第七話 『悪鬼獣シャイターンと双刀の剣聖』 その6
紅い屋根瓦の六階建てクラシカルなホテルには、氷室もあるけれど……その隣に小さな牢屋もあるんだよ。床と壁を構成している古い石が、酸っぱい臭いを漂わせてくるね。背の高いオレとしては、やや身を屈めて進まないといけないほどに天井が低く、細い階段を下りていく。
アイリスはランタンを持ったまま、この地下の道を歩いたよ。一歩ごとにランタンの炎が揺れて、彼女の影と紅い光が、灰色の石たちの上で、素早く入れ替わっていくんだ。
コツコツという足音が、ひんやりとした闇のなかに響いて耳に届く。身を屈めて歩かなきゃならない地下通路の奥には……鉄格子があったよ。錆びているな、仕組みが複雑なトコロに湿気が引っかかったんだろう。それらを中心にして、錆びている。
本気で蹴りを入れれば?……怪力のオレなら一撃で壊せるかもしれないな。
でも、檻を構成する鉄の棒の一本一本は、鶏の脚骨ぐらいには太くて、これぐらいの錆では凡人の蹴りには耐えるだろうよ。
「その中にいるのか、『情報提供者』が」
「ええ。ちょっと待ってね、この鍵で開けるから」
戦術衣を着こなすアイリスは、黒い布に覆われた胸元から鍵の束を取り出す。鍵の束が、カチャカチャと固い音を立てながら、彼女の技巧を帯びた指によって選別されていく。
「これだわ」
お目当ての鍵と出会えたアイリスは、その古びた鍵穴に、ゆっくりと鍵を刺す。そいつをくるりと捻ってカチリという音を鍵穴に鳴らした。錆びかけた鉄格子の扉が、ギギキイイイイという悲鳴みたいな音を立てて開いていく。
彼女はその中に入っていった。オレも追いかけることにする。身を屈めて、その邪悪な冷気が漂う場所へと入ったよ。
保護した子供たちに見つかると、ヘンタイ宿屋と怯えられるかもしれないからな。そのドアをアイリスはしっかりと施錠した。とんでもなく怪しいからな、この一連の通路とか鉄格子は。
オレは、彼女が平たい床石の上に置いていたランタンを持ち上げるよ。レディーの代わりに、このランタンを持って先導しようじゃないか?……邪悪な呪術師のいるような場所には、オレから入室すべきだろ。
それからも、相変わらず狭い通路を歩いた。だが、突き当たりはすぐだったな、そこは左右に分かれるT字の空間。左からは冷たい空気が流れているし、わずかに甘い脂のにおい。間違いないよ、ここにハンバーグの中に入れた氷が蓄えられていたんだ。つまり氷室があるのさ。
冷気を逃さないように、ここは狭く造られているのかもしれない。さて、氷室にどんな食材が保存されているのかも気になるけれど……それよりも、今は『シャイターン』に詳しそうな人物のお話しが聞きたいところだぜ。
オレはこの通路を右側に曲がるんだよ。氷室の逆の部屋に向かうんだ。この旅はすぐに終わる。たった三歩でお終いさ。
そこにあるのは、また扉だが、今度は木製のドアだよ……コレに鍵はかかっていなかった。オレの指がそれを奥に向かって押す。重たいね。蝶番が軋む音を立ている。油を差してやるべきかもしれないな。
「……まだ生きているのかしらね」
「ホテルの地下貯蔵庫の隣に、変死体があるというわけか」
推理小説よりも、どちかと言えばホラー小説の主人公になったような気持ちを胸に抱いて、オレはその尋問室に入ったよ。低温だから、死んでいてもまだ新鮮だろう。だから不快な臭いはしていない。
まあ、生きていてもらわなくては困るんだがな……。
その太い木組みのイスに、革バンドで固定された男の正面に行く。うなだれた薄着の男は、フーレン族だ。尻尾を覆った黒い毛が小刻みに震えていたよ。彼は、もうしばらくは生きていそうだな。
質問をする者に相応しい態度で、オレは捕虜のホホを合わせた指でビンタした。
「……痛っ!?」
「いやあ、寝たふりはしないほうがいいぞ?ここで寝てしまうと本当に凍死する可能性もある。狸寝入りのつもりが、そのまま永眠したというオチで人生を締めくくるのはマヌケが過ぎるだろ」
短く刈り込まれた黒髪の生えた頭が動き、中年のフーレン族がオレを見上げる。右目の周りが青く腫れているな。眼窩底骨折がある……そこそこ新しいケガだが、昨日今日のものではない。
やや中年太りしているが、そのおかげで、この地下室の寒さに耐えられたのかもしれないね。
でも、唇は真っ青で、低体温症を発症していそうだったな。おそらく、彼の肉は今、死体のそれに等しい温度にまで下がっているだろう。
アイリスがカンテラを、この小さな小部屋の天井から垂れる黒い鉄のかぎ爪に引っかけた。なんか、完成しちまったカンジがしたよ……頭上から光に照らされると、ヒトは本能的に萎縮する。隠れ場所が無いように思えてしまうから、嘘をつくくなるんだろうな。
薄暗いこの空間でカンテラの中で踊る炎だけが、紅くかがやいてる。そのかがやきの下に、拷問で手脚の指を砕かれ尽くした男がいた。ああ、あの美味しいハンバーグの肉が静かに眠る氷室の隣室に、こんなヒトが監禁されているとはね……。
人生は不思議と発見に満ちているよ。
さて、さっさと始めよう。オレは今夜も忙しいんだから。
「君の名前は、ジム・ジェイドくんだな。年齢は34才……独身か」
「……何が、聴きたいんです……私は、全て話しますから……もう許して下さい」
「おいおい。オレは拷問を楽しみに来たワケじゃない。君とお話ししに来たんだよ」
「……何でしょうか?」
「『シャイターン』の『繭』、それを君の師匠が創ったな?」
「……ええ。私たちが、先生と一緒に、創ったんです」
素直過ぎて不気味だよ。もともとマジメな性格なのだろうけれど……あまりにも、すんなり話させれると、本当のことを言ってくれているのかと心配になる。
もう暴力に身も心も破壊され過ぎていて、こちらに媚びるために常に嘘をつくような精神状態になっているとすれば、あまりにも不憫だし―――尋問する価値もないが?
……まあ、とりあえず訊いていこうか?
「私たちとは、誰と誰のことだ?正確に話せ」
「先生と、ヴァン・カーリーと、私です……『呪い尾』を造ることも、『シャイターン』を創ることも、我々三人で行った行為です」
「……そうか。君は、それらに詳しいわけだ」
「ええ。おそらく、先生の次には……当事者ですから」
「『シャイターン』とは、そもそも何だ?」
「……呪物ですよ。呪われた存在……『繭』に入った人間を変えるのです」
「その能力は?」
「伝承の通りの能力に、仕上がるはずですよ……つまり、殺しても、魂で彷徨う。あらたな肉体を見つけたら、それに入り……『シャイターン』は転生する」
捕虜のジム・ジェイドが、『シャイターン』のことを話していると、元気になっていくのが分かったよ。
彼にとっては、『シャイターン』を創る作業は、誇らしい行いであるようだな。ヒヒヒ。彼の唇がそんな陰気な歌声をこぼす。
……暗い場所に似合う、ひねくれた笑顔から、不愉快な笑みがこぼれていたよ。
たとえざ気のいいヒトだって、こんな条件下に置かれると、心ぐらいひねくれるよね?彼が社交性の乏しい変人だと判断するための材料ではないよ、この壊れた笑みは。環境がさせるもんだ。
「なあ……ダメ元で訊いてみるんだが」
「なんでしょうかね……」
「……『シャイターン』を楽に倒す方法を教えてくれ。被害者を作らずに済む方法をだ」
君の作品を壊すってハナシですまないが……オレが最も気になっているのは、オレが今いちばん欲しい情報は、けっきょく、それなんだよね。
「……ははは!そんなもの、ありませんよ。『シャイターン』は、最高の呪いです。古来の手段で勝つほかありません!!完成された、呪いなのですからね!!呪術とは、ルールなのです!!ルールに従わなければ、終わりは来ない!!」
君は、神聖視しているようだな、『シャイターン』を。それとも、君の師匠をか?あるいは、『呪禁者』としての生き方そのものを……?まあ、いいさ。分かったこともある。
「……つまり、今度もヤツには『弱点』がある」
「……え?」
「古来の通りと言ったな?ならば、かつてと同じ戦い方が可能なはず……ヤツは、フーレン族以外に取り憑いて『転生』することは出来ない」
「……はい。フーレン族特有の『尻尾』、それにこそ、取り憑くのですから。それを持たない種族には、転生は出来ません。肉体の構造が、違いますからね?……足りないのですよ?他の人種では、『転生』に至る条件を満たせない」
彼はどういう心境による発想なのか、自分の『尻尾』を動かしていたよ?くねくねと、その主張は、たんに会話を捕捉するためなのだろうか……。
オレには、彼がどこか『シャイターン』に選ばれる可能性を持っていることを、誇っているように感じるんだが……気のせいではないのだろうな。
「……そうか。それじゃあ、質問を変えるよ。ヤツを殺すとき、フーレン族はどれぐらい離れていれば安全なんだ?……どれだけの距離があれば、ヤツは転生しない?」
あるはずだぞ?その距離が……原初の森林の奥地かどこかで、ヤツの『先代』は倒されたんだろ?
ジム・ジェイドは考えてくれている。尻尾をスローペースで、くい、くい、と動かしている。シアンと似たような動きだ。本能的な動作は、『種族的な特徴』を帯びるということかもしれんな。
シンキング・タイム。唐揚げとトンカツのどちらがいいかを訊いてみた時、シアンの尻尾は長らくそれをする。どっちもだ!!あるいは、より早く出来る方だ!!……そんな答えが帰ってくるんだけどね。
一分近く押し黙り、ジム・ジェイドは腫れた顔面で自分を照らすカンテラの炎を見つめていたよ。拷問で折られた彼の心は、子供のように素直になっているのか?……あるいは、忠誠を誓っていた師匠が殺されて、腑抜けになっただけか。
元来は、素直で誠実な男なのだろう。
職業蔑視かもしれんが、『呪禁者』という恐ろしげな職種に合わない気がするな。オレの価値観と、この国が呪術に対して持つ理想は違うのかもしれないが。
彼は、首を動かしてオレを見つめてきた、さて、意見を述べてくれるらしい。オレにとって素晴らしい情報なら嬉しいのだが、おそらくは、そうでもないんだろうな。
彼の表情は暗い。
「……『3キロ』ですね……それだけ離れていれば、『シャイターン』の『魂』が、宙を漂っているあいだに……消滅するでしょう。死した肉体から放たれる『魂』は脆く、『シャイターン』であるための術的な構造は繊細で、弱いのです。それ以上の距離には耐えられないでしょう」
3キロか……。
ふむ……まいったな。それでは、王城の中で殺しても、城下町の全てが、その射程距離に含まれてしまうな……。
「……どういう人物が選ばれる?……その、取り憑かれやすい者なんかがいるのか?」
「いますよ。呪術は、ルールですから。『シャイターン』が求めるのは、より幼い命。より無垢な命を狙いに行きます」
「……赤子かよ……ッ!?」
「ええ。それよりも、前の状態もですよ」
「……ッ!!」
つまり、『胎児』か。クソ、なんてことだ。殺しにくい。シアンの戦術の通りに、カミラに頼るしかないか?……しかし、300人の生け贄で編まれた呪いを、いくら吸血鬼でも、喰らいきれるのだろうか……?
ダイヤモンドの欠片を蟲に喰わしたとも、ヴァン・カーリーは言った。触媒を使った呪術は強固になる。真に深い呪いは、カミラでも除去出来ないんだぞ?ジャン・レッドウッドの血筋に流れる『人狼の呪い』……それは、カミラにも解けない。
有効な策が、より多く欲しい。最悪な状況にも対応出来るようにしておきたい。イヤな予感がするんだよ。こういうのは、絶対に外れないんだ……ッ。
もどかしさで奥歯を噛むよ。寒くて暗いこの場所が、重たく苦しく、オレにのし掛かる。オレ自身さえもが、まるでこの空間の囚われのような気に陥ってくるよ。
それでも、オレは猟兵だ。大陸最強の『パンジャール猟兵団』だ。その団長であるこのオレが、あきらめることは許されない。すえて冷たい空気を鼻で吸い込みながら、オレは、奥歯の拘束を解きほぐして、ゆっくりと口を開くんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます