよ、みんな!!』
ゼファーが大きく翼を広げた。夜明け前の闇に沈む港のなかを、翼を広げたまま、その強い脚で駆け抜けていく。北からの風が走り、オレとゼファーはその歌を聞く。
風鳴りをとらえた竜は、大地を蹴って、その冷たく雄々しい風を翼に受ける。
帆船の飛び方さ。
『ヒュッケバイン号』が、ゼファーに教えてくれた、黒き烏の飛翔だよ。
ゼファーは、アリューバの風を極めたのだ。
夜の海上を、羽ばたくこともなく滑らかに飛び、どんどんそのスピードは加速していく。今まで以上の飛び方だ。ここ数日、泳ぎ続けたことで、体からムダな動きを抜くことを覚えてもいるのさ。
翼の動きは最小限でいい。力に頼った羽ばたきは、加速をも妨げるときがある。アリューバの海が教えてくれた教訓を、ゼファーは翼に宿しているのだ。
夜に歌う北風と、一つになり。
ゼファーは海面に落ちる直前まで加速を続ける。そして、たった一度だけ羽ばたくことで、飛翔の角度を大きく変えて、急上昇していく。翼が起こした風が、夜の海面に波紋を残した。
高く長く飛びながら、ゼファーは、己の翼がかつてよりも大きく成長したことを実感し、あふれた歓喜を歌に乗せ、アリューバの海へと響かせていた―――。
第五章、『アリューバ半島の海賊騎士団』、おしまい。
第六章、『星の魔女アルテマと天空都市』に続きます。
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