第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その33
そこは狭い通路だった。
……いや、正確にはただのヒビ割れに過ぎない。
さっきの木箱を踏み台にして這い上がったところには、『うろ』のようなくぼみがある。拘束されていた中年ケットシーが引き上げられていた場所だ。老朽化した岩の天井が、ボロっと崩れて出来たのだろうさ。クマが好んですみそうな、穴ぐらだよ。
マルコ・ロッサはその狭い場所に這い上がる。そして、中年とは思えない柔軟性を見せつけた。やわらかく背骨を曲げて、この穴の奥にある『岩』の一つに腕を伸ばすと、両手の指を絡めていく。
「ぬぐぐ……っ!」
いかにも力を込めていることが分かる声を漏らしつつ、ケットシーは背中を反らしながら、脚でも壁を押していく。全身の筋力で、『岩』を引きずり出そうとしているのさ。
「代わってやろうか?」
「……いや、ここは狭いからな……オレしか入れない!それに、今は、仕事を、さ、せ、ろおおおおおおおおッッ!!!」
罪悪感を抱えてしまった男は、よく働くものだ。このときのマルコ・ロッサも、そんな男の一人。彼は、何を嘆くのだろうか?感情に流されて、作戦とは違う行動を取ろうとしたことか?それとも、『彼女』の接近に気がつくことも出来ずに負けたことか?
あるいは……フレイヤ・マルデルを『助けよう』と決断したのに、それを成し遂げることが出来なかったことにだろうか。
今ではない瞬間に、質問すべきだろう。
「ぬうううおおおおおおッ!!!」
マルコ・ロッサの叫びと共に、ゆっくりと『岩』はズレて行き……『外』へとつながる亀裂が現れていた。
それが『道』だったのさ。
ホント、ただの亀裂に過ぎないがね。
「こっちだ!ついて来い!」
達成感を帯びた声で、彼はオレたちを呼んだ。
「……入れるかな?オレは、中年太りしているんだぞ」
「……フレイヤに追いつくためだ。力ずくでも通るぞ」
オレとトーマ・ノーランはケットシーのマルコ・ロッサよりも、体格が二回りは大きいんだ。だから、蛇かモグラになった気持ちを味わいながら、その狭い岩の隙間をすり抜けていく。
しばらく無言のまま、その泥まみれになる作業をこなしたよ。
ケットシーの後をついて、この道を進む。狭いが蛇の真似事をして、体を曲げればどうにか通れる。岩と格闘する時間が過ぎると、オレたちは北海から来る風を浴びることで、熱がこもった体を冷ますことが出来た。
「……絶景だな」
「が、崖の中腹かよ!?」
トーマの感想は正確だった。オレたちが這い出たのは、『牙の岬』を構成する巨大な岩壁だ。地震によって刻まれたという、岩壁を横に5メートルほど走る亀裂だ。縦は1・3メートルってトコロか。
広くはないが、身を小さく屈めば、膝を使って歩くことも可能なスペースは存在している。
そこからは絶景が見える。下には40メートルほどの断崖絶壁と、そこに打ちつけてくる白波を冠した北海の潮流が見える。落ちれば常人では即死する高さだった。オレとトーマは、この風景にしばし見入っていたが……マルコ・ロッサは仕事に集中していた。
ガチャガチャと金属の部品を組み立てて行くと、そのアイテムをハンマーを使って、この場所に打ち付けていった。『床』に二カ所、『天井』に三カ所。輪っかが付いた『ハーケン/杭』だったな。
スパイの指が無言のまま、それらに細いロープを通していく。そして、ロープの先端を、この亀裂に隠すように置いてあった、巨大な『銛』にくくりつけていた。好奇心に駆られるように、オレは彼に質問した。
「……そいつは、何だ?」
「『銛』……あるいは『矢』、どちらでもいい。目標地点まで……お姫さまのところまで急ぐぞ。これで、反対側の岩壁でブチ込んでくれ」
そう言いながらスパイは、オレが初めて見るアイテムをまた取り出したよ。巨大な弓のような装置だ。その弦は大型の魔獣のアキレス腱だろうな。フレームは鋼で出来ている。デカく、かなり重たい。
「……つまり、この『弓』で、その『銛』をぶっ放すということか」
