第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その27


 さて……『人魚』さんに運ばれるぞ。彼女の肉体が、柔軟ながらも力強くしなった。骨格の動きが、彼女に触れた腕と指から伝わってくる。全身を、泳ぐために使うか。『ストラウスの嵐』がそうであるように、彼女の泳ぎも、己の全てを捧げた運動なのさ。


 くくく!


 なんという体験だろうな!……『人魚』に抱かれて、夜の海を進む。


 言葉にすれば、エロさも感じるほどの麗しい響きを持つが……なんていうか、とんでもない高速移動だよ。オレのようなムダに大きい荷物を抱えているのに、彼女の泳ぎはとんでもなく速かった。


 彼女の骨格が―――『尾』がしなる度に、推進力が加算されるように増えていくカンジだな!どんどん加速していく。


 オレは可能な限り、彼女の泳ぎを邪魔しないよう、流れに身を任せたよ。空を飛ぶから分かるんだ。流れに逆らわないことで、加速しやすくなるものさ。きっと、水中だってそうだろう。


 しかし。


 海流が目玉にしみるから、オレは目を閉じておくことにした。小魚でも目玉に突き刺さったら大変だしな。目を閉じでも、オレには魔眼があるから『見える』しね。


 そうだ。


 目を閉じた暗黒の世界のなかで、オレは気づく。レイチェル・ミルラの泳ぎの秘密にね。レイチェルは……というか、『人魚』は水を操っているようだ。おそらくは、『風』と『雷』の魔力を使用している。


 『風』で……水流をコントロールしているらしいな。これほど高速泳いでいるのに、どんどん、水の抵抗が楽になっている。オレの脱力が上達しているわけではないだろう。魔眼がレイチェルの体を見ることで、分かる。


 彼女の肉体の表面から、『風』の魔力が放たれている。それは水中で、渦みたいなものを発生させているのだろう。それに、レイチェルは泳ぎを乗せているのさ。だから、抵抗少なく、高速で泳げている。


 『雷』については、彼女の体の奥底でバチバチと奔っている。


 背骨に宿っているようだ。陸上では、事実上の『禁じ手』とされる、脚への『チャージ/筋力増強』。それを彼女は体現しているようだな。陸上では、脚が壊れてしまうほどのエネルギーでも、水中では、上手に発散出来ているのだろうか。


 反動で体が壊れる様子は、もちろん無い。あと、肺のなかでも『雷』が蠢いているな。『雷』の資質に恵まれた子供が、最初にやる遊び。水中で『雷』を放って、水をブクブクさせる遊び。


 あれで、水から酸素が回収できる―――『人魚』の肺は、そんなことをして水から酸素を得ているらしいな。なんというか、興味深い。運動能力だけでなく、魔術をも併用した動きというわけさ……。


 闇のなかの遊泳はつづく。やがてオレは、帝国海軍の兵士どもの魔力に気がついた。頭上にいる……3名ずつのボートが、海上に無数に浮いているらしい。おそらく、弓兵たちだろうな。ゼファーの襲撃に備えて、毒矢でも準備しているのかもしれない。


 だが、残念だったな。


 ゼファーは来ないさ。


 『人魚』さんは、その小舟をひっくり返して、溺れる帝国の豚どもを『諸刃の戦輪』で刻みつけてやりたいかもしれないが、今回はガマンしてもらおう。敵には、まだオレたちお侵入がバレるわけにはいかないからな。


 海中を、オレたちは移動していく。


 オレは目を開いて水上を見たよ。オレンジ色の輝きが、いくつも水上には存在しているな。かがり火だろう。ボートもそうだし、おそらく、海に面した場所を、飾るように炎を配置しているのさ。


 人の気配もすぐ近くに感じる。


 そうか……ここが、処刑場のようだな。


 レイチェルは、おそらく、オレに見せてくれているのだろう。あえて、この場所を選ぶことでな……『オー・キャビタル』の北岸。そこが、処刑場だ。レイチェルが、水中で止まり、その長い腕を伸ばしていた。


 彼女が指差していたのは、一つの『船』……なるほど、連中が、この処刑に使う『ヒュッケバイン号』だな。水面に、わずかに油が漂っているのが分かる。なるほど、『ヒュッケバイン号』に、たっぷりと油を染みこませたのか―――。


 さぞかし、よく燃えるだろうな。


 ……ふむ。


 頭のなかの地図と符合させていく。


 この場所は、『オー・キャビタル』の北側の市民広場だ。市民を集めて、ここでフレイヤと『ヒュッケバイン号』を焼いて、見せしめにするつもりなのだろう……。


 戦意は向上するだろうさ。


 侵略者はヒトを焼くのが好きだからね。


 しかし……問題はない。『彼女』がこの『オー・キャビタル』にいるのだから。


 オレはレイチェルに顔を向けると、何度か頭をうなずかせたよ。もう偵察は十分。そんな意味を込めたつもりだ。レイチェルは、その意図を汲んでくれる。水中でスマイルを浮かべると、次の瞬間には尾で海水を叩いて加速していた。


 『オー・キャビタル』は、『水路』というインフラも使用している。荷物やヒトを運ぶための小舟が、そこにはいくつも浮かんでいる。店から店へとモノを運ぶ場合もあるんだよね。


 店の裏口が、その水路に連結している場合も少なくない。レイチェルはその街中を複雑に走る、細い水路を走破して、『目的地』へと到着していたよ。彼女が、オレを連れて、浮かぶ。


