第7話 名前

 目元を指で押さえたハルメリオを、苦笑したレイが「まあまあ」と宥める。アンドロイドという存在に嫌悪を覚えているのは確かなことだが、彼女と話していると、それとは別の意味で調子が狂う。ハルメリオが俯きながら「冗談だ」と前言を撤回すれば、もう一度、無感情な「畏まりました」が聞こえてきた。その後、何の悪びれもしていない少女の声が淡々と紡がれる。


「レイ様、シスル様、素敵なお名前ですね」


 シスルは満面の笑みで頷き、レイはいつも通りの優しい笑みを浮かべる。この中で、彼女の拙さに苛立つのはハルメリオだけのようだ。居心地が悪いような気がして落ち着かないハルメリオの横で、隊長らしい顔をしたレイが、少女アンドロイドに問い掛けをし始めた。


「有難う。君は、自分のことをどの程度把握しているかな。自分の製造者……いや、自分に手を加えた人物や、その目的は分かる?」

「ハルメリオ様、ご質問にお答えしますか?」

「逐一俺に許可をとらなくても兄上の質問には嘘偽りなく答えてくれ。必要なことだ」

「畏まりました。私は機体00です。元々別のコードがあった形跡がありますが、後に00と修正されております。既製品に手を加えられたことが予測できます。私は生活補助型の、所謂日常を補佐するアンドロイドです。私に手を加えた人物という検索結果に該当するデータはなく、目的も不明です。私の持ち主は、ハルメリオ・ブライトネス様。素敵なお名前、というデータを私は持ちませんが、彼は、素敵なお名前のご主人様です」

「お前、もしかして俺のことを馬鹿にしているのか?」

「滅相もございません。ご不快にさせてしまったのでしたら、誠に申し訳ございません」


 少女が深々と頭を下げる。魔法使い達が意図して口にする嫌味や皮肉より、彼女が意図せず口にする言葉の方が余程腹立たしいのは何故だろう。恐らくは彼女がアンドロイドだからだ。顔を顰めるハルメリオの肩を、レイの手が叩く。話が進まないから黙っていてくれ、という意味の、細やかな合図だ。


「僕たちは現在、取締部隊の隊員が謎のアンドロイドによって殺傷されている事件を解決しようと動いているんだ。謎のアンドロイドの拠点と思われる場所で、君は眠っていた。その件について、何か知っていることは?」

「該当するデータは御座いません。お役に立てず、申し訳ありません」

「ううん、気にしないで。でも、僕達にとって君は貴重な証拠品なんだ。もしかしたら、君を取り戻す、或いは、証拠を隠滅しに犯人がやってくるかもしれない。それを阻止するため、君の護衛を僕達二人が務めることになりました。これから先、君には常に僕達のどちらかと行動を共にしてもらいます。申し訳ないんだけど、拒否権はないんだ。ごめんね」

「謝罪の意味が理解できません。私は既にハルメリオ様の所有物ですので、ハルメリオ様と行動を共にするのは当然のことです。何か問題がありますか?」

「君がそれで構わないのなら問題はないよ」

「私自身に問題などありません。アンドロイドには持ち合わせる私情も、感情もございませんので」

「そっか。ご協力、感謝します」


 レイと少女のやりとりに、ハルメリオは無言で肩を竦める。淡々と肯定の意を示す少女に問題がなくとも、ハルメリオにはある。四六時中アンドロイドと行動を共にするのは、どう考えても苦痛だ。

 しかし、上層部の決定には逆らえない。この指示はレイの意志でもある。レイがただの嫌がらせでそんな選択をするはずがないので、これは意味のある行為なのだ。

 ハルメリオが曖昧に頷くのを見届けて、レイは安堵したように微笑んだ。先ほど疲れたような顔をしていたのは、これをハルメリオをどう納得させるかを悩んでいたからのようだ。


「ハルメリオ、彼女に名前をつけてあげたらどうかな。今後、コミュニケーションをとる上で名前は重要だよ」

「何故俺なんだ、兄上」

「お前が彼女の主人だからだよ」

「俺はなろうとしたわけじゃない。勝手に認識されただけだ」

「どうあれ、お前が主人だよ。僕がつけるより、ハルメリオがつけたほうがいい」


 レイは、頑なにそう主張し続けた。その隣では、少女が真っ直ぐにハルメリオを見つめている。二人分の視線に刺され、ハルメリオは静かに目を細めた。

 名前をつけろ、という発言の意図は、恐らく、「00」ではあまりにも無機質すぎるという兄の優しさなのだろう。しかし、そんな優しい兄とは違って、ハルメリオはアンドロイドに対する慈悲など持ち合わせていないのだ。

 無言の時間が続く。重い沈黙を取り繕うように、周囲の機材からは絶え間なく機械音が零れていた。

 それを聞きながら、ハルメリオは唸る。それから、ぽつりと蚊の鳴くような声で呟いた。


「メリー」


 その名を聞いて、初めてアンドロイドの少女の瞬きが多くなった。瞬きの回数が多くなったということは、脳内で情報処理を行っているのに多少時間がかかっている、という合図である。

 少女は、やがて、おずおずとハルメリオに尋ねてみせた。


「……それが私の名前ですか?」

「そうだ。何か不満か?」

「いえ、滅相もございません。ご迷惑でなければ、何故その名前にしたのかをお聞きしても宜しいですか?」


 初めて命令外で物事を要求した。断る理由もないので、ハルメリオは躊躇いなく口を開く。


「俺の名前からとった」

「ハルメリオ様のお名前から」

「俺の名前は『素敵』なんだろ」


 嫌味のつもりだったが、彼女は自分の発言を嫌味と思っていないために、通じない。

 瞬きを繰り返した少女は、数拍の間をおいて、小さく微笑む。それまで微動だにしていなかった表情が、初めて動いた瞬間であった。


「はい。とても、素敵なお名前です」


 有難うございます、と感謝を述べられて、ハルメリオはとうとう言葉を失った。皮肉のつもりでつけた名前を素直に喜ばれたとき、どう反応するのが正しいのか。人間でさえ理解できない感情があるのだから、アンドロイドがそれを処理のために硬直したり、やけに瞬きを繰り返したりするのは、仕方のないことなのかもしれない。

 目の前のアンドロイド、メリーは、微笑みを浮かべたままハルメリオを見つめている。その笑い方は、何処となくレイに似ているような気がした。


「おお、笑った。メリー、良かったね。嬉しいかい?」

「嬉しい……これが『嬉しい』ですか?」

「僕はそう見えるけど」


 新型アンドロイドの新たな一面に、シスルは興味津々である。これが感情、と神妙な顔で頷いたメリーは、確かめるように自分の頬に手を当てていた。

――自分で思考し、様々な光景から学びを得る独立したアンドロイド。

 なるほど、彼女はレイの微笑み方を学習したらしい。まるで元々彼女が持ち合わせていたかのように浮かんだ表情に、ハルメリオはひたすらに立ち尽くす他ない。


「よろしくね、メリー」

「よろしくお願い致します。レイ様」

「僕の親友、ハルメリオのことを宜しくね、メリー! そっけないけどいい奴だよ!」

「畏まりました、シスル様」


 そんなハルメリオの心中など露知らず、目の前の三人は朗らかな挨拶を交わしていた。シスルの言葉にちょっと待て、という言葉を投げかける余裕を、ハルメリオは持ち合わせていなかった。

 こうして、奇妙な未完成のアンドロイドとの生活が、始まったのである。

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