第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その35
『ジブリル・ラファード』はあの可憐な唇のなかに青い舌を戻していった。彼女は、慈悲深い聖女の微笑みを浮かべると、フレイヤ・マルデルが立たされている処刑台へと登っていく……。
その背には、弓があるな。民衆たちが、口々に、アレで邪悪な獣を射殺すのか!どこを射抜いてくれるのか!そんな予想を吐き始める。楽しそうな声が渦巻いた。マルコ・ロッサの舌打ちが、また聞こえたよ。
フレイヤの視線が、動く。ジョルジュ・ヴァーニエから『ジブリル・ラファード』へと標的を変えたのさ。自分に近づく処刑人のことを、彼女は睨んでいた。
姫騎士と『カール・メアー』の巫女戦士は、そのとき、お互いの視線を交わす。当事者の二人にしか分からない意味が、それにはあったのだろう。第三者である民衆には、察することが出来ない。もちろん、オレにもな。
両者の遭遇に、心が昂ぶってしまったのだろう。民衆たちの口は熱狂に支配されて、彼女たちを示す言葉を歌にして放つ。
「―――女神に仕える『復活の聖女』を、ジブリル・ラファードを称えろお!!」
「―――『魔女』を焼くんだ!!ここは、オレたちのための半島だ!!」
「―――『聖女』さま!!罪人を、清めて下さい!!」
「―――海賊船ごと、『魔女』を、私たちの土地から消してください!!」
「―――文明の炎で、蛮族を焼いてくれ、『復活の聖女』さまッ!!」
『魔女』を蔑み呪う歌。
『復活の聖女』を称える歌。
愛憎の混じった歌は、それでも一体感を帯びた。侵略者どもの愛国心とやらに相応しい、自己肯定と排他的な感情だったよ。
……『復活の聖女』サマは、民衆たちへと振り返り、その幼げな美貌を見せつけるように、天真爛漫な笑顔を表現する。失われた左眼をおおう仮面が、さほどの不気味さを感じないほどに……その笑みは魅力があった。
民衆が、『復活の聖女』の愛らしさを褒めるため、『カール・メアー』の女戦士の名前を口々に叫んでいたよ。
「―――キャハハハハハッ!!わかりましたわ、皆さま!!少々、時刻が早いですが、さっそく、女神イースさまに代わり、このジブリル・ラファードが『魔女』を裁きます!!慈悲をもって、この悪しき『魔女』の魂を救って差し上げましょう!!」
『ジブリル・ラファード』は、フレイヤ・マルデルへと向き直ると、その指でフレイヤの猿ぐつわを外していく……周囲の兵士たちに、警戒心が走るのを、オレの魔眼が気取る。だが、『復活の聖女』は気にも留めない。
数時間ほどの『拷問』だっただろうが、その時間のあいだで、彼女はフレイヤの精神構造を理解しているのかもしれない。
フレイヤ・マルデルは、民間人を戦いに巻き込むような女ではない。それが帝国人であったとしてもな……姫騎士と呼ばれ、尊敬を受けている娘だ。彼女は、愚かさを感じるほどに純粋で、正しい。
だからこそ、アリューバ半島の海賊たちは、どんな窮地に陥っても彼女のもとを離れなかった。正義であることは、ときに愚かにも見えるかもしれない。だが、正義に惹きつけられた時、ヒトの心はどんな合理的な悪意にさえも、屈することはなくなる。
そうだ。
正義とは、屈することのない真っ直ぐさを示す。
『アリューバ海賊騎士団』の初代団長殿は、正義の心を瞳に宿し……嗜虐者を射抜くように睨み続けている。その正義を茶化すために、小娘は、キャンディー色に染まった舌を見せるのさ。
オレは魔眼に意識を集中させながら、『風』を呼ぶ。
上空600メートルにいるゼファーにも協力を要請する。『風』で空に流れる彼女たちの会話を回収しようと試みるのさ……わずかにしか聞こえない、かすれた音。オレには解読できないが、竜の知性ならば可能性がある―――。
オレの魔眼から見える二人の唇の動きも、ゼファーの脳に送るのさ。竜と竜騎士の感覚を一つに統合させていく。あとはゼファーの知性に頼る。ゼファーはかすれた音と唇の動きから、オレの脳みそに『予測した言葉』を送ってくれたよ。
100%の精確さは無いだろうが、これで怒声や観衆へ向けた大声以外でも、オレはどうにか彼女たちの会話を『盗み聞き』することが出来る。耳ではほとんど聞こえちゃいないのだが、頭の中では『声』を識れるのさ。
「―――うふふ、フレイヤちゃーん、ちょっとだけおしゃべりタイムちゃんよ。魔術を使おうなんて、しないことね?巫女戦士である私がいる、だから、貴方に民衆を傷つける魔術は使わせたりしないわ」
「―――民衆を傷つけるつもりは、ありません」
「―――そうだと思ったわ。も・ち・ろ・ん。私に使っても、ムダよ?拷問で、たくさん血を流してあげたじゃない?……だからあ、私を倒すほどの魔力は、今の貴方じゃ操れないわ」
『異端審問官』の言葉に、周囲の兵士たちは安心を取り戻したのだろう。表情と緊張を和らげるのが分かった。だが、油断してくれてはいない。連中はボウガンをフレイヤに向けたままだ。
「―――私の悲鳴を、聞きたいのですか、『ジブリル・ラファード』?」
「―――そうね!私もだし、ここにいる皆も聞きたいと願っているはずよ!だって、それも、『魔女の義務』ってものじゃないかしら?」
「―――魔女の、義務……?」
「―――ええ。罪人がね、『焼かれる苦しみ』を歌うことで、民衆は罪と過ちの重さを知り……より深く、善良な魂へと育っていくのよ。貴方は、私たちの信仰の『糧』になるの」
それが、『カール・メアー』の流儀か。
女神イースへの『信仰』を、罪をあばき、罰を与えることで守る……なんとも攻撃的な宗派である。異常なほどの『戒律』の厳しさで、信者を律するか。
オレには理解が出来ないが……女神イースに、より強い宗教的な支配を受けたいと望む、熱心な信者たちには、もしかするとウケがいいのかもしれない。
宗教とは、よりどころであり、保証だ。
神さまと信者との『契約』が強ければ強いほど、神さまから受けられる恩恵を強いと感じられるのかもしれない。命をも捧げさせる『戒律』を用いて、女神イースと信者を結びつける。
『カール・メアー』とは、オレが考えている以上に恐ろしい『敵』なのかもしれない。
犠牲と忠誠には、代償を保証する。
合理的な宗教だ。帝国人は好むのかもしれない。
フレイヤ・マルデルは、その宗派を嫌いなようだ。彼女の青い瞳には、拒絶反応が現れていた。自由を愛する海賊の魂が、そうさせるのかもしれない。支配されることに対して、彼女は強い反発を示す娘だから。
「―――ヒトを犠牲にすることで、守られる信仰?……その在り方には、大きな違和感を覚えます」
「―――ウフフ。異端者の代表である異教徒さんからすると、そうなのかもしれない。でも……私は、なんだかんだ言っても、慈悲深いわよ?処女の貴方を男どもに輪姦させることもしないし、綺麗な顔の皮を剥ぐこともしない!!」
「―――それには感謝しています」
「―――私たち、帝国人ってば、文明人なの!!キャハハ!!捕らえた負け犬にだって、慈悲を与えてやれる、余裕ってものがあるのよ!!」
「―――慈悲があると言うのなら、捕らえた人々を解放しなさい」
「―――ダメよ。アレは、貴重な労働力にするの……帝国本土に、売りつけるのよ」
「―――半島の民を、奴隷にすると言うのですか!?」
「―――ええ。そうなるわ。帝国の繁栄のために、彼らは働くのよ。その命が尽きるその日までね……亜人種の貴方たちには、お似合いの罰だわ」
「―――『アリューバ海賊騎士団』が、そんなことは、させない!!」
「―――そうなの?なら……どうするの?何か、作戦でも、あるのかしら!?」
『ジブリル・ラファード』は尋問するつもりでもあったようだ。そうしろとヴァーニエに言われていたのかもしれない。だが、フレイヤは沈黙する。無策な者が追い込まれたとき、追求を躱すために選ぶ無言。そんなものに、よく似ていた。
「―――キャハハハッ!!無いのよね、どうせ、作戦なんてないんだ!!アンタは部下に裏切られたような、間抜けな小娘だものね!!昔の議長の娘だとか、お強い海賊サンだか知らないけど……しょせん、帝国に勝てるわけがないでしょ!!こんな小娘風情が!!」
そう蔑みながら、『ジブリル・ラファード』は平手でフレイヤを打った。
フレイヤは倒れない。その場に立ったままだ……だが、口惜しそうに唇を噛みながら、うなだれる……。
「―――あら?無駄話が過ぎちゃったかしらね。そろそろ時間だわ!!みんな、可愛いエルフちゃんのバーベキューの準備を始めなさい!!」
12時。
とうとう、その時刻が迫ったようだ。まあ、そのスケジュールを動かすことはないだろう。『異端審問官』さんは、長話をしながら、時間を調整していたのさ。
この処刑は、軍事作戦を構成してもいるからな。フレイヤ奪還のために動く『アリューバ海賊騎士団』を誘い出して、殲滅する作戦でもあったはずだ。
とくに海賊船たちの動きと、オレたち『パンジャール猟兵団』を警戒していただろうよ。それ以外の戦力では、この守りを突破して、フレイヤを奪還するのは不可能だからな。
だからこそ、その処刑の時刻は、12時きっかりに行う予定だった。違える予定など、最初からなかった。演技の一つ。細かなコトをしてくれるな、ヴァーニエよ。
12時が、タイムアップ。
それが過ぎたら、みんな忙しくなるぞ。
帝国海軍は『次の作戦』を始めるはずだ。なぜか?フレイヤという指導者が消えたとき、『アリューバ海賊騎士団』は誰を頼る?……決まっている、クラリス陛下たちの『自由同盟』だ。
その軍勢は、アリューバ半島のつけ根に集まりつつあるんだぜ?
ヴァーニエは判断を迫られているのさ。近日中に叩くべき、『アリューバ海賊騎士団』の『本質』を知りたがっているんだよ。どれほどの脅威なのかを理解したいはずだぞ。
ヤツにとって最悪のシナリオとは何か?
決まっている。
『彼らが、フレイヤのために全く動かない』だ。
……そのとき『アリューバ海賊騎士団』とは、『フレイヤの軍』ではなく、政治哲学の希薄な、ただの反帝国組織だと証明されてしまうからね。
そうであるのならば、『自由同盟』に吸収されることを『アリューバ海賊騎士団』は全く気にしないだろう。
『アリューバ海賊騎士団』の全戦力が『自由同盟』と合流する。それは、ヴァーニエにとって最も避けたい状況だ。
ロロカ先生いわく―――『ヴァーニエは、フレイヤ救出のために『アリューバ海賊騎士団』が、より多くの海上戦力を投入することを望んでいる』……そうだ。
それは、『アリューバ海賊騎士団』が、『フレイヤ・マルデルの軍』である証拠だからだよ。そうなれば、フレイヤを排除すれば『アリューバ海賊騎士団』は瓦解する。
ヴァーニエは、『それ』を望んでいた。
フレイヤが『アリューバ海賊騎士団』にとって、かけがえのないほどに大切な存在であるのならば―――ヴァーニエにとっては、『アリューバ海賊騎士団』を潰すのは難しくない。なにせ、有能な『ダベンポート伯爵』がいるからな。
たとえ、オレたちに奪還されても、フレイヤの暗殺を実行するのは難しくはないさ。彼女の近くに、最高のスパイが暗殺者として潜んでいるのだからな。まあ、現実はちょっと違うが、ヤツの死を、彼はまだ知らない。
ヴァーニエは、『アリューバ海賊騎士団』がフレイヤに持つ『忠誠心』に期待していたんだよ……。
―――『だからこそ、『ダベンポート伯爵』は、フレイヤ捕縛の情報をトーポで流したんです。だって、陸路では12時に間に合わない。海賊船の群れで助けに来ることを『望み』、それを待ち構えているはずですよ』。
ロロカ先生の読みだ。
オレはヴァーニエの昆虫みたいな貌を見る。フレイヤに睨まれていたときは、余裕ぶりたいのか冷酷さと笑みを浮かべていたが……今はね、違うんだ。海賊の船団が現れないことを知り、オレたちがフレイヤ奪還に動かない可能性に確信を持ち始めている。
そうだ。
オレは、『ルード王国の傭兵』なんだぜ?
その事実があれば、悪人はどう考える?……オレが、『ルードのためだけに働く』のならば、ある意味、ヴァーニエ以上に『邪魔な存在』は、フレイヤ・マルデルだと気づけるだろ。フレイヤがいれば、この半島の住民たちは、最終的に彼女を政治的指導者に選ぶ。
そうなれば、もしも、この半島を『自由同盟』が『侵略』したとき、クラリス陛下がこの半島を支配する領土が減るかもしれないし……もっと言えば、フレイヤ率いるゲリラ組織との戦いに手を焼くだろう。
フレイヤの処刑で利が発生するのは、実は『自由同盟』のリーダーたちなのさ。
そんなことを考えてしまえば……ヴァーニエは『次の作戦』に取りかかるしかなくなるだろう。うかうかしていれば、全てを『自由同盟』に奪われるのだから。
さて、12時が来たぞ。
ギンドウの作った懐中時計だ。置き時計なみに誤差はない。
……ヴァーニエは、フレイヤのことなど、もう眼中になくなり始めていたら、ロロカ先生の完全勝利だがな。ヤツは、忌々しげに貌を歪めていたよ。
くくく!決断したのかもな、『自由同盟』との対決を。二万の増員を待たずして、国境線に向かうのさ。そうでなければ、手遅れになるからな。
ヴァーニエに選べる最良の策の一つは、明日にでもトーポを根城にしている『アリューバ海賊騎士団』の陸上戦力を殲滅し、国境線に戦力を集めることだ。海賊たちは海軍の軍船でどうにかなる。これまで通りな。
あとは、陸上戦力が集結させた国境線ならば、二万の援軍が到着するまで、持ちこたえるのは容易いさ―――ヴァーニエは性癖を悦ばせるはずの、乙女の処刑から目を離したぞ。部下を呼び寄せ、耳打ちを始めている。ああ、作戦を始めるようだな……。
さすがは、オレのロロカ先生。君の勝ちだ。
完璧な『読み』だったぞ。
さて。あとは……フレイヤを取り戻すだけだ。『パンジャール猟兵団』の痕跡を残さずな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます