第五話 『復活の聖女は、仮面の下で嗤う』 その3


 シャーロン・ドーチェの『アレンジ』は、なかなかすぐには受け入れがたいものであった。色々と問題が多い。


「……あまりにも、リスクが増える。フレイヤにも、お前にも」


「そうだね。でも、ソルジェはジョルジュ・ヴァーニエを知らない。彼は、かなり凶暴な男だよ」


「……そんな『策』まで使う必要があるのか?」


「彼は執拗で徹底した行動を取る。旧・バルモア連邦領では、降伏した抵抗組織の家族まで根絶やしにしたよ」


「それは徹底しているな……」


「うん。それだけに、一度は失脚しかけた。でも……帝国の思想と哲学が、より歪み、より狂暴となってしまった今となっては、彼の狂気は価値を帯びる」


 シャーロンにそこまで言わせるか。


 まあ、そうでなければ、この男がそこまでのリスクを選択する必要はあるまい。


「ヴァーニエ新総督は、仕事に飢えていた。この二年、干されていたからね」


「バルモアで暴れ回ったせいでか」


「そうさ。おかげで、旧・バルモア連邦の人々と、ファリス帝国のあいだに大きな亀裂を作ってしまったからね。その点は、僕たちとすれば歓迎すべきコトだ」


「ああ。敵が仲違いしてくれるのは歓迎だな」


「うん。でも二年間、彼は現場から離されていた。屈辱とヒマに耐えていたのさ」


「それで反省するような年齢ではあるまい」


「55才。うん。生き方や哲学を変えられる年齢ではないさ」


「一度否定された後で、皇帝に求められたか。行動は、強化されるな」


「そう見てるよ、僕たち『ルードのキツネ』もね。彼は、ただちに、『異端審問官』であるジブリル・ラファードを呼んだ。彼女は、とても残酷な仕事をしていたから」


「……趣味が合った。ヴァーニエがやりたい政策と、ジブリルちゃんの仕事は」


 失脚しかけるほどの残虐性を持つ男と、趣味が一致する。恐ろしいコトをしてきたようだな、ジブリル・ラファードは―――。


「正直、この子を『解放』することは、彼女の犠牲者からすれば笑えない行為だと思う。彼女は『異端審問』のサディズムにハマっていたようだから」


「職業倫理に欠いていたか」


 ヒトを拷問する。


 その行為は、おそらく歪んだ優越感を与えてしまうだろう。想像はつく。人類の七割は、その作業に理性を狂わされるかもしれない。


 イスに座った半裸の若い女がいる。彼女にどんなことをしてもいい。その『権利』を与えられた男は、彼女にどんな仕打ちを与えるというのかな。どんな行為で欲望を果たそうとも、全て正当化されるとすれば、どれだけの男が彼女を処女のままにしておけるのか。


 拷問を実行する者には倫理観とプロ意識が必要なのは、そういうことだ。必要以上の残虐性を与えてしまえば、その被害者は尋問者に対して、あまりに従順になり、媚びる。


 尋問者を喜ばせて、自分に対する暴力から少しでも逃げようとし、嘘を幾らでも吐いただろう。


 ジブリル・ラファードも、そうだったのかもしれない。


 拷問し、他者の人生を破壊する『異端審問』。その職業が持つ昏い快楽に、取り憑かれていたのかもしれないな。


「……彼女はね、対象とする範囲が広いんだ」


「……『血狩り』は貴族世界に潜む、『狭間』を見つけ出す作業だろ、基本的には」


「うん。でも、亜人種も拷問した。亜人種たちから交友の記録を吐き出させるのさ。そして、それを逆算して、人間にたどり着く。その人間族を拷問し、亜人種とのあいだに子を成していないかを話させた」


「……なるほど、その手法なら、亜人種、人間族、そしてその間に生まれた『狭間』。それらの全てが対象となる。さぞや多くの者を拷問しただろう」


「そうだね。だから、とても成績が良かった。神さまと皇帝陛下のために、必死になって働いただけだと本人は思い込んでいる。マジメな子さ。良くも悪くも仕事熱心」


「その話を聞かされると、被害者の遺族たちにこの子を引き渡したくもなる」


「とても喜んでもらえると思うよ」


 皮肉か本気か。


 シャーロンの笑顔の意味は、オレにも判別がつかなかった。


 だが、感情はともかく、すべきことは分かった。


「それだけ残酷な者を集めたか。弾圧の意志が強い攻撃的な新総督さまの手駒に、これまた残酷な拷問者を準備させる―――最高のコンビだな」


「うん。それだけ、ヴァーニエは危険で邪悪な男だということさ」


「……『それ』から、純情なフレイヤを逃すことは難しいか」


 シャーロンはこの薄暗い闇のなかで、しずかにうなずいたよ。『ルードのキツネ/パナージュ家』のお墨付きか。参ったね、ヴァーニエよ。お前はオレの想像を超える人物なのかもしれない。


 我が友の口が、闇のなかで動いたよ。


「……『ブラック・バート』の海賊たちに忍び寄っている男。『ダベンポート伯爵』の名前で動く男がいるよね」


「正体を突き止めたのか?」


「容疑者は3人いる。ヴァイス、ルービット、ヘイズワース。そんな名前を持つ帝国海軍の情報士官。偽名だろうね、全ての名前が……まあ、平たく言うと『ダベンポート伯爵』は虚構の存在。つまり、スパイ」


「容疑者の3人とも、スパイか」


「そう。3人ともね。もしかしたら、同一人物が複数の名前を使っているだけかもしれないから、3人とも限らない。下手すると複数の人物が、一つの名前を使っているかもね」


「判別はつかないか」


「時間をかけて分析をしたら、人数もおおよその見当はつかめる。でも、それをする必要は、今のところない」


「そうだな。犯人を特定しなくても、同じ性質で動くことは共通している。スパイ・ダベンポートは……狡猾に海賊たちの弱みを狙う。かなり綿密に、情報収集と分析をしているな」


「……海賊たちの何人かは、確実にダベンポート伯爵の支配下にあると思うよ」


「ああ。オレも、孤独な者と、忠臣しか信じていない」


「警戒心が足りない。それらも疑うべきだ」


 真実を告げられる言葉は、いつも心にザクリと刺さっちまうものだ。このときのシャーロンの言葉もそうだ。孤独な者ならば、女でも与えればコロリと騙されるかもしれない。孤独な男にとって、孤独を癒やしてくる女ほど、依存する存在はいない。


 なんでも聞かれるがままに語ってしまう可能性がある。


 オレもそうだからね。


 孤独な者も、危険だよ。


 そして……忠臣。ターミー・マクレガー。彼も葛藤を乗り越えたと自称しているだけの可能性がある。


 オレの直感は彼を信じているが……たとえば、彼のもとに『ダベンポート伯爵』から3人の子供たちの誰かの、切断された肉体の一部が送られて来た日にはどうなるだろうか。泣き上戸の彼は、忠臣と父親の二つを両立したままでいられるのか。


 彼の子供たちに、今以上の護衛をつけたいところだな。


「―――ソルジェ。分かっていると思うけど。海賊は誰も信じないでね」


「……そうだな。だが、協力者はいる。十数人ほど、海賊たちにも『策』を話している」


「うん。そこはもうぬぐいきれぬリスクとして、受け入れるしかない。君の眼力に賭けるしかない部分だ」


「……友よ。オレは、間違っているか?」


「……いいや。最善は尽くしている。でも、正しいことを選べているかは、結果が来た時に、ようやく分かる」


 たしかにそうだ。


 オレはベストを尽くしているつもりではいる。だが、どんな結末がやって来てしまうかまでは、完璧にはコントロールできない。


「このアリューバ半島における敵は、タカ派で海軍への偏愛をもつジョルジュ・ヴァーニエ総督、おそらく彼の懐刀の一つになろうとする『スパイ・ダベンポート伯爵』。あとは『異端審問官』、ジブリル・ラファード」


「……豪華で邪悪なセットだな」


 その内の1人を捕まえている。


 殺しておいてもバチは当たるまい。


 少なくとも、『自由同盟』の正義には適うだろうからね……。


「……だが、彼女を『解放』することになるんだな、お前の『策』では」


「そうだよ。彼女にはここから脱出してもらう。そして、噂にたがわぬ仕事ぶりを発揮して、片っ端から亜人種を弾圧することになるだろうね」


 そう言われると、不安が心に広がっちまうよ。大悪人の一人を『解放』するなんて?


「……彼女を『解放』すべきか?」


「殺すべきという見方も理解出来るし、君がそうしたければ、僕は見逃す」


「……ありがとうと言うべきか?」


「どうだろう。彼女の命には、あまり重要性がないから、どっちでもいいだけだよ」


「たしかにな。彼女が音信不通となって、それなりの時間が経っている。失踪ではなく、死亡と判断されるまで時間はかからないだろう―――つまり、ヴァーニエ総督は、『代わりの異端審問官』を呼ぶ可能性がある」


 そうさ、『カール・メアー』印の『異端審問官』は幾らでもいるだろう。ヴァーニエにとっての『最適』がジブリル・ラファードだったとしても、二番目、三番目の候補はいただろうさ。


 『異端審問官』は、呪われた存在。弾圧対象者から襲われて、殺されることも想定しているはず。


 つまり、『ストック/人的在庫』は多いってことだよ。


「彼女を殺しても、新しい『異端審問官』が来るだけか。意味がない死は、避けるべきではあるな……」


「……ソルジェは、本当にスパイ向きだ。悪行を成す覚悟もあるし、倫理観も両立できているのだから。あと、何よりも行動力があるからね」


「そんなに褒め言葉を並べるなよ」


 友にそんなことを言われると、背中がむず痒くなっていけない。


「迷ってはいるんだ。お前の『策』を採用するかどうかもな」


「うん。考えて。でも、長い時間は与えられない。この子を確保しておくのも、長い時間はムリだからね。言っただろう?代わりを呼ばれたら、お終いなんだ」


「作戦は鮮度が命ってわけか」


「うん。材料にはヒトっていう生ものを使うから」


「……なかなか生々しくて重い言葉を口にしてくれるぜ」


 だが。


 そうだな、迷っている時間はない。


 オレたちには強大な敵が3ついる。


 ヴァーニエとダベンポート、そして『異端審問官』。


 この中で、簡単にすげ替えることが出来る存在は、ただ一つだけ。


 『異端審問官』だけだ。


 そこに『ジブリル・ラファード』を置いておくか、それとも他の『異端審問官』の招来を許すか……考えものではある。何を選んでもリスクが高い。半島人の健康もだが、我が友シャーロン・ドーチェの命に対するリスクもな……。


 だが、戦場をよりクリアにしておきたいという本音もある。フレイヤ・マルデルの命を守るためにも不確定要素は、より少なくしておく必要があるんだよ。ハイリスク・ハイリターンか……。


「最終的には、この『策』の変更を受け入れるかどうかは、フレイヤとも直接、確認したい……おそらく、彼女は、やりましょう、と即断するだろうが」


「素晴らしい女性だね」


「……まあな。だが、ジブリル・ラファードを『解放』することは、例の『策』の変更を決定づけるものじゃない。シャーロン、いいんだな?危険なのは、お前だぞ?」


「もちろん。君のためなら、命の危険は何度だって晒すよ、ソルジェ?だって、君は僕の友だちなんだから!」


 シャーロン・ドーチェ・パナージュは、心の底からの笑顔を浮かべて、オレにそう言ってくれた。嘘くさいとは思わんぜ。今のお前は、スパイではなく、我が友で、『パンジャール猟兵団』の猟兵だと認識しているからな。


「……よし。わかった。フレイヤの『策』の方は保留だが……『彼女』を『解放』することは賛成しよう。お前のアイデアに賭ける」


「うん。僕を信じてくれて、うれしいよ」


「ああ。信じてやるから……死ぬなよ?」


 お前とギンドウと三人で、アホ面さらしながら酒場で騒ぐ。あの楽しい時間を、オレの人生から奪わないでくれ、シャーロン・ドーチェよ。

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