第五話 『復活の聖女は、仮面の下で嗤う』 その12


 ……オレたちは、その後、早めの晩飯を食べたよ。


 もちろん、この酸味と苦味とコクがたっぷりな、苦いコーヒーさんと世界一合う、あのカレーライスだったよ。美味かったね。ほんと、ルードのスパイは、どいつもこいつも料理上手なことだぜ。


 そして、夕方6時がやって来る……。


 『オー・キャビタル』の中央部にある市民広場では、噂されていた『政権交代』が真実であったことを、市民たちは知らされていたよ。号外として印刷されたその告知が、『オー・キャビタル』のあちこちの街角でバラまかれていた。


 アリューバ半島出身の亜人種たちは警戒して、その市民広場には立ち寄ることはなかった。皆が、『オー・キャビタル』自体から逃げ出すことを、真剣に考え始めているだろうし、今夜、夜逃げを決行する連中もいるだろう。それは、ある意味では賢明だ。


 イカ焼きのドワーフの婆さんは、どんな生きざまを選ぶのだろうか。ムリだけはして欲しくない。でも、あの年季の入った、潮風に錆びた屋台を捨てて、この街を去ってしまうのは、誇り高きドワーフの生きざまではない。


 今、市民広場にいたのは、人間族たちばかりであった。普段は、路上でパフォーマンスを披露して、銭を稼ぐ亜人種の『芸人/アーティスト』たちで賑わうような場所だろうに。サーカスの亜人種たちは、この場所に来ることは無かったのさ。


 入植して来た帝国の人間族たちばかりが、その広場を埋め尽くしている光景は、この半島の侵略が完了してしまったのかのようであったし―――事実として、そうだ。


 帝国人たちは、新たな植民地の『完成』の時間を祝している。


 豪勢なことに、祝い酒が無料で道行く者たちに振る舞われていた。見るからに旅人然としたオレたちにも、その酒は振る舞われたのさ。そのビールを呑みながら、オレたちは、殺すべき『敵』の一人を確認するために、この広場に潜入していたよ。


 集まったのは、数千人……いや、1万人以上か。


 かつて、ドワーフたちにより作られた、この石畳の上には、ただの一人の亜人種もいないかのようであった。まあ、オレのとなりには二人の亜人種たちがいたわけだけれどね。オットーとレイチェルだ。


 あとは……帝国人のなかに身を隠しているオットーの兄、トーマ・ノーランこと、ボブ・オービット上等軍曹も、どこかにいるのだろう。


 盛大な催しが開かれている。


 夜空を照らすためのかがり火があちこりに設置されている。海軍の音楽隊が、帝国国家や祝歌を夜に響かせていた。入植者の子供たちも、走り回っていたよ。海軍がくれたお菓子を片手にね。無邪気な侵略者さんたちだな。


 ……オレは、故郷のことを思うよ。


 きっと、ガルーナが併合されて、奪われていくときも。こんなに煌びやかで、明るい音楽で、祝っていたのだろう。酒を振る舞い、肉を惜しみなく焼き。そして、夜通し音楽と歌で……オレの故郷の記憶を消し去っていった。


 憎い敵どもに、笑いながら踏みにじられるのさ。


 自分の育ったはずの土地から追放され、本来の居場所を、我が物顔した侵略者どもに乗っ取られて―――。


 これが、侵略戦争の敗者が味わう痛みと苦しみだよ……。


 ああ、心が、痛いよ。八つ裂きにでもされちまったかのようだ。今夜ほど、ガルーナが恋しい時間は無かったぜ。こんなマズいアルコールは、生まれて初めてだったよ。


 祝う大人たちと、はしゃぐ子供たち。


 殺意を持つことも躊躇われるほどの、明るい時間がそこにはあって。だからこそ、よけいに、屈辱と、苦悩と、口惜しさと、虚しさが、膨らんでしまうのだろう。


「……全員、ぶっ殺してやりたいよ」


 オレは空気を読めないからね。祝いの場でも、真実の感情を口にする。帝国人が嫌いだ。全員ぶっ殺してやりたい。ホントの感情だ。


「……リングマスター。笑顔でそのような言葉をおっしゃらないで下さいまし」


 レイチェルに注意された。どうやら、オレの顔は笑いを浮かべていたようだ。不思議なことだね。心には、とんでもない怒りしか無いのに。


 でも、いいや。


「ゼファーがいなくて良かったよ。オレ、もしもゼファーがいたら、この広場を焼き払っていたかもしれない」


 民間人の大虐殺。フン、別にいいさ。帝国の豚どもが幾ら死んだところで!!


