第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その36


 帝国海軍の兵士どもが、『ヒュッケバイン号』に油を追加していく。より炎が回りやすいようにな。バシャバシャと乱暴な勢いで油をかけていったよ。乾燥地帯に長らくあった船だからか、油がよく馴染むように染みていく。


「―――せめて、貴方の愛するお母さまから継いだ、『ヒュッケバイン号』に抱かれなさいな。自分の脚で歩きなさい……兵士に引きずられるより、ずっとマシでしょう?」


「―――はい」


 フレイヤは静かに頷いて、その板の橋を歩いて行く……。


 オレは、感情的になり、アパルトメントの屋上の一部に、蹴りを入れる音を聞く。


「……騒ぐな、マルコ・ロッサ。ここを確保するのが、オレたちの役目だぞ」


「役目だと!?……いや……いいさ。そうだ……ムリなモンは、ムリだったんだよ、最初っからな」


 ベテラン・スパイはあの死んだ魚のような瞳になっていた。失望の視線をオレに向けているのだろうか?


「……なあ。これ、全部、ひっくるめて、アンタの策か?……それは、この状況……オレたちの母国に有利な状況だけど……もしかして、クラリス陛下の……?」


「……クラリス陛下は、フレイヤ・マルデルの死など望まない。オレだってそうだ」


「だが!!現実は、こうなっている……彼女、船に乗った、油まみれの船に!!オレはスパイだから、分かる!……誰が得をしてしまうのか……」


 ロロカ戦士の『読み』に近いシナリオを、マルコ・ロッサは抱いているようだ。だからこそ、彼は感情的になっている。それはいい。だが、邪魔はしてくれるな―――。


「―――マルコ。なんか、いるぞ……?」


 オレではない、トーマ・ノーランの言葉であった。オレの不思議な目玉のお友達だからな、三つ目の力で、分かるんだろう。オットーもそうだ。彼らの目だって、『見えないモノ』は見えない。


 だが。


 『在るはずのモノが無かったり』、『在るべきはずの位置からズレることで』……見えないモノさえ、気づけてしまうのさ。


「……魔王サンよ、何か、仕掛けてるのか?」


「ああ。仕掛けているよ。アンタとオレぐらいにしか、分からんだろうがな」


「……なんだよ、何か……起こるのかい?奇跡みたいなコトが?」


「そうだ。望遠鏡を覗いていろ。それがイヤなら、ココを確保するために、屋上に誰も来ないかを見張れ。ココは、オレたちにとって確保すべき退路だ」


「……退路……っ」


 そうつぶやくと、ケットシーがオレの隣りに駆け戻る。腹ばいになり、望遠鏡を覗くのさ。


「……クソ、燃えちまってるじゃないか……」


「……そうだな」


 そう。


 『ヒュッケバイン号』は燃えていた。フレイヤ・マルデルがその船の甲板に降り立ったあと、『異端審問官』は何かを唱え始めていた。ゼファーにも情報収集は叶わない。小声過ぎるのと、頭を垂れながらの言葉で、オレも彼女の口元がよく見えないからな。


 まあ、宗教的な作法だろう。


 巫女戦士に殺されるということは、『カール・メアー』の考えでは女神イースの『慈悲』らしいからな。決して、呪われた行いというワケでもないのだろう。宗教の理論とは難解なものだ。


 残酷な行いにさえも、聖なる意味を持たせられる。


 だが、そんな複雑な論理には民衆はついて行けない。あそこに渦巻くのは、熱狂的な愛国感情なのだろうか、帝国人どもは、自分たちを攻撃していた海賊の娘に、死ね、苦しめ、呪われろ、地獄に落ちやがれ。そんな言葉を口汚く投げかけるばかりであった。


 世界一の文明国家?


 そんなものは幻想だな。侵略者は、どこまで行っても侵略者でしかない。


 残酷な侵略者は、奪い取った土地を我が物と主張した。そして、正統なるこの半島の継承者が乗る船に、炎が燃えさかるたいまつを投げ込んでいた。『ヒュッケバイン号』は、よく燃えた。


 船から漏れていた油にも引火して、海水の表面までが燃える。マストを火が走り、夜空に向かい、赤い炎の柱が生まれていたよ。フレイヤは、相当に熱いのだろう。周囲を業火に囲まれながら、身をよじる。


 帝国人どもが、その様子を見て、大いに喜んでいた。オレは……セシルのトラウマのせいだろう。妹を焼かれた記憶がフラッシュバックして来て、怒りで奥歯を噛みしめる。


 ―――あついよう、あついよう、たすけて、あにさま。


 右目のヘタレな人間族の目が、熱くてね。どうにも涙があふれそうになる。オレは、シスコンだからな。


 だが。


 左眼は竜の業に輝く、怒りの眼だ。悲しみなどは存在しない。炎の熱に悶えるフレイヤの姿だって、目をそらすことなんて無いのさ―――アーレスの怒りが、オレを支える。


 オレはこの9年間、ずっと頭が怒りで狂っているままだからな。怒りがあれば、冷静でいられるんだよ。だから、だから……命令するんだ。二人の猟兵たちに!!


「今だ、やれ、二人とも!!」


「え?」


「お、オレたち!?」


 誤解する声を左右の耳で聴くが、ムシだ。


 燃えていく『ヒュッケバイン号』の前で、『ジブリル・ラファード』が嗤っていた。彼女は弓を引いた。そして……狙いをつけて、フレイヤ・マルデルへと放っていた―――。


 フレイヤの胸に、矢が刺さる……。


 観衆たちが、喜び叫ぶ。


「―――やったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」


「―――聖女さまの矢が、魔女の胸を射抜いたわああああああッッ!!!」


「―――魔女が、魔女が死んだぜえええええええええええええッッ!!!」


 帝国人の喜びの歌を浴びながら、フレイヤは、その場にふらりと倒れていく。


 燃やされていた甲板の一部が、崩壊したのか―――炎の柱が彼女の足下から吹き上がり……空へと向かって、一際大きな赤が描かれていた。船に棲んでいたコウモリたちも、慌てたように空に逃げたのさ。


 甲板に穴があいたことで、炎は酸素に触れたのだろう。それを喰らって加速的に火力を増したよ。油のおかげもあり、伝説の海賊船、『ヒュッケバイン号』の全ては、またたく間に業火へと呑まれていった。


 火焔の唸りが放つ歌は、帝国人どもの喜びと一つになり。『オー・キャビタル』の夜の街に流れていく。祝杯が挙げられる、広場に集まっていた民衆たちは、酒の入った樽を転がしてきて、それを皆で分けて呑み始めた。


 海賊の長が、一人死んだ。


 残酷な海の魔女が焼け死んだのだ。


 いや、聖女の矢により、胸を貫かれてか。


 彼らは冷える星空にも関わらず、祝宴を始めるのだ……。


 『復活の聖女』サマも、嬉しそうに笑い、踊っていたよ。あの左眼を多う白い仮面を指で押さえたまま、造船職人たちの太い腕に、何度も何度も、胴上げされたりもする。熱狂的な大騒ぎだ。もう、完全に祭りの様相であったよ―――。


 だが、楽しんでいない男もいる。


 あの赤ワインを愉しんでいた男は、すでに、謁見台から姿を消していたよ。そうだ。ヤツは行動が早い。おそらく、今までの人生では、そうすることで、敵を制してきた男なのだろう。狩猟者は、勝利の方程式を変えないものだ。


 彼は動き始めているよ。


 ロロカ先生の『読み』は当たるだろう。『オー・キャビタル』の西側には、いつの間にやら兵士と騎兵が勢揃いだ。地上戦力を動かすつもりだろう。トーポへと向かい、殲滅するつもりだな。


 ロロカ先生の予想では、これから数十分から数時間遅れで、国境線に配備されている帝国軍の一部もトーポに向かうらしい。集結しつつある『自由同盟』の軍勢ではあるものの、その動きは、あくまでも様子見。明日の午前中に国境線を突破して来るような戦力や状況でもない。


 だからこそ、ヴァーニエはトーポの『アリューバ海賊騎士団』を東西から同時に攻めて、さっさと仕留めるつもりなのさ。ジイサンたちの造ったカタパルトだとか、バリスタが設置されてはいるが……兵士の『質』は民兵たちが圧倒的に弱いから。


 複数の方向から、大兵力に攻められれば、一時間ももたずに殲滅されてしまうだろう。やる気はあっても、何だかんだで素人集団ではあるからな……『策』を帯びずに戦えば、蹴散らされるのは彼らの方だしね―――。


「―――ソルジェ・ストラウスくん……っ」


 考え込むオレに、マルコ・ロッサの暗い表情が向けられていた。こんな七階建ての建築物の屋上にいてはいけないタイプの顔をしていたよ。


「どうした、暗すぎるぞ。自殺志願者みたいだ」


 そう言いながら、オレはその場に立ち上がる。眼帯で左眼を閉じるよ。もう要らないからね。マルコ・ロッサは立ち上がらない。


 その場で膝を抱えて背中を丸めて座るよ。なんだか女子みたいだが、コイツ、四十路のオッサンだろうに……。


「……やっぱり、助からなかったじゃないか」


「お前は誤解しているぞ?」


「フレイヤ・マルデルは、矢で胸を撃ち抜かれたし、あげく炎に包まれて火葬だよ?ダブルで死んじゃうケガじゃん」


「―――いいや、違うみてえだぜ……マルコ」


「え?」


 トーマ・ノーランは肩をすくめながら、いじける中年ケットシーに顔を向ける。冷や汗をかいていたな、全開にまで開いている『三つ目』で、何かを見たらしいよ。


「どーしたんだい、トーマ・ノーラン?君は、オッサンを慰めるのも上手なのか?旦那に捨てられた、三十路女と再婚して妊娠させるぐらいだし」


 他人様の家庭の事情を、変なタイミングで知っちまったな。


「それは、落ち込むアンタのハナシを聞いてやるぐらいはしてやってもいいけど、『何か』が来ているぜ、よく分からんが、『こっちに飛んで来てる』」


「はあ?三つ目族が見抜けないモノなんて、どこにもないだろ?」


「……例外はある。とくに、魔王サンところの従業員には多いらしい。その、変なのが」


「変だとか言うな、オレの妻の一人だぞ」


「……おいおい、マジかよ?竜騎士の常識は知らないが、『空を飛ぶヨメ』なんてフツーじゃないぞ」


「フツーではない、特別な女性だよ。運命の女性の一人さ」


「その言葉、うちのヨメに言ったら、ぶっ殺されそうだよ……ガルーナ人は、色々と変なんだな」


「お前ら、何を、話しているんだ―――――っ!?」


 ケットシーも気がついた。この場所に、『コウモリ』の群れが向かってきていることに。それはオレたちの上空で旋回すると、オレのそばに向かって集まって来る。


 だから、オレは言うのさ。


「おつかれ、オレのカミラ!」


 その言葉が終わると同時に、無数の『コウモリ』たちは、ぼひゅん!という愛らしい音を立てて、化けるのさ。いや、元に戻った。もちろん、我が第三夫人カミラ・ブリーズと、胸に矢を刺したまま元気に笑っているフレイヤ・マルデルにな。


「えへへ!任務、ひとつ完了っす!!」


「おつかれさまです。助かりました、ストラウスさま。そして、カミラさん!」


 当然ながら、彼女は『ほぼ無傷』だ。多少の火傷はあるが、『炎』を使うエルフ族だ、すぐに痕も残らずに治癒してくれるだろう。胸の傷は、そもそも心配する必要はないしな。

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