第6話 少女のお世辞

 咄嗟に背後を振り向けば、レイはいつの間にか部屋の入り口に立っていた。

 この部屋の入り口は、全自動開閉スライド式の扉である。センサーが人を感知すると、無音で扉が開く仕組みだ。自分の手を使わない辺りを好ましく思う魔法使いは多いのだが、扉の開閉に音が無い分、入室してきた人物に気付かず驚愕するケースも多い。


「うわ、驚いた。おかえり、レイ。上層会議お疲れ様」

「有難う、シスル。アンドロイドの精査、助かりました。ハルメリオも任務お疲れ様。そして、貴重なアンドロイドを捕縛してくれて有難う」

「犯人と有力な情報を掴めなくて寧ろ申し訳ないくらいだ。俺よりもあの少年が優秀だったぞ、兄上。索敵の魔法で俺を手助けしてくれた。それと、父上を尊敬しているんだそうだ。兄上と共に働けて幸せだと言っていたぞ」

「そっか、後でお礼しに行かないと」


 柔和な笑顔を浮かべたレイは、躊躇いのない足取りで部屋の中央まで歩み寄ってくる。その表情にやや疲労が滲んでいるように見えたのは、恐らく勘違いではない。兄弟であるハルメリオだけが気付けるような、些細な違和感だったけれども。


「彼女が今回発見されたアンドロイドだね」


 レイの碧眼が、確かめるように少女を見つめた。何かを考えるように目を伏せたレイは、そのまま暫く無言になる。

 ハルメリオは、兄の癖をよく知っていた。彼は何かを思考するとき、必ず目を伏せて十秒ほど黙り込む。それは大抵、兄が重要な判断を下そうとしているときだ。兄がそうして下した判断は、常に正しかった。


「上層会議で彼女の処遇について、結論が出たよ」

「コレはどうなる?」

「重要な証拠として管理されることになった。データが残っていないとはいえ、この件で初めて手にできた証拠品だ。易々と処分する訳にはいかない、というのが上層部の見解かな」

「そうか。じゃあ管理室に引き渡しだな」

「ただし」


 ハルメリオの簡潔な言葉を、レイの緊張感を孕んだ声が遮る。レイは決してハルメリオの顔を見ようとはしなかった。

 兄の横顔は、何処か悩ましげに見えた。その理由を悟るのは、次の言葉を聞けば十分であった。


「管理室には送られない。この子は、僕達の監視下に置かれることになる」

「……何?」

「彼女は、重要な証拠であると共に、危険因子だと判断されたということだよ。処分する訳にはいかないけれど、もしも『何か』あった時には、彼女を止める人物が必要になる。破壊せず、証拠品を証拠品のまま止める。そんな高度なことは、優秀な魔法使いにしか頼めない、って」


 そこまで言い切ると、レイは少し気まずそうな視線をハルメリオに向けた。彼の瞳に映り込むハルメリオの表情は、驚愕と拒絶の感情で満たされている。

 ハルメリオがこの世で最も憎むもの。それは、自分達から全てを奪ったアンドロイドである。


「上層部からの、有り難い信頼だね。ハルメリオ」


 何処か諦めたような声を絞り出すレイに、ハルメリオは返答をすることができなかった。

 アンドロイドを見かけるだけであの日のことを思い出すというのに、これからは、ずっとアンドロイドの側に居なければならない。それがどれだけ苦痛か、想像するだけで吐き気がする。

 シスルに揶揄われたときより、遥かに顔が険しくなった。そんなハルメリオに、レイは眉尻を下げるばかりである。


「やっぱりねぇ。そうなると思った。ハルメリオ、今までで一番キツい仕事になるんじゃない?」


 シスルがカラカラと笑いながら、頭の後ろで手を組む。普段であればその揶揄いに何らかの反応を返すところだったが、ハルメリオは絶句したまま身動きができないでいた。

 決して撤回の言葉を口にはしない兄の隣で、アンドロイドは安らかに眠っている。その美麗な寝顔すらも疎ましく感じられて、ハルメリオはただ只管に顔を顰める他なかった。

ハルメリオの沈黙をどう解釈したのだろう。レイはシスルに、アンドロイドの少女を起動するように指示をした。

 シスルの指によって、少女の胸部に淡い水色の魔法石がはめ込まれる。ハルメリオが携帯している原石の魔法石ではなく、美しく磨き抜かれた状態である。照明を浴びれば美しく輝くその姿は、他の宝石と比べても引け目を取らない。アンドロイドが商品である以上、心臓さえも美しく造形されるものなのだ。

 アンドロイドの稼働に必要なものは、四つ。ボディ、プログラム、心臓、魔力。それらが揃ったとき、アンドロイドはその身体で主人のための最高の労働者と成るのだ。


「レイー、この子魔力切れだよ。ハルメリオがあんなんだし、魔力注いでくれない? いや、僕が注げたらいいんだけど……分かるでしょ?」

「うん」


 シスルに促されて、レイは静かに頷いた。レイのすらりとした指先が、少女の心臓に触れる。彼の指先から注ぎこまれた魔力に反応して、魔法石は淡く、しかし確かに発光し始めた。

 それに伴い、それまで閉ざされていた少女の瞼が緩慢に持ち上がる。露わになった硝子の薄紫の瞳は、眼前にいるレイを捉えた後、何かを探すように左右に向けられた。そして、ハルメリオを見つけた途端、その唇を粛々と動かし始めた。


「――おはようございます、アンドロイド取締第一部隊副隊長のハルメリオ・ブライトネス様。昨晩はよくお眠りになられましたか?」

「……今は夕時だ。お前と出会ってから一日経ってないぞ」

「失礼いたしました。体内時計の時刻を修正します」


 淡々とテキストを読み上げるだけの機械的な音声が部屋に響く。通常、アンドロイドには感情プログラムが搭載されているため、ここまで無感情を貫く機体も珍しい。それこそ、アンドロイドが普及し始めた初期にはこんな機体も存在したが……アンドロイドが初めて製造されたのは、最早十年以上前の話だ。その間に進歩したアンドロイド達は、今では人間と同じような感情を見せる。無論、彼等には心が無いので、プログラムにある動作を行っているに過ぎないのだが。

 それすら熟せないとは。成程、未完成と称される理由がよく分かった。ハルメリオが無言で視線を向けていれば、アンドロイドも同じように視線を向け続ける。十数秒間、言葉もなく見つめ合った二人を、レイとシスルが静かに見守っていた。


「……お前、何か言うことはないのか」

「申し訳ございません。アンドロイド取締第一部隊副隊長のハルメリオ・ブライトネス様。具体的な会話内容の提示をお願い致します。『何か』とは、何ですか?」

「お前は俺にしか挨拶しないのか? この場には人間が三人いるんだが」

「申し訳ございません。学習致しました。目の前にいる人物にはご挨拶をするのですね。しかし、私はどちらの人物のデータも所持しておりません。お手数ですが、データをご入力ください。アンドロイド取締第一部隊副隊長のハルメリオ・ブライトネス様」

「待て、お前、なんで俺の名前を呼ぶのに逐一肩書きまで長々と読むんだ」

「そういったお名前でご登録させていただいております。アンドロイド取締第一部隊副隊長のハルメリオ・ブライトネス様。ご登録時、アンドロイド取締第一部隊副隊長のハルメリオ・ブライトネス様が、直々にそう名乗ってくださったので。アンドロイド取締第一部隊副隊長の――」

「ハルメリオ・ブライトネス。ハルメリオでいい」

「ハルメリオ」

「いきなりフランクになるな。図々しいぞ」

「失礼致しました。ハルメリオ様」

「よし、それでいい」


 名を呼ばせるだけでこの様である。やはりポンコツじゃないか、というハルメリオの視線を受けても、少女は瞬きを繰り返すのみである。小首すら傾げない辺りに、今のやりとりのどこにも疑問を持っていないことが伺えた。


「初めまして、アンドロイドさん。僕の名前はレイ・ブライトネス。レイで大丈夫。ハルメリオの兄で、アンドロイド取締第一部隊隊長を務めています」

「初めまして。私はハルメリオ様に仕えるアンドロイドです。宜しくお願い致します、レイ」

「兄上を呼び捨てにするな、様をつけろ様を」

「承知致しました。レイ様、よろしくお願い致します」

「僕は別に呼び捨てで構わないけど……」

「第一部隊の隊長としての尊厳を保ってくれ、兄上。理解力のない魔法使いは呼び方一つでアンドロイドに舐められていると捉えるんだ」


 なあ、と同意を求めるように、ハルメリオはシスルに視線を向ける。調律師のことを良く知っている彼ならば肯定してくれると思ったのに、シスルは既にハルメリオのことなど見てはいなかった。


「こんにちは、初めまして、可愛いアンドロイドさん! 僕の名前はシスル、君を精査した調律師だよ。君ってばすごいね、他のアンドロイドには見たことがない回路が使われててさ。あんなの一体どうやって思いついたんだろ、製作者の才能が怖いよ、ねえ!」

「初めまして、シスル……様」


 シスルは、アンドロイド好きでも有名な調律師だ。その片鱗を大いに見せつける自己紹介の八割を華麗にスルーして、アンドロイドはぺこりと頭を下げた。尚、シスルにだけ最初から様をつけたのは、呼び捨てにしようとした瞬間にハルメリオが顔を顰めたからだ。そんなことをしなくても、本来は最初から様をつけるべきところである。

 アンドロイドは、言われた通りに挨拶を終えたので、すっかり口を閉ざした。どうやらすべての行動に命令を必要とするらしい。自立したアンドロイドなどという肩書を鼻で笑いながら、ハルメリオはわざと素っ気無い発言を繰り返した。


「兄上と俺の友人の名を聞いたんだ。『素敵なお名前ですね』くらい言ったらどうだ? 最低限の会話プログラムしか入ってないのか。未完成もいいところだな、製造初期のアンドロイドみたいだ」


 皮肉どころか直球な悪口である。それを受けたのにも関わらず、少女は平然とした顔で、初めて小首を傾げて見せた。


「『素敵なお名前』の判断基準が理解できません」

「『素敵なお名前』だと思ったらだが?」

「データがありません。素敵なお名前とは、文字数の多さ、或いは、少なさ。もしくは、名前の意味合いや歴史といったものでしょうか?」

「それを統計した場合と、理屈を抜いて『素敵だ』と思った場合と、世辞の場合がある」

「成程。承知致しました。ご挨拶をした後、お名前を褒めるのですね。ご教授有難うございます」


 そう言って、少女は突然台から飛び降りる。その軽やかな動きは、それまでの態度とは裏腹に、酷く人間染みていた。アンドロイドの中でも、ここまで人間らしく動くものはそう多くない。少女に搭載されたプログラムはあまりにもお粗末だが、宛がわれたボディは一級品のようだ。

 少女はワンピースの裾をつまみ、丁重にお辞儀をしながら、ゆっくり口を開く。


「ハルメリオ・ブライトネス様。とても素敵なお名前ですね」

「……俺は二人を褒めろと……言ったんだが……?」

「お名前を聞かせていただいた際に褒めていなかったので」

「一応聞くが、それはさっき言った三つのうち、どの場合の『素敵ですね』なんだ?」

「基準が分からないまま言葉を口にしているという観点から申しますと、世辞の場合でしょうか」

「お前もう口を開かない方がいいぞ」

「畏まりました」


 律儀に硬く口を閉ざすアンドロイドの姿に、ハルメリオは軽く頭痛を覚えた。

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