第31話 おれのかみさま

「話の続きといこう、シスル。どうして俺がお前を犯人だと断定できたのか、知りたがったのはそっちだろう」

「ああ、はいはい。そうだったね。なんで分かったの?」

「お前が兄上の実力を見誤ったからだ」

「その、君の結論だけ言って途中の説明を省く感じ、すごく嫌いだな」


 シスルは淡々と嫌悪の言葉を告げる。剣による不意打ちは諦めたのか、シスルは自分の手のように闇の手を操り、投げ捨てられた方の剣を取り寄せた。

 剣を持つシスル、というのは、どうにも見慣れない光景である。彼自身も剣に慣れている様子はなく、剣を片手で持つや否や、重さに耐えきれずに剣の先を地面にぶつけていた。

 何処か緊張感がないのは、通常の彼と大差がない。しかし、その瞳が宿す殺意や憎悪は本物だ。それを受け止めつつ、ハルメリオは真っ直ぐにシスルに視線を向け続ける。


「一週間前、兄上を刺したのはメリーだが、兄上ならなんとでも対処する。それができなかったのは、お前が闇の魔法で光を遮断して、兄上の魔法を奪ったからだ。その際、兄上の身体には闇の魔法が入り込み、兄上を衰弱させていった。……が、さっきも言った通り、光魔法と闇魔法は対極的な天敵同士。兄上の魔力はお前の魔法を掻き消すように動き、大量に消費された。そのせいで、兄上は一週間魔法を使い続けているのと同じ状況に陥っていたんだ」

「……で?」

「お前はもっと早くに兄上を殺せると思っていたんだろう。いや、そもそも、あの時に兄上を殺し切る予定だったんだ。しかし、俺の乱入のせいでメリーを引かさざるを得なくなった。……魔法使いにとって、魔力切れは致命傷も同然。直ぐにでも魔力を回復したかっただろう。しかし、表向きのお前は無魔力者だ。魔法石による魔力供給を行われないまま、兄上を呪う闇魔法に少しずつ魔力を奪われる。お前もまた、一週間魔法を使い続けている状況に陥った。しかし、魔力切れを起こせば、無魔力者ではないことが周囲に露見する。お前が自分を攫われたかのように見せかけた理由は、魔力の補充が必要だったからだ」


 リベアルを混乱させたシスル攫いの事件は、ハルメリオをおびき出す囮でも、組織の機能低下を狙ったものでもなかったということだ。

 シスルを殺したいのなら、一週間前にレイを襲うのと同時に殺せたはずだ。本当に彼が無魔力者であったなら、シスルはレイよりも簡単に殺せる相手となる。技術が欲しいのなら、メリーと一緒にシスルも連れ去ってしまえばいい。しかし、犯人はそうはしなかった。

 それは、シスルとメリーが同時に姿を消した場合に起こる、『シスルへの犯人疑惑』を取り除くためである。一度被害者になってしまえば、その疑いを向けられにくくなるのだ。

 ハルメリオの推測を、シスルは非常に退屈そうな顔で聞いている。否、聞いているかも怪しい。剣の素振りをよろよろと続けながら、シスルはハルメリオに不愛想な声で言葉を投げかけた。


「でもさあ、それって『どうして俺が消えたのか』の説明にはなるけど、『どうして俺が犯人なのか』の説明になってなくない? 結局、君がどうして俺を犯人だと思ったのか、簡潔に単純に言ってよ。俺、長すぎる話聞くの嫌いなんだ」


 君の話はいつも長い、と、シスルは苦情を零す。眉間に皺が寄ったその表情を眺めながら、ハルメリオは淡々と言葉を続ける。


「後は大きく分けて三つ。一つ、隊員ではなく調律師のお前が襲われたことが違和感だったから。二つ、狙われたのが兄上ではなくお前なのが不自然だったから。三つ、魔法とお前を繋ぐ媒体に気が付いたからだ」

「へえ?」

「俺はずっと犯人がどうしてあのタイミングで魔法を使ったのか、ずっと考えていたぞ。今までずっと魔法を使わなかった理由。……簡単だったな。犯人は、魔法を使わなかったんじゃない。使えなかったんだ。媒体が特殊すぎて」


 魔法使いにとって、媒体は何よりも大事なものだ。その媒体を奪われてしまえば、魔法を発動することはできなくなる。もしも魔法使い同士が戦うことがあれば、その時に真っ先に狙うべきは、相手の媒体だ。そうすれば、確実に勝利を掴むことができる。

 しかし、中には壊したり奪ったりするのが難しい媒体が一定数存在する。ハルメリオの媒体はその筆頭だったが、シスルの媒体は、それよりもさらに難易度が高い。

 シスルは怪しげに微笑みを浮かべ、片手の剣を見様見真似で構えてみせた。その剣が斬ろうとしているのは、ハルメリオではない。シスル自身の、左腕である。


「お前の媒体は、血。血を流せば流すほど、お前の闇魔法は強くなる」

「あは、大正解!」


 シスルは、躊躇いなく肌の表面に刃を滑らせた。その瞬間、溢れ出した鮮血がボタボタとシスルの足元を濡らす。それに伴い、周囲に漂う空気の不穏さはさらに増し、今度はシスルを取り巻く様に、闇の渦が出現する。

 渦の隙間から、シスルはハルメリオに飛び切りの笑顔を見せた。


「こんなクソみたいな媒体のせいで、俺は両親から何度も何度も何度も刺されたよ! 死に近づけば近づくほど魔法が強力になるからって!」

「やっぱり、お前は、家族に虐待を受けていたんだな。だから父上に保護された後に、お前は家族の名前を捨てて――」

「違う!」


 ハルメリオの言葉を、シスルの叫び声が遮った。彼の表情は、そこで初めて分かりやすい怒りを浮かべる。

 無でも笑顔でもないその顔に、見覚えは無い。約十年間、ハルメリオが見続けていたシスルは、どんな時でもそんな顔をしてはいなかった。


「お前達はそうやって、あの男のことを英雄のように言うよね。保護? 救われた? 誰が! あの男は、俺の全部を奪った! 俺は、それが許せない!」


 吠えるような糾弾の声に、空気が振動する。夜の静寂は遥か彼方。シスルの激しい怒声は、彼が蓄積させていた恨みを物語るように、多大な気迫を帯びていた。

 その刹那。シスルの周囲に渦巻いていた闇の一部が変形し、槍のように先端を尖らせる。それは瞬きの間にシスルの背後へと回り、メリーの動きを止めていたハルメリオアンドロイドの心臓部を正確に貫いた。

 パキン、という小さな破壊音がする。硝子が割れるような音の後、メリーを抱きしめていたアンドロイドは、その場に勢いよく崩れ落ちた。糸の切れた操り人形のように、ハルメリオアンドロイドはぴくりとも動かなくなる。


「あ……」


 腕の拘束がほどけ、メリーは呆然とその場に立ち尽くす。主人と同じ姿が自分の目の前に倒れているのは、例えアンドロイドだとしても、彼女にとって良い感情を呼び起こさないようだ。

 しかし、彼女が抱いたであろう衝撃や心配をよそに、メリーの身体は勝手に動き出す。ぎこちない動きでハルメリオアンドロイドの背中からナイフを回収した彼女は、そのまま、その場から数歩強制的に下がらせられた。その動きの必要性は、次の瞬間に証明された。


「憎いんだよなぁ、本当に! お前達のそういう恩着せがましいところがさ!」


 シスルの怒声は収まらない。彼の沸々と沸いた怒りを表すように、蠢く闇が次々とハルメリオアンドロイドを攻撃する。硝子の瞳は割れ、四肢が捥げて、元の顔が分からなくなるほど破損していく。もしもメリーがあの場に立っていたなら、その攻撃の巻き沿いを喰らっていただろう。

 闇の槍が無抵抗のアンドロイドを無残な亡骸に変えるのを、シスルは大して興味もなさそうな顔で見つめた。その姿には見覚えがある。それは、アンドロイドに殺意をぶつけていた頃のハルメリオの姿そのものだった。


「ハルメリオ。君の父親のせいで、俺は大事な存在を失うことになった」

「……口ぶりから察するに、お前は自分の家族を恨んでいたんだな。俺の父上のことも。なら、お前の大事な存在とは誰だ? 一体、父上はお前から何を奪ったというんだ」

「友達だよ。俺の、本当の」


 シスルは今にも泣きそうな顔をして、自分の心臓辺りに拳を当てた。まるで冥福を祈るかのような憂鬱そうな顔は、直後、その仇を討つ復讐者の顔へと変貌する。


「毎日、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日! 寝ても起きても実の親に山ほど暴力を受けて、体中が傷だらけになって、クソみたいな人生を恨んで生きてた! 死ぬことは許されなかった、アイツらは、僕の両親は自分たちを超える強い魔法使いを世に出して、自分達の価値を上げたかっていたから! 俺を死に最も近い位置で飼い殺しにすることが、両親の目的だった。だってそうすれば、俺の魔法はより強力になるからね! ハルメリオ、君に分かる? その地獄が! 生きてる方が余程辛いその状況を、俺はいつだって誰かに助けてほしかった!」


 今だって救いを求めていそうな叫び声は、あまりにも悲痛な色を帯びている。まだあどけなさの残る顔に浮かんだ切望は、そのまま、彼に刻み付けられたであろう痛みや絶望を物語っていた。

 彼の腕から、血が滴る。その血を見て、ハルメリオは初めてシスルと出会った日のことを思い出していた。

 シスルと握手をしたときに感じた、あの不自然な感触。あの手に残る無数の傷口の謎が、ようやく分かった。手の平と同じように、体中に同じような傷跡があるのだろう。そしてその傷跡の分だけ、彼は救いを求めて祈ったのだ。そして、それら全てが裏切られて続けたのだろう。


「俺も小さかったから、神様を信じてたんだ。信じて、祈って、耐えて、そしてようやく出会ったんだ! 俺の神様に!」

「……神? お前、神を信仰してたか? 覚えがないな」

「まさか。俺が信じている神様は、祈っても応えてくれないような冷徹な偶像なんかじゃない。もっと具体的な救いの手をくれる、愛おしい存在――アンドロイドだよ!」


 シスルの表情は、次の瞬間、蕩けるような微笑みを浮かべた。熱を帯びたように頬を赤らめ、シスルは両手を広げる。闇魔法によって残骸と成り果てたアンドロイドが、彼の背後に見えていた。

 言動の不一致に、ハルメリオは小首を傾げそうになる。しかし、そんな疑問を抱くことすら許さないような雰囲気を、シスルは纏っていた。


「アンドロイドが今よりもずーっと人形染みていた頃、俺は彼と出会った。彼は棄てられたアンドロイドでね。名前はなかった。主人を失った彼は、偶然家から抜け出した俺を主人だと認識した。彼は両親とは違って、俺のお願いをなんだって聞いてくれた! 殴らない、傷つけない、優しく接してくれる! 俺はすぐ彼を好きになったんだ。神様は空じゃなくてここにいたんだって、心底安心した! 俺はもう一度一人じゃない安心感を取り戻したんだ!」


 彼がいたから俺の生活は変わった、と、シスルは語った。その語り口は、後半に向かえば向かう程、狂気を滲ませた早口へと変わっていく。


「殴られても、斬られても、血がいっぱい流れても、悲しくても辛くても死にたくても! 俺にはアンドロイドがいた! 一人じゃなくなった! 傍にいてくれる存在がいた! 嬉しくて堪らなくて、俺が何を言っても応えてくれるのが幸せだった。壊れかけの彼をここに引き留めるために、必死にアンドロイドの勉強をして、調律ができるようになった。俺は別に、調律師の才能があったわけじゃない。ただ、友達を引き留めるためだけに、調律師にならざるを得なかったのさ!」

「お前が調律師になった経緯は分かった。お前の両親の所業も。でも、その時代のアンドロイドは最低限のプログラムしか仕組まれていないはずだ。お前がどんなに友人だと思っていたとしても、相手はそれを認識できるだけの思考回路を持っていなかったはずだろう」

「夢が無いな、ハルメリオ。そんなだから君は調律師に嫌われるんだ。僕達は本当に友達だった。親友と呼んでもいいかもしれない。だって、彼は俺が最も叶えてほしかった願いを叶えてくれた!」

「……シスル。お前、まさか」

「俺は、俺を自由にしてくれって願ったんだ! そしたら彼、本当にやってくれた! あの頭の可笑しい両親を殺して、俺を助けてくれた! 俺はアンドロイドに救われたんだよ。孤独から、痛みから、死ぬよりも苦しい恐怖と絶望から!」


 シスルはそう言って、くるりと身を翻す。ハルメリオに背を向ける体制をとった彼の視線の先には、直立を強いられているメリーの姿がある。

 嫌な予感がした。しかし、ハルメリオの身体が動くよりも先に、シスルの指が動く。まるで指揮者のような体制をとった彼は、僅かに首だけを斜め後ろに向けて、見せつけるような笑顔を浮かべた。


「ほんと、最高だったよ。君の父親が、俺の友達を破壊しに来るまでは!」


 シスルの指が宙を滑る。それと同時に、突然メリーが短い悲鳴を上げた。アンドロイドは痛みを感じない。しかし、衝撃や不快感といったものは存在する。彼女を強襲したのは、それらのアンドロイド特有の感覚だった。


「メリー!」


 ハルメリオの叫び声に、返答はない。メリーは突然、全身の力が抜けたかのようにその場に蹲った。ガクガクと震え出した彼女は、呼吸を奪われた人間のように苦しげな様子をみせている。

 次の瞬間、メリーの肌に、何か黒いものが浮かび上がる。それは、遠目から見ると、刺青のようにも感じられた。

 己の肌に突如として浮かんだ漆黒の刺青を、メリーが忌々しそうに睨み付ける。腕や足、首まで侵食した刺青は、恐らく彼女の全身に浮かんでいることだろう。

シスルが楽しそうに笑い声を上げるのを聞いて、ハルメリオは咄嗟に理解した。それが刺青ではなく、シスルの魔法の一部であることを。

 メリーは、先ほど拾い上げたナイフを宙に投げ、器用に持ち直す。その滑らかな動きに、先ほどまでのぎこちなさは感じられない。そのまま、メリーはそのナイフの先端を、ハルメリオに向けてみせた。

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