第10話 馬鹿、ということ

 ハルメリオのここ最近の仕事は、今までに比べて、随分と穏やかなものが増えていた。

 現在担当している仕事がメリーの監視であり、四六時中仕事に付き纏われるという特異的な性質である分、その中身があまりにも平和なのである。主に、メリーが家事をするのを眺める、買い物に付き添う、の二つで、ハルメリオの仕事は完結する。

 毎日のようにアンドロイドを取り締まり、戦闘を熟すことも珍しくはなかったハルメリオにとって、その平和すぎる生活は非常に不慣れなものだった。

 このように、真昼から雑多とした人混みに紛れて買い物を手伝うことになるなど、誰が考えただろう。少なくとも以前のハルメリオは微塵もそんなことを予測していなかった。

 両手に荷物を抱えて歩くハルメリオの顔色を、使用人の少女、リリィが落ち着かない様子で伺う。どう見ても、主人に荷物を持たせるのは恐れ多い、という感情が滲み出ていた。

 既にメリーの買い物に付き合って二時間ほどが経過している。その間で彼女が買い込んだ荷物は、アンドロイドの腕でも持ち切ることができない程度の量があった。既に荷物を両腕に抱えて震えているリリィに、それ以上荷物を持たせることは当然できない。

 十秒ごとに「お荷物をお持ちします」と投げかけられる申し出を丁重に断りながら、ハルメリオは、自分の左隣を歩くメリーを一瞥した。


「それで、何を買いたいんだ、お前は。魔法薬も魔道具も掃除用具も買っただろう」

「今朝食材庫を確認したところ、何種類か野菜が不足しそうだということに気がつきましたので、それの補充を」

「お前が行かなくても他の使用人が補充するが」

「生活補助型のアンドロイドが買い物を行うことは当然です。仕事の範囲内ですので」


 淡々と言い切ったメリーは、すまし顔で周囲を見渡した。そうしていれば立派な生活補助型のアンドロイドだが、まだ買い物という行動を学習しきれていない彼女は、気を抜くと直ぐに致命的な失敗を犯す。怪しげな割に値段だけは高い謎の粉を買おうとしたり、明らかに問題があるとしか思えない値段で売り出されている高級食材のような何かを買おうとしたり。本来であればアンドロイドの防犯機能が作用して手を出さないような品に、メリーは平気な顔で手を伸ばすのだ。

結果として、監視をすればいいだけのハルメリオが横から口を出す必要があり、さらに買い物に慣れているリリィまで付き添わなければならないという状況が生み出されることとなった。たかが食材の補充で戦闘よりも疲労させられる事実は、この仕事が穏やかながらにどれだけ過酷かを明確に物語っている。

家事を碌に熟せないという自覚は、メリーにはないらしい。主人を自分の仕事に付き添わせているという現状にも特に思うことはないらしく、自重の気配は見られない。

 ウォルラインで最も店が立ち並ぶ時計塔前大通りは、いつもながら人が溢れかえっていた。武器や薬を求める魔法使い、主人の言いつけ通り買い物を行うアンドロイド。それらが作り出す人並みに揉まれ、ハルメリオは顔を顰める。

 周囲の纏わりつくような熱気と絶え間なく鼓膜を揺らす雑音は、どうにも好きになれない。熱気に包まれる感覚はあの日を彷彿とさせるし、溢れかえる雑音の中には、必ずハルメリオを不快にさせる声が混じっているからだ。


「おい、あれはブライトネス家の次男じゃないか?」

「ああ、本当だな。こんな昼間から何をしているのやら。他の魔法使いが仕事に勤しむ中、呑気に女と買い物かよ」

「ブライトネス家の過去の栄光に縋って、今の自分がどれだけ無様か自覚していないのだろう」


 見知らぬ男二人組が、通り過ぎる際にそんな会話をしていた。この溢れかえる音の中でも、ハルメリオの耳は自分への侮辱の言葉を正確に拾ってしまう。その耳の良さはアンドロイドとの戦闘によく役立つが、日常生活においては、要らない情報まで得てしまい大変不便である。彼等には一生理解されないだろうが、ハルメリオは現在も過酷な任務の真っ最中だ。傍から見れば、仕事を休んだ上で昼間から異性の使用人と豪遊する怠惰な魔法使いにしか見えないだろうが。

 戦闘よりも疲労感があるのは、こういった声を日に何十回と聞くからかもしれない。部隊にいる間は――少なからずハルメリオが聞こえる範囲内では――こういった罵倒を聞く必要がない。忙しなさと戦闘に追われる日々の方が心が安らかになるというのは、随分と皮肉な話である。

 煉瓦造りの道を力強く踏みつける。雑音が溢れかえるこの場所のいいところは、苛立ちの混じった足音を消し去ってくれることだ。険しい顔で道を蹴るようにして歩くハルメリオを、メリーが不思議そうに見つめて呟いた。


「ハルメリオ様、怒っていらっしゃいますか」

「何だ、急に」

「足音が大きくなりました」

「……分かるのか?」

「私の耳には最新鋭の聴覚パーツが備わっておりますので」


 些細な物音も聞こえます、と補足して、彼女は長い髪の毛を耳にかける仕草をする。そうして露出した真白い肌の耳は、人間のそれと大差ない。しかし、性能は動物と同等かそれ以上ということだろう。

 あのくだらない会話も、ハルメリオの苛立ちも、彼女にはすべて聞こえるらしい。ハルメリオはため息交じりに、適当な返事をした。


「馬鹿は見たり聞いたりするだけで疲れるだけだ」

「それは、先ほどハルメリオ様に言及していた二人の魔法使い達のことですか?」

「なんだ、お前、俺の言う『馬鹿』を認識できるようなデータを持ち合わせていたのか」

「ハルメリオ様の言動から様々なことを学習させていただいております。ハルメリオ様であれば、通り際に他者を罵倒する魔法使いのことを馬鹿と称するかと判断しました。間違いではないようで何よりです」


 メリーは熱を帯びない声音で説明する。それを聞いて、ハルメリオは多少目を見開いた。

 アンドロイドは、既にプログラムされた感情でしか反応を用意することができない。主人がどれだけ厭う行為があったとしても、プログラムに書き加えるか命令をしない以上は、アンドロイドがそれを認識することはない。つまり、彼等が自発的に思考したり予測したりすることは、本来不可能なことなのだ。

 それを、メリーは澄ました顔で行ってみせた。然も当然といった顔をしているが、それは彼女は自立したアンドロイドである、という明らかな証明をしている。


「それに、私も彼等のことを馬鹿だなと感じましたので、そのように発言させていただきました」


 まして、こんなことを言うアンドロイドは他にいないだろう。『自分でそう感じた』という発言は、人間特有の感覚を彼女が持っているということを示している。


「どうしてそう思ったんだ」

「ハルメリオ様のことを侮辱していらしたので」

「なんで俺の侮辱が馬鹿に繋がる。お前に害はないはずだが」

「リリィや他の使用人を疎かにするような発言をされた際に、ハルメリオ様がご不快になる理由と同じように感じます」


 メリーは、人間的な発言に反して、あくまで機械的な声音と表情を保っていた。結果として、酷くあべこべな感覚がする。一瞬彼女が本当の人間に思えてしまい、ハルメリオは小さく目を細めた。

 主人の歩みが遅くなったことで、困惑したことを読み取ったのだろう。リリィは、大荷物を両腕で抱えなおしながら、声を潜めてハルメリオに助言をした。


「つまり、メリーはハルメリオ様を敬愛しているのだと思います」

「……なんでそう言い切るんだ、リリィ。聞かせてくれ」

「私も、ハルメリオ様が侮辱された際に同じことを思うからです。無魔力にも偏見がなく、平等に接してくださるハルメリオ様はお優しくて素敵なお方ですから。それが理解できないのは、お相手様がお馬鹿さんだからかと」


 リリィは、あどけなさが残る顔立ちに、朗らかな微笑みを浮かべて見せた。普段は使用人らしく在ろうと努める彼女が、このように自分の感情や思考を開示するのは珍しいことであった。リリィがそんな風に言うのを初めて聞いたハルメリオは、今度こそ明確に足を止める。ハルメリオが道の真ん中で立ち止まったことに気が付いて、両脇の二人も、当然のようにその場に立ち止まった。

 周囲の鬱陶しそうな顔を気にする余裕はない。それらの視線を感じる暇もないほどに、ハルメリオは困惑していた。

 無魔力であるリリィがハルメリオに恩義を感じる理由は理解することができる。仕事を提供されるということが如何に有り難いことか、ハルメリオも良く知っているからだ。

 しかし、アンドロイドは違う。無条件に主人を敬うように設定されているとしても、その敬いに『他者を侮辱する』ことなど含まれない。それはプログラム外の、言うなれば、メリー自身が抱いた『感情』に他ならないのだ。

 何故アンドロイドが感情を持つのか。否、彼女は特殊なアンドロイドなのである。感情を持つことはあるかもしれない。

 本物の感情を持ち、自分で思考し、失敗を繰り返して成長していくアンドロイド。

 そんなもの、まるで、本物の人間そのものじゃないか。

 その思考に行きついて、ハルメリオの思考は停滞した。不思議そうに瞬きを繰り返すメリーとリリィは、互いに目を見合わせて小首を傾げている。その仕草は、プログラムでは出せない自然さを帯びていた。


「……お前達、本人を目の前にそこまで褒めて恥ずかしくないのか?」


 戸惑いを隠すようにその言葉を絞り出す。それは、近くのアンドロイド販売店から聞こえてくる「お安くしますよ!」という売り出しの声の影に消えそうなほど、小さな声だった。

 しかし、リリィもメリーもハルメリオの声を聞き逃しはしない。問い掛けを聞くや否や、リリィは嬉しそうに顔を綻ばせ、メリーと肩を寄せ合った。


「私達は事実を述べているだけですので! ねえ、メリー」

「はい、そうですリリィ。私達はハルメリオ様に対する実直な感想を述べています」

「ハルメリオ様。屋敷で働いている無魔力者はそう少なくないのに、使用人のお名前を全て覚えていらっしゃるでしょう? 無魔力者にとって、名前を呼んで平等に扱ってくださる存在は、とても有り難いんですよ。これは、とても素晴らしいことです。リリィという名前が好きになれたのは、何を隠そう、ハルメリオ様とレイ様のおかげですので」

「……恥ずかしいからあまりよそではやらない方がいいぞ」

「ではお屋敷に帰った際に感想を述べればよろしいですか?」

「いらん」


 メリーの提案を、ハルメリオが一蹴する。初日よりも遥かに会話が豊かになったおかげで、メリーの発言には度々頭を悩まされる回数が格段に増えた。それに反して、不愉快な気分になることが明らかに減っている。良い事のはずなのに素直に喜べないのは、メリーが、アンドロイドだからだ。

 肩甲骨まで伸ばして、後ろで一つに結った金髪は、父親への敬意。

 いつでも弱者に優しく、それでいて誇りを忘れない瞳は母親への信愛。

 身体に纏った漆黒のマントは、両親を奪ったアンドロイドへの憎悪。

 それらは、ハルメリオが十八歳になるまで一日たりとも忘れたことがない信念だ。

 俯いた視界の先で、黒いマントの裾がひらりと翻る。あの日から一度たりとも途切れることのなかった憎悪を、たった少しのイレギュラーで断ち切るわけにはいかない。

 アンドロイドに心を許すことは、父と母への侮辱に等しいのだ。だって、アンドロイドこそが、父と母を奪った存在なのだから。

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