 真っ暗な闇と、星が浮かぶ空……そして、四方を囲む、石積みの壁が見えた。無数の建物に囲まれたところにある、貧乏くさくて陰気な場所だよ。


「さあ。着きましたわ、リングマスター。『ホテル・バルバロッサ』です」


「ああ……傾いているホテルだな」


 カレーと哀愁の臭いが染みついて、あの安宿……それは表側も冴えなかったけど、裏側はもっと冴えなかった。壊れた机とかベッドとか、革が破れているみじめなイスとか、古過ぎてダメになった絨毯とか……そんなモノが置かれている。


 オレの視線が、左から右に回っていく。粗大ゴミの隣りには、夜空に沈むボロ宿がある。灯りはついているな―――だが、カーテンで隠してある。ほう……オレたちは大した音を立てていないのに、中で慌ただしく動いていやがるね。


「出迎えてくれるようだ。さっさと上がるか」


「はい」


 オレはレイチェルから離れて、目の前にある海水に半分が浸かっている石組みの階段まで泳ぐと、それを昇り、水路から這い上がっていく。水中にしばらくいたせいで、体が微妙に重だるい……。


 だけど?


 オレは紳士であり、騎士道の体現者だ。そして、彼女の『リングマスター/夫の代役』だからね。水路のなかにいる『人魚』への手を差し出すのさ。


『まあ。うれしいですわ、リングマスター」


 光る泡の魔法を使いながら、『人魚』からヒトの姿へとレイチェルが戻っていく。オレは彼女の右手を引いて、水路からの脱出を手伝うよ。正直、彼女の身体能力からすれば、オレの手助けなんて不必要だ。


 だが、これは男としてすべき行為だから、するんだよ。


 レイチェル・ミルラの手は、オレを連れて泳ぐという負担を果たしたせいか、温かい。体が熱を帯びているようだな。オレを引きずり五キロ近く泳ぐ……なかなか、出来ることじゃあないさ。


 水路から上がったオレたちは、その経営破綻ホテルの裏側にたどり着く。


 そして、その扉を二人して見つめたよ。


 猟兵だからね、オレたち。


 その人物が、どれだけ気配を隠したところで、バレバレだった。


「……警戒はしなくていい。オレたちは味方だよ。アンタの目には、なかなか不思議な光景が見えたのだと思う……『人魚』と、人間ばなれした人間。安心してくれ、オレたちはアンタの弟さんの仲間だよ、ボブ・オービット上等軍曹……いや、トーマ・ノーラン」


 そう告げる。


 10秒ほどの沈黙の後に、安ホテルの裏口にを守る錠前が、ガチャンと重たい音で鳴った。さすがは、ルードのスパイが隠れ住む場所だけはあるな。鍵だけは丈夫そうなモノを選んでいるようだ。


 オレはその扉を開く。


 扉の奥には、帝国海軍の兵士たちがいたよ。不安そうな顔で、サーベルを握っている。その人物たちの先頭にいるのが……ボブ・オービットこと、トーマ・ノーランだろう。40過ぎの中年だ。


 茶色い髪に、ぴったりと閉じられた、横に細い瞳。そして、オットーによく似た魔力を感じるよ。


「トーマか?」


「ああ。アンタが……弟の上司かい?」


「そうだ。ソルジェ・ストラウスだ。よろしくな」


 そう言いながら、オレは右手を差し出すよ。


 トーマ・ノーランは警戒心を残しつつ、大人の社交をしてくれる。差し出された手を握ったよ。


「……水路から来るとは、とんでもない人間族もいたもんだな」


「帝国軍の中に紛れるアンタも、なかなかの人物だと思うがね」


「……とりあえず、上がってくれ。どこに巡回の兵士がやって来るか、分かったモンじゃない。今夜は、特別に警戒が厳しいんだよ」


「そうだろうな。入ろうぜ、レイチェル」


「ええ。そうですね、リングマスター」


 オレは神経質そうに周囲を警戒している、トーマ・ノーランに誘われるがままに、あのカレーの思い出ばかりがある、マルコ・ロッサのオンボロ・ホテルへと入って行ったよ。


 扉が閉められる。トーマ・ノーランは、すぐに鍵をかけてしまった。


 ……ふむ。


 緊張しすぎだな。


 しかし、入り口にはいりながらでも分かったコトが一つある。


「君らの晩飯、カレーだったんだな」


「……ああ。ここには、カレーしかない。複数の鍋があるが、みんなカレーだった。やたらと美味いがな……」


「なるほど。マルコ・ロッサらしい」


「私たちもいただけるかしら?彼のカレーは美味しくて」


「それは構わないが……やけに落ち着いているんだな」


「プロフェッショナルだからね?」


「そうですわ」


「……大したタマだよ、アンタら。海兵だらけの敵地に乗り込んで来て、緊張一つしないのか?」


「慣れているのさ、大多数を少数で崩すことにね」


「……魔王の名は、ダテではないってことかい、サー・ストラウス」


「そうだ。じゃあ、カレーと……タオルをくれるか?海を五キロほど潜水して来たもんだから、びしょ濡れでね」


「……五キロを潜水?」


「『人魚』がいれば、たやすいことさ」


「……ああ。魔王と『人魚』がやって来る、安ホテルか。とんでもないトコに泊まってしまったな、オレも」

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