「そうだ。アンタ、資料によればだが、『チャージ』も使えるんだろ?」
「ああ。使えるぞ」
「ならば問題ない。アンタの馬鹿力を『チャージ』で強化して、その弓で、『銛』を撃ってくれ。真っ直ぐ撃てば、向こうに見える崖の下方に当たる。そしたら、このロープを伝って脱出できる」
「おお!任せろ、そういう力業は得意だ」
腹ばいになったまま、『弓』と『銛』を受け取る。スパイはロープが絡まないように、その大半を崖から落とした。オレは『雷』を両腕に宿らせる。魔獣のアキレス腱は相当に硬いが、『雷』を腕に宿したガルーナの蛮族には敵わない。
弓を引き絞り、狙いをつける。が、射撃体勢に不安を感じるな。この弓はデカすぎる。失敗して、修正すれば百発百中だが……それでは、時間をムダにする。一撃で成功させなくてはな。
「マルコ、トーマ。オレの脚に乗れ。固定しろ、反動で弓がぶれるとマズい!」
「了解だ!」
「ああ。くたびれたオレを重しに使ってくれよ、ソルジェ・ストラウスくん」
戦士たちがオレの脚に乗る。足を踏まれ、膝を抱かれた。それだけじゃないな、彼らは岩場のどこかに足を引っかけて、その手でオレを押さえつけてくれる。完璧に体が固定されたよ。オレは獲物を射抜く狩猟者の貌になり―――その『銛』をぶっ放していた!!
バシュウウウウウウウウウンンンンッッ!!
張力を解き放たれた魔獣のアキレス腱が荒々しく暴れ、弓に生じた反動はオレの体を浮かそうとする。だが、2人がかりで抑えられていたから、問題は無かった。
『銛』は恐ろしいまでの勢いで飛翔して、150メートルほど先にある、対岸の崖に突き立てられていた。オレはロープを引っ張り、その『銛』の刺さり具合を確かめる。全くぶれやしない。ヒトの体重ぐらいは、十分に支える。
「よし。トーマ、このロープを固定しろ。張力でピンとなるぐらいが理想的だ」
「おうよ、マルコ。オレは船乗り歴が長いんだ、こういう作業は任せとけ!」
2人の協力者たちは、そのロープをタイトなまでに張ってくれたよ。そして、マルコ・ロッサは、小さな滑車が付いた装置を手渡してくる。
「この滑車をロープに引っかけて、そのまま下りる。崖に衝突する前に、飛び降りろ」
「ほう。いい発明だ」
「シャーロンくんの『遺産』だよ。彼が、どこかの職人に作らせて、この場所へ用意していた。緊急時の脱出用にというコトだったんだろ」
「そうか。大切に使わせてもらおう」
「……でも、コレ、大丈夫か?加速しすぎて、崖にぶつかって死ぬんじゃないか?」
トーマ・ノーランが三つ目を開いて空間認識を行っている。ふむ、そういう可能性もないことはない。竜騎士は、墜落の極意を知っているから、助かると思うが―――他の2人はどうかな。
「いけるよ、多分。オレたちならね?だって、この滑車は、あまり加速が出来ない。せいぜい時速で50キロじゃないか?凡人なら死ぬだろうけどさ、熟練した戦士である君らと、オレみたいな身軽さが得意なだけのスパイなら、死なずにすむんじゃない?」
「らしいぜ。よし、オレから行く!」
「あー……怖いモノ知らずだな、魔王サンは」
「ターゲットに追いつくぞ。見たいんだろ、『パンジャール猟兵団』が、フレイヤ・マルデルを助ける瞬間を」
その言葉を使うと、男たちの瞳にやる気が戻った。
それからは無言だ。
オレは滑車をロープに噛ませると、そのまま崖のふちを蹴って宙へと進んだ。北海から来た風が、崖に当たって上向きに走ってくる―――そんな場所にオレの体は遊ぶんだ。滑車が唸り、摩擦熱のせいだろう、滑車からは焦げ臭さが漂ってくる。
なかなかに改善の余地がありそうだが、それでも、この移動方法は最高だな。夜風が体を打ちつけて、スピードを実感させてくれる。まるで、飛んでるみたいだ。
断崖絶壁の間に張ったロープを、滑車を使って下るかよ。
滑車なんてものは、基本的に固定して使う道具じゃないか?荷物を高いトコロに持ち上げるときとかに、高い場所へ取りつけるものだろ。船の荷下ろしでは非常に活躍する品物だ、帆船からボートを降ろすときも、コレを使う。
逆転の発想と言えばいいのか?
固定するはずのモノで、移動するか。
……数多くの船が行き交う、アリューバ半島らしい道具だよ。滑車を見つめていた発明家が、思いついたんだろうな。オレがガキなら、滑車って……確かに引きずって走らせただろうしな。
遊び心というのは、発明を呼ぶな―――っと!!
オレは崖に激突する寸前に、滑車から手を離す。そのまま、とんでもない勢いで砂浜に落ちるが、オレはブーツを砂に突き立てることで全くの無事だ。やはり体というのは、鍛えておいて損はない。
しかし……潮流の影響か?ここには砂浜がある。魔眼のおかげで知ってはいたが、他の場所には無いのに、この周囲数十メートルほどには、小さな砂浜が存在していた。
……そうか、『牙の岬』の本体にぶつかって、戻ってくる波が、この小さく突き出たもう一つの岬にぶつかる場所か。この砂は、おそらく風に吹かれて崖の上から落ちてきた砂や土と、『牙の岬』にぶつかった波が、岬の岩壁を『削った』ものだ。
海底にそれらの土石は溜まり、何度もこの二つの岬のあいだを往復しながら波に削られ細かくなって砂へと至った。その砂たちは、いつしかこの小さく海に突き出た場所に、引っかかるように蓄積していったのか。
さすがはルードのスパイ、『ルードのキツネ』、シャーロン・ドーチェ・パナージュ。いい仕事をしてくれたな。おかげで、移動時間が短縮出来たぞ。
オレに続いて、2人の男たちも砂浜に下りてくる。
砂浜に下りたマルコ・ロッサは、『風』の刃を召喚し、そのロープを切り捨てた。ロープは海へと落下していった。向こう岸にいる帝国の兵士たちには、おそらく聞こえなかっただろう。
波が岬にぶつかり暴れる音のおかげで、その着水音は誤魔化せたはずだ。これで、しばらくは気づかれないだろう。
オレたちはすぐに移動を開始したよ。オレたちの頭のなかには地図がある。この崖沿いを進めば早い。沖合には監視役のボートが多く浮かんでいるが、崖の近くに多い巨大な岩との衝突を警戒して、それらは近寄っては来ないからな。
しばらく崖沿いを走れば、この崖はどんどん背が低くなっていく。そしてさびれた港が見えるよ。このあいだ『ジブリル・ラファード』の『片目』を攻撃した、因縁深い土地が見えるね。
『暗殺騎士団』の住居と、その近くの港さ。今夜は……見張りが多い。だから、オレたちは再び帝国兵士のマネをする。オレとトーマは港に這い上がり、見張りの兵士どもに愛想良く近づいて、それらを奇襲で排除すると、港に留めてあったボートの一つへ乗り込んだ。
ケットシーに身を屈めさせながら、二等兵と軍曹殿はボートを漕いで街中へと進む。堂々とランタンを掲げて、警備兵のマネをする。『ヒュッケバイン号』が見えたよ。そして、かがり火の群れも―――人々の声が聞こえる。
それは、帝国人が、海賊フレイヤ・マルデルの犯した罪状を読み上げる言葉だった。
「―――海賊、フレイヤ・マルデルよ!!アリューバの海に棲む、邪悪なる魔女よ!!お前は海賊どもを率いて、このアリューバの海で、栄えある帝国海軍の軍船を、無数に沈め、愛国者たる海軍兵士数百名を殺して来た―――」
処刑の前に、彼女が帝国に与えた罪過を民衆に知らしめるためだろう……。
「―――殺人と略奪、誘拐。そして脅迫。街への襲撃もあったな。多くの罪を犯した。罪無き者を殺し、人々の富を奪い、貴様は、邪悪の限りを尽くしてきた―――」
フレイヤは、彼女の死を望む、数千人の帝国人の前に、独りで身を晒している。胸が締めつけられそうになるよ。彼女の孤独な戦いを頭に思い浮かべると。
だが、確信している。
彼女は助けられと。オレは夜空を見上げるよ。星空の中に、その翼を見る……黒い翼だった……ゼファーではない。だが、フレイヤ・マルデルを救う翼たちだよ。
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