第三話 『白き氷河の悪しき神』 その3
さーて、オレは空を移動中の今このときだって、アリューバ半島の山脈を見下ろしている。情報収集しながらの南下だよ、マジメな男だ。
だから。見つけているぜ、新たな情報をな。山と森には、複数の『隠し砦』がある。それらの多くは古く、使用頻度は少なそうだ。だが、それだけに森に融け込む。もしも、アレらに隠れたら、人間族で構成される帝国軍には見つけられそうにない。
「いい隠し砦だ」
「へー。やっぱり、気がつくんだな」
「ああ。蛇のように狡猾な目をしているからね」
「なにそれ、変な自虐?左眼の不気味さを気にしているのなら、考え過ぎ。それほどまでじゃあ、ないって、アレ」
え?
不気味?
くそ。ちょっと心に傷を負ってしまったじゃないか。オレとすれば、カッコ良さ100%の竜の眼なのだが……たしかに、娼婦のお姉ちゃんたちにも受けが良くなかったような気がする。
苦笑いされたことがあったなあ。眼帯の下を見たがるから、見せてやったのに。まあ、いいけど。オレの妻たちは、きっとこの目が大好きさ。
「……なんだい、怒った?」
「いいや。魔王だからな。不気味な目玉の一つぐらい持っているべきだろう」
「あはは!そうかも」
「……それで。アレは君たちの隠し砦なわけだな」
「……ああ。そうだな、おもに『ブラック・バート』が作ったヤツだけど、オレたちが作った隠し砦も多い。アリューバ山脈の森に隠れたら、帝国人どもは、オレたちを見つけられない」
「だろうな。よく作られている。エルフ族の作り方に似ているよ」
「どういうところが?」
「植生を馴染ませている。建築作業で失われた木々を、植え直しているな。木の種類はランダムに」
それに、砦に色を塗っている……独特の『模様』も。エルフが本気の狩りを単独でするとき……魔術に頼らずに、肉体と技巧だけで、それを成そうとするときは、ああいう模様を体や顔に書く。
幾何学的な模様は、一見すると自然界とは相性が悪く見えるものだが。森に融け込むと、恐ろしいほどにカムフラージュ効果を発揮してくれる。そして、呪術や祝福としての効果もあるらしい。呪術としては、敵の視界をぼやかせる。祝福としては、砦を温かく保つ。
森林戦闘のプロである、エルフ族の技術がたっぷりだよ。
「くくく。素晴らしい、素晴らしい隠し砦だ」
「はあ、何にでも詳しいな」
「君より2才も年上だからね。700日も多く生きている。ムダに過ごすと思うか?」
「いいや、アンタは日々、向上心の固まりだったんだろ」
「それは言いすぎかもな」
「謙遜もするんだね」
「まあね、君より大人だからさ。妻なんて三人もいるよ」
「熟練の人生観だ。オレにはきっとマネ出来ない。マネしたくもないけど」
「……だが、フレイヤは褒めてくれたぞ?愛すべきヒトたちを愛していると」
「彼女はちょっと天然だ。ズレているところがあるし、社交辞令も重なっている」
「天然のズレている娘が社交辞令で、オレの重婚を歓迎か。ふむ、何ら問題もない」
「問題はない……のかな?」
「なにか、あるとでも?」
「いいや。べつに、サー・ストラウスがそれでいいなら……たしかに、それでもいいのかも」
「他人の目を気にしているのなら、人生の楽しみ方を、まだ知らない者の証だ。命を燃やして生きるという行為は、もっと自由な発想で作られているものさ」
「うお。なんか、イイ感じの人生哲学。自由に生きろってこと?」
「そんな方向性で伝わってくれたのなら、それでいい」
この青年は海賊のくせに、自由さが足りない。まあ、周囲の期待もあるのだろうがな。正直なところ、『ブラック・バート』の連中は、さっさとこのヘタレがフレイヤを娶ることを期待しているのかもしれない。
『ブラック・バート』は言わば正調。滅ぼされた都市同盟の継承さだろう。海賊行為よりも、帝国との戦い、そして領地の占有の維持と、おそらくその先につづく『奪還』を見据えて行動している。
対して、『リバイアサン』は元々が海賊。その経緯は複雑なものがあったのだろうが、国家滅亡の際には事実上の海軍として、つまり同盟騎士団の一翼として、帝国軍と戦い、敗北した。
その後は、本分としての海賊生活をしている。追い詰められては来ているらしいが、『ブラック・バート』に比べれば、まだ余裕を感じるな。
「……なあ、これは立場をわきまえずの発言なのだが」
「なんだい?」
「フレイヤを誘拐し、どこかこの遠くの海の果てまで、海賊船で逃げようとは思ったことが無いのか?」
そうだ。
これは、立場をわきまえていない発言だ。オレはルード王国のクラリス陛下の命令でここに来た。『自由同盟』のために、尽くしてくれる『私掠船団』の創設……つまりは、オレたちの『海軍』を創るための仕事だ。
もしも、この言葉をジーン・ウォーカーが実行した日には、オレはその目的を果たせない。『アイリス・パナージュ・レポート』が描いた道筋から、大きく外れて行くことになるな。
それでも、なお。オレはジーンとフレイヤの笑顔のために、こんなバカなことを口にしたのさ。戦いや使命の囚われでない幸福もあるんだよ。
オレのバカな言葉に、どんな返事をくれるんだ?ジーン・ウォーカーよ。
「それはさ……考えたことぐらい、あるよ。それって、とても素敵な物語だろ?」
「ああ。君たち二人だけにとっては、最高の物語だ。君たちは隠遁の技術にも長けているだろう。おそらく、無人島でも暮らしていけるほどにはな」
「そうだね。オレたちなら、そんなこと朝飯前さ」
「だったら、何故やらない」
答えなど知っているが。
それでも、オレは彼に問う。竜の背の上での言葉だ。世界の誰にも聞かれることはない、それが例えどんなにバカな言葉であったとしてもな。
ジーンは十秒ほどの無言のあとに、分かりきった言葉を口にしたよ。
「……世界は、それほど単純ではないからさ」
そりゃそうだった。
全てを捨てて生きられるほど、この男もあの姫さまも、軽い人生をしてはいない。多くの海賊たちが、そして、ゆっくりと帝国の支配に屈していくアリューバ半島の民たちが、彼ら二人に期待をかけているからだ。
まるで、呪いのように。
あるいは、願いのように。
それらは戒めのような縛りとなって、この二人の人生を悲惨な末路へと向かう闘争へと結びつけている。国無しのオレとは違う。国があるから逃げられない。この戦場から、魂も肉体も解放されることはなく―――大軍の前に、削られながら朽ちていく定めだ。
彼らは、とっくの昔に、この半島と運命を一つにした存在だ。逃げることは、出来ないのだろう。自分たちの継承した血が、その血を守るために流された血が、彼らを、おかしな運命にくくっている。
ほんと、バカな質問をしてしまったものだな……。
「……ああ。そうだったな。スマンね、変なコトを口にしたよ」
「いや。いいよ……ホント、オレがヘタレだから、色々なトコロに迷惑をかけてる。知っているよ、もうどっちかに一つだけなんだ。フレイヤを連れて逃げるか、それとも、死力を尽くして、帝国と戦い続けるか」
そうだ。結局のところ、『ブラック・バート』と『リバイアサン』が別れている必要は、オレには見つけられない。このまま集合せずに破綻していくか、合流し、ジーンを首領に据えて、『自由同盟』に組み込まれるか……。
状況はシンプルだよ。
逃げるか、戦うか。
もう、そのどちらかだ。
猶予はない。なにせ、今朝、フレイヤの命は失われるところだったからな。それらの事実を全て分かっておきながら、ジーン・ウォーカーは決断出来ずにいる。
「……アンタなら、とっくの昔に決断していそう」
「そうだな。ストラウスは迷わない。だが……そうして、オレ以外の一族は滅びた」
「……そうか。そうなる、よな」
ああ。帝国との戦いは厳しい。オレたちは、『アイリス・パナージュ・レポート』が期待しているのは、あくまで『短期間の継続的破壊活動』に従事してくれればいい存在だ。
人材の補給をしてやると言えば、聞こえがいいが……ようは使い捨ての駒として、消費が激しい戦場だということを想定してのことだ。
『自由同盟』は、つけ込むよ。そうしなければ自分たちが生き残れないから。当たり前だ。世界のたった5%で、残りの95%に勝つ。その戦いが、楽なもののワケがないだろう。
海賊の傷痕を見た、狭い甲板の上での接近戦闘。強いとか、弱いとか、そういうものはあまり関係のない世界だ。
ただ傷つけ合いながら、突撃し合う。多くが死ぬ。おそらく、『私掠船』として『自由同盟』のための戦いを始めたら、オリジナルのメンバーは、十数ヶ月後には、わずかしか生き残ってはいないだろう。
部下を取り替えられていき、やがて……団長たちが死んでも、その代わりを置くことになる。そのとき、アリューバ半島の海賊騎士団は、真の意味で滅び去る。その後、オレたちが帝国を滅ぼし、この土地に建てる政権は……『自由同盟』の傀儡であるかもしれない。
そんな単純なことぐらい、それなりに学のあるこの男と、あの世界を本能的に見渡せる瞳を有したフレイヤならば―――理解しているだろうさ。
だが。
これはある意味ではフェアな契約だ。
このまま『自由同盟』に参加しないでいれば、この若者たちと、それらが率いる海賊団は……ゆっくりと帝国海軍に食い荒らされて、削られ、朽ちて、海の泡沫と消える定めにある。
どちらにせよ死ぬ可能性が高い。
オレたちは救世主ではない。
悪魔のように、魂と引き替えに、偽りの希望にデコレートされた『未来』を与えに来た。そんな邪悪な存在に過ぎないんだよ。
……オレは、本当に魔王だな。
邪悪な意味での、魔王だぜ……。
……くそが。
「―――君らの苦しい戦いに、土足で踏み入るようなマネをしているのは、十分に承知しているつもりだが、それでもなお、オレは帝国に勝利したい。罪深いこともする」
「ああ。分かっているよ。そうでなくては、誰もが、帝国に全てを奪われる。でも、オレには……オレは……ヘタレだからな。覚悟が出来ない。だって、重すぎるだろ?……親父たちは、名誉のために、アリューバ都市同盟の哲学を守るために、死んだ。そして、フレイヤも死ぬ覚悟さ。でもさ。それをして、それを選んで……オレたちは、満足できる『未来』に辿り着けるのかな?」
答えを軽々しく口には出来ない問いだな。
だが、あえて言う。
「生き抜き、勝つ。それだけでしか、乱世で幸福を掴む手段は存在しない」
「……サー・ストラウス」
「力に見合った幸福しか、おそらく乱世では、その指で掴むことは出来ないのだ。逃げるのもいい。何なら、このオレに全てを委ねるのもいい。オレを長にするのなら、君やフレイヤを死なせない。君たちは、強烈な政治力を持っているからだ」
「……さすがは、魔王。アンタは、スゲーな。オレが出来ない、背負い込む覚悟を、すぐにしちまえる」
「悪くない道だ。君たちの政治力も命も継続し、オレは、帝国との戦を継続できる。おそらく、オレは、それをすべきかもしれない。乱暴な暴力で、『パンジャール猟兵団』の全員と『自由同盟』を連れてきて、君らを屈服させる。それが、短期的にはベストだ」
「……でも、アンタは、『それ以上』を期待しているんだろ?」
「ああ。もっとオレに都合の良い、夢みたいな物語だ。ヘタレた男が、海賊どもをまとめあげて、オレたちと組んで……帝国を襲う。可能であれば、海賊騎士団の多くが、生き残り……オレは、いつか、君と彼女が、この国を再建した後で……年老いて、海に消えて行く日を……星になり、空から見ていたい……ッ」
あり得ないとは言わないが。
あまりにも、確率の低い、奇跡みたいな物語。
さあて、奇跡を現実にするのは、どれだけ苦しめばいいんだろうな。
どれだけ低い確率に、命を賭ければいいんだろうな。
……オレはさ、どこか甘い男だ。
来そうもない『未来』を選び、失敗し、そして嘆きながら死んでいくことを嫌う、このジーン・ウォーカーのことを……困ったことに、おそらく望んだ幸福を手にすることのない男に、感情移入しちまっているのさ。
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