第四話 『猟兵たちは闇へと融けて、雨音と共に』 その9


 自由を帯びた王者の風―――『荒野の風』の奥義……『雷帝斬り』か。


 まったく、とてつもない技だ。オレの『魔剣』と同じような類いだが……純粋な破壊力のみを優先させたのか。ああ、ドワーフらしい。肉体の頑強さと、まっすぐさ。そこに誇りを抱いている。素晴らしく純粋で、向こう見ずな哲学を感じるぜ。


 ああ……クソ、心がワクワクし過ぎて冷静さを欠くぜ。ダメだ。いかんな、戦場でこんな高揚は不必要だ。呼吸のペースに頼って、無理やりにでも落ち着こうじゃないか?


 深呼吸。横隔膜をコントロールし、体と心が帯びた興奮の熱を吐き出し、土砂降りの冷たい雨に体を冷まさせるのだ。そうだ、自分の意志と運動だけじゃなく、自然をも使うのだ。


 足りなければ……死者を見ろ。物言わぬ死体どもだ。オレがミスを犯せば?……あの奥義をオレに見せるために疲弊した、あの姫君とその胎児は、物言わぬ肉の塊となり、この土地で腐っていくのだぞ―――。


 ああ……十分さ。オレのためにも、ジャスカ姫のためにも、そして『荒野の風』のためにも……油断は許されない。うむ、オレはもう冷静でいられるぞ。


 さてと。戦況を、冷静に分析しろ……そうだ。そろそろ限界ではないか……南に陣取っていた歩兵の群れが、集まって来ている。ゼファー・チームの遠距離攻撃でも弓持つ敵が群れで来ては危険だ。


 今夜の土砂降りは、オレたちに有利なだけじゃない。ゼファーの翼に重くのし掛かり、ゼファーの機動性を奪おうとしているのだからな。オレならば、空からゼファーを落とすのに20秒もいらない。


「……ジャスカ姫。撤退の準備をしろ。動けるか?」


「ええ」


「よし。じゃあ、その首を寄越せ。君は魔力を使い過ぎている……荷物は軽い方がいい」


 ヒトの頭部はそこそこ重量があるからな。持ち運びに適しているモノではない。


「……ええ。ごめんなさい。体力も尽きそう!……あと、ゲロ吐いていい?」


「……ああ。吐け。でも、それ、『つわり』っていうヤツじゃないのか?」


 オレには妊娠初期の嘔吐の経験とか無いから、分からないのだが。妊婦さんのその症状って、そういう名前がついていたような気がするな……。


「なんでもいいわ。ゲロはゲロでしょうに……」


「……まあ。君がその名称に抵抗がないのなら、オレは一向に構わんが?」


「ぐむ……うええっ?……ああ、吐きそうだけど、吐けないなあ……?」


「大丈夫か?ゼファーに乗るしかないんだが」


「それしかないならガマンする」


 ……ちょっとショックな物言いだな。竜だぜ?


 『人生で二番目の喜びよ?一番目は、この子が出来たこと!!』……みたいなセリフを、オレはあさましくも期待していたんだが。


 ふむ。独善的すぎたかもしれないな。オレは彼女から手渡された首入りの麻袋を肩にかけて、ゼファーを呼んだ。


 ゼファーが炎のリングへと降り立つ。女子たちが、ゼファーから飛び降りてきて、ゲロを吐こうとえづいているジャスカ姫を死ぬほど心配する。


「ジャスカちゃん!!だいじょうぶ!?」


「だいじょうぶか!?お腹の子は無事か!?」


「ええ。大丈夫よ。ただね、ゲロが……出そうだけど、出ないだけ」


「そうか……母になるのは大変だな」


「ううん。サイコーの気分よ?ゲロは辛いけどね?まあ、すぐに知らされるでしょう、貴方も」


「そ、そうかもだが!?」


「……とりあえず。ゼファーに乗るぞ?姫よ?どうしたら楽だ?オレはお姫さま抱っことかした方がいいかね?」


「ううん。だんだん収まって来たから、大丈夫」


『みんな!!はやく!!てきが、あつまってきてる!!』


「らしいぜ。よし!!全員、ゼファーの背に!!ゼファー、妊婦がいるんだ、背を低くするのが、騎士道だぞッ!!」


『うん!!こう!?のりやすい、じゃすか!?』


「ええ!!」


 そして、ジャスカ姫はオレたちの心配をよそに、素晴らしい跳躍力でゼファーの背に飛び乗った。ああ、オテンバが過ぎて怖い……ッ。だが、今は彼女の豪快な血が持つであろう生命力を信じよう。


 そもそも、あの胎児の祖父は『荒野の風』だし……父親の方は『センチュリオン』だぜ?ああ、大丈夫そうな気がしてきたぞ。


 オレたちはゼファーの背に乗る。ゼファーが一度だけ強烈な炎のブレスを吐いて、敵を威嚇したあと。大地を走りながら、炎が作った敵のいない道を駆けて、空へと舞い上がっていく。


 そうだ。油断ではないのだが、確信は得られた。もう安全圏だ。この土砂降りの中では、矢の勢いも弱る。夜間の戦闘だ、そもそも弓を持ってこの場に現れた者などいやしないだろうがな……。


 だが。


「……ッ!?」


 ―――オレの魔眼が、その瞬間……すさまじい敵意を感じていた。いや、全員が気取っていたぜ。数百メートル先から、炎に照らされるオレたちの姿を見ている男がいた。正確には男と、一頭の白馬がな。そうだ、馬までオレたちを睨む。


 負けることを屈辱と思う男が、雨に打たれながらその気高い白馬の背に君臨している。ブラウンの髪は雨で濡れて垂れていて、その黒い瞳はオレたちを―――いいや、オレを射抜くように睨んでいる。


 人生には、たった一瞬が、とても長く感じる時と遭遇する日があるものだ。オレにとってその幾つかの内の一つが、今このときだったようだな。


 それだけ、ヤツと……いいや、『ヤツら』との邂逅は濃密な情報と感情が詰まっていたということさ。分かるぞ。それは、まるで津波のように襲い来る、情熱的なほどの殺意。達人の狂気が放てる殺気に満ちているのさ。


 ヤツと……そして、なんとも不思議なことにあの馬も、その気迫と気概を持っているようだ。


『……いまのは、なに……?』


 ゼファーは違和感を持ったようだ。おそらく、竜であるゼファーを睨む生物など、オレ以外には知らないからだろう。


 そして、オレの視線はあくまでも親愛を宿していた。だが、今度のは敵意しかない視線だ。


 とても珍しいことに、あの連中はゼファーのことを怯えていないからな。強さの差ぐらいは分かるはずだが……『負けを知らない』ということは、ああいうことかね?


「ゼファーよ……マルケス・アインウルフ。ヤツが、今度の敵の総大将さ」


『ぼくを……ううん、『どーじぇ』をにらんでいたね』


「オレがどこの誰で、ヤツに何をしたのかを理解したんだろう」


「しかし……なんていう眼だろう。怒り……すさまじい怒りを感じたぞ?戦闘能力は上の下あたりだろう。最上位に君臨する我々には間違っても敵わない。なのに……どうして、これだけの戦力差を前に、戦意を失わないのだ?」


 リエルの分析は正しい。そう。将軍としての能力はさておき、単純な戦闘能力で評価すれば、彼とあの馬が組んだとしても、『パンジャール猟兵団』の誰か一人にも及ぶことはないだろう。


 だが。あの男はそんなモンスターがチーム組んでいるオレたちと、『戦おうとしている』のさ。山のような巨大な怪物に、錆びた槍一本で挑もうとするような状況なのに……彼とあの馬は、勝つ気でいる。


「ヤツは、お前のことが、そこまで気にくわなかったのだろうか」


「ああ、みたいだな。頭のなかの血管が全てブチ切れそうな勢いで、オレを見てたよ」


 彼には指一本も触れていないのだが、それで、あそこまでキレられるとはね?見当はつくね。プライドさ。負けたことが、許せない。なんていう四十路だ。オレよりも落ち着きがない年上の男は、そうはいないと思っていたがね。


「……あんまり、帝国の豚さんから感じない気配だあ」


 ミアも不快感を覚えているようだな。彼女は舐められるか極度の畏怖の対象になるか、そういう感情しか帝国兵から浴びたことはないからね。


 いい経験かもしれない。精神力だけで、ああまでなれる男もいるのさ―――。


「心の強さだけなら、世界でもトップなのよ。自尊心のカタマリだわ」


 近い将来に母親になる女は、自分の腹を守るために手前に陣取り座っているミアのことを抱きしめる。ミアが問うのだ。


「じそんしん?」


「……あいつはね、『口惜しがっている』のよ。ただ純粋にね……負けたことを許せない。アレは、『競技者/アスリート』なのね」


「アスリート……あのオッサン、戦を、殺しを……ゲームだと思ってる?」


「そうよ。自分が最高のプレイヤーだと信じているの」


「……なんか、変なヤツだねえ」


「そう。変なヤツね。でも、気をつけなさい。競走に長けた者に睨まれるということは、かなりシビアなことになるわ。あいつには、大軍も金もコネもある……そして、異常なほどのプライドもね」


 そうだ。マルケス・アインウルフは誇り高き競技者だ、彼は理解しているのだ、今夜の敗因は自分にあるのだと。そうだ、『忘れられた砦』が蟲に陥落していることに気づいていたはずだ。


 オレたちは300人程度を狩る予定であったが、被害はおそらくもっと大きく与えているね。これは、アインウルフの失策だ。馬などにかまけているから、人的被害を大きくする。まとまるべきであったのさ。


 守りを固めるべきだったな。馬など、家畜だ。ヒトの命よりも優先するほどの価値はない。君の選択は被害を大きくしたぞ?ほら、オレの肩にある麻袋のなかで、君の最大の助言者がいるのだ。


 おそらく奔放かつワガママな君と、部下たちをつないでくれていたであろう副官殿だよ。


 君は、やがて戻ってくる馬などを、追いかけるべきではなかったな……。


 ―――しかし。敗北を教えてやるつもりではあったが、これは教えてやらぬほうが良かったかもしれんね。20時間前……この戦場跡で感じたアインウルフの印象は、未熟だった。だが、それでもエリートだからな。


 才覚と金のある男に、経験をつませてしまったな。


 こちらの被害を覚悟してでも、殺しておけば良かったかもしれん……そう後悔する未来が来なければ良いのだがな。『競技者』―――そう、負けを知ったその存在も、手強いだろう。すぐに立ち直り、恐るべき集中力でオレたちへのリベンジを企てる。


 だが……今夜は、オレたちの勝利だ。


「……ヤツの存在は、これまで以上に注意しておきたいが。とりあえず、皆、どこもケガはしていないな?」


「うん!!ミアはオッケー!!」


「私もだ!!」


『ぼくも!!』


「私は疲れてゲロ吐きそうなだけよ?……ああ。そういえば、うちのダーリンは無事なのかしらね?」


『うん。『せんちゅりおん』はぶじだよ、たくさん、うまをたべていた』


「そう!ムチャクチャ食べてた!!三十頭は食べてたよ!!」


「ああ!!そして、ちゃんと集合場所に向かって走って行ったぞ?」


 なるほど。健康そうで良かったな……だが……。


「……そう。無事なのは良かったけれど、うちのダーリン、馬を生で囓るようなヤツになっているのね」


「う、うん。美味しそう……だったよ?」


「あ、ああ。見ているこっちが……その……?」


『すごく、あしもはやかったよ?うまよりもはやい!!』


「……八本も脚があったら、そうなるんでしょうね……」


 ……どうしよう?妊婦が落ち込んでいる。まあ、恋人が『蟲』になった時点で、フツーは鬱にでもなるかもしれないレベルの悲劇だものね。ありえんだろう?ムカデとカニとクモを混ぜた物体に、恋人がなるとか……。


 我が身に置き換えたら―――いや。やめとく。脳みそが拒絶反応を起こしているよ。考えようとしただけで性欲が無くなるわ。


 しかし。


 これはロジンが己の男気で選んだ過酷な道。常人では出来ない、ジャスカ・イーグルゥ姫を守るための覚悟である……彼のことを悪くは言えないな。戦果をあげたわけだしね。


 だが、姫にはフォローの言葉の一つがあってもいい気がするな。さて、どんなものがあるかね?……『ワイルドなところが君にお似合いだね?』、なんだか間違っているような気がするな。怒られそう。


 『馬だって肉の塊。喰えないことはないだろう?』……ふむ、これなら言っても大丈夫そうだ。『お前の旦那は屍肉を好む蟲ですよ?』に、比べれば何億倍も素敵な言葉だろ?


 ……うむ。


 いいことだけを考えようじゃないか。


「……なあ、ジャスカ姫―――」


「ふふ……」


「ん?」


「ハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


「ど、どーしたの、ジャスカちゃん!?」


「大丈夫か、妊婦よ!?」


 姫よ、耐えがたい夫婦生活でも想像して、壊れたてしまったか?いいや、彼女の心から放たれる色が、オレの魔眼には見えてしまう。黄色い色。まさかの喜びの色彩だった。


「ああ!!面白い!!ついにダーリン、そこまでワイルドになったのね!?」


 ワイルド、野性とか、男らしいとか?そういう意味だ。ああ、たしかに間違いじゃないよ。


 彼はワイルドの権化みたいな生物だ。装甲をまとい、金属のトゲまで付いているんだからな?……あれがワイルドなければ、何がワイルドに相応しい?


「……ああ。そういうことらしいぜ?とってもワイルドだ!!」


「そ、ソルジェ、いい加減過ぎないか?」


「あれ以上のワイルドをオレは知らない!!」


「そうよね、私にお似合いだわ!!これで、ドワーフたちを説得出来るわね?」


「そうそう。剛毅さを誇る彼らには、君の旦那はウケがいいはずだ」


 ミアが首をかしげていく。


「んー。それで、いいのかな?」


「いいのさ。ミア。疑うな。オレたちは、誰も傷ついてはいない。ただただ勝利を得たのだよ?」


「うん。そだね!!」


「……ま、まあ、ロジン殿は人間性を失ってはおらんし、戦が終われば、私も協力して呪術を解除すればいいことだし……な?」


「そうだ。オレとリエルとカミラがいる……それに、錬金術の協力も必要なら、ロロカに協力を仰ぐのも良いだろう」


「……彼のこと、治せるのね?」


 ―――その言葉が出たということは、さっきの爆笑には、強がりも混じっていたのだろうね。当然か。あの形状を認められるとすれば、君の愛は変態すぎるからな。


「ああ。オレたちに任せろ」


「ええ。頼むわよ」


「……うむ、一件落着だああ!!」


「そうだな、ミア!!とにかく今夜は、無事に勝ち逃げさせてもらったぜ!!おい、ゼファー!!オレたちの勝利を、歌ええええええええええええええええッッ!!」


『GAAHHHHOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHッッ!!』




 ―――そうだ、猟兵たちの勘は当たるのだ。


 ソルジェよ、君は敵を成長させていたよ。


 今、それはゼファーの歌を浴びせられながら、屈辱に奥歯を噛みしめる。


 マルケス・アインウルフ……無敵の遊び人だよ。




 ―――能力は高く、努力は惜しまず、幸運にも恵まれる。


 怠惰と無能は許せない、それゆえに、力なき者には冷たいよ。


 だが……有能なる者たちへは、信頼を注ぐ。


 ソルジェの肩に『ある』その副官のことだって、彼はとても大切にしていた。




 ―――厄介な男に化けるよ、彼は、間違いなく。


 遊び人の甘さを消して、負けを知り、それでも折れぬ獣となって。


 僕たちの敵になろうとするだろう、そして、『人脈』も使うのさ。


 猟兵を狩るには……猟兵がいればいい。




 ―――そうだよ、ソルジェ、遊び人は顔が広いのさ。


 僕らと同じく、ガルフ・コルテスの『技』を継ぐ男たちがいるだろう?


 南方の戦線で、暴れて回る、無頼の輩たちがね……。


 『ガラハド・ジュビアン』……君を嫌い、君が嫌う猟兵さ。




 ―――ガラハドたちは、じつはアミリアでの治安維持に雇われている。


 彼らはいつものように、強者についた。


 効率良くね、だから、いつも帝国の旗のとなりにいるよ。


 だから?……今度も僕らの敵になる。




 ―――そろそろ、君とアイツのどちらが『後継者』なのか、決める時かもしれないね。


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