 ……でも、子供まで焼き殺すのは、どうにもオレのシスコンが許せない。トラウマが思い出される、きっと、ダメだろう。手のひらの上にいた、セシルの赤く焼けた骨のことを、思い出しちまうから。


 ……もう7才なのになあ、手のひらの上に乗っちまったんだぜ?


 焼け落ちたあの竜教会を掘り返したよ、素手でね。たくさんの骨がそこにある。骨は本当に熱い炎にさらされると、焦げて朽ちていきながら、赤い熱を帯びるのさ。


 オレは、セシルのこともお袋のことも愛していたというのに、あのとき、誰がどの骨なのかさえも分からなくて……アーレスの目玉が見せてくれたから、ようやく分かったよ。


 声を聞いたのさ。竜の眼に宿る金色の魔力の力で……焼かれて行きながら、オレのことをね、呼んでいたよ。なんども、なんども。


 ―――あにさまたすけて、あついよう、あついよう!!あにさま、あにさま!!


 竜教会は焼け落ちていて、炭と灰が混じったその場所から、オレは指にその骨をすくったんだぞ。それは熱くて、指と手のひらの皮を焼きながら……構うことなく、握ったんだ。


 空に歌う。


 ガルーナの涙雨を浴びながら、狂った獣の歌声で。長く、苦しく、歌ったよ。


 ……たぶんね。あのときからオレは、心のどこかが、大きくぶっ壊れてしまったままなんだけどさ……。


 でも。この衝動を、セシルが、止めてくれているのだと思う。


 オレの持つ容赦ない怒りのままに、この場にいる連中を焼き殺すことをね。セシルが、してはダメだと、押しとどめてくれているような気持ちになる。それは、セシルが喜ばない気がする。


 ストラウスの炎は、戦場と敵の戦士にのみ、使われるものだと。魔眼に映るセシルの幻影が、オレをじっと見つめているんだよ。


 狂っているのは、知っているが……そのうえ、甘いのだろうか、オレは。


 オレは正しいことを出来ているのだろうか?


 時々、分からなくなるんだよ、セシル……。


 セシルが味わった苦しみを、オレはそこらを跳びはねている帝国人のガキどもで、やってやるべきなんじゃないかね?そうでもしないと、オレの苦しみなんて、帝国人どもに分からないだろう。


 ……ダメか?


 ダメだよな、セシル。


 お前は……きっと、そんなことをするあにさまは、怖すぎるから見てくれないと思う。


 正しいことってのは、何だろう?


 アーレスよ、教えてくれたら助かる。


 オレはバカだから、時々、分からなくなっちまうんだよ。


 ……それでもね。


 こんな愚かなバカでもさ、分かっていることもある。迷わぬことがある。


 オレは、ストラウスだから、どうあれ戦うのさ。オレの故郷を奪い返すために。オレたちを裏切ったファリスのクソどもを斬り裂き、ヤツらの帝都を焼き尽くしてやるために。


 あにさまは……それだけは、絶対にしてやるんだよ。


「……団長、大丈夫ですか?……顔色が優れません」


「……ああ。大丈夫だよ。強がるんじゃなくてね、本当に大丈夫だ。オレは、無差別な殺戮をするほどに、堕ちちゃいない。ストラウスの剣鬼の戦いとは、そうじゃないからだ」


 オットーとレイチェルが、頷いてくれる。それでいいさ。


 オレは耐えられるよ、君たち二人がそばにいてくれるから。君たちをオレの暴挙に巻き込めない。ゼファーがこの半島にいない今、衛兵だらけのこの場所で大暴れするのは、あまりにも無謀なことだ。


 陽気な酒と音楽に彩られた、その侵略者どもの宴はつづき―――オレたち三人はその広場の奥で、影のようにひっそりと息を殺しながら。そいつが現れるのを待った。


 小一時間もする頃には、海軍のラッパが鳴り響き……広場を見下ろす市庁舎の謁見台に一人の男が現れていた。その人物の登場を待ちわびていたように、音楽隊のそばに待機していた大柄の兵士が叫んでいた。


「―――この半島の新たな統治者、『オー・キャビタル』二代目総督、ジョルジュ・ヴァーニエさまのお言葉を聞けえええええええッ!!」


 そうさ。オレの今夜、最も殺したい男。ジョルジュ・ヴァーニエだった。謁見台の下で揺れる炎に赤く照らされて、その冷たい青い瞳をした髪の薄い男は、聴衆である帝国人たちの拍手をもって出迎えられていた。


 謁見台のジョルジュ・ヴァーニエは、しばらく拍手喝采に浸るようにしていた。権力の一つの頂点へ立った自分を、さぞや誇らしく思っているのだろう。帝国海軍の赤い礼服を基にした、その豪奢な服を身に纏い、彼は帝国人どもを見下ろしていた。


「栄えある帝国臣民諸君ッ!!私が、ジョルジュ・ヴァーニエだッ!!この寒く、未開の半島に、諸君らと共に、帝国臣民が住むに相応しい文明的な都市を作りあげていくッ!!この土地は、新しい年が来る度に、よりその都市の数を増やしッ!!我ら皇帝陛下の臣民の数は増えるだろうッ!!アリューバ半島に、栄光あれッッ!!!」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


「ヴァーニエッッ!!ヴァーニエッッ!!ヴァーニエッッ!!」


「帝国臣民、万歳ッ!!ユアンダート皇帝陛下万歳ッ!!」


 熱狂する民衆がそこにいた。そうだよ、彼らも自覚しているのだ。この土地の侵略に、大きな節目を迎えたことを。


 帝国人どもは、これからこの半島が帝国の色に、より深く染まることを期待している。それが正しいことだと信じているのさ。迷うことなくね。盗人猛々しいとはこのことだ。


 新たな統治者と共に始まる、アリューバ半島の歴史。


 それが、自分たちの栄光の日々で描かれていると信じている。


 自分たちが勝者だと確信しているのさ、侵略者どもめ。


「……さて。行きましょう、リングマスター。私たちが、ヤツの演説を聴いているヒマはありませんわ」


「ええ。そうです。『亜人税の増額と徴収の徹底』、『亜人種の新規土地購入の禁止』、『亜人種の遺産相続の禁止』……さんざん配りまくっていたビラに書いてあることしか語りませんよ」


 それらの法律がどういう意味を持っているかって?


 『亜人税』の増額は、人間族以外の税金をとんでもなく上げるということ。これで亜人種への搾取は、より激しくなるだろう。オットーの兄貴の『バイト』もお終いだな。


 『亜人種の新規土地購入の禁止』。これから帝国人どもはアリューバ半島の森林を切り開き、新たな町を作る予定だろうが、その町に亜人種は住めなくなった。


 『亜人種の遺産相続の禁止』。どういうことかと言えば、土地とは元来先祖から受け継ぐものであるが、亜人種のその行為は禁止された。家長である者が死ねば、その家と土地は帝国政府に奪われる。家族は、その土地から去らねばならない。


 つまり、帝国の侵略者どもは……このアリューバ半島にいる亜人種から、全ての財産も土地も奪えるようになった。合法的にね。


「……たしかに、そんなことを聞いたところで、笑えることは一つもないな」


「ええ……それよりも、『もっと面白いコト』をしに行きましょう!」


 ウルトラ美人の未亡人さんに、オレは手を引かれて暗がりへと導かれるよ。路地裏の奥にね。


 多くの男が、こんなシチュエーションに恵まれたなら、下卑た笑いを浮かべるだろう。オレもそうかもしれないな。唇は歪み、オレの獣みたいに鋭い、ストラウス一族の牙が、このレンガ造りの通路の夜風に触れる。


 でも。この衝動は、未亡人の肉体に向けられているものじゃない。


 オレたちがしちゃうことは、そんなエッチなことじゃない。


 もっと血が熱くなって、魂から興奮することだよ。


 嫌いな帝国人を斬り裂いて、その後で、焼き払うのさ。


 闇の中で、夫を殺された踊り子が、オレの指を離したよ。闇のなかを彼女はうつくしく走り抜ける。喜びを表現するために、彼女はその人通りのない場所のなかで、夫と共に作りあげたサーカスの技巧で踊るんだ。


 その身はしなやかに跳ねて、夜空のなかで神々しく踊る。


 闇のなかに、その褐色の肌は融けていき―――青い瞳は、今夜も情愛たっぷりで、冥府にいるたった一人の男だけを見つめているのが、オレには分かるよ。


 この舞いは、儀式みたいなものだろう。


 愛する夫を殺した帝国軍の兵士ども。夫の経営していた亜人種たちのサーカスを、刃と槍でメチャクチャにして、女も子供も殺して犯したクズどもを、その指で殺したいのさ。


 ……いいや、彼女が産院で息子を産んでいるその夜に、彼女の夫を殺した罰を、帝国人に与えるためだけかもね。彼女には、その事実が一つあれば、何十万人だって殺す殺意が心に宿る―――。


 そうだ。


 帝国人なんて、全員嫌いだ。


 オレは彼女の舞いの意味が分かる。闇の中で、あまりにも軽やかに踊る、そのうつくしいしなやかさは、夫のためだけにあるんだよ。彼女に恋する者は、きっと永遠の孤独と戦うことになるだろう。


 彼女の海のように青い双眸は、夫しか見ちゃいないのだからね。


 さあて、生きるに値しない帝国人の侵略者どもよ。


 怖い怖い、サーカスの始まりだぜ?

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