第六話 『アリューバ半島の海賊騎士団』 その24
『ダベンポート伯爵』が、暗み始めた空を見上げる。意識が朦朧として来ているのだろうか。殺す頃合いかもしれんな……。
そう考えていると、彼の意識が覚醒した。
彼は一瞬、自分がどこで何をしているのか、分からなくなっていたのかもしれない。不思議そうに瞬きをした。そして、彼の有能な頭脳が、自分のしようとしていた質問を思い出したようだ。
血まみれの口が開くよ。
肺と気管支も、裂けちまっているらしい。言葉は痛みを伴うはずだが、死に向かう男は細かなことを気にしないだろう。
「……それでよ。ソルジェ・ストラウス。アンタ、オレが、『ブラック・バート』にいると気づいたのは、いつからなんだい?」
「最初からだよ。あの組織の忠誠心と結束は固い。一度、『中』に潜れば……疑われることはなかっただろう」
ニヤリと笑う。疲れた笑顔だが、まだ表情を作る元気はありそうだ。オレは竜太刀に上しかけていた右手の指で、こめかみ辺りの赤毛を掻いて誤魔化した。
彼は嬉しそうに語ったよ。
「ああ!……うちのフレイヤさまは、お人良しだからね!……彼女は、疑うことを知らない。いいや、『信じる』ことを『尊ぶ』のか―――」
姫騎士フレイヤを言い表すには、相応しいと思える言葉だな。
だが……オレは、この男が嫌いなのか、ついつい皮肉を口にする。
「スパイとは真逆の存在だな」
「ふむ……それは、さすがに認めるしかない指摘だなァ……しかし、最初からか?」
「……そうだ。主に直感に頼ったものだが、それだけでもない」
スパイたちとの交流が多くなったせいか、それなりに彼らの生きざまをオレも把握し始めているんだよ。
彼らは、命よりも情報を優先するような人種だ。
命を賭けることで情報が得られるのなら、よろこんでその道を選ぶ。
「……最も多く『ブラック・バート』の情報を獲得するためには、『内部』に潜入することが『最良の選択』ではある。『ダベンポート伯爵』よ」
「なんだ、スパイみたいな考え方をする、魔王サン……?」
「アンタは、いくらなんでも海賊の事情に詳しすぎた。内気なビードの『恋心』や、ターミーの『家族』……ヒトの弱点を見抜きすぎている」
「……海賊の『仲間たち』は、酒を呑むと饒舌になるんでね……アルコールを利用させてもらったよ!へへへ。ああ……酒ってのは、恐ろしいぜ。オレは、多くを知っている。皆、オレを頼ってくれた!!……バカな連中だよ」
『ダベンポート伯爵』の言葉に、この浜で彼を取り囲む集団のなかにいる『ブラック・バート』の海賊たちは、かなり戸惑っていた。まだ、『マケット・ダービー』が『敵』であったことを実感できないのだろう。
それぐらい、この帝国海軍のスパイは『ブラック・バート』に馴染んでいたのだろうな。オレは、それが100%の演技で構築されていた行いだとは思えなかった。
「『マケット・ダービー』よ」
「ふん。今さら、その名でオレを呼ぶか……『マケット・ダービー』という『虚構』を、『ブラック・バート』の海賊たちの前で、徹底的に崩したいってのか?」
「おいおおい、そんなにひねくれるなよ。もう嘘をつく必要もない身分だ。ちょっとは素直になれ」
両脚が折れちまってる。動けやしない。出血多量で死ぬのも見えている。たとえ動けたとしても……殺されるしか道は無いんだ。素直になっても、誰にも迷惑はかけないだろう。君自身の『矜持』にも反しないさ。
「……素直なスパイか。人生を閉店する日が来ちまっても、おかしくねえなあ」
「くくく。そうだ。なあ、『マケット・ダービー』よ『ブラック・バート』での居心地は、良かったのか?」
「……それは、答えたくないね」
どうやら、良かったらしい。フレイヤ・マルデルに仕える海賊として、戦い続けるのも悪い人生の使い方ではなかったのだろう。
だが、その言葉は、彼には耐えがたい側面を持っているのさ。『帝国のスパイ』としてのアイデンティティに反するものだから。『帝国の敵』を認めたくないらしい。その敵に惹かれていたとしてもな。
「……はあ」
……あきらめた男は、ため息を吐いた。その口に煙管を噛んで、煙草を燃やしたいのかもしれんが、残念ながら、そこまでのサービスはするつもりはない。お前は、裏切り者だからな。
裏切り者は、オレを見た。もう睨んでは来なかったよ。
「……オレの部下は、どうしている?……一人、捕らえたままだろ?」
「ターミー船長の海賊船の船倉にいるさ。彼とフレイヤは、捕虜は殺さない」
「そうか……そうだな。あの二人は、そうだよ。でも……あいつはオレの部下の中でも腕利きだ、戦士としてより、スパイとしてな。そうか。あいつから『お守り』を渡されたのか。ターミー船長は、想像以上に演技派だったようだな」
ターミー・マクレガーには、オレが与えた任務があった。
ターミーの任務は、フレイヤを帝国海軍に『売る』ことだ。
もちろん、それは演技だよ。『ダベンポート伯爵』をおびき寄せるためでもあるし、『シャーロン・ドーチェの策』の一部でもある……。
ターミーは『クルセル島』の浜で、オレと話した後、捕虜にしていた男に……『家族の安全が保証されるなら、フレイヤを裏切る』と持ちかけたのさ。おそらく、リアルな葛藤を帯びた言葉であっただろう。そいつは演技だけではない、葛藤をぶつけたのさ。
だが、それで良かった。
真実の混ざった言葉だからこそ、敏腕スパイをも騙せたのだろう。
ターミーはその任務を成功させることで、自分の子供たちが正体不明の『ダベンポート伯爵』に人質にされることを回避してもいる。
彼の子供たちを護衛するために隠し砦に残っていた、『マケット・ダービー』こそが『ダベンポート伯爵』だったのだからな……。
もしも、ターミー・マクレガーが『ダベンポート伯爵』に接触していなければ、子供たちの安全は全く保証出来なかった。そんな結末にならずに済んで、幸運だったよ。
「―――君への『合図』は、君の部下からもらった『お守り』を首から下げておくことか。そうすれば、君が接触してくる……」
「……船乗りには迷信家も多い。ある日いきなり首に飾る神さまが増えたって、誰も不自然には思わない」
そう言いながら、彼は首から下げた無数の『タリスマン/お守り』を見せつける。六種類の神々への祈りが刻まれた石たちだよ。それは無節操な信仰心のようにも見えるし、必死に生命にすがりつこうとする者の、切なる祈りにも見える。
海は危険がつきものだからな。
神々の加護に頼る気持ちは、理解出来るよ。
「……そうだな。不自然ではない。いい合図だと思うぞ」
「ああ。自分でも、なかなか気に入っていたんだがな。それに、部下を挟むことで、オレは正体を掴まれにくくなる。よく出来たチームワークだったよ。部下たちでさえ、オレが誰になっているかを、知らないんだ。おかげで、本気で殺されかけたこともある」
そう言いながら、彼は頬にある深い傷を見せてきた。サーベルに負わされた傷だろう。海戦の最中で負った手傷か……なるほどね、勇敢な海賊であったことが、君への信頼感を強めたか。
スパイという存在は、どいつもこいつもやりやがるな……おそらく、そういう仕事を楽しめるという、厄介な癖を持っているとしか思えない。
「……君の部下から渡された『お守り』、そいつを首から下げたターミーに、あの夜……君は接触してきた。オレが口にした、『犬を放て』という言葉に、君は引っかかったな」
「……あれは、もしかして、無意味な言葉なのか?」
「ああ。君を見つけるためだけの言葉だよ」
「スパイのオレも、しくじるんだな……」
「そうだ。ヒトは誰しもが失敗をする。とくに君は、焦っていたからな」
「……焦るさ。アンタも、フレイヤさまもパワフルだ。体制をひっくり返すほどの勢いを生みそうだった」
「オレたちが憎かったか?」
「いや、憎くはない。仕事にそんな感情は持たないよ。うちの大将は、憎くてたまらないだろうが―――ジョルジュ・ヴァーニエにとって、二度目の失脚は処刑だ。オレは、彼のサポートをしようと、必死だった。焦っていた……んだろうな。この結末なのだから」
『ダベンポート伯爵』であり、『マケット・ダービー』である男、『レイ・ルービット』は折れ曲がった両脚を忌々しげに見つめる。大腿骨からの出血は止まらない。顔が青ざめているのは恐怖ではなく……たんにヤツの体内にある血液が不足している。
「なあ、一つ訊くが」
「……死にかけのオレにか?」
「死ぬ前だ、サービスしろよ。君にとって、ジョルジュ・ヴァーニエは命を捧げるに足る人物なのか?」
「……スパイは、『国家』に仕えるんだ。うちは……ファリスに何代も仕えた影の血筋。ヴァーニエは有能な愛国者ってヤツだ」
「師弟関係があったのか?」
「本当に何でも知ってやがる。ルードのスパイは有能だ」
オレはルードのスパイではないはずだが―――まあ、いいや。
「ヴァーニエはいい戦士だった。オレは、彼に森での生き抜き方を教わったよ。ファリスの影は、森で己を鍛えるのさ」
「ヴァーニエも影?」
「いいや。彼は日の当たる道を歩んだ男。有能な男が、努力と運に恵まれ、出世した」
「……残虐すぎて、失脚もしたらしいがな」
「残虐?上等だよ……ヴァーニエが帝国の利益と思って行動するのなら、オレはサポートするだけだ。そのスタンスは、貫いたぜ……」
「もうすぐ失血死するが……後悔はない人生だったか」
「負け犬になったばかりの男に、訊くなよ」
「くくく。確かにな」
「……ご、ごふうッ」
レイ・ルービットが大量の吐血を吐いた。折れていたのは脚ばかりではなく、肋骨もか。肺に折れた肋骨が刺さっている……もう、もたんな。アレは死を呼ぶ咳だ。あの咳で肺がより深く傷つけられた。
肺に刺さった骨が咳で揺れて、肺をズタズタに切り裂いちまったのさ。
「……フレイヤはいい上司だっただろう」
血を吐いた男は答えない。だから、分かる。彼はオレの言葉を拒絶しなかった。
もう十分だ。
慈悲をくれてやろう。
「最後に聞け。オレは彼女と共に、勝利するぞ。さらばだ、『海賊マケット・ダービー』……おい!!『ブラック・バート』の海賊たちよ!!」
「な、なんですか、サー・ストラウス!!」
「お前たちの流儀では、『裏切り者』をどう殺す?」
「……首を……刎ねるんだ!!」
「そうか。お前が、斬るか?」
「……っ!?お、おれが……マケットを……っ!?」
「他のヤツでもいい」
ここには何人もの『ブラック・バート』がいるはずだが……。
しかし。名乗り出る男はいなかったよ。
『ブラック・バート』の海賊は、仲間に対して、やさしすぎたな。彼らでは、この死に行く男の介錯を全う出来そうにない。だから、オレは竜太刀を抜く。
そして、その竜太刀の刃を、口から血を吐く『裏切り者』の首に当てた。マケットの虚ろな瞳が、オレを見て来る。
「……」
唇が動くが、声を放つことはない。それだけ弱っている。オレを呼んだのか?……分からない。だが、もう罰は十分だ。
「……海賊マケット・ダービーよ。お前は虚構の存在などではない。『ブラック・バート』の一員であり、『アリューバ海賊騎士団』の一員だ……それゆえに、オレが罰を与える。喜べ、マケット。お前は、『海賊』として死ぬ。姫騎士フレイヤの部下としてな!!」
鼻と口からどろりとした血を垂れ流したまま、彼は静かに微笑んだ。『ダベンポート伯爵』ではなく、マケット・ダービーとして死ぬことを、喜んでくれている。オレはそう思うことにしたよ。
これは慈悲だ。無意味に苦しむしかない男へ、剣士がくれてやることの出来る、最大の憐れみだよ。
「……じゃあな」
オレは短い別れの言葉を残しながら―――竜太刀を横に薙ぎ払っていた。
アーレスの慈悲を帯びて、鋼は海賊の首を刎ねた。赤が尽きて、薄闇の青が始まるその砂浜に、海賊の頭が転がっていく。命と頭を失った体が、ゆっくりと前に倒れていった。
オレは、その場に集まる『アリューバ海賊騎士団』の戦士たちを見回しながら、歌う。
「―――今から、『真の作戦』について話す!!オレたちは、フレイヤを奪還し、『オー・キャビタル』を落とす!!フレイヤと共に、海戦で敵艦隊を殲滅する!!そのために、『今から、この港町トーポを放棄して』、全員で出発するぞッッッ!!!」
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