第五話 『悪鬼たちの夜』 その12


 未知の敵を相手にするときは?慎重に行くべきだと多くの武術師範が答えるだろう。それはそうだろうな。それは至極、当然のハナシだよ。


 相手の動きを見極め、それに理詰めで対処していくのが武術だからね。


 未知の存在に対して、不用意に近づいたり、不用意に攻撃したりすることは、あまりにも危険だ……。


 でもな。オレは、この諜報部員と自称するようなヤツの腕を、すでに斬り落としてしまっているんだよな……そして、あの腕の断面から、大量に不気味な体液がこぼれ落ちるのを見てしまった。


 もしもだ。


 もしも、アレが……『蟲の涙』だとすれば?腕を断たれた宿主のために、あるいは深く傷を負った蟲どもが己のために分泌した、『強烈な麻酔効果』のある体液だとすれば?


 そいつが気化したかもしれない空気を、オレは嗅いでしまっているわけだな。


 全身の痛みが消えるだけなら、べつに悪くもないが―――麻酔だぞ?意識まで消えてしまっては、たまらない。


 速攻で殺すべきだ。


 コイツと長く戦うのは、あまりにも不利だからなッ!!


「うおおおおおおおおおおおらあああああああああああああッッ!!」


 竜太刀に宿る、怒りの炎を波にして放つのさッ!!


 大火力だ。正直、ここの空気を焼き払い、麻酔成分を持つ不気味な化学物質を消し飛ばしたくもある。


 暴れる炎の波が戦場を焼き、ギー・ウェルガーをも呑み込んでいく。ギュイイイイイイイイイ!!という、焼かれる蟲どもの断末魔が、響いていた。


 だが……ヒトの悲鳴はないな。


 黄金色の焔が焼く大地から、ギー・ウェルガーが起き上がる。体中から、蟲どもが悲鳴を上げながら焼け落ちていく……それでもなお、ギーは平然と立っていやがるな。


「……呪文も無しに、アレだけの炎を即座に呼べるのか」


 火傷に覆われた顔で、ギーの昆虫みたいに冷たい目が、オレを見つめてくる。ヤツめ……火傷で水ぶくれになったはずの皮膚が、その腫れと赤みを失っていく?……まさか、治癒していやがるのか、ヤツの肉体に巣くう、無数の蟲どもが!?


「……ソルジェ・ストラウス」


「なんだ、蟲野郎」


「提案がある。お前ならば……蟲を受け入れられる可能性があるよ」


「まさか、テメー。オレに蟲を移植させろって言うつもりなのか?」


「ああ。どうだ?……悪くない取引だぞ?無限の生命力を、その身に宿せる」


「……フン。下らねえ」


「……残念だ。自分の意志で、挑戦して欲しいのにな……いつも、誰もが断るんだ。私の提案する、『究極の健康』を」


「ヒトには自ら選び取った生き様がある。自分の信念によって打ち立てられたモノもあれば、世界がもたらす残酷な定めを浴びたことで気づいたモノもあるだろう。残念だが、オレは君の提供したがっている生き様に、魅力を覚えない」


 蟲なんぞと共生?


 ふざけんなっつーの。


「オレの体の中にいていいのは、ストラウスの剣鬼が脈々と継いできた、血と肉のみだ。貧弱な蟲けらの群れに、オレの体の代わりなどがつとまるかッ!!」


 死ぬほど侮辱された気分だぜッ!!


 そんな惨めにうごめく蟲ごときがッ!!


 オレの血に、オレの肉に……剣鬼ストラウスの血に、竜騎士の肉にッ!!


「下等生物ごときが、このオレさまに混ざる権利など、あるわけがねええだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 怒りと共に、魔力が暴走するのさ。


 あふれる魔力をアーレスの竜太刀が喰らい、刀身には黄金色の逆巻く劫火の螺旋が発生するッ!!闇を炎が放つ金と赤の光が切り裂いていく。


 ああ、ムカついているぜ。


 だから、手加減無しだ。


 アーレスも激怒しているぞ?いいか、クズ野郎。ヒトの命を蟲に喰わせて、麻薬にするというのか!?


 くくく!!……そんな外道な行いを、このソルジェ・ストラウスさまと、偉大なるガルーナの守護竜、アーレスに聞かせておいて、生きていられるなどと誤想するなッ!!


 竜の劫火と、オレの怒りが放つ劫火が融け合って。世界を焼き払っていくのさ。あの穢らわしい蟲の吐き散らした体液なんぞ、全て、空気ごと焼き払うような勢いだ。


 いい火力だ。


 世界が燃えていくのが分かる。


 髪が焦げ臭い、皮膚も痛いし、目玉をうるおす水分も沸騰して蒸発しちまいそうだ。目を細めるぜ、灼熱に耐えるためと、怒りを貌が宿したからだよ。


 唇が裂けるように横に開き、残酷な牙は闇に輝く、オレは灼熱に焼かれる空気の味を舌でなめるのさ。


 そこらに転がる木箱が、燃え始めていた。


 麻薬や密輸酒も焼けて弾けて、炎のエサになっていく。


 この世のよどみや、ヒトの業が産んだ邪悪の産物を、オレは焼き払っていく気持ちになれるね。煉獄ってのは、こんなところさ。


 邪悪を聖なる焔で清める、地獄の一種。魔王さまの怒りが放つ炎の歌が流れるには、あまりにも相応しい光景と熱量だッ!!


 『究極の健康』を持つ男は、その顔を歪めていた。


「なんていう、魔力だ……ッ」


「ああ。魔王の怒りだ。これが持つ威力に、君の『究極の健康』とやらは、耐えられるのかなァ……ッ!?」


 ギー・ウェルガーの表情に、安らぎは訪れない。蟲どもに修繕されたはずの皮膚が、また火傷していくぜ?……試してやるよ、君ら『ゴルゴホ』の作り出した、『究極の健康』とやらが……どこまでの耐火性を有しているかをなあッッ!!


「くくく。焼け死ね、滅びろ、クソ蟲どもがあああああああああああああああああッッ!!」


 怒りの歌を浴びて、大上段に構えた竜太刀に宿る炎は、天をも焦がすほどに巨大な火柱と化けるのさッ!!


「う、うわあああああああああああああああああああああああああ……ッッ!!」


 恐慌反応さ。恐怖に身が竦み、ギー・ウェルガーが逃げることもせずに、ただただ震えている。震えた魂から、悲鳴という名の歌を放ちながら、それ以外の動作の一切を肉体が許さない。


 当たり前さ。


 本能が悟るんだよ。


 この強大なリーチから逃れる術などないことを!


 この怒りを沈める術など、命を爆散させながらの血肉の謝罪しかないことを!!


 己が、負けて、焼き殺されることを、悟るんだよッッ!!!


「魔剣・『バースト・ザッパー』ぁああああああああああああああああああッッッ!!!」


 魔王の怒りが夜空を黄金と深紅で切り裂いて―――大地を穿ち、爆裂させるッ!!!


 ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンンンンッッッ!!!


 地が揺れ、空が震え、灼熱を帯びた爆風が、ギー・ウェルガーを怒りのままに呑み込んでいくぜッッ!!


「があがががあああああががががっががあああああああッ!!」


 ヤツが奇声をあげながら、その身を崩していく。


 肉体の繊維に化けていた蟲どもは、灼熱に呑まれて、与えられた熱量に耐えきれなくなり爆発していくのさ。炎の嵐のなかに、ギー・ウェルガーの肉体が細切れになりながら、焼け落ちていったよ。


 消し炭のような漆黒になった、ヤツの蟲に寄生された肉体が、バタリと焼ける大地に落下してくる。


 爆発した焼死体ってカンジだ。


 だが……恐るべきことに、ヤツは……そこまで破壊されても、生きていた。


 先端が焼け落ちてしまい、とても短くなった黒い指が、イモムシみたいに動いているぜ?ピアノでも弾いているのか……オレが、そんな下らないことを考えたとき。


 我が正妻、リエル・ハーヴェルの大声が夜の闇を切り裂いていた。


「ソルジェ!!後ろだッ!!」


「……なに!?」


 まったくの気配はない。魔力の気配もない。だが……敵意だけを感じた。


 そして……オレは『死者ども』を見る。


 それは、オレたちがさっき殺した『虎』どもの死体だ。ここからは、まだ遠く、20メートル先を歩いていた。首が無いヤツまでも歩いているね……。


 ……うん、間違いなく『歩く死体』だな。そう呼ぶに差し支える要素を見つけることが、オレには出来ないんだが。


 ……つまり、彼らは、いわゆるゾンビなのか?


 オレへの『怨念』あたりから、あの世から蘇ってしまったのかね。ああ、ブランデーをかけて、供養でもしてやれば良かったのか?……どうだろうな。


「しかし……あいつらゾンビだなあ、ゾンビに見えるぞ?……動きは緩慢だ。つまり、アンデッド……んー?」


 だが、ザクロアで死霊との闘争に明け暮れたオレの感覚が、『否』と訴えてくる。ヤツらは呪いの魔力で動くんだ。


 だから、魔力の動きぐらい感じられるが……あの連中からは、魔力を感じない。


 リエルもそれを不気味に感じたのだろう。呪いを破る、祝福を帯びた矢を放つ。八匹のゾンビどもの一体に突き刺さるが……フーレン・ゾンビは止まらない。


 それどころか、連中、とんでもない勢いで走ってくるぜ?


 しかも……オレにじゃなかった。あっちで壮絶な殺し合いをしている『虎』たちでもない。焼け焦げて、消し炭みたいになっている、ギー・ウェルガーの元へと殺到していった。


 オレは気づくよ。


 目の前をとんでもないスピードで走って行く、『健康的なゾンビども』の体から、ギギギギイイ!!っていう、不気味な鳴き声を聞いてしまったもんだから。


 あの動く指は……呼んでいたのさ。


 ヤツめ、オレとジーロウが、『盲虎』の部下どもを殺したことに気づいたとき、つまり、最初にオレたちが遭遇した瞬間に、『ゴルゴホの蟲』を体から放っていたのか?


 そして、『虎』どもの死体を蟲どもに探させて、寄生させていた……。


 その死体の中で、とんでもなく非常識な勢いで蟲どもは肉を喰らい繁殖し、その死体を制御下に置いたということか。


 首無し死体まで走らせたところを見ると、アレか?


 ヤツが語っていた『脊髄回し』とかいうクソ蟲か?脊髄損傷さえも飛び越える、神経経路の橋渡し……それを死体の脊髄にも巡らせたというわけか?


 何とも、邪悪な蟲どもだなあ。この世にそんなものが存在していると知るだけで、嫌悪感で胸が一杯になってくる。


 フーレン・ゾンビ……いや、『脊髄回し』に操られただけの死肉の塊どもが、ご主人さまの前にはせ参じたぞ?


 ご主人さまからは、蟲で編まれた触手が出て来て、死体どもに接合していく。肉を貫き、その内部でゴソゴソと何かやっている。八体の死体とギーの黒焦げた肉体が結び付いているように見えたな。


 何が起きるのか?


 ろくでもないことしか起きやしないのに、どうして、ヒトの好奇心ってモノは、それを見物しちゃうんだろうか……。


 オレと、崖の上にいるリエル……そして、ピエトロが、そのグロテスクな光景を見物してしまっていた。弾ける肉と皮膚の奥から飛び出す、無数の蟲。そんなものが脚を絡め、破裂させた体から出て体液で融け合うように『合体』していく光景を見つめていた。


 死体と、それからあふれた蟲どもは、ひとつの肉のカタマリになって、やがて立ち上がったよ。


「……ふん。『究極の健康』か。常軌を逸している発送だな。ギーとやよ。その形状に、呼ぶべき名前はあるのか?」


 ゲテモノ・グロテスク蟲じゃあ、長いからな。何かあると助かるよ?真剣に名付けのために脳みそを使いたい相手ではない。コイツは、酷く醜いんだよ。


『……『ゴルー・ベスティア』……ゴルゴホの守護聖獣さ』


「守護聖獣ってものには、フツー、自分から化けないんじゃないのか」


『ああ。そうかもしれない。私も、お前と同じく……フツーではないのだ、魔王よ』


「……くくく。確かになあ!フツーって要素からは、あまりにも遠い」


 あふれかえる蟲の群れで作られた『獣』だって?


 『ゴルゴホ』たちの趣味の悪さには脱帽モノだが、ちょっと面白くなってきたぜ!


 ……フーレン族よりも酷くないとは思うんだが、ストラウスさん家の四男坊だって、すこぶる狂暴な性格をしている。殺し合いが大好きなんだよな!!強ければ、それだけで歓迎はしてやれるぞ、ゲテモノ野郎よ!!



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