第一話 『海賊どもは、拳闘の美学に酔いしれて』 その4
無数の山が脈を成して、それらを這うように走る小さな川が多いアリューバ半島。その半島のつけ根の南側にあるのが、港町トーポだ。
それは西からの川が内海へと流れ込む、小さな町だったよ。昨日の昼までいたハイランド王国からは、北西に位置しているな。この内海の南の端を、難民たちが渡っているはずだ。
ジャンとギンドウたちが、今ごろ彼らを護衛しながら西のルード王国方面へと向かっているだろう。その後、難民たちは南北に別れて、ルード王国かザクロア、そのどちらに移住するかを選択することになる。
ああ、ちなみにグラーセス王国も難民の受け入れを許可してくれた。『狭間』でありながら、救国の英雄……ジャスカ・イーグルゥ姫。彼女が、移民政策を仕切ってくれているようだな。
鎖国していたグラーセス王国だが、若者を中心に、変化が始まっているということだ。グラーセス王国にある、貴族戦士としてのオレの『領土』。ただの戦争跡地の平野で何も無い場所だけど……あそこに難民の村を創ることを、オレは許可しているよ。
鎖国状態の長かったグラーセスが、難民たちに人気があるかどうかは分からないけれども?誰もいないオレの領土に、新たな村が出来ちまうかもと思うと、オレはワクワク!領土を本格的に経営できたら、楽しそうだなあ……。
まあ、どっちかというと、自腹を切りながらの開拓事業が待ち受けていると思う。生産性ゼロの土地だからね。
さーてと、はるか南の領地が発展していくことを祈るのは、これまでにしておくか。
オレにはこのアリューバ半島の海賊と、『自由同盟』と協力関係を結ぶという任務があるのだからな―――。
よし、港町ポートについての情報を整理しようじゃないか?
空からゼファーが竜の眼で確認したところ、集落は山側と海側に別れているようだ。山側では木こりが運んだ材木があるね。製材所の規模を見ると……ふむ、それなりに繁盛しているようだな。
港の方は漁村にしか見えない有り様だった。漁師の舟であろう、小さな舟が20ほど桟橋につながれているな。興味深いことに、沖合には、そこそこ大きな帆船が二隻も停泊しているよ。帝国海軍の旗ではないな。
どちらも旗を掲げていないが……アレは、もしかして海賊船なのか?
製材所に買い付けに来ている、ただの商船かもしれないけどな。大きな船を見ると、なんかワクワクする。
さて。山側の集落の方が、家屋が80……海側の集落は、50ってところか。店舗の数は、海側に集中していそうだった。人口は400から600ぐらいか。かなり、小さな町だ。全員が顔見知りと言ったところじゃないかね。
町というよりは、村と言った方が適切かもしれない。
ちなみに、人種構成は、人間族とエルフ族が半々らしい。帝国化が進んできているせいで、人間族も増えたようだ。もとはエルフが多く、漁業などしていなかったらしいが。狩猟採集民の生活というのは、外圧に弱いもんだよ。
帝国の支配域に組み込まれてから、多くが変わっているんだろうな。
帝国人の植民が進むにつれて、エルフ族は森との共存を止めていき、ここに大きな製材所を立てて、ガンガン木を切り始めている。それが半島北東部の帝国海軍の軍港に運ばれて、造船が行われているようだ。
だから、この町には畑が少ない。なくはないが、小規模すぎるぞ。食料は、外との交易で入手しているに違いないね。主産業は、エルフ族の製材所か。森との共存ではなく、伐採により現金と交換。その現金で、他の町や帝国本土からの食料を買わされている。
帝国の経済に取り込まれるということは、こういうことだった。帝国にいつの間にか依存する形になり、独立独歩の生き方を不可能にされていく。食料生産が弱くされると、食料の供給者の家畜にされるもんだ。
リエルに教えると、エルフの誇りを棄てた連中に怒りを覚えるかもしれん。
決めた!……この事実はリエルに言わないでおこう。ムダな怒りを覚えることは健康に悪いもんね?
しかし、この町は、なんていうか、帝国の植民地化政策のモデルみたいなところだ。経済的に依存させ、帝国に組み込まれていくという形がな。
だが、まだ帝国の支配力は、薄そうだな。帝国本国から離れすぎているからか……もちろん、アリューバ半島の大きな町は、帝国化が著しいだろうけどね。
……しかし。あそこの町にオレたちが融け込むのは、ちょっと難しそうだよ。どうにもアットホームすぎる。旅人が立ち寄るような場所ではない。訪問すれば、目立ち過ぎるな。
『情報提供者』は、トーポの西の杉林にアトリエを構えているらしいから、上手くすれば、ヒトに出会わずにすむかもしれない。
……ああ、見えるぜ、ゼファー。アレか。あの川のほとりに住んでるのか。なんか、芸術家くさい孤高を感じさせる家だよね。周りには民家がない。
変わり者の周りからは、ヒトが離れて行くものさ。
好都合だよ、オレたちは帝国の支配領域に行くんだ。あんまり大勢のヤツに、オレたちの訪れを悟られるのは良くない。うん。オレたちってば、すっかり、クラリス陛下のスパイかもしれない。
くくく。
『エージェント・ソルジェ・ストラウス』か……なんか、カッコいい。コード・ネームとかつけてもらいたい気持ちになるな。オレ、まだ少年の心を捨てちゃいないらしい。
さてと。仕事するか。
「……よし。行くぞ」
オレはそう言いながら、『白夜』の前を歩き始めた。
ユニコーンの『白夜』は、ほぼ無音の足音で、オレについて歩いてくるよ。その背中には主であるロロカ先生と、リエルが乗っていた。緊急事態では、オレも『白夜』に跳び乗るよ。
ユニコーンの『白夜』なら、三人で乗っても、風のようなスピードで走るだろう。まあ、のんびりとした昼下がりの風景を歩いていると、帝国の衛兵に追われるようなコトは想像も出来ないがね。
背の高い杉林のあいだを、川が流れていた。水量は、普段よりも多いのかもしれないな。
川辺に転がる大きめの岩が流れに呑まれているからだ。いつもこの流れであるのなら、あの岩は下流に転がってるだろうさ。
小道の土は乾いているから、雨が降った形跡はない。
つまり、ザクロアの雪解けの水が、オレたちと同じように長い旅をして、この川へと流れついたのかもしれない。そう考えると、なんだか親近感がわいてくるから不思議だ。
静かな午後だった。
キツツキが、ギーイギーイと森の奥で鳴いている。ここのキツツキは、ちょっとうるさい。サイズが大きいようだ。川の向こう側の森を魔眼で観察すると……おお、いたな。木に取りついて、くちばしで木の肌を叩いている。
ガルーナのキツツキより、大きな亜種だ。生態は変わらないがな。ヤツらめ、昼食を摂っている。木の割れ目に細いくちばしを突っ込んで、そこいる虫を食べているのさ。
「……豊かな森だな。いや、豊かだった森か」
リエルの言葉にはさみしさが味付けされているんだ。彼女は……オレが言わずしても、森を見て気づいたのさ。この森は、エルフ族の目指す『自然との調和』という哲学からはズレ始めている。
豊かな自然に見えるし、実際、その光景はうつくしい。オレやロロカ先生には、ハイキングに最適な、イイ感じの大自然にさえ見えているよ。でも、森のエルフ族からすれば、不自然なところに気がつけるようだ。
「……開発はな、いいと思う。ヒトが豊かに暮らすためには、必要なことだ。エルフだってな、木を切り、それで家を建てる。薪にするため、木を倒す」
「……そうだな」
「でも。ときおり、世界が変わりすぎて……元々、あった形とは、かけ離れていくことがだな……なんだか、さみしいのだ」
「ええ。そうね、リエル……貴方には、この森の昔が見えるのね」
「うむ。今の森も、悪くはない。ここのエルフ族は、誇りを完全には失っていない。森を、きちんと愛してもいるんだ。ちゃんと、朽ちた木を寝かせてやっている……あれを、森は食べるんだ。そして、命をつくるための栄養になる。森は、木が死ぬことで再生するんだ」
死と再生ね。
17才のオレの正妻エルフさんの哲学は、とても完成されているよ。王族だから、森のエルフの生き方や歴史、哲学なんかを継承しているのだろうさ。
森を読む力か。素晴らしい目をしているな、エルフ族は。竜の眼でも、そんなことには気づけないよ。
「……すまない。ここの森は、悪くはないのだ。おそらく……この森を管理するエルフたちも、かつての暮らしよりも、豊かだろう」
世界を旅して、見聞を広げたリエル・ハーヴェルは、もう保守的なだけの森のエルフの王族ではない。他者の価値観をも、彼女は把握出来るようになった。
純粋であることだけが、素晴らしいわけじゃない。
オレたちは、様々なことを知り、時に汚れたように見えるほど、価値観を歪める。だが、歪みの意味を知れば……それと折り合いをつけることも可能だ。それは妥協とは違う。この世界を受け入れているだけだ。
世界は複雑だ。
ときに残酷かもしれない。
でも、残酷なだけではないのだ。ヒトは、『未来』を求める。より良い明日を手にするために、もがいて、何かを失いがながらも、何かを勝ち取ることがある。
ここのエルフたちも、それをしたのだ。かつての暮らしを失い、嘆く者もいるだろう。新たな生き方を受け入れた者もいる。様々な人生が、こんな田舎にもあるんだよ。
リエル・ハーヴェルは、それに気がつけるようになった。
他者を尊重することが出来るようになった。君は、すっかりと大人の女性になったよ。さすがは、オレの正妻エルフさんだぜ。なんだか、君のために美味しいイノシシ料理でも作りたくなるよ。
オレたちは、それでも美しく見える森と川のあいだにある小道を歩く。
鳥たちの歌が融けた風を髪に浴びながら。
悪い気持ちはしない。やはり、背の高い杉の間から見る木漏れ日は、なかなかに美しい。
木の陰を、オレは見たよ。枝たちの間から、お日さまの光が降ってくる。その光を遮る黒い影。そういう自然の造形を……ヒトは、何故だか、楽しめるように創られているものだ。
その影が注ぐ、この小さな道を、愛しい妻たちと歩くことに、オレは幸福を感じられる。カミラよ。ミアよ。君たちも、ここにいたら良かったな。
いつか……ファリス帝国を倒し。オレたちが争いのために世界を旅しなくても良くなったら、オレたち『家族』で、世界を巡ってみないか?自然のままの森もいい。開発された森でも……大都会や、田舎でも。さまざまな食事とか文化とか……あと酒に触れながら。
君らと愛し合ったりして……産まれた子供たちと、この川とかでもいいし、どの川でもいいんだが―――あの胡散臭い鯨の骨の針をつかって、どんな大きさのナマズが釣れるかを試してみたい。
そんなことを考えているとね。
世界が、とても素敵に見える。
オレは『情報提供者』のことも忘れて、作戦のことさえも忘れて、風を翼に受けて飛ぶ、その黒い翼のキツツキを見つめ。口元をほころばせる。
歩いて。歩いた。
気分はいいよ、五月の風は心地よいから。そして……オレたちは、その孤高な家にたどり着く。ユニコーンは知性が高いから、くくらなくてもいいんだよ。『白夜』から降りたリエルとロロカを引き連れて―――。
オレは猟兵団長の険しさを貌に取り戻しながら。
それでも、スマイルを忘れることはなく。
片腕でも彫刻を刻むことを止めない男の住む小屋を、叩いたよ。そうさ、彼は現役だ。だって、この小屋の軒先には、削ったばかりの木が並ぶ。うん……見事な『フィギュア/船首像』だよ。
威厳を称えた貌で槍を掲げる海神の像。慈愛をたたえた、ふくよかな女神の像。そして何だか分からない幻想的というか、あるいは狂気に染まった心を反映したかのような、奇妙な獣の像。
『アーティスト/製作者』の心にしかいない、神秘の存在たちが、太い木から削り出され、命と形状と哲学を与えられているようだな。強さ、祈り、畏怖……それぞれのテーマを背負わされた、魔性の船首像たちをチラ見しながら、オレは製作者との遭遇に備えたよ。
変人の芸術家の気配に呑まれちゃ、猟兵の頂点として情けないからな。
ああ……ゆっくりと、分厚い扉が開いて……背の低い男が―――ふむ。ドワーフか。ドワーフのジジイが出て来たぞ。その左目の周りは、何故か青タン。ブン殴られたのかもしれないが……。
そんなことよりも、左腕がねえな。つまり、彼こそが『情報提供者』か?……訊かねばな。
「老人よ……貴方が、『セルバー・レパント』か?」
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