第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その63
即断即決の哲学、オレたちとジーンにはその共通項が存在していた。ゼファーは自分の背にオレとジーンが捕まったことを確認すると、その大きな脚で犬かきをして加速をつけると、長い胴体をうねうねと動かすことで、スピードを作り出していた。
かなりの速さだな。
そうだ……ゼファーはクジラに追いついて、そのまま食い殺すことも出来るのだからな。泳ぎは達者なのだ。固定観念というのは恐いな。泳ぐスピードというものを、失念しているとはな。
『もぐるよ。『どーじぇ』、じーん。いきをとめてね』
「ああ。たのむ」
「ジーンよ、知っていると思うが、水中では可能な限り何も考えるな」
「わかった!!」
ふむ。素潜りのコツは確認出来ているのか?……まあ、出たとこ勝負だ。溺れたら、オレたちの先を泳ぐ『人魚』がどうにかしてくれるだろう。
ゼファーの首が、ゆっくりと沈む。オレとジーンは可能な限り肺に空気を入れた。
冷たい海に、竜が沈む。もちろん、オレたちも。
海水が、オレたちに絡みついてくるよ。その水温はさすがに冷たいものだ。この寒さで、ジーンの精神が冷静さを取り戻せば良いのだが……フレイヤのことを心配している限り、それは彼にはムリな注文だろうな。
ゼファーは深く潜る。
オレはその不思議な光景を見上げたよ。戦場の上を飛んだことはあるが、戦場を下から見上げるとはね。ひっくり返った船や、沈んでしまった船がある。ゼファーは、海底に沈んだ船から生えた、帆柱を避けるように泳いだ。
水中には、やはり海の上での争いの音が響いてくる。怒号と爆音、ときどき、戦士が突き落とされて来たし……水死体が、恨めしそうに白目をむいて漂ってもいる。
ああ、また誰かが落ちてきた。
そいつは海賊だった。
『人魚』はやさしい。その長い尾ひれを、なめらかに振って、とんでもないスピードになると、もがく海賊を背中から抱きしめる。そして、海上に持ち上げると、手近な浮遊物に乗せてやったよ。
いい女だ。
敵には残酷、仲間にはやさしい。
『人魚』は冷静な選別をしながら、海賊を助けて、敵はさらなる深みへと引きずり下ろしていったよ。
海中で踊り、あの呪いの鋼を投げて、海上の敵兵を切り裂く。移動中にも仕事熱心のいい猟兵さんだ。切断された敵の腕が海に転がってくるよ。海賊どもが、その男を突き落としたのだろう、腕を失った敵兵が、血で海を汚しながら、溺れていく。
全身を『竜鱗の鎧』で武装しておいてなんだが……やはり、海上での重武装は危険だと、彼らを見ていると納得が出来るよ。
ゼファーの水中移動を、オレは楽しめたが、ジーンはかなり限界そうだった。潜水のコツは、リラックスすることだが、なかなか、それは難しい行為ではあるだろう。ついさっきまで戦場で殺し合いをしていたからね。
だが、もうちょっとのガマンだぞ。終わりは近い。
ゼファーが……船の影がうつる海域を抜けた。浮上が始まる。
水しぶきをあげて、ゼファーは海上に出た。
船が絡み合って生まれた戦場を通過していたよ。オレは呼吸を静かに吐いて、ゆっくりと大きく息を吸う。ジーンは、溺れた海から這い上がった男のように、ゲホゴホやっていた。
いいことだ。水が肺に入ったわけではない。入っていたとしても、あれだけ咳き込んだことで、すっかりと抜けちまっただろうから。
荒い息のジーンが、ゼエハア言いながらも呼吸を整えにかかる。オレは、そのあいだも仕事をするぞ。魔眼で後方の警戒だ。不意に矢で射られる可能性もあるからな。
……だが、結果はオレたちにとってありがたいことに、敵の弓兵がオレたちを攻撃してくることは無かった。戦いに夢中で、『外』にまで意識が回らないようだ。
ある程度の距離が取れたら、オレは魔眼に別の仕事をさせた。
『ヒュッケバイン号』を探させたのさ―――水平線を見渡していくと……見つけた。北西の沖合には、帝国軍船が三ついて、それを追いかけるように、フレイヤの『ヒュッケバイン号』が走っていく。
「3対1か」
「……肝心なのは、そこじゃないぜ、サー・ストラウス」
「どういうことだ?」
「ジョルジュ・ヴァーニエの船が、有利な状況なのに、逃げているってことだ」
「……ふむ。罠があるのか?」
「……あると思うぜ。何かは、分からないけど……ちょっと考える。少しぐらいは、分かるはずだ」
「頼むぜ。海戦は、専門外だ」
『追いつき、沈めてしまえば、問題がないですわ』
強気な『人魚』の声が、魔法の響きを帯びて、海から聞こえる。
「そうだな。レイチェルよ、波を打ち消せると言ったか?」
『ええ。お任せ下さい、リングマスター』
十メートルほど先の海原に、レイチェルの姿が見えたよ。彼女が浮上して来たのさ。
『ゼファー、尻尾を今よりも、ちょっとだけ遅く振りなさいな。私の尻尾の動きに合わせれば、今よりも、もっと速く泳げるわ!』
『わかったー!』
『いい子ね!じゃあ、ついて来なさい!!』
そう言いながら『人魚』は海へと消えた。ゼファーは、尻尾と体を振るリズムを変えていたよ。すると、海を進む速度が、急に速くなっていた。
『……っ!はやく、およげる!』
「さすがは『人魚』だな……それに、たしかに波が減った?」
「すごいな、これも『人魚』の魔力かい、サー・ストラウス?」
「……わからん。だが、泳ぎやすいか、ゼファー?」
『うん!!これなら、『ひゅっけばいん』まで、すぐにたどりつける!!』
「頼んだぞ」
『らじゃー!!』
『人魚』ほど圧倒的な速度では無いが、帆船よりも速いな……だが、速度といえば。
「『ヒュッケバイン号』も全速じゃないな」
「そうさ。いい目をしているね、サー・ストラウス。フレイヤも、警戒している。敵はおそらく、あの三隻で連携して動くはずだ。うかつに近づけば、『ヒュッケバイン号』が沈められる」
「……沖に向かっているが、何かあるのか?」
「沖に行くほどに、潮の流れは複雑にはなるよ。西への強い流れもあるし、局所的には東の果てへと、帝国領に逃げられる流れもある……だが、ヤツがそれを選ぶとも思えない」
「オレもそう思う。海戦の理屈は分からんが、ジョルジュ・ヴァーニエの闘志は消えているとは思えなかった」
あの『火薬樽』の撃ち合いで、船の墓場が出来る直前、ヤツは竜と竜騎士を睨みつけていたぞ。逃げることを考えている男の目ではない。
「そうさ、サー・ストラウス。ヤツは、きっと何かを仕掛けて来るよ……タイミングだけは、読めるんだ」
「分かっていることがあるのなら、聞かせてもらいたいな」
「……もうすぐ、潮の流れが変わるところに行く。あそこの海底は、えぐれていて、やけに冷たい水が海底を走っているんだ」
「それで、どうなる?こちらは素人だ、難しい理屈は分からんぞ」
専門家の悪い癖だ。誰しもが、自分と同じ知識があるとでも勘違いしてやがる。
「……とにかく、もうしばらくすると、潮の流れが緩やかになるんだ。そしたら、北風を利用して、北に上れる」
「……風上に帆船が進むのか?」
「そうさ。そういう帆の張り方もあるんだよ。風に向かっても進めるのさ。理屈は難しいから止めとくよ」
ありがたいね。蛮族の脳みそには、これ以上の頭脳労働は負担だ。
「それで、戦況はどうなるという」
「もうすぐ先行している帝国の連中は、『北』へと上がれるんだ。風上っていうのは、色々と有利なこともある」
射撃武器のリーチが増えるし、加速もしやすくなる。たしかに有利だろうな。そこまでは分かるぞ。
「……フレイヤは、『それ』を阻止するために動くつもりか?」
「いいや。動かないと思う。正確には、ヴァーニエがそれをさせない。三つの船が、イヤな配置になっている。『右』の船は小さいし、遅くて、人手不足っぽいが……」
「人手不足なのが分かるのか?」
「そりゃ、分かるよ。マストについている人手が少ないし、『ヒュッケバイン号』に矢を撃ち込んでくる量も少ない……」
なるほどな。そう言われると、他の二隻に比べると、かなり『小型』の船だ。
帝国軍船は、海賊船たちよりも、大型なものが多いはずだが……『右』の船は、『ヒュッケバイン号』と同じような大きさだな。いや、一回り、小型かもしれない……。
「つまり、脅威としては弱いのか」
「そうだよ。戦力としては、貧弱に見えるね。でも、小型で素早いから、航路を塞ぐことぐらいはやるさ。北上する敵を追いかけたとき、あの船が接近してくることもありえる」
「『ヒュッケバイン号』の『右折/北上』を妨げるための雑魚か?」
『ヒュッケバイン号』も我々も西に向けて進んでいる。この位置から、『北』に向けて曲がろうとすれば、つまり右折することになるが……『右』の船からすれば、目の前を『ヒュッケバイン号』が走ることになる。
『体当たり』を喰らわせるには、持って来いのタイミングだな。あるいは、航路に居座るだけでも、『ヒュッケバイン号』の北上を妨害できるというわけだ。
「『犠牲』にするなら、あの船さ。あれに構っていると、他の二隻に置いて行かれる。だからこそ、北上するときは、『右』の船は全力で走る。もしかしたら、戦力差を厭わずに、ぶつけてくるかもね」
「……なるほどな。『右』は、航路を邪魔するだけの戦力か。それで、『中央』のデカブツはヴァーニエの旗艦。デカいし、戦力も十分か。アレに風上を取られるとキツそうだ」
「キツいよ。フォローがないと、よくて互角。他の二隻があるから、絶対的に不利」
「そうか……それで、『左』の船は?どんな特徴が見える?」
「やたらと弓兵が多い。たぶん、アレは竜対策の船じゃないかな」
「たしかに、よく矢が飛んでいるな」
『ヒュッケバイン号』に目掛けて、無数の矢が飛んでいく。だが、フレイヤはその船と絶妙な距離やスピード差でいるのか、ほとんどの矢が届いてはいない。
しかし、『左』の船も、『バリスタ』を恐れてか、あれ以上は『ヒュッケバイン号』に近づけなさそうだ。かなり離れた位置に陣取っている……。
「……とにかく、その北上のタイミングで、『右』のヤツが『ヒュッケバイン号』に体当たりしてくるんだな?」
「ああ。『右』を犠牲にして、残り二隻で北上すると、敵はかなり有利になるからね」
「フレイヤは、どうすべきだ?」
「……付き合わずに、西へと逃げるのも手だよ。速度を落とさないで済むから、北に上がる船団から、大逃げ出来る。攻撃の範囲からは、確実に離れられるよ」
「逃げるか……」
「ネガティブに捉えなくてもいいさ。『ヒュッケバイン号』は最速だ。逃げに徹すれば、誰も追いつけないよ。いいかい、サー・ストラウス。海戦ってのは、何日だってやれる。三日後に逆転出来る波があるのなら、それに乗るのもいい」
「……気長な戦いなのだな」
「海は広くて大きいからね。それに時間を稼いで、夜戦を仕掛けるのもありだ。帝国兵はオレと同じ人間族ばかり、夜目はあまり利かない」
「ふむ。そう聞かされると、いい策かもしれないな。時間が経てば、ゼファーも飛べるようになる。夜に紛れての襲撃なら、オレたち猟兵の十八番だ」
「そうさ……ああ!!でも、だから、それをさせないためにも『左』がいるのか!!」
ジーンが忌々しげに叫んだ。彼のアイデアは、不完全なものだったらしいな。
「……『左』が、邪魔になるのか?」
「そうだ。なんてことだ……アレには、弓兵ばかりだ。矢の飛び方を見ろよ、熟練の弓兵ばかりが乗っている!!アンバランスな配置だよ、帝国海軍は、あまりしないことなんだがな……」
「……たしかに、よく飛んでいるな」
その矢の速度はかなり速い……ジーンの指摘は当たっている。『左』に乗っているのは、熟練した弓兵ばかりか……。
「フレイヤの船は乗組員が少ない、中型船だ。だから、乗組員を矢で射殺されると、操り手が足りなくなる。動きが鈍り、『最速』が出せない。このまま西に逃げようとすると、速度を失い、逃げに徹する意味がなくなる……ッ。オレの策は、ダメだ!」
「……フレイヤは、現状、手詰まりか?」
「不利になるのを覚悟で、南に逃げるというのもあるけど、良策ではないね」
「不利になるのだからな」
「……ジョルジュ・ヴァーニエは、あの混乱のなかで、『人員まで弄っていたみたいだ』。とんでもない策士さ。たぶん、こうなることさえも、考えてはいた。だから、急場でも、備えていたみたいに指揮を振るえたんだろうよ……ムカつく野郎だ!!」
この海で無敗の海賊である、ジーンとフレイヤを手玉に取るか。たしかに、とんでもない策士らしいが……策で負けたら、腕力勝負というのもある。
「……ジーン。ならば。オレたちが『左』を破れば?」
「『左』を、破る……か」
「……ああ。そうなれば、『ヒュッケバイン号』はスピードを失わずに西に逃げまくり、時間が稼げる。やがては、オレたちに有利な夜が来るぞ」
「……いいね。フレイヤは、かなり自由になれる。でも、出来るのかい?」
「敵は、オレたちに気づいちゃいないさ。魔力も体力も相当使うが、一度だけの奇襲ならばやれる。二度目は、弓兵に警戒されるか、『火薬樽』を投げつけられちまうだろう……」
「ヴァーニエの船は狙えるかい?」
手っ取り早く親玉を狩りに行けか。いいアイデアでオレ好みだが、問題があるんだ。
「……あれほどの大型船を、すぐに沈めるほどの力は、ゼファーにはまだ出せない。それに、ヤツへ海中から迫るのは無謀だ」
「……どうして?」
「『人魚』を見ているからだ。オレなら、『人魚』に備えるよ……オレが、今日、思いついたのは、『火薬樽』に導火線をつけて、『カタパルト』で飛ばすための『石』を入れる」
「……海に沈んで、海中で、『火薬樽』が炸裂……ッ!?」
「ああ。それが、どんなダメージになるのかは、想像がつかないが……イヤな予感がする。水中は、音が響いていた。海上での『火薬樽』の音も。アレが、海中で爆発したら?……音だけでもキツそうだ。それで気絶でもしたら、溺れ死ぬ。竜さえも」
『……まあ。恐いですわね』
音が海にはよく染みるというオレの予想を裏付けるように、海中から『人魚』が浮上してくるよ。オレたちのおしゃべりが、海中には筒抜け。
ああ、不安になるねえ。毒を流すとかより、よっぽどキツいかもしれない。
「ヤツは、何かしらの対策はしてくるさ。潜って攻撃出来るのは、一度だけだろう」
「……なら、弓兵たちを仕留めるべきだね。『右』は乗っている兵士が少ないし、船としても貧弱」
「夜戦になれば、ゼファーが使える。翼もその頃には癒えるだろうからな。天敵の弓兵がいないのなら……あのデカい旗艦だろうとも、仕留めてみせるさ―――」
……しかし。イヤな予感がしちまうな。海戦の達人に、オレたちは竜も『人魚』も見せている……だが。フレイヤが手詰まりというのなら、仕掛けねばなるまい。
「……レイチェル。ジーンを頼めるか?」
『ええ、リングマスター』
「ゼファーよ。潜るぞ」
『うん!!あの『ひだり』のふねを、しずめてやるんだね!!』
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