第四話 『その海は、残酷な生け贄を求めて』 その10
『ゼルアガ』の消失が、世界のバランスを取り戻させていく。オレたちの肉体に、奪われていた生命力が戻って来ているな。体中に温もりが戻り、全身にあった、あの重苦しさも、心を砕かれてしまいそうな痛みも、消えていたよ。
オレは間抜けな鼻血を革手袋におおわれた親指の腹で拭いた。鼻の奥には新鮮な血のにおいをまだ感じるが、大きく呼吸をしても生命を吸われる倦怠感は、どこにも発生しなかった。
オレはゴホゴホと咳き込み、血混じりのピンク色に泡立つ唾液と共に、肺に入れていた『圧縮空気』の球体を吐き出したよ。風が生まれて、血霧が立つ。
フレイヤがその様子を見て心配してくれたよ。なんか、スマンね。
「だ、だいじょうぶですか、ストラウスさま!?」
「ああ。見た目よりは、ぜんぜん楽な行為だ。無呼吸で動くために、ゼファーに空気を圧縮させた球体を創ってもらい……それを肺に入れていた。それを、吐いただけさ」
「スゴい。そんなことが可能なのですね!」
「うん。まあ……荒技だよ。肺を異常に鍛えた竜騎士ぐらいにしか、やれないと思う」
高高度まで竜と共に上昇するために、魔力で肺と気管支を強化する。そんな行為を練習した者でなければ、こんな圧縮空気を肺に入れたら、肺が爆裂して死んじまうだろうからな。竜騎士専用のクレイジーなムチャってことさ。
オレは健在ぶりを優しい黒髪エルフさんに見せつけるために、両の脚でその場に立ち上がり、竜太刀を片手で操りながら背伸びをしたよ。
「ウフフ。元気な姿を見せてくれるのですね」
なんかバレている気がする。彼女は天然そうだけど、鋭さがあるからな。なんか、ワザとらしかったかもと、己の演技力の低さを恥じてしまう。オレは照れちまいながら、竜太刀を背中の鞘へと収めたよ。
「フレイヤああああああああああああああああああああああああッッッ!!」
ヘタレの声が聞こえた。
しかし、愛する乙女の名前を叫ぶ船乗りの声は、バカっぽいけど耳心地がいい。フレイヤ・マルデルの顔がオレには見せない笑顔を浮かべる。頬に赤みが差している。緊張とか、決意とか、建前とか、そういうものが融けちまって、まるで子供みたいだ。
愛をまだ体で知らぬ乙女は、こちらが恥ずかしくなってしまうほど素直に、恋する者の名前を呼んだよ。
「ジーン!!こっちです!!」
ジーンを呼びながら立ち上がる。ジーンはすぐにやって来るよ。若者たちは見つめ合ってる、いい光景だ。お兄さんは疎外感がヒドいよ。ここウルトラ居づらいんですけど?
「大丈夫だったか、フレイヤ」
「はい。大丈夫でしたよ。ジーンも、ケガはありませんか?」
「あちこち擦り傷があるぐらいさ。でも、へっちゃらだ。君の方が疲れていそう」
「ううん。みんなやジーンが、守って下さいましたから」
「へへへ。そうか。オレたち、勝ったんだよな」
「はい!私たち、勝ちましたよ、ジーン!」
……しかし、素敵なタイミングじゃないか。オレなら色々なことをしちまうけど、彼らの純愛とやらは違うんだろうな。オレは魂が穢れているのかもしれない。セックス依存症だからかね?
二人の邪魔をしないように、オレはニヤけた顔で彼らから離れる。そうしてると、ターミー船長と、オレの猟兵たちがこの場に流れ込んでくるよ。不作法者たちだ。もしも、若いあの二人が情熱にほだされて愛ある行為の真っ最中だったら、どうするつもりだ。
しかし。
みんな顔色が良くなっているな。つまり、『ゼルアガ・ガルディーナ』に吸い取られていた生命力は、全て解放されたということか。
「ソルジェ団長、悪神を倒したのですね!」
「ああ。どうにかな。命を吸われながらも、ぶっ殺した。そっちは、全員無事だったか、ロロカ?」
「はい!みんな、大きなケガはありません!」
「さすがは『パンジャール猟兵団』と海賊のコラボだな」
仲間たちを見回していく。みんな笑顔だ。ミアは、オレに突撃してきて、胴体に飛び付いてくるよ。夏のセミが樹液をくれる木にするみたいな愛情表現さ。おれは抱っこひもを装備したイケメンなパパさんみたいに、胴体前面でミアと合体した。
さて。
猟兵たちは全員、微笑みを浮かべているが……ターミー船長は、海賊団の首領同士がいい雰囲気になっているのを見て、ちょっと複雑な心境だった。オレは意地悪だから、ちょっとからかってみる。
「どうした、ターミー船長?」
「……いいや。なんだか、複雑でな」
「ほう。どうしてだ。君たち『ブラック・バート』も望んでいたことだろう?あの二人が結ばれる結末は」
「……ああ。そうだったが、実際に、その光景を目の当たりにすると、なんかムカつく」
「ふむ。どうしてだか、分からなくもない」
「きっと、サー・ストラウスも、その義妹さんがヨメに行くときには分かるよ」
ミアがヨメに行く!?
オレ、一瞬血圧が下がってる。心臓が、バクンバクンと音を立てているよ。誰だ、そいつ!?オレのミアに指一本でも触れてみろ!!二度とブロッコリーの一本もつまみ上げられないように、そいつの指やら何やら、斬り落としてやるぜ!!
「そ、そんなに怖い顔するなよ。たとえ話だ」
「あ、ああ。だが、ターミー船長。言葉は、選べ」
脅すよな顔をしていたのか、ターミー船長は身震いしていたよ。ああ、分かっている。こんなのはいけない。ミアだって、いつか幸せな結婚生活を送るんだから……っ。妹を頼むよって、言う日が来るんだ……そいつに、そいつを―――――こ・ろ・す……ッ。
「……団長。まずいですよ」
「え!?」
オットー・ノーランだった。オレがミアの旦那候補を処刑する妄想が、彼の三つ目には見抜かれてしまっていたとしたら、とても気まずい。
だけど、そうじゃなかった。
彼が見ているのは、この氷の王宮の壁や天井だった。ノーランには見えていたのだ。この場所に迫る危機がね。彼の紳士的な口が歌うよ。
「皆さん!出来るだけ、早くにここを抜け出しましょう!!ガルディーナをロストしたことで、この氷の宮殿を支えている力が消失したのです!!」
「ふむ?……つまり、崩れるということではないかあっ!?」
リエルがそう叫んでいた。
そいつは笑えない。この規模の氷の崩落に巻き込まれたら、即死しちまうぜ。
「フレイヤ、逃げるぞ!!」
「え、ええ!!ジーン!!」
ヘタレと天然の海賊さんたちが手を取りあって、オレたちを色々な意味で置き去りにしながら、この場を走り去っていく。オレたち、なんだかため息を吐きながら、あのカップルを追いかけるよ。
なんだ、このアホみたいな脱出劇は……って!?
天井から、1メートル四方はある氷のブロックが抜け落ちて、オレたちのはるか左前方にで、床にぶつかり砕け散っていたよ。
氷の破片は、まるで宝石のようにうつくしい。だが、ゾッとするほどの重量だったな。ミアがオレから離脱したよ。セミ・モードで遊んでる場合ではないと気づいたらしい。
「いかんな、ガチで崩れ始めやがった!!」
この宮殿は自然環境に支えられていたわけではないのか。ただ、無理やりに悪神の力で存在を維持することが出来ていただけ……。
もしかしたら、氷のなかに閉じ込めたヒトの死体は、宮殿を支えるための『供物』として機能していたのだろうか。
知的好奇心をくすぐられなくもないが、そんな解明に時間を割いている余裕はないな。あちこちが振動を始めている。この重量が揺れるか。氷というのは圧力を加えられたら融けちまうんだっけ?
スケートとかはそんな理屈だったような気がする。刃の圧が加えられた部分が融けて、その水になるとか……?
この宮殿は通路だらけだし、尖塔とかいらん重量物を載っけている。重いし、そもそも重さに耐えられにくい構造だってことは、想像がついちまうな!!
「おい!!ジーン、フレイヤ!!さっき、ゼファーがあけた穴に向かえ!!そこから、全員で、ゼファーに掴まって脱出だ。まともに一階まで降りている時間はねえぞ!!」
「ああ!!」
「はい!!」
まったく、あの悪神め。最後まで迷惑をかけてくれるぜ!!
オレたち10人は、とにかく大慌てで移動を開始したよ。振動していることは、もう誰にでも分かったよ。氷の壁のあちこちに亀裂が入り、悲鳴じみた破壊の歌がこだましてくる。
「うわあ、やばそうっす!!」
「ううん、カミラちゃん、リアルでガチでヤバイの!!転けないようにね!!」
「はい!」
「カミラ、オレの側に来い!オレたちの中心を走るんだ!最悪、破滅的な崩落に巻き込まれそうな場合は、オレが指示を出す。全員を、即・『コウモリ』に化けさせて強制的に脱出をはかる」
「い、今からじゃダメっすか?」
「ダメだ。10人も運ぶのなら、短距離飛行が限界だろう。この氷を貫くことも出来ないしな。君も、疲れ果てているんだ、距離は短い方がいい」
「た、たしかに!?自分、かなり、疲れているっす……っ」
「うん。だから、今は、最も確実なルートである、ゼファーのところへ向かうことを優先してくれ!それで済めば、問題はないんだからな」
「りょ、了解っす!!でも……もしもに、備えておくっす!!」
「ああ。頼むぞ、オレのカミラ」
この氷のダンジョンを駆け抜けていく。オットーとオレの目玉は機能を常にフルにした状態だったよ。氷の通路や天井のどこが壊れそうなのか、あるいはそうでないのかを発見するためにね。
そして……どうにか、その場所が見えた。夕暮れに暗む世界の中で、ゼファーの金色の瞳が希望の灯台のように輝いている。あと、20メートルだ。
皆が喜ぶ。
だが。オレとオットーとゼファーの目玉が危険に気がつく。デカいヒビ割れが、亀裂が、この廊下にも壁にも天井に入っていく。加速的にその崩壊の兆しは広がっているのさ。不安しかない。だから、カミラに命じた。
「カミラ!!出番だ!!」
「はい!!『闇の翼よ』おおおおおおおおおおッッ!!」
カミラの分厚い防寒着を、吸血鬼の翼が突き破る。魔力を操るための最強の形態に化けたカミラは、叫びながら『闇』の魔力を解き放つ!!オレたち10人を、彼女が放った黒い影が呑み込んでいった。
次の瞬間、オレたちは無数の『コウモリ』へと化けていた。視界がたくさんに増えて、宙を飛んでいる、なんだか不思議な感覚だ。海賊の男たちが騒いだ。
『な、なんだこれ!?と、飛んでるんだけど!?』
『お、オレたち、死んじまったのか!?』
『―――大丈夫!!『私』が、死なせたりしない!!』
カミラ・ブリーズが力強い言葉を使った。男の海賊たちが押し黙る。女海賊は、あの無邪気な声で返事をしたよ。
『おねがいします!!カミラさん!!』
『はい!!行きますよ、みんな!!』
『コウモリ』が通路を飛ぶ。天井が崩れた。大きな氷に小さな氷、さまざまな氷の破片がその通路に降り注ぐ。危ないところだったよ。『コウモリ』に化けられなかったら、この氷の崩落に巻き込まれ、大ケガをしていたかもしれない。
だが、『闇』の化身であり実体の存在しない『コウモリ』には、それらの氷も無意味だった。全てをすり抜ける、『絶対的な防御』。それが、オレのカミラの『コウモリ』だから。
『コウモリ』の群れが、ゼファーのあけてくれた穴から、開けた世界へと飛び出していく。西の海の果てに太陽が沈もうとしている。太陽が去ろうとして、暗む空に星々がまたたき始める……。
この光と闇が混ざって融け合う世界のうつくしさの中で、竜は『コウモリ』の群れへと向かって飛んで来る。魔力の限界であったカミラは、オレたちをゼファーの背中にまとわせると、術を解いた。
『コウモリ』からヒトへと戻りながら、カミラは叫んだよ。
『みんな、とにかく、ゼファーちゃんにつかまって下さい!!」
オレたちは彼女のアドバイスのまま、とにかくゼファーの鎧に指をかけることで必死だった。ヒトに戻りながら、オレは左の指でゼファーの黒ミスリルの鎧をつかむと、そこらにいたターミー船長の手を掴んでいたよ。
危うく、ターミー船長は死ぬところだったな、この高さから地上に落ちては助かるまい。
「あ、ありがとう、サー・ストラウス……っ」
「礼はいいさ。ゼファー!!全員いるな!!」
『うん!!ぜんいん、いるよ!!』
「よし!!このまま、地上にゆっくりと降りてくれ!!」
『わかった!!みんなー、おちないように、きをつけてね!!』
戦いと脱出劇に疲れ果てたオレたちは、必死にその姿勢を維持しながら、大きな瓦解の音を上げながら崩れていく、その氷の宮殿を見つめていたよ―――無視することを許さないほどの大音響だったからね。
それに……ちょっと前まで、あそこにいたのかと思うと。どうにも心がゾッとしてしまう。その恐怖は、この場にいた全員が共有出来ていたのではないだろうか。
だから?
オレはニヤリと笑うよ。生きていることを喜ぶためにな!!剥き出しにした牙が、悪神の去った北海の風に噛みつくんだよ。それは、とても冷たいが。なんとも言えない解放感を帯びた味だったということを、オレは永く忘れないだろう